第27話 お侍さん、邪魔立てされる
その女は妙に人間離れした風情に見えた。
陶器の冷たさを連想させるような白皙の肌、びいどろのような紫の瞳、血管の浮くような細い腕や足はすらりと長く、背丈は高いが全身がきゅっと小さい。
眉目秀麗とは斯くあるべしとでも言わんばかりの美貌には、作り物じみた薄気味悪さを感じる。
"立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花"
都々逸の流行り唄にそんな表現があった気がするが、まさにそのような人物だ。
女は辺りを一瞥するとカツカツと威圧するような足音を立てながら集団に近づき、未だ血がたらたらと垂れる右手を庇い蹲っている受付に目を向けた。
「リット、説明なさい」
「ギ、ギルドマスター……。その、実は────」
受付の男が状況を説明するにつれ、女の顔はこれでもかと言うほど不快げに歪んでゆく。
元が美しい面貌であるだけに、その落差は一種の迫力を帯びて威光を放っていた。
「つまり、私の裁定を知った上でこの暴挙を仕出かしたと。……リット、貴方はクビよ。荷物をまとめて出て行きなさい」
「そんな……っ!」
「指揮官の決定に従えない者に背中を預けることは出来ない。貴方には失望したわ」
男の顔が白紙のように蒼褪めるが、ギルドマスターは関心を無くしたように周囲で押し黙っている男たちに視線を移した。
「この場にいる者も同罪よ。傭兵なら上意下達の重要性は百も承知のはず。全員、2ランクの降格処分とする!」
その宣告に、指を失った者たちから不満の声が上がる。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
「姉御、そりゃねぇぜ!」
「そうだ!俺たちゃギルドのためを思って───」
男たちの不平不満は、しゃらりと鳴る鞘走りの音によって掻き消された。
「文句のある者は剣を抜きなさい。ここは傭兵ギルド、弱者に発言権は無い」
しんと静まりかえる訓練場。
だがそこに、張り詰めた空気を破るように一人の男の声が響いた。
「文句は無いが、抜刀すれば相手をして貰えるのか?」
怒気を孕んだ棘のある声に、全員の視線が黒須に集まる。
「これは俺とこいつらとの勝負だ。そしてまだ決着は付いていない。そこに割って入った上に滔々とくだらない御饒舌とは、一体どういう了見だ?」
黒須は闖入者に向かって大股で歩きながら刀を抜いた。
「貴方が噂の男ね。……なるほど、話に聞いていた以上の狂犬────」
「傭兵とは。人と戦うことを生業とする職と聞いていたが」
ギルドマスターの言葉を遮り、怒りのままに言葉を紡ぐ。
「期待外れも甚だしい。多数をもって威勢とし、敗色を見れば怖気付く。勝負に懸ける覚悟も無く、決闘の矜恃すら知らんと見える。上から下まで、つくづく碌でもない連中だな」
"眥裂髪指"
舌端火を吐く度に内臓が熱を帯び始める。
真剣勝負への横槍は、武芸者の尊厳を踏み躙る大罪。
縦令ここが異国だとしても、剣を持つ者なら誰もが知るべき不文不言の禁忌である。
武士として、耐え難い侮辱だ。
腸が煮えくり返るほどの嚇怒に駆られ、視界が赤く染まってゆく。
侏儒、亡状、冥々、管見、大愚、僮昏、固陋、瘋癲、魯鈍、…………
万の言葉で罵倒しても飽き足らぬ痴れ者め。
生かしておけるものか。
「私は傭兵ギルドのギルドマスター、サリアよ。今回の件、責任者として謝罪させていただくわ。勝負の邪魔をしたことについても、本来は許されないと理解はしているつもりよ。だからどうか──」
「黙れ女郎。もう喋るな」
サリアは手に持った剣を投げ捨て、黒須の前に跪いて頭を垂れた。
しかし、今更命乞いなどしても火に油を注ぐだけだ。
せめて苦痛無く終わらせてやろうと黒須は刀を振り上げたが、次にサリアの口から出た予想外の言葉に手を止めた。
「だからどうか、私の命一つで剣を納めて欲しい。後生よ、部下たちだけは見逃して」
「…………」
その自己犠牲の言葉に、ここに来て初めて武芸者の片鱗を見た気がした。
こちらをまっすぐ見つめる紫眼の奥を覗き込み、そこに映る感情を読み解いていく。星の如く澄んだ濁りのない少女のようにも、大海の如く広く深い老女のようにも見える、不思議な瞳だ。
偽りや反抗の意志が僅かでもあれば即殺してくれようと吟味するが…………
決意、覚悟、失望、落胆、屈辱、そして孤独。
その眼は、微塵の悪意もなく懸命に哀訴しているように見えた。
膨れ上がった怒りが急速に萎んでいくのを感じ、振り上げた手をゆっくりと下ろす。
「……もういい、興醒めだ。本来ならば腹を切れとでも言いたい所だが、俺は絡まれても相手を殺すなと仲間から念を押されている。だから、今日は謝罪を受け入れよう。次は無いと思え」
刀をパチリと鞘に納め、周囲の傭兵どもを睨みつける。
「貴様らにも警告しておく。今回は指だけで済ませたが、次は遠慮なく首を落とす。覚悟があるならまた挑んで来い。決闘でも不意打ちでも構わん」
今し方まで身を沈めていた鉄火の余奮から、突然、つき飛ばされたように醒めていく。
早朝の坐禅中に糞尿の気が流れてきたような、愚にもつかない長芝居を見せられたような、そんな感覚。
何れにせよ、大変に気分が悪い。
……今夜は一風呂浴びてさっぱりした後、仲間たちに愚痴を零しながら葡萄酒でも呑るとしよう。
言うべきことも言ったのでさっさと帰ろうと踵を返した途端、サリアに腕を掴まれた。
「何だ」
「もう少しだけ、時間を貰えないかしら」
「何故だ」
「……そう邪険にしないでよ。リットはどうせまともに説明なんてしなかったんでしょう?私から改めて傭兵ギルドについて話させて欲しいの」
「要らん。もう傭兵ギルドには興味が失せた」
「そう言わないで。貴方がここに来た理由もちゃんと聞いておきたいわ。ねっ?この通りっ!」
「………………」
サリアはおどけた様子でまた頭を下げて見せた。
その変わり身の早さに毒気を抜かれ、黒須は渋々と同行を承諾する。
案内されたのは最上階にあるサリアの執務室だ。
ヘルマンの質素な部屋と違って王朝絵巻さながらに絢爛豪華、派手な調度品も多く、香まで焚かれている。
伽羅に似た沈香の香りだが、念の為、息吹を内観法に切り替える。
心拍を落ち着かせ最低限の空気だけで過ごすための丹田呼吸法の一種だ。
以前、木賃宿で忍どもに襲われた際も毒香によって不覚を取った。
気付かぬうちに大麻草を嗅がされていたらしく、無様にも枕元に立たれるまで目を覚ますことが出来なかったのだ。その反省を踏まえて香道もそれなりに嗜んだが、結局あの時の無色無臭の香の正体には辿り着けず、それを防ぐ術を身に付けるに至った。
「さて、第一印象は悪かったと思うけど、出来れば仲直りさせて欲しいの。私は貴方に興味があるわ」
そう言いながら手ずから淹れた茶をこちらに勧める。
「………………」
信用のない相手から出された物を口にするはずもなく、さっさと続きを話せと眼で促す。
「……まぁいいわ。まず最初に言いたいのは、クロス、貴方は冒険者より傭兵の方が向いてるってことね」
よく分からんという顔の黒須に、サリアは丁寧に説明を続けた。
「傭兵ギルドのランクは単純な戦闘力で決まるのよ。冒険者ギルドとは違って、依頼の達成率や本人の素行はあまり考慮していないの。私たちは戦争への参加が主な仕事だから、部隊編成をするのにはこのやり方が最も適しているのよ。貴方の腕なら、すぐに高位ランクになれるわよ」
「そんな肩書きに一体何の意味がある?人品を伴わない身分など匹夫と同断。仮に高位ランクになったとして、それを恥じることはあっても誇ることはない。現に、これまでに逢った傭兵はどいつもこいつも剣を持っただけの破落戸だった」
「……そんな者ばかりじゃないわと言いたい所だけど、貴方にしてしまった仕打ちを考えると返す言葉もないわね。じゃあ、話題を変えましょう。今回は何のために傭兵ギルドに来たの?」
その後、サリアの質問に黒須がつっけんどんに返答する居心地の悪い時間がしばらく続いた。
「なるほどね、大体事情は分かったわ。他に何か聞いておきたいことはあるかしら?」
傭兵についてはどうでもいいが、とりあえず最初から気になっていたことだけ質問しておこうと、黒須はこの部屋に入って初めてサリアの顔に眼を向けた。
「こういったことを質問するのは失礼に当たるのかも知れんが……。お前は人間では無いのか?すまんが、この国に来て初めて他種族の存在を知ったのだ」
近くで見て気が付いたが、サリアの頭の両側には尖った耳が二つにょきりと突き出していたのだ。獣人のような頭頂部にある獣耳ではなく、位置は普通だが巨大な耳。耳の大きな女は総じて幸運に恵まれると言うが、福耳と呼ぶにしても大き過ぎる。
これで何かの病であったのなら、大変破廉恥な問い掛けになってしまうが……
「私は森人よ。人間に比べると身体能力は若干劣るけど、魔術に優れている者が多い種族ね。それと、人間よりも10倍ほど長生きするわ」
「……数百年を、生きると言うのか?信じられん話だ」
「貴方、本当に何も知らないのね。正確な年齢は黙秘させてもらうけど……私も貴方の曾々々々々お祖父さんより歳上だと思うわよ」
「……八百比丘尼という名に聞き覚えはあるか?」
人魚の肉を喰らって不老不死となり、800年を生きたとされる伝説の尼僧だ。別名白比丘尼とも呼ばれ、サリアのように髪も肌も真白な漂泊巫女だったとされている。
御伽噺の類と思っていたが……もしかすると、あれは森人の話だったのかも知れない。となれば、自分が知らないだけで日本にも他種族が暮らしていた可能性がある。
「誰よそれ?」
期待を込めて返答を待っていたが、サリアはキョトンとした顔でこちらを見つめ返したのだった。
・・・・・・・・・・・
その晩、荒野の守人の拠点は何とも言えない空気に包まれていた。
湯上りの湿った長髪を結ぶこともせず葡萄酒片手に不機嫌そうに話す黒須を、仲間たちはそれぞれ微妙な面持ちで見ている。
「それで……いきなりCランクになったの?」
「ああ」
サリアはその権限で黒須をCランク傭兵に認定した。
これはギルドマスターが持っている裁量の上限らしい。
もう二度と傭兵ギルドに行くつもりは無いため、黒須にとっては何の意味も無い肩書きだが。
「何かトラブルがあるかとは思っとったが……。まさか登録初日にCランクになって帰って来るとはの……」
「ま、まぁ、誰も殺してねぇんだし、大丈夫なんじゃねえの……?」
「凄いですっ!凄いですっ!お祝いしましょう!」
自分のことのように喜びはしゃぐパメラを、黒須は微笑ましい気持ちで眺める。
この国に来て、随分と見識が広がった。
最早彼らを"異人"と十把一絡げに見ることは無い。
善人も居れば、悪人も居る。
最初は文化の違いに戸惑ったりもしたが、そういう意味ではこの国の者も日本と何ら変わらないのだ。
・・・・・・・・・・
その日以降、ある変化があった。
「おいっ、道空けろ!荒野の守人の皆さんだ!」
「お、お疲れ様っす!」
「クロスの兄貴!冒険者業頑張ってくだせぇ!」
道々で傭兵から声を掛けられ、仲間たちの顔にはうんざりとした辟易の色が浮かんでいる。
「ねぇ……クロス……」
「知らん。俺に言うな」
「お前さ、俺らに『少し揉めただけだ』って言ってたよな?」
「クロスの"少し"は信用ならん。絶対大揉めしたじゃろ、これ」
「………………」
強面の男たちに注目され、パメラはバルトの背中に張り付いて動けなくなってしまっていた。
「あのフランツさんってお方がパーティーのリーダーらしいぜ。クロスの兄貴が下についてるってことは、あの人も相当な化物に違いねぇ」
「だな。絶対に怒らせないようにしようぜ」
フランツが泣きそうな顔でこちらを見ているが……そんな顔をされてもどうしようもないのだ。
あの後サリアが傭兵ギルド内をどう収めたのかは知らないが、機会があればこの落とし前は必ずつけさせようと、黒須は決意を新たにした。




