精神の融和点
刹那は不思議な空間を漂っていた。
自我と無の境界がなくなりかけている。
このまま自分は消えるのだろうか、そんなことを思う。
何も残さず。
誰にも必要とされず。
誰とも絆を残さず。
消えるのだろうか。
誰の心にも残らない、思い出してみればそんな変な女もいたね、だなんて、そんなクソみたいなポジションで一生を終えるのだろうか。
仕方がないことだと思う。
刹那の心は幼少期にバキボキに折られてからというもの、前に進む勇気を失っていたのだから。
いや、本当にそうだろうか。
ノイズが走る。
それは朝のキッチン。
朝食を作る自分。
何故かその日は自分で作る気になった。
日常の中に起こった僅かな変化。
他人の前で笑っている自分。
変化は大きくなる。
そうだ、自分は一歩を踏み出そうとしていた。
あの日は、風が吹いていた。
「じゃ、俺と友達になろうぜ。年齢も近いし、丁度良いだろ」
声が脳裏に蘇る。
思い返すだけで春の風を思わせる声。
岳志の声。
「あんたと……?」
刹那は胡散臭げに岳志を見る。
本当、いきなり出てきて数日で友達になろうだなんて、図々しい男だと思ったものだった。
「俺、サンリオキャラ詳しいぜ。妹と後輩がいるからな。なんならその二人も紹介できる」
刹那は呆れ混じりに岳志を見ていたが、再度溜息。
「ほんと、集団の中で生きてきた人って感じね。そういう風にひょいひょいネットワークを広げる感じが。私には今更そういう生き方は……」
「遅くなんてないさ」
そうだ。
岳志はそう、はっきりと言ったのだ。
自我と無の境界が蘇り始める。
急速に活動を再開するニューロン。
そうだ、自分は一歩を踏み出そうとしていた。
介助つきだけど、確かに、一歩を踏み出そうとしていた。
そして、あと少しというところまで進んでいたのだ。
自分に勇気がないだなんて、そんなことはなかった。
あの朝食を作った日、あれは自分なりの勇気の現れではないか。
(私は……)
刹那は自我と無の境界がはっきりとしたのを感じていた。
(私はまだ、岳志に友達になろうって、言っていない)
それは未練となり、光に粒子となって吸収されていた刹那の体を再構成させた。
刹那は目を開く。
体に力が漲っている。
六大名家の力はまだ、この身にある。
体を包むのは神々しい光。
そして、対峙するは、闇。
闇に包まれた片翼の半神が、眼の前に立っていた。
周囲は廃病院。
他の五人も無事だ。
「何故だ、何故私を拒絶する」
理解しがたい、と半神――安倍晴明は言う。
「辛い思いをしただろう。孤独を散々味わっただろう。お前の十五年は他者からの拒絶と孤独だ。なのに何故立ち向かおうとする」
「一歩踏み出す勇気さえあれば、未来は変えられるって、ある人に教わったから。私はもう一度、勇気を出してみようって、そう思えた」
決意を込めて、拳を握りしめる。
「ごめん、皆。私のせいで、こんな事になった。責任は、自分で取る」
罵声が怖い。
けど、今は自分が生み出してしまった怪物を倒すしか責任の取りようはない。
「俺達の力を借りといて自分で取るもなにもねーよな」
陸が冷たい声でぼやく。
沈黙が漂う。
刹那は俯く。
「勝てよ」
陸は言った。
背を押すように。
刹那は目を見開いて前を向くと、微笑んで振り向いた。
「うん。絶対に、六大名家に恥じない戦いを」
五人とも、きょとんとした表情になる。
「笑った……?」
「あの刹那が……?」
「安倍晴明は蘇るし刹那は笑うしもうお終いだお終い」
はじめがぼやくように言う。
あかねもきょとんとしていたが、ニヤリと微笑んだ。
「あんたがその覚悟ならそれでいい。安倍晴明は復活したてでまだ十全に力を取り戻していない。そして格闘技能はアンタの方が上だと実証されている。細かいことはいらない。あんたの技能でゴリ押して勝ってきなさい!」
「うん!」
刹那は頷いて、前を向いた。
皆の力が共にある。
自分は晴明に捧げられるために生まれたんじゃない。
「そう、私は皆と共に、岳志と共に、老いていくために生まれたんだ。あんたになんか吸収されてやるもんか!」
「私の呪縛を破ったか。惜しいな。それ故にその才能を命と共に失うことになろうとは」
安倍晴明はそう言って扇子を一枚開くと、閉じた。
闇の波動が膨れ上がる。
廃病院の壁が無に帰していく。
「皆、私の後ろに回って! 私が壁になる!」
刹那は構えを取ると、光を膨れ上がらせた。
闇は光に遮られ、進行を止めた。
生身の体にもう一度叩き込んでやる。
六階道家奥義、赤乱華を。
シンプルゆえに身体構造上無駄がない一撃。
身体能力向上の六階道家の術を織り込むことでその破壊力は爆発的に膨れ上がるのだ。
続く




