聖域を踏み荒らす駄猫
朝の登校時間。
休みなので珍しくこんな時間まで家にいる。
家の外を歩く学生達の喧騒で、ちょっとノスタルジックな感覚に浸ってみたり。
ふふん、自分はもう独り立ちしてるんだぜと大人ぶってみたりもする。
家のチャイムが鳴った。
背もたれにしているベッドから立ち上がり、部屋の扉を開ける。
小柄な女子高生が立っていた。
俺が以前通っていた高校の制服だ。
「あの……」
「はい、なんでしょう」
なにか学校に忘れ物でもしてたっけか。
「おはようございます!」
そう言って勢いよく頭を下げてくる。
「うん、おはよう」
沈黙が漂う。
女子高生の視線が僕に向き宙に向けられ右を向いたかと思ったら左を向いた。
落ち着きがない。
なにがしたいのだろう。
「なんか用? なんかの罰ゲーム?」
「いや、その」
「うん」
「あの」
「うん」
苛々してきた。
良いから本題に入ってくれ。
「どうして町内会の野球、来ないのかなって」
俺は無言で扉を閉じた。
チャイムがけたたましい勢いで鳴る。
なるほど、美少女マネージャーを雇うと言ってたっけ。
勝つためには涙ぐましい努力をするものだなあ。
あずきには背を押されているのだが、どうしたものだが俺には判断がついていない。
だから、急かさないでくれというのが本音だ。
「遅刻するぞー」
俺は扉越しに淡々とした口調で言う。
チャイムが止む。
しばしの沈黙の後。
「また来ます!」
「いや、もう来んな」
「いけず!」
そう吐き捨てて、女子高生は駆け去っていった。
忙しい奴。
部屋に戻るとアリエルが美味しんぼを見ていた。
海原雄山の言葉に山岡士郎が衝撃を受けている。
「なんか騒がしい子だったにゃー」
「大人しそうな子だったんだけど、みかけによらないな」
「あずきにああ言われて、まだ踏ん切りがついていないのかにゃ?」
「きっかけが掴めずにいるってのが本音かなあ」
なにか踏み出すきっかけがあると良いのだが。
それを求めたわけでもないのだが、登校時間が過ぎると、俺はバイト先に向かった。
移動中、あずきの配信を聞く。
今日も元気なあずきのトークはキレキレだ。
今日は最近見たアニメの話題になっていた。
俺はアニメは見ないのでその辺りは門外漢だ。
三十分ほど自転車をこいで、バイト先に到着した。
あの時、もし金属バットを寝ぼけて持っていかなければ。
そんなことを、ふと思う。
けど、その御蔭で先輩を救えたのだから、捨てたものではないと思う。
コンビニに入ると、先輩の元気の良い挨拶が店内に響き渡った。
「岳志君じゃーん。その後アリエルちゃんとはどう?」
先制パンチに頭がクラリとした。
「まあ付かず離れずって感じで適度な友人って感じですわ」
流石に事情があるとは言えがっつり同棲してるとは言えない。
「うんうん、それが一番だよ。行き過ぎは良くないけど友達は大事にしないとね。行き場所は見つかったの?」
「ええ。もう、大丈夫みたいです」
「そっか。最悪うちのアパートの一室開けといたんだけど、必要なかったな」
良い人だなあと思う。
だからこそ俺に好かれるんだが。
「それで、今日は買い物?」
「気分転換に先輩と話したくなって」
「お、嬉しいねえ。じゃあちょっとだべるか。と言いたいところだけど。今から忙しい時間帯だから、休憩室で三十分ほど待ってくれるかな?」
「ああ、ですね。失念してた。待ってます」
そう言うと、俺は休憩室に向かった。
あずきの配信を再び聞き始める。
あずきの配信はゲーム配信の真っ最中だった。
「また死んだ~!」
あずきの悲鳴にも似た声が響き渡り、それを笑うコメントが沢山つく。
こういうのは上手くなくても良いのだ。リアクションが良ければいい。
その時のことだった。
「うるせーーーーーー!」
アリエルの声が響き渡った。
俺は表情が真っ青になるのを感じていた。
「お、アリエルちゃんじゃーん」
あずきは冷静に対応する。
「アリエルちゃんは部屋が隣で、私の友人です。で、今日はどうしたのかな?」
「せっかく美味しんぼが究極対至高の対決やってるのにお前の悲鳴が聞こえてきて集中できないにゃ」
「けど部屋の主君は騒音に関してオッケー出してくれたよ?」
「あいつはあいつ、私は私にゃ」
やめてくれえ。それ以上俺の聖域を踏み荒らさないでくれえ。
これじゃああずき風香騒音公害でクレームだなんて大炎上してしまうではないか。
「ちょっとちょっとアリエルちゃん。こっち来て配信出てみない?」
「はいしん?」
「ご紹介します。私の隣人であり恩人、アリエルちゃんです」
「なんだにゃ、この画面。文字がびっしり」
猫言葉キター! 可愛い声。美味しんぼ好きなんだ。若そうだね、不登校? そんな手探りなコメントがつく。
ようこそアリエル、歓迎しますなんて五千円のスパチャまでついた。
「凄いよアリエルちゃん。この瞬間だけで五千円も稼いじゃった」
「にゃにゃ! これだけでアリエルは五千円稼いじゃったのにゃ?」
「そうだよ。この赤い文字見えたでしょ? これはお金を投げてもらった証でね。アリエルちゃんには後から私から五千円払いまーす」
アリエルの目が輝いたのが見えた気がした。
「まず、アリエルちゃんって変わってるよね。目が金色だし。カラコン?」
「天然だにゃ」
「凄いなあ。画像じゃ見せられないけどアリエルちゃんって凄いモデル体型でね。美人さんでね。肌も白くて。金色の目が凄い映えるんだよ」
「そう褒められると照れるにゃあ」
さすが元くるみ柚香。クレーマーをすっかり取り込んでしまった。
俺の聖域はこうして駄猫に踏み荒らされた。
その後、アリエルはゲームで下手プレイを連発し拗ねて帰っていってしまったが、五千円以上のスパチャが効いたらしく騒音にはなにも言わなくなった。
それどころか、今後の出演も検討してやるにゃ、なんて言葉で締めやがった。
「お待たせ、岳志君。話せるよー。腰いたーい」
そう言って、先輩が休憩室に入ってくる。
そしてぎょっとしたような表情になった。
「どうしたの、そんな砂漠で水も尽きたような絶望的な表情をして」
「俺の心の支えが……駄猫に破壊されたんです……」
「なんか良くわからないけど……南無?」
帰ったらアリエルと一戦交えよう。
そう思ってたら、野球の話なんてどっかにいってしまっていたのだった。
続く