第2話 侍と炎と熊と
むかーしむかし、それは竜すらも知る者は少ない程の昔。巨大な大陸を一つの国が支配していました。
多くの人と竜が共に暮らすその国は大変平和で、繁栄を謳歌していました。しかしそれは人と竜の傲慢さを助長させていってしまいました。タガの外れた欲望は止まることを知らずに、更に更にと多くのものを求めていきました。
そうして遂にその国は、世界を統べるべく他国に侵攻を開始しました。有象無象の小国は多くの竜と兵士がいる国に勝てる筈もなく亡んでいきました。
そんなある日、遥か遠い空─天竜が住まう場所よりも遠く、そして高いところから一頭の龍が降りて来ました。
その龍は暴虐の限りを尽くす人々と竜を見下ろしながら、告げました。
『滅びよ』
人と竜は力の限り抗いました、しかし宙から落ちて来た竜の力は隔絶していました。大陸が割れ、天が鳴動し、多くの命が奪われていきました。
そうして国は滅び、龍は立ち去りました。僅かに生き残った人々はその竜を邪龍と称し、再び戦い勝利する為に力を蓄える者。神龍と称し、赦しを乞うべく祈りを捧げる者に分かれていきました。
これは、昔から語り継がれてきた物語。神龍譚と称されて多くの子供達が寝物語として耳にしている──純然たる史実である。
アルディシア大陸。竜の頭部に似た形状をしたその大陸には二つの国家が存在し、そして数百年に渡り争い続けていた。
一つは大陸の西部に広がる広大な領土を支配する、レムナール帝国。もう一つは大陸東部にて信仰されている宗教─神竜教─を母体とした小国の連合体、アムナシャハ・ドラコニス宗教連合。
二つの国家は主義主張の相違という、ありふれた理由に基づき戦争を続けていた。神龍──神話に語られる伝説の存在、だがそれはこの世界に実在するそれを帝国は討とうとし、連合は護ろうとしている。
あれは人類を滅ぼす厄災である、
あれは人類を導く神威である、
そのような主張が、互いを疎い嫉み嫌い、そして殺し合いを開始して、早数百年。大陸全土に波及した壮絶な殺し合いをしている最中、ある土地に変化があった。
それは今後の歴史から見れば、僅かな変化。波一つ立たない湖面に一滴の滴が落ちた程度の、小さな小さなもの。しかし、世の中には|非常に小さな出来事が、最終的に予想もしていなかったような大きな出来事につながる《バタフライエフェクト》こともあり得るのだが、それを知る者はこの世においてはたった一人─神の名を冠する龍を除いて他にいない。
その変化とは、大陸北西部に広がるボルコーズ地方にて起きていた。程よく広い森林と広大、かつある程度の起伏のある平野は若き新兵の育成に役立てられていた。そんな土地の、とある森の中で、
「ぎゃあああああああ!!!誰か助けてええええええ!!!!」
泣き叫ぶ少女の姿がそこにはあった。
涙目になりながら必死に走る彼女の背後を追いかけるのは、正真正銘の怪物だった。
「グオオオオオオォォォォ!!!」
「はぁっ、はぁっ、何で何でっ、こんなところに巨熊獣が居るんだよぉぉ!!!」
巨熊獣。大陸北部に生息する全長6mを超す巨大な熊である。その皮膚は並の大砲ですら弾き飛ばし、一日中全速力で駆け続けることが可能な持久力、そして大隊─歩兵1000人により構成される─程度なら単独で殲滅させてしまう程の膂力と凶暴性を有した怪物だ。単独で行動している部隊で遭遇すれば即時撤退が命じられるような存在であり、1人で遭遇したなら死は免れ得ない。
だが、本来ならこのボルコーズ地方には生息していない筈だが、餌が足りずに南下してきた個体なのだろうか、その理由は今のアリシアには分からないし、そんなことよりも─
「まずいまずい!こ、このままだと喰い殺されるっ…逃げられても試験に間に合わなくなるっ…!」
アリシアの脳内にあったのは自らの生命が喪失するかもしれないという恐怖と、今自分が行なっている試験に落ちるかもしれないという恐怖であった。思考が纏まらす、現状を理解出来るからこそそれを認めたくない。だからこそ、
「あっ」
足元が疎かになり、僅かな段差に躓き地面を転がっていく。近くに熱く、獣臭い臭いが充満していく。何とかして立ち上がろうとするも、先程までの全力疾走は彼女の足に疲労を蓄積させていた。肺が痛い、心臓が呼吸を早まらせていく。
「グルルル……」
そして何よりも、目の前にいる巨熊獣への恐怖で足が竦んでいるのだ。立ち上がれず、ゆっくりと近付く獣から必死に後ずさるものの、背後に巨木が立っておりそこに思い切りアリシアは激突してしまう。
「……そっか、私はここで死ぬんだ」
最早運命は変えられない。逃げ場を失い、逃げる術を失い、絶望のみが訪れる。
その様を見た巨熊獣はまるで嗜虐心を抱いてるかのような笑みを浮かべたようにアリシアは見えた。どうやら本当に自分は天に見放されたらしい。もし、神らしい神がいるなら、救いを寄越してほしい。それが叶わなければ、せめて一撃で殺して欲しい。でも、ああやっぱり──
「死にたくないなぁ。やりたいこと、なりたいこと…たくさんあったのになぁ…」
口にしたのは思い残したことで、脳裏に浮かぶのはやり残したことばかりだった。だが、巨熊獣はそんなこと知らぬと言わんばかりに、巨大な口を開けてアリシアの頭部を噛み砕かんとする、その刹那──
「ぬおおおおおおぉぉぉ!!?!?!?」
ズドン、という音と悲鳴が巨熊獣の背後から鳴り響く。その影響なのだろう、刹那の合間その場に静寂が走り、そして。
「逃げろっ!!!!」
アリシアは咄嗟に叫んだ。音の主がどこから落ちてきたとか、何者なのかとか、どうしてここにいるのだとか、多くの事が脳裏を駆け巡る。だが今はそんなことに気を取られるべきでは無い。|一般市民が危険に晒される《・・・・・・・・・・・・》、それだけは許されないのだという彼女の決心がそうさせる。
その結果自分が喰われようとも関係ない。帝国兵─凡ゆる障害から帝国国民を守る為に命を賭す覚悟を背負う者達の末席に名を連ねている、という自負を抱いているアリシアだったが、悲しいかな──
「グオオオオオオォォォォッ!!!!」
巨熊獣はその想いを踏み躙る。否、この獣にそんな崇高な想いは無いだろう。ただ目の前にいたか弱い脆弱な生き物より、何処からか落ちてきて弱っているだろうソレに対し振り向きつつ、並の城壁程度なら容易く粉砕する剛腕の一撃を叩き込む。
轟音─。硬く、重い塊が超高速で地面に落下したかのような音が鳴り響く。ああ…、と悲鳴を上げることすらアリシアには出来ずに振り下ろされた腕を見て、次瞬。
「……ぬ、ぉぉぉおおおおおお!!!」
巨熊獣の咆哮とは異なる人の声が放たれると共に、徐々に振り下ろされた筈の巨熊獣の腕が持ち上がり始める。
「んなっ…!あの一撃を受けて、無事だと言うのか…!?」
恐怖の感情に包まれていたアリシアだったが、その様子を見て驚愕へと変わる。
「グォォォォッ…!?」
そしてそれは、巨熊獣も同じであった。今まで自身の一撃を受けて無事だった生物など数少なく、その全てが自分に匹敵するほどの巨体だった。だからこそ、目の前にいる小さな小さな生き物が耐えて、あまつさえ持ち上げるなど経験した事もなかった故に困惑してしまう。
「っ、今なら…!」
それは隙を生じさせた。ほんの僅かに、意識が目の前の何者かに向いた瞬間をアリシアは見逃さなかった。恐怖に震える足を勇気で抑え、腰に携えた直剣を抜き放ち巨熊獣の後ろ脚目掛け斬り下ろす。
「グオオオオオオッ!!!」
「つ、ぅぅ…!」
斬り付けたアリシアはまるで巨大な岩を斬り付けたような感触に身じろぎ、距離を取るべく後ろに跳ぶ。アリシアによる攻撃は強靭な筋肉と分厚い皮膚、そして大量に生え揃っている毛によって致命傷どころか血さえ流れない程の微量な一撃だったが、巨熊獣からすれば意識外からの攻撃故に極端に反応してしまい、後ろを─アリシアの方を見る。見てしまう。即ち、押さえる力が無意識の内に弱まってしまう。
それを見逃す程、落ちてきた生き物──平教経は甘くない。
「ぬぅん!」
巨熊獣の一撃を受ける為に使用した大太刀を用いて、力が抜けてしまった剛腕を文字通り弾き飛ばす。全長6m、最早怪物と称して何ら問題のない巨熊獣を押し除けるなど人間業では無いだろう。
ズシンと転ぶ巨熊獣を尻目にアリシアは教経の方に向かい駆け出し、二人並んで巨熊獣を見つめる。一挙手一投足、それらだけで容易く命を奪える怪物から目を逸らすなど、一体誰が出来ようか。そんな中、
「わ、私はレムナール帝国陸軍のアリシア・コットンフィールド士官候補生だ。貴殿が何者かは分からないが、は…早く逃げた方が良い。奴は私が死んでも足止めする…っ!」
アリシアは自分の名前を名乗りつつ、教経に対し再度逃げるよう指示する。例え戦える人物が二人いようと、アレを殺せるとは到底思えない。
死体が二つ生まれるだけだ。ならばこそ、帝国兵としての誇りを持って自らが足止めをすると告げた。
だがアリシアは恐怖を乗り越えた訳では決して無い。足が震え、カチカチと顎が鳴ってしまう。当然だろう、目の前には生きた災害のような生物を一人で相手取ろうとしているのだ。死にたく無い、そう思ってしまうのも無理はない。だがそれは、無辜の民を見捨てる理由には決してならないとも、彼女は思ったからこそ決死の覚悟で相対しているのだ。
しかしそんな中教経はアリシアの顔を─正確には口を見つめていた。彼女は馴染み深い日本語を使って喋っていると思っていたのだが、|口の動きと言葉が一致していない《・・・・・・・・・・・・・・・》ことに気がついた。これも、我が宿敵である義経が使っていた妖術か?と思うも、
「俺は平能登守教経だ。生憎、逃げたいがこの辺りの地理を知らなくてな…どうにも逃げ切れそうに無い」
名乗られた以上、名乗り返さねばならないと思って自らも名と役職を告げる。同時に、逃げ先を知らないとも。
「ま、まあその鎧…和兎の国の者なら仕方ないか…」
「ん?和兎の国?何だそれは…と、事情を話したいがそうも言ってられんようだな…先ずはアレを仕留めるぞ!」
二人の眼前には、巨熊獣が立ち上がり、まるで二人に対し怒りの感情を抱いているかのようにグルルと低い唸り声をあげている姿がそこにはあった。
「えっ、ちょっと待て!アレを知らないのか!?アレは巨熊獣、軍隊すら壊滅させるような怪物だぞ!?」
「とはいえここで逃げたところでいずれ追い付かれて奴の餌になるだけよ、お前だけ残すのも俺の主義に反する。なら、取る手は一つだけだろう?行くぞアリシアッ」
「ああもうっ!喰われたら恨んでやるからなノリツネ!」
「グオオオオオオォォォォッ!!!」
三つの咆哮が重なり、森の奥で熾烈な生存闘争の幕が上がった。
熊が持つ最大の武器は爪である。最大種の一つであるヒグマによる両の手で挟み込むように放たれる一撃は人間の皮と肉を苦もなく斬り裂くのだ。そしてそれが──
「グオオオオオオオオオオッッッ!!!!」
全長6mにもなる巨熊獣ともなれば、鎧を纏っているところで最早肉体が残るかどうかすら怪しいレベルだろう。
死そのものが轟音と共に放たれる。直撃どころか掠っただけでも致命傷になり得る一撃を、教経とアリシアは互いに横に跳ぶことで回避する。当てるべき獲物がいなくなってしまった剛腕を受けてしまった地面は破砕し、周囲に破片が飛び散るもののその場にいる三者は意にも介さずに行動を続行させていく。
アリシアは息を吸い、剣を構え、巨熊獣の動きを観察し狙いを定める。狙うは関節、肉や毛が少なく損傷を与えれば行動に支障をきたすという希望的観測に基づくものだった。
「ハァァッ!!」
地を蹴り急速接近しつつ斬撃を放つ。だがそれに即座に反応する巨熊獣、回避すら不要と言わんばかりにその場で右腕を振り上げ迎撃態勢を整える─その寸前。
「ふんッ!」
アリシアの行動を援護するべく、教経が動く。手にしていた大太刀をあろうことか投げつけたのだ。高速回転しながら迫り来る大太刀に驚き、思わずそちらの方をはたき落とす巨熊獣。
「そこっ!」
故に回避は無論防御は不可能。その巨躯を支えていた左腕の関節に見事な剣閃が走る。だが、
「っつぅ…かた、いぃ…!」
如何に肉と毛が薄かろうと、アリシアの予想を上回る程にその部位は硬かった。余りの衝撃に手に痺れが走るものの、その場に止まることはなく距離を取りつつ新たな攻撃を繰り出すべく態勢を整える。
一方教経は大太刀を投擲した直後、虚空から大長刀を抜き放つと共に最も柔らかそうな部位─頸部を狙い刺突を連続して放ち牽制しつつ、隙を見計らい全力の一撃を放つ。並の鎧を纏った兵士なら数人纏めて貫いて余りある威力のそれはやはり、巨熊獣の強靭な肉体に阻まれてしまう。
「何とッ」
それどころか中途半端に突き刺さってしまったのか、大長刀を抜いて体勢を整えることも出来ずにいた。
「ノリツネ、今すぐに離れるんだっ」
状況を即座に理解したアリシアは教経が態勢を整える時間を作るべく再度突貫する。
巨熊獣もこの瞬間の状況を理解し、迫るアリシアを無視して逃げられない教経の方を振り向き、彼めがけ拳の一撃を放つ─その刹那。
「ここに我が竜印を示さん─!」
常軌を逸した力の奔流が、巨熊獣の背後から放たれる。教経はその力の源が何なのか分からなかったが、巨熊獣はそれを本能で知っている。抗ってはならない、この世界の頂点に君臨する種族。
竜─金剛石すら上回る強度の鱗を全身に纏い、嵐すら巻き起こす程の翼を持ち、人類を凌駕する程の知恵を兼ね備える究極生物。
そんな彼らには一つの習性があった。それは、竜印─この世界における異能力、奇跡を自らを信奉する人々に授けるというものであった。
竜が人に力を授け、
人が竜に祈りを捧げる、
人類は世界各地に住まう竜達と各々契約を結び、竜の力を得ることが出来るのだ。そしてそれは竜にとっても恩恵が存在する。
それは竜印を授けられた人─竜徒─の格が主竜の強さとなり、主竜の強さが竜徒の格を引き上げるというものであった。つまるところ、信仰者が多ければ多いほど竜の力も増していくという、力の双方向性を持っているのだ。この為竜達は率先して自らの竜徒を増やしていく。
アリシアの主竜は炎竜イグニファル。自らを信奉する竜徒に燃え盛る紅蓮と、遍く敵を焼き尽くす力を齎す帝国が有する普遍的な竜印である。その炎は竜印を長く扱ってきた強者が振るえばは城壁すら溶かしてしまう程。
その気配を、無視すれば訪れる末路を野生の獣が有する直感で理解した巨熊獣は攻撃対象をアリシアに即座に転ずる。否、転じなければならない。そうしなければ─と、拙いながらも獣なりの思考を巡らせ振り向こうとする、が…出来ない。
「ぐ、ぉぉ…!行かっ、せるかぁぁぁ!」
抜けない大長刀を教経が全力で引っ張っているのだ。だがやはり、膂力の差は隔絶していた。自身の血肉が引き千切られる痛みすら受け入れ、無理矢理引き抜きながらアリシアに向け攻撃を開始─
「我が手足に宿れ炎竜の焔、遍く万象を焼き払い我が敵を滅ぼし給えッ!!」
─する寸前に、アリシアの構える剣から紅蓮の炎が巻き起こり巨熊獣を斬り刻みながら炎が全身を覆い尽くしていく。
「ええいっ、こいつも妖術師か!だがッ!!」
辛うじて離れることに成功した教経はアリシアが放った炎を義経が扱っていた妖術であると断定、追撃に移行する。大長刀を捨て、次に構えるは大弓。狙うは一点、巨熊獣の眼球だ。如何に強靭な肉体を有していようと、鍛えようのない眼球を狙えばひとたまりもないだろうし、何より生命活動を司る脳にまで鏃が至れば即死させることが出来る。
矢を番え、弓を引き絞り、狙いを定め、放とうとする。だがしかし─
「グオオオオオオオオオオォォォォォォォォッ!!!」
全身が燃え盛る炎に包まれているにも関わらず、暴れ狂う巨熊獣。
「きゃっ!?」
暴れる巨熊獣の爪に鎧が引っかかってしまったのか、吹き飛ばされるアリシア。だがそれに意識を割くことは教経には出来なかった。爛々と輝き、憤怒に染まった双眸が彼を見つめていたからだ。
「グルルルオオオオオァァァァァァッ!!!」
最早我を忘れているのか、それとも異なる想いがあるのかは定かでは無い。生きたまま貪り喰わんと大口を開けながら教経めがけ突撃するも、
「う、ぉぉぉ!?このぉぉ……っ!!!」
弓を用いて巨熊獣の噛みつきを防ぐものの、その巨体で押し倒されてしまう。ガフ、ガフと何度も何度も噛みつかれ、必死に争う教経。しかしやはり力の差は歴然であり、徐々にだが押し込まれていく。
「くっ……そぉ…!」
だが、その刹那─!
「焔よッ!!!」
アリシアが、教経を押さえ込んでいる巨熊獣の眼球めがけて、手にした炎の槍を撃ち込む。怒りに我を忘れた巨熊獣からすれば、意識すらしていなかった不意の一撃。それは正しく、必滅の一撃に他ならなかった。眼球内の水分が急速に沸騰し、次いで視神経が通る穴を通って脳を焼き尽くしていく。
「ハァァァァアアアアアア!!!」
「グルルルオオオオオァァァァァァ!!?!?」
眼球と脳が焼き尽くされていく苦痛。最早想像を絶する激痛なのだろう。だがアリシアは手を止めることはなく炎を捻出し続ける。同時に教経もまた、
「これで、仕舞いだァァァッ!!!」
腰に備える小刀を抜き放ちもう片方の眼めがけ振り下ろしかき混ぜていく。脳細胞が物理的に破壊されてしまえば、如何に頑強な生命であろうとその活動を続けることは出来ない。よって、
「グ、ォ…」
地に伏す巨熊獣、両の眼は刃物と炎で原型を留めていない。だが油断はしてはいけない、とアリシアは知っている。この巨大な熊は時折死んだフリをするという、もしかしたら…という可能性が捨てきれない為手にした剣でツンツンと巨熊獣を突っついていく。だがやはり、反応は無い。それは即ち、
「……倒せた、倒せたんだっ。あの巨熊獣を倒せたんだー!!ひゃっほーい!」
と、自らが成し遂げた戦果が決定的なものであると確認し、感激したのかぴょんぴょんと飛び跳ねる。
並の軍隊なら蹂躙されて然る程の力を有する巨熊獣、それを僅か二人で撃破出来たのだ。最早大戦果と言っても良いだろう、故郷に良い報告が出来ると喜ぶも束の間、
「た…たすけてくれ…おもい……」
倒れ伏した巨熊獣の頭部、その下から小さく掠れた助けを求める声がする。
「あっ」
巨熊獣の屍から教経が脱出に成功するまで、十数分かかった。