8 旅立ち
迎えが来る日の早朝、侍女長がやって来る前にこっそりとやって来たのは厨房。
「タムさん、今迄ありがとうございました。本当は、何かお礼をしたかったんですけど…お金も時間も無くて……」
タムさん─料理長には本当に助けられたし、どんな料理も美味しかった。
「お礼なんて気にしなくて良いから。“美味しかった”と言ってくれた事が、俺への礼になっていたからな。テイルザールに行っても…しっかり食べるんだぞ?」
「はい………」
「辛い事もあるかもしれないが……何事も諦めては駄目だからな?それと…これは俺からの餞別だ。テイルザールへの道中にでも食べてくれ。ほら、そろそろ侍女長がやって来るだろうから、部屋に戻りなさい」
「タムさん、本当に…ありがとうございました」
私はタムさんから餞別を受け取ると、お礼を言ってから急いで部屋へと戻った。
「レイ、どこに行ってたの!?部屋に居ないからビックリしたわよ!」
「アルマさん!?」
部屋に戻ると、そこには侍女長ではなくアルマさんが居た。
「急いで支度をするわよ!何でも、予定より早く出国する事になったそうで、時間がないのよ」
昼食を取った後、迎えが来る予定だったのが、昼前に迎えが来る事になったそうだ。
ー昼食の前に、お姉様達に挨拶に行こうと思っていたけど…それも無理かもしれないー
ダンビュライト邸の裏庭にあるお墓に眠っているお姉様達。一度も行かせてもらった事はなかったけど、最後になるなら許可が出るかも─と、淡い期待を持っていた。
「アルマさんも、今迄ありがとうございました」
「お礼なんて要らないわよ。それに…今日で最後って訳じゃないしね」
「え?」
「ふふっ─私ね、レイ付きの侍女として、一緒にテイルザール王国に行く事になったのよ」
「───え?」
“レイ付きの侍女”として──
「まさか!アルマさんが私を気に掛けてくれていたのがバレて……それで……」
追い出されてしまった!?私のせいで!
「私が一緒に付いて行きたいって言ったのよ」
「────え?」
「兎に角、本当に時間がないから、支度をしながら話すわね」
と、それから侍女長が部屋に来る事はなく、私の支度はアルマさんが1人でテキパキと整えてくれた。
そして、テイルザールからの迎えが来たのは、もともとの予定よりも2時間程早い時間だった。そのせいだけではないと思うけど、「時間の都合がつかなくなった」と言う知らせがあり、グレスタン大公は見送りにさえ来なかった。
見送りに居たのは、ダンビュライト公爵夫妻とグレッタと─
「レイ……これを受け取ってくれるか?」
ジャレッド=クラウシス様だけだった。
そのクラウシス様が、私にと小さな箱を一つ差し出して来た。今更、何だと言うのか。
「受け取った後、そのまま捨ててしまっても構わない。レイの好きにしてもらって良いから…」
「分かりました…」
グレッタ達の目もあり、断らない方が良いと思い取り敢えず受け取ると、クラウシス様は少しホッとしたような顔をした。
「体に気を付けて………」
「……ありがとうございます」
その時のクラウシス様は、お姉様と居た頃の優しい顔をしていた。
「それでは、そろそろ馬車にお乗り下さい」
迎えにやって来た獣人の護衛の人に促されて、アルマさんと2人で馬車に乗り込む。静かに扉が閉められて、護衛が声を掛けると馬車はゆっくりと動き出した。
もう、ここに帰って来る事はないだろう。それどころか、テイルザールでどれ位生きていられるか。それは、ここに居ても同じ事だ。タムさんは「諦めるな」と言っていたけど、私には何が何でも生き延びてやる─と言う気持ちは無い。
「ここに戻って来る事はないかもしれないけど、アルマさんはそれでも良いの?」
「良いも何も、私もここには身内は居ないし獣人だから、寧ろ、故郷に帰るみたいな感じだわ」
そう。アルマさん、実は獣人だったのだ。全く知らなかったと言うか、アルマさん自身がその事実を隠して人間族の中で暮らしていたそうだ。
このアルマさん、物心ついた頃には人型のままで獣化する事なく孤児院で暮らしていて、周りの誰もが獣人だと気付かなかったそうだ。
そのまま成人して、孤児院の院長の推薦もあり、ダンビュライト家の使用人として働く事ができたのだけど、今の当主が公爵になってからは孤児院出の自分への風当たりが強くなり、新人扱いされるようになり、その上私への虐げぶりを見るのが嫌になり、主であるダンビュライト公爵を尊敬できないようになっていたところで、私をテイルザールに送ると聞いて、プチンッと何か色々切れてしまったらしい。
『ダンビュライト公爵家の娘として送るのに、侍女の1人も付けないおつもりですか?例え人質として送ると言っても、それではダンビュライト家に傷がつきませんか?侮られませんか?』
なんて言って、アルマさん自ら叔父に、自分が付いて行くと迫ったそうだ。
ー勿論、私にとっては嬉しい事だけどー
「なら良いんですけど…これからも、宜しくお願いします」
「私の方こそ、宜しくお願いしますね、レイ様」
こうして、私達はテイルザール王国へと旅立った。
ーさようなら。グレスタン公国ー