第51話 お侍さん、会談を見守る
翌朝、宿の食堂で朝食を食べた一行は代官邸に向かっていた。
徒歩で四半刻と掛からない場所だが、貴族訪問の礼儀としてわざわざ馬車と馬での移動である。
「ピナ殿」
黒須は御者席にいるピナにこっそりと声を掛けた。
「クロス様、どうか私のことはピナと」
「そうか、ではピナ。皆えらく寝不足に見えるが、何かあったのではないか?……お前も隈ができているぞ。大丈夫か?」
朝食の席でレナルドたちは妙な雰囲気だった。
軽い興奮状態というか、空元気というか……顔は疲れて見えるのにやたらと声が大きく眼だけがギラついている、不眠不休の陣中武者のような様相だ。
「うふふ、昨晩は明け方まで今後のことを話していたのです。クロス様のおかげでご主人様はとても楽しそうに将来への展望を語っておられましたよ。確かに少々寝不足ですが、むしろ気分は絶好調ですのでご心配なく」
「……そうか」
晴れやかに笑うピナは、世の中にこれ以上嬉しそうな表情はあるまいと思うほどに顔を輝かせていた。
代官邸に到着すると、使用人に馬を預け応接室に案内される。
使用人がレナルドの入室を告げて扉を開いた時、黒須はそこに立っている人物を見て思わず声を掛けた。
「「何 (を)して(る)んだ、お前?」」
「タイメン、知り合いか?」
「先生、お知り合いですか?」
テーブルを挟んで大きなソファーが向かい合っている応接室。
その片側にタイメンと、彼よりも少し細身の蜥蜴人が立っていたのだ。
「いや、知り合いっつーか……なぁ?」
先日の上裸姿ではなく、上等そうな着物に身を包んだタイメンが同意を求めるようにこちらに眼を向けてきた。
はち切れんばかりにピチピチの上着は洗濯のし過ぎか糸が酷く痩せてしまっており、所々薄くなって裏からつぎを当てた針の跡が見える。
下穿きには無数の細かい皺が寄り、膝に一目で自分で穿き潰したからだと分かる穴が空いていた。
あまり服飾に頓着しない黒須から見ても、いかにも着慣れていないと気付けるようなちぐはぐな格好だ。
「ああ。昨日、冒険者ギルドで偶然逢った。タイメン、お前代官殿の関係者だったのか?」
「お前こそ、何で領主様のご令息といんだよ?冒険者じゃねーのか?」
タイメンがそう言った途端、隣にいた蜥蜴人が彼の頭に拳骨を落とした。
「この馬鹿息子がッ!レナルド様の従者に対して何という口の利き方だ!!」
「いってーな親父!殴るこたぁねーだろ!アイツはオレの友達だぞ!」
大声で怒鳴り合う二人は興奮しているのか、尻尾をビタンビタンと床に打ち付けている。
友人になったつもりは無かったが、確かにそこそこ長い時間を共に過ごした。
素性は知らなかったが黒須も彼の剽軽な性格を悪くは思っていなかったため、敢えてその言葉を否定することはせずレナルドたちに昨日の出来事を伝える。
黒須とタイメンがそれぞれに説明を終え、ようやく会談が始まった。
タイメンは隣の蜥蜴人と共に席に着き、こちらはレナルド以外は彼の後ろに立っている。
「改めまして。アンギラ辺境伯閣下よりナバルの代官を仰せつかっております、マグナス・ボレロ男爵でございます。横におりますのは愚息のタイメン。まずは、レナルド様にわざわざ足を運ばせた無礼、伏してお詫び申し上げる所存にございます」
慇懃に口上を述べる男爵は、その身分に見合うだけの覇気を纏っていた。
眼光は鋭く、顬から右頬にかけて刻まれている大きな面傷が一見穏やかな佇まいに不思議な凄味を加えている。
「頭をお上げくださいボレロ男爵。無理を言って急に訪問したのです。無礼はこちらにこそありましょう。それに、今回は私の方が頭を下げねばなりません」
レナルドはそう言って本当に頭を下げた。
ラウルやピナが静観しているということは、事前に決めていた段取りなのだろう。
しかし……"私"、か。
多少緊張している様子だが、どうやらこの手の会談は初めてではないらしい。
格下の相手を見下すでもなく、それでいて謙るような口調でもない、中々どうして絶妙な物言いである。
巷には身分を笠に着て大上段から威張り散らす貴族も多いと聞くが、そんな相手に抱くのは敬意ではなく殺意だけだ。
レナルドの態度は貴族として堂に入っているように見えた。
「いけませんレナルド様!辺境伯のご子息が私のような者に何故そのようなことを!どうかお止めください!」
男爵は大慌てでレナルドを止める。
タイメンも彼が頭を下げたことに目を点にして驚いた様子だ。
「男爵、本当に申し訳ありません。実は────」
レナルドは頭を上げると、オルクス帝国の暴虐を契機とした一連の出来事について丁寧に説明した。
「……という状況です。ついては、以前ご要請いただいていた減税の嘆願を取り下げさせて頂かなくてはならなくなりました」
「──ッ! いえ、そのような事情であれば致し方ありません。本来は我らも援軍に向かわねばならない所、それを免じて頂けただけでも過分なご配慮と存じます。アンギラの非常事態にナバルだけが我儘を言うつもりはございません」
男爵は一瞬動揺を見せたものの、すぐさま取り繕って愛想笑いの出来損ないのようなものを浮かべた。
口元は笑みで答えているが、眼は全く笑っていない。
昨日のタイメンの話によれば、もう一年もまともに漁に出られていないはず。
この地の税法が検見か定免かは知らないが、小さな港町の代官にそれほど多くの貯えがあるとも思えず、不漁に喘ぐ民の税を免じるには限界が近いに違いない。
察するに、心中は千辛万苦に満ちているのだろう。
「でもよ、親父……あっ、父上。島亀はいつ動くのか分かんねー、ないんですよ。このままだと、漁師も商人も干上がっちまいますぜ?」
「そうだとしてもだ。万が一北方地域が帝国に侵略でもされれば、それこそ途方もない数の人々が路頭に迷うことになる。タイメンよ、我らがナバルを大切に想うように、辺境伯もまたアンギラ全土のことを考えておられるのだ。閣下のご判断は正しい」
「だけどよ────」
タイメンは納得いかないという不満顔で更に何かを言い募ろうとしたが、口を開く前にレナルドが会話を遮った。
「男爵、タイメン殿のお言葉はもっともです。私自身としても、北方のためにナバルを見捨てるようなことはしたくありません。ですので、別の形で支援をさせては頂けないでしょうか」
「別の形……でしょうか?」
「はい。私にはアンギラ領の色々な地方に足を運んだ経験があり、食料に余剰を持つ小さな町にいくつか心当たりがあります。その中で、戦争の兵站として徴発され難いものをナバルに格安で提供してもらえないか、私から各地の代官に掛け合ってみましょう」
「それは……。もしそんなことが叶うのであれば我らとしても望外の喜びですが、どの町も戦争に備えて食料を溜め込もうとするでしょう。間もなく食料品の値上がりも始まるはずです。難しいのではないでしょうか?」
「必ず、何とかしてみせます。今の私には頭を下げて必死に頼むくらいしか手段がありませんが、それでも、命懸けで各地を回って承諾してくれる代官を探し出します。ですからどうか、私に時間を頂けないでしょうか」
そう言うと、レナルドはまた頭を下げる。
彼の言葉や姿には、その決意を表すだけの十分な誠意が感じられた。
なるほど……そういう道を選んだか。
きっと、領主や兄たちはレナルドとは違って自らが遠方の小さな町に足を運ぶことなどしないだろう。そういった領内の細かな事情に見識を持つのは確かに彼の特性だ。
そして、彼の行いは言うなれば領主が切り捨てた者を救う行為。
それは間違いなく茨の道になるだろう。
家中で不遇な状況にある者が、領主の意向に反した態度を取るのだ。
無事で済むはずがない。
しかし、主の姿を見つめる家来たちの顔には隠しようもなく誇らしげな色が浮かんでいた。
そうか、全て覚悟の上か。
皆いい面魂をしている。
男爵はレナルドの提案を受け入れ、ナバルの運命を託すことを承諾した。




