その矢は絶望を砕いて
最初に動いたのはアリエルだった。
ケルベロスの至近距離にいたくるみを抱き上げて救い出したのだ。
ケルベロスの興味がそちらに向く。
俺は慌てて攻撃を加えた。
「ファイア!」
炎を掴んで投擲する。
それは、ケルベロスの表面を浅く焼いただけだったが、こちらに敵意を向けさせるには十分だった。
「ホント、使えねーなあこのスキル」
「そんなはずないにゃ」
アリエルが言う。
「この前岳志はレベルアップしたはず。ファイアの威力も上がってるはずだにゃ」
ケルベロスが飛びかかってくる。
受け止める?
駄目だ、一本の頭を受け止めても残り二本の首にやられる。
スライディングで相手の後方へと回る。
しかし、巨大すぎる。反撃できない。
「なら、なんでこんな雑魚威力なんだよ!」
「魔術はイメージ」
アリエルは淡々とした口調で言う。
いつになく、染み入るような、静かな声。
「最高の威力を発揮できるシチュエーションをイメージできれば、自ずと真の威力が目覚めるはずだにゃ」
「最高の威力を、発揮……?」
球ならいくらでも投げてきた。
けれども、俺は投手ではなかった。
キャッチャーミットに投げ込み打者を負かす快感を俺は知らない。
けど、思い当たる節があった。
「アリエル」
「なんだにゃ?」
ケルベロスが振り向き、唸り声を上げる。
「これで駄目なら、一緒に死んでくれや」
「嫌だにゃ」
即答だった。
「そうかい!」
ケルベロスが駆けてくる。
思い描くは外野グラウンド。落ちてくる打球。俺の捕球と同時に駆け出す三塁ランナー。
それを刺すレーザービーム。外野手から捕手への返球。
炎の玉は矢となりケルベロスの口を貫いた。
ケルベロスは数度ふらつき、そのまま地面に倒れ伏した。
そのまま、砂のようにさらさらと散っていく。
レベルアップ、という単語が俺の脳裏に浮かび上がる。
さらに、スキル、ファイアアローを取得しました、という言葉が浮かび上がった。
「ちょっとは退魔師らしくなってきたじゃないの」
俺は上機嫌に言う。
本意ではないが、上達していくというのは嬉しいものだ。
「凄いにゃー。岳志ってここまで野球の応用だけで生き延びてるにゃ」
「あー、まあ、そうだな」
それは俺が、最近まで野球しか知らなかったということでもある。
「……野球、好きなんだ?」
くるみが、苦笑顔で言う。
「あー、そっすね。子供時代から高校中退するまでずっとやってたぐらい。もうやめちゃったけど」
「どうして?」
「俺は野球のバットで強盗を退治しました。野球の道具を凶器に使った。許されないことだと思うんです」
「そっか……」
くるみは、目を閉じた。
「ありがとう、岳志君。心の中のもやもやがあったのが嘘みたい。今は、冗談みたいに勇気が湧いてくる」
「配信、またしてくださいよ」
俺の言葉に、くるみは微笑む。
「うん、配信、好きだもん。だから、ね」
くるみはそういうと、小柄な体でとたとたと駆け寄ってきた。
「君も野球を辞めるなんて、言わないで」
そう言って、俺の体に手を添わせる。
そして、俺の指を絡め取った。
心音が高鳴る。
「指切りげんまん」
世界が暗転していく。
そして気がつくと、俺達は元いた喫茶店に戻ってきていた。
「さて、そうと決まったら個人配信の準備だ」
そう言ってくるみは立ち上がる。
「じゃあね、岳志君。また会おうね!」
そう言うと、一万円札を一枚置いて、駆け去っていってしまった。
「ホント、元気な人……」
「ホントだにゃー」
アリエルも呆れたように言う。
「けど、違和感が残るにゃ」
「なにがだ? ケルベロスは退治した。ハッピーエンドじゃないのか?」
「個人が抱える闇としてはケルベロスは凶悪すぎるにゃ」
「……つまり、なにが言いたい?」
「誰かが、彼女に、ケルベロスを産み付けた。その可能性があるにゃ」
俺は絶句した。
そして、彼女の言葉を頭の中で思い返す。
だから君も、野球を辞めるなんて言わないで。
(どうしたものだろう)
硬いと思っていた決意は、揺るぎつつあった。
+++
後日談として、くるみ柚香はあずき風香と名前を変えて個人Vtuberとして再デビューした。期待の新人(?)に登録者はうなぎ登り。一週間で二十万人登録を達成した。
元気な彼女の語り口に、元気づけられると掲示板も大盛り上がり。くるみ柚香完全復活かと大騒ぎだ。
さて、そのくるみ柚香、いや、次に話題に上がるのは中身が変わった新くるみ柚香だが。
あずき風香の存在によって中身の挿げ替えが露呈し大顰蹙。
登録者は百万から五十万を割り、今も徐々に減りつつある。
トイボックスとしては泣きっ面に蜂といったところだろう。
俺としては、あずきの貢献が評価されているようで嬉しい。
そんなある日のことだった。
「こんにちはー、隣に引っ越してきましたー。スイカのおすそ分けですー」
「はいはいー」
ベッドに背を預けてネットサーフィンをしていた俺は、立ち上がって玄関口に出る。
そして、目を丸くした。
あずきが、そこにはいた。
「や。角部屋空いてるって聞いてね。隣が君なら騒音でのクレームもないだろうし、越してきちゃった」
「……ほんと、元気なお姉さんだことで」
俺は苦笑交じりに、彼女の差し出すスイカを受け取った。
続く