第30話 お侍さん、金策する
「…………お金が、足りない」
蚊の鳴くような弱々しい声。
マイカでの目的だった調査依頼が御破算となり、一行は重い足取りで"がさつな黒山羊亭"に戻って来ていた。
テーブルの上には昼食が並んでいるが、誰も手を付けようとしない。
「……あの馬鹿依頼者め」
「許せませんね……」
「アンギラに戻ったら二度と依頼受けんなってディアナに告げ口してやる……」
他の面々は依頼主に対して怒り狂っていたが、黒須はその辺の規則をよく知らず、あまり状況が飲み込めていない。
どうやらマイカまでの遠征が無駄足になったらしいとは察しているものの、宿までの道すがら仲間たちは死人のように蒼白い顔で一言も発さず、説明を求められるような空気ではなかったのだ。
「……そんなに拙い状況なのか?」
黒須は彼らと生活する中で、彼我の間には貧富に対する価値観の差があるように感じていた。以前訊いた話によると、風呂付きの大きな屋敷で毎日酒を呑めるような暮らし振りであっても、この国では貧しい部類に入るのだそうだ。
"武士は九百九十九石まで鼻紙を使わぬ"
清貧を信条とする武家に生まれた黒須にとって、現在の生活は罪悪感を覚える程に裕福な暮らしと言える。
生家での食事は朝夕2回、玄米飯に梅干しか漬物、狩りで得た肉が一品加われば豪勢な方だ。父上は酒気を嫌ったため食卓に酒が出たことなど一度もなく、長兄が煮売茶屋から仕入れてきた玉割りの安酒を次兄と御相伴に与かるのが精々の贅沢だった。
旅に出てからも三食どころか数日食えない日々も多くあったため、今の暮し向きには何の不自由も感じていない。
「……パーティーの活動資金が空っぽなんだ。正直、来月までの食費も持たないと思う」
「すまねえ……俺がこんな依頼受けようって言わなきゃ…………」
「そりゃあ違うわい。二重依頼なんぞ誰にも予想出来んことじゃ」
「そうですよ!マウリのせいじゃないです!」
マウリは責任を感じているのか机に突っ伏して落ち込んでしまっており、黒須も事の深刻さを徐々に感じ始めた。
「……俺がお前たちとは別行動で毎日豚鬼を狩って来よう。そうすれば食費も浮いて報酬も稼げる」
「クロスさん……」
「お前さん一人に頼るわけにゃあいかんわい。それなら2人と3人に別れて────」
「いや、それなんだけどさ……実は少し前から考えてたことがあるんだ。俺たちもクロスに鍛えてもらって、それなりに強くなったと思う。今回盗賊と戦ってみて、皆もその実感はあるんじゃないか?」
フランツは一度言葉を区切り、同意を確認するように一人一人の眼を見る。
黒須もあの戦いで彼らの成長には少々面食らった。以前のようなドタバタした焦燥感は鳴りを潜め、全員が自分の役割をきっちりと全うする。何より、普段慎重なフランツが荷馬車ではなく黒須の加勢に入るという選択をしたことには驚いた。いくら素人の野盗相手とは言え、多勢による急な遭遇戦であのような動きはなかなか出来るものではない。冷静に戦況を見極める判断力が備わっている証拠である。
仲間たちの首肯を見たフランツは満足気に頷き、戦が始まる前のような思い切った顔で言った。
「俺たち、そろそろ迷宮に挑戦してみないか?」
「そりゃあ……面白そうじゃな。儂は賛成じゃ」
「俺もだ。なんつーか、いよいよって感じだよな!」
「いいですね!賛成です!」
「………………?」
何やら急に息を吹き返したように盛り上がっているが……金策と迷宮に一体何の関係があるのか。
「"迷宮に挑戦する"とはどういう意味だ?」
「迷宮っていうのはね────」
言葉の意味を尋ねたつもりではなかったのだが、この国では巨大な魔物の巣窟のことを"迷宮"と呼んでいるらしい。
「では、何故これまで行かなかった?」
「危険だからだよ。迷宮の中は魔の森とは全く違う環境なんだ」
「"冒険者の墓場"とも呼ばれておっての。常に魔物が彷徨いておる上に、出入口は一箇所しかない。怪我を負ったとしても簡単にゃ外に出られんから、踏み込んだまま戻らぬ者も多いんじゃ」
「その代わり、外にはねぇ希少なお宝が手に入る場所なんだよ。当たり外れはあるらしいが、当たった時の一発がデカい。迷宮探索を専門にしてる冒険者もいるんだぜ」
「なるほど…………?」
彼らの口ぶりからしてどうやら危険な場所らしいが……どうにも自分の頭に浮かんでいる迷宮とは趣が違うような気がする。
黒須の知っている迷宮とは、空き地に作られた竹藪による興行場のことだ。
神隠し伝説で有名な"八幡の藪知らず"という禁足地を真似て、囲いで覆った土地に迷宮式の藪を作り、入場料を取って無事に出て来られた者に賞品を出すという遊戯の一種。
自分で入ったことは無いが、確か八幡不知や八陣、かくれ杉などと呼ばれて巷の若衆どもに流行っていたと記憶している。
「それで、どこの迷宮に行くかは決めておるのか?」
「今回ちょうど遠征の準備もしてるからね。アンギラには戻らずにこのまま直接ガーランドの"混沌"の迷宮に挑もうと思うんだけど、どうかな?」
「いいんじゃないですか?"不死者"の迷宮は聖水とかお金の掛かる装備が必要になりますし」
「"天空"でも良いんじゃねぇか?俺、クロス、パメラ、遠距離攻撃持ちが3人もいるんだしよ」
「いや、迷宮に潜るとなると長期滞在になるからの、最初に挑むなら混沌の環境が一番難易度は低いじゃろ。天空は空気が薄く、常に暴風に晒される上に気温も低いと聞く。魔物にやられる以前に野営すらままならんわい」
「……………」
何やらよく分からない会話だが、門外漢は黙って着いて行くべきだろう。
大きめの竹藪ごときに大層な名前を付けたものだと思いつつ酒盃に手を伸ばし、苦い酒の味に顔を顰めながら黒須は一人黙々と食事を続けた。




