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天丼

「ちょ、ちょっと待って先輩。行かないで」


 先輩は豊満な胸を抱えるようにしばらく両手を組んで考え込んでいたが、そのうち溜息を吐いた。


「言い分ぐらいは聞きましょう。その子と貴方の関係も聞いてないしね。私も、言いたいことがあります」


 最後の一言は、怖いことにドスが効いていた。


「管理人さーん」


「はーい、なんだいタケちゃん」


「お客さんが来たから、草むしり、後からまたでもいいかな」


「いいよー。タケちゃんの分たっぷり残しちゃうから」


 そう言って豪快に笑う。

 そして俺は部屋を睨んで言った。


「アリエル、猫!」


「アリエル……?」


 先輩が怪訝そうな表情になる。


「いえ、ちょっとした呪いでして」


「そう。それならいいけど」


 これでアリエルが猫モードになってくれていればいいのだが。

 そして俺達は俺の部屋に向かった。


「ちょっと散らかってるので準備させてくださいね」


 そう言うと、俺は部屋の中に入った。

 まず、アリエルとの同棲臭を感じさせるものがあればアウトだ。


 最悪なことにあの女。衣服をそのままにして猫化しやがった。

 パソコンの置いてある机の傍には脱ぎたての衣服がそのまま置いてある。


(俺の部屋に脱ぎたての女の下着がある俺の部屋に脱ぎたての女の下着が)


 やっている場合ではない。修行僧のようであれ。


「岳志君ー? そろそろ入るよー?」


 先輩が言う。

 俺は破れかぶれになってアリエルの衣服一式を放り投げた。

 それは上手いこと、玄関の換気扇に引っかかった。


「なー」


 アリエルが不満げな声を上げる。

 埃が付くと言いたいのだろう。


「こんなところに脱ぎ捨てたお前が悪い」


 アリエルはぷいとそっぽを向くと、爪とぎきで爪を研ぎ始めた。

 先輩と幸子が入ってくる。


「汚い部屋ですがどうぞどうぞ」


「相変わらずパソコンぐらいしかない部屋だねえ」


「清貧だもんで」


「それでね、私は岳志君に言いたいことがあります」


 先輩は俺に勧められた座布団に、重い荷物を降ろしながら座る。

 幸子も、同じようにおずおずと座る。若干先輩の放つ雰囲気に飲まれているようだ。


「岳志君。ちょっと女性関係が奔放すぎない?」


「そんなこと……ないと思うけど」


「けど、私がいなかったらアリエルちゃんと同棲してたよね」


「ど、同棲!?」


 幸子が素っ頓狂な声をあげる。


「ほら、この子も驚いてる。この子……貴女、名前は?」


「こ、小泉幸子です」


「幸子ちゃんも、この歳で同棲はどうしたものかと思うでしょう」


「思います」


 身を乗り出して言う。


「いやね、行き場のない女の子がいたから部屋を貸すって流れになっただけで、同棲とはまた違うっていうか」


「同棲です」


 先輩はピシャリと言う。


「それに、幸子ちゃんとの関係もどうなってるの? 人前で抱き合うなんて尋常じゃないよね? そんな関係の女の子、後何人いるの?」


「いません! 小泉さんに関しても一方的に抱きつかれただけだし!」


「本当?」


 先輩がギロリ、と幸子に視線を向ける。


「ほ、ほんとです。岳志君がまた野球を始めてくれるって言ってくれて、嬉しくって、つい感極まっちゃって」


 そこで先輩が、ぴたりと動きを止めた。


「野球、辞めてたんだ」


「はい」


 黙り込んだ俺の代わりに幸子が答える。


「お茶淹れてきたよ~」


 玄関の扉が開いて、あずきが入ってきた。

 おぼんの上にお茶と茶菓子を置いている。


「あずきさん、どうしたんですかいきなり」


 あずきは俺に耳打ちした。


「なんかややこしいことになってるなって思ってね。ここは私に任せてよ」


 流石はあずき。コラボなら任せておけということか。


「貴女は?」


 先輩は怪訝そうに訊く。


「丹下雫。お隣さんです。岳志君にはお世話になっててね。お客さんが来てるみたいだから茶菓子でも出そうかと」


 あ、本名丹下雫なんだ。そんな事実初めて知った。


「……それは、どうも」


 不審そうにしつつも、先輩は差し出された茶を一口飲む。


「岳志君は野球、辞めてたんだよね」


 あずきが言う。


「はい」


「コンビニ強盗にバットを凶器に使っちゃったからって。野球を大事にしてる岳志君だから、それが許せなかったみたい」


「それって……」


 先輩が目を丸くする。


「私のせいじゃない」


 俺は慌てて手を振る。


「違います違います。俺が勝手にやったことっていうか。俺が勝手に決めたことっていうか。そもそも正当防衛だし考えすぎだったっていうか」


「けど、幸子ちゃんと私の後押しもあって、野球やろうって思えるようになったんだよね?」


「はい、そうなります」


「だからね、私も、幸子ちゃんも、面白くないかもしれないけど岳志君にとっては必要なピースなんだよ」


 先輩は黙り込む。


「もっと岳志君のこと、信用してあげてもいいんじゃないかな」


「いや、別に、私は……」


 先輩はもごもごと口籠る。

 貫禄勝ちといった感じだ。

 流石はあずき。歴戦のコラボ魔。こなした相手の数が違う。


 そこで、扉が開いた。


「お兄ちゃーん。不健康な生活してるだろうから妹が手料理振る舞いに来てやった……ぞ?」


 妹が立っていた。

 目を丸くして、指差しして部屋の中の人数を数える。


「女の子が、一人、二人、三人……?」


 妹がふらつくように扉につっかえる。

 振動で、換気扇に引っかかっていたアリエルの衣服が落ちた。

 女物の下着も一緒に。


 妹はそれを見て、引っ張って眺めて、絶句した。

 いや、その場の全員が絶句していただろう。


 妹は俺に視線を向けた。

 時間は完全に凍っていた。


 あれ、ちょっと前にもこんなことなかったっけ。

 そんなことをやけに冷静に感じながら最近女難の相にあっているのではないのかと思う俺なのだった。



続く

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