彼が学校をやめた理由
「妹ちゃんじゃない」
兄の家の前でチャイムを押していると、六華は見覚えのある顔に声をかけられた。
確か、兄のお隣さんと先輩だったはずだ。
今から飲む気なのかアルコール缶の入った袋をぶら下げている。
「岳志君なら野球行ってるよ。活き活きした目で行ってくるって言ってたから」
そう、先輩は苦笑交じりに言う。
「ね。ちょっと聞きたいんだけど。お兄さんはさ、なんで退学しちゃったのかな?」
お隣さんが問う。
「それは……」
六華は迷う。こんな初対面に等しい人間に話して良いものだろうか。
「まあ、部屋入ろうか」
そう言って、お隣さんは部屋の鍵を開けた。
適度に整った清潔な部屋だった。
洒落ているという程ではないが、不潔とは程遠い。
パソコンの側にマイクなどが置かれているのが若干気になる点だ。
「それじゃあ親善会と行きますか。妹ちゃんは私の手作りの梅ジュースを振る舞いましょう」
「梅ジュース? 梅酒じゃなくて?」
「それはそれで美味しいものなんですよ」
原液を水で割って手渡される。
手作りのそれは、確かに美味しかった。
「で、なんで岳志君が野球部を辞めたかだけど。なんで? 彼なら悪口言われても平然とスルーしそうだけど」
「そうですね。兄は事実スルーしました」
「ってことは、悪口を言う人、いたんだ」
「ええ。名門野球部で一年は基本球拾い。その中で例外のように一年ベンチ入りでしたから。嫌がらせのようなものは受けていました」
お隣さんは凄いな、と思う。情報をするすると引き出していく。
六華自身が、誰かに話したかったのもある。
「じゃあ、なんで?」
「キャッチボールって、あるじゃないですか」
「うん」
「それの兄の相手をした人が、嫌がらせをされるようになって」
先輩は黙り込んで、難しい顔でちびちびと酒を飲んでいる。
「兄を見捨てたらその人は英雄扱い。どんどん兄の味方は減っていきました。そんな中でも、一緒に学校を変えようと誓いあった二軍レギュラーの選手がいたんです」
「おお、麗しき男の友情」
「その人は、紅白戦でデッドボールを受けて骨折しました」
沈黙が漂う。
「それで、兄は完全に嫌になったんです。私も、聞いてて酷いと思いました。その時は、違う高校を探せばいいと思っていた。けど、そこで父との関係がこじれて……」
「今に至る、と」
「大事なことはなにも話してくれないんだな、アイツ」
先輩が呟くように言う。
「愚痴らないのがあの子の強さだよ」
お隣さんが苦笑交じりに言う。
六華は少し満たされた気持ちでいた。
この話を人にしたのは初めてだ。
だから、重い荷を降ろせたような、そんな気分になれた。
(あれ、私、お兄ちゃんの新しい環境に毒されてる……)
そうと察し、ぞっとした六華だった。
六華の目標は今も一つ。
兄を連れ戻して一つ屋根の下で暮らし、兄を新しい高校に送り出すこと。
この女達は邪魔じゃなければならないのだ。本来は。
そのはずなのだが、ほだされている気がするのだった。
+++
「アリエル」
「なんだにゃ。昨日貫徹でちょっと今眠いにゃ」
「どうせお前の徹夜の理由なんて懐かしアニメヘビロテだろ」
「残念でした。昨日はボイスロイドキッチンヘビロテですー」
「料理すんの?」
俺は目をパチクリとさせる。
「出来上がりが美味しそうだしコントが見てて楽しいにゃ」
だめだこりゃ。
本題に入ろう。
「ヒョウンに修行をつけてほしい」
ヒョウン。
天女についていた騎士。
俺の体幹と体裁きを評価してくれていた。
これから先、魔術だけでは若干不安だ。
アリエルは真面目な顔になって、しばし中空を眺める。
「どうでもいいけど、ヒョウンはかなりスパルタにゃよ?」
「覚悟の上だ。倒さなきゃいけない相手が出来た」
「なるほどにゃ。因縁の相手ってわけか」
なるほど。流石はナビを自称しているだけはあって、俺の近辺の悪霊は把握していたわけか。
「それじゃあ、迷宮のクーポンを使うにゃ。後は、そこからヒョウンにバトンタッチするにゃ」
「わかった」
野球への課題は山積みだ。
しかし、過去の行き違いを水に流せるならば。
俺はもう一度戦える。そう思った。
続く