第二五話 自由
雑貨屋にオカリナを買いに来ただけのつもりが、木工工房で働くことになった。
ウクレレをかき鳴らしながら颯爽と帰宅、というのも考えたけど、俺の帰りが遅くて心配しているかもしれないし、もうお好み焼きを売りに出ているかもしれない。
自宅の長屋に到着すると、家の中から話し声が聞こえる。
立ち聞きしてみようかとも思ったが、ヨウが「帰りが遅い、浮気してるに違いない」なんて話しているのを聞いてしまったらそれはそれで気まずい。
普通に「悪い、遅くなった」とか言いつつ引き戸を開けると、どこかで見たような妙齢の女性が座敷でお好み焼きを食べて、台所のヨウと話をしていた。
「お帰りなさいませ」
「おや、旦那さんの帰宅かい。じゃ、あたしはそろそろお暇するよ」
「そうですか。カズオ様、こちら二軒先にお住まいのカキさんです。お好み焼きをお求めだったのですが、焼き上がっていなかったので上がって頂きました」
ご近所さんでお客さんか。
「や、これはどうも」
愛想を振りまくとヨウに嫉妬されそうだな、と思ってしまい、なんとも曖昧な挨拶になってしまった。
「旦那さんとお話するのは初めてだっけね、よろしくねー」
「ああ、こちらこそ」
「そんじゃ」
そんな感じで、カキさんはさっさと退出してしまった。
「…お客さんが家に来るのはよくあるのか?」
「今回が初めてですね。まあ、カキさんは近所で面識がありましたので」
「お好み焼きはいつもすぐ売り切れてしまうからな。まあ美味しいと思ってもらえてるなら良いだろう」
「カキさんは娼館にお勤めのようです」
「…そうなのか」
言われてみれば、なんか派手めな女性だったな。
「しかし、娼婦が長屋暮らしをしているのか。娼館で寝泊まりをしているわけではないのだな」
「人によるそうです。カキさんはお母様がここの長屋で他の娼婦が産んだ子の世話をしているんだとか」
「託児所か。そういう仕事もあるのだな」
ホツもそういう所で育っていれば多少マシな暮らしだったんだろうが、娼館勤めは娼婦の中でも格が上の者らしい。
下の方は妊娠したら捨てられるということか。世知辛いもんだ。
この場にホツがいないのは、もしやカキさんと同席するのが気まずかったとか。
娼婦というなら客から色々な話を聞くことも多いだろうし、ヨウの情報源のひとつになってたりしそうだ。
「男はすぐに浮気をする」みたいなことまで吹聴されてそうで怖いんだけどね。
「お帰りが遅かったので、ホツと一緒なのではと思ったのですが」
と思ったら、ホツも兎小屋に行ったまま戻ってないらしい。
「ああ、楽器工房というのがあってな。木琴が売れるかもしれないので、少しの間そちらに通うことになりそうだ。そうそう、そこのオーナーが、なんと子爵様のご令息でな」
「まあ」
「お父上が帝都の音楽家らしいな。このあたりの木材が楽器製作に良いらしくて、お子様を修行に出しているそうだ」
「そうなのですか、そのような方がいたとは知りませんでした」
「まあ、工房自体はそれほど大きいわけではないが、隣接してる屋敷はニラワの邸宅よりも豪華だったな」
「領主様とはご昵近なんでしょうか。皇族派と貴族派の派閥争いがあると聞きますが…すみません、政治は詳しくないので」
いや、俺も詳しくない。
そういう予備知識もなく、ただ楽器の話をしただけだからな。タメ口で。
「ご令息は気さくな方だったので、そういうのは知らなくても問題なさそうだったな…」
「そうですか。さて…支度が出来たのですが、ホツが戻りませんね」
話しているうちにお好み焼きが焼き上がっていたようだ。
兎小屋で何かあったのかもしれない。
キツネに柵が破られて全滅とか。
うわ。想像したら怖くなってきた。
ウクレレとクラリネットはチンドン屋に使うには高価なので、家に置いておくことにした。
これまで泥棒が入ったなんて話を聞くこともなかったし、日本刀も置きっぱなしだ。
カキさんみたいな客が出入りするようになったらもっと防犯を気にしたほうがいいんだろうか。
お好み焼きを売りつつ、冒険者組合に到着すると、何やら騒ぎが起きていた。
「ああ、兎の兄ちゃん、丁度良かった、来てくれ」
職員に連れられて兎小屋のほうへ向かうと、大人数人に取り押さえられたホツと、血を流していて手当を受けている子供が三人。
「ホツ、おまえは怪我はないか。何があった?」
「先生…すみません、騒ぎで柵が破れて兎が逃げ出してしまいました」
「騒ぎの大本は何なのだ」
「その子供たちが兎を盗もうとしたのです」
「…子供たちは遊びで連れ出したけれど、返すつもりだったと言っている」
ホツを押さえつけていた大人の一人が説明を付け加えた。
「兎の所有者は俺だ。兎を連れ出すのは許可していない。それに結果として兎に逃げられているわけだろう」
「柵が破れたのはこの子があっちの怪我している子を投げ飛ばしたからだ」
「そうなのか」
「申し訳ありません、兎を取り返そうと必死でした」
「わかった。柵が破れたのは事故として、だ。…その子らの怪我は?」
少し離れたところで怪我人の治療をしていた女性に声をかける。
「…他の二人は軽傷ですが、投げられた子は腕の骨が折れているようです」
「ふむ。…さて、この場合はどう収拾をつけたもんか」
「組合の職員の方に立ち合って頂きましょうか」
ヨウが職員を呼びに冒険者組合の建物に入っていった。
主犯だった骨折した子は医者に診てもらうということで運ばれていき、共犯だったらしい二人の軽症の子も話を聞いた後で薬草採取の仕事に戻された。
その場は一旦解散となり、野次馬を散らし、夕方に主犯格の親を呼び出して話し合いをすることになった。
ヨウは泣くホツをなだめている。
美味いものを食わせたり、亡くなった母を思い出したりと、泣かせてしまうことが多いな。
ガキ大将と手下が、ホツをからかって兎をいじめるような遊びをしてみせた、というのが発端らしい。
好きな子に意地悪したくなっちゃう男の子の悪い習性、とかだったのだろうか。
そんなことしても嫌われるだけなのにな。
好きの反対は嫌いじゃなく無関心、無関心よりは嫌われた方がずっとマシ、ってか。
でもなあ。好きな子をいじめる男の子って、嫌いというよりは憎悪とか軽蔑とか、恋愛とは別ベクトルの悪感情を向けられると思うんだよな。
いやらしいとか強引とか馴れ馴れしいとかデリカシーがないとか、その程度にしておかないと。
小屋の中には逃げ出さずに隠れていた兎が数匹残っていた。
柵を応急処置し、今日の仕事は終了とする。
午後のふっくらパンはナシにする。上手くいかないことは重なったりするもんだ。
ささくれだった気分で仕事をするよりは、心を鎮めたほうがいいだろう。
兎の飼育、これを機に辞めてしまおうか。
俺も木工工房に出入りするようになるし、しばらくすれば卵の供給も増えてくるだろう。
その時にヨウとホツでお好み焼きとふっくらパンを手分けして焼けば収入も安定する。
逃げ出した兎と、残った兎。どちらが幸せだったのだろう。
自由を手に入れた野生の兎のほうが、と思いたいのは現代日本で外来種のペットを野生に放つような無責任な考えだろう。
そもそも上手く成長できて子供を産める可能性は、あまり高くないのではないだろうか。
柵の中のほうが、いつかは売られるとは言え、少なくともある程度成長するまでは安全だ。
兎は、近くにいる異性ならば親子だろうが兄妹だろうが、交わり子を成す。
ホツは、どうだろう。
俺の手元に置くのが幸せなのか、誰かに与えてしまうのが幸せなのか。
親が結婚相手を決めるこの世界、自由恋愛なんてものは多くの人に無縁だろう。
「こいつと結婚しろ」と強制されるのと、「結婚相手は自分で探せ」と放逐されるの、どちらが幸福になれるか。
どっちでも幸福になれることもあれば、どっちも幸福になれないこともあるだろう。
自由というのは、必ずしも幸福には結びつかない。
ただ、自分で決めたことだから悪い結果が出ても受け入れられるというだけだ。
ろくでもない選択肢しか与えられないのに、不幸になって自己責任と言われても、恨みは残るだろう。
親を選ぶことが出来ない以上、親との良好な関係を構築するしかない。
同じく、結婚相手も選べないなら、結婚相手と良好な関係を構築するしかない。
結婚しないという選択肢は、この世界では選びにくい。
現代日本でも、選べるようで選べていない。
自由に選べ、なんて言われても、男は見た目の良い女に群がるし、女は能力のある男に群がる。
結果、少数の選ばれた者だけが幸福になり、多数の選ばれない者が不幸になる。
最大多数が幸福になれるようなシステムを考えると、選ばせず強制するしかない。
いかんな。
人と獣を比較すべきではないし、不確定な幸不幸を考え始めると何もできず婚期を逃す、と話していたではないか。
「…落ち着いたか?」
ホツが泣き止んでいるのを見て、隣に腰を下ろす。
「…はい。申し訳ありません」
「まあ、今回のことは、だな…。お前は悪くない、悪くはないが、問題への対処に失敗した、という感じだな。具体的には、少年を投げ飛ばして柵を破ってしまったことと、相手に怪我をさせてしまったことだ。喧嘩になったことは、まあ、向こうが始めたことだから仕方ない」
ヨウが話に加わってくる。
「あの男の子は何をしたかったのか、それがよくわかりません。単にホツをいじめようとしただけなのでしょうか。誰かに何かをそそのかされたとか」
「何かというと?」
「女を二人も連れ歩いている羽振りの良さそうなカズオ様のことを気に入らない、と考えて、子供を使って間接的にカズオ様を貶めようとしたとか」
考え過ぎではないか、とも思ったが、女連れの件は確かに懸念事項だったんだよな。
「うーむ。直接俺に絡んでこないのが陰湿だな」
「それにしても自分らの利益になるわけではないでしょうに。子供たちにしても、ホツの力が強いのは知っていそうなものですし」
「まあ、な。あの少年たちも…黒幕がいたとしたらそいつもそうだが、基本的に守るものがない男とは損得の効かない馬鹿なのだ。逆に、馬鹿なことでもしなければ守るべきものを手に入れることが出来ない」
「守るべきもの、ですか」
「女はな、将来産まれてくる自分の子を守るために子供のうちから我が身を守ろうとする。男は、分の悪い賭けを繰り返して負け続けた挙げ句、運良く勝ちを拾ったごく少数の者だけが守るべきものを手に入れる、という思想なのだ」
以前、「男とはこういうものだという思い込みは良くない」なんて話をしたことがあったが、結局俺も一般論で男を語りたくなっちゃうんだよね。
「多くの殿方は何だかんだ言って、結婚して子を成していると思いますが」
「妻子がいても、『勝って手に入れた、守るべきもの』と認識していなければ変わらず馬鹿な賭けを続けるだろう。女連れで出歩いている幸せそうな者に無意味なちょっかい出してみたり、とかな」
「女は女で、嫉妬に狂って馬鹿なことをしでかす者がおります」
「そうだな。女は女で苦労があるのだろう。俺はな、故郷を捨てて剣の道を捨てて、分の悪い馬鹿な賭けをして、運良くヨウという婚約者を手に入れたのだ。普通ならば、道半ばで野垂れ死ぬか、素寒貧になって故郷に逃げ帰る、なんてことになっただろう。俺が優れていたわけではない、運が良かっただけだ。これからはもう、馬鹿なことは控えて、子を生み育てようとする女に協力したいと思っている」
「それでは、ホツのことはどうするのですか」
「ホツのことは、我が子とはいかなくても親戚の子を預かってるようなもの、くらいの認識だな。ホツはホツで良い男と子を為せるよう、力を貸してやりたいとは思う。ヨウを見習って良い女になれば、夫になる男は『分の悪い賭けに勝った』と思って尽くしてくれるだろうが。…しかし運の良い巡り合わせがあるかどうかは何とも言えんな」
「運が悪いとろくでもない男をあてがってしまう可能性もある、と」
「悪い可能性を恐れて結婚が出来ないほうが不幸だろう」
「賭けに勝つまでは誰もがろくでなしで、勝った後でいい男になる、ということならば誰でも適当に、ということで良いのでは」
「それはそれで賭けになってしまうな…せめて確率が高そうだと思える相手を、と思うが」
「確率が高い相手というのはお試しややり直しが効きにくいでしょう。確率が低い相手を何人も試すのもやり方のひとつならば、さっきの兎泥棒はどうですか。償わせて奉仕させるとか」
「あれは賭け方を間違っているな。失敗するのはいいけれど、間違っている奴はダメだろう」
「違いが分かりません。馬鹿な子供は間違えて失敗するものです。次は間違えないかもしれないし、賭けに勝つかもしれません」
「そうだな。子供が勝って大人になってから、というのでは遅いのだよな。…今回の件が落着すればその後の展開次第ではあり得なくもない、か」
お互いごめんなさいして水に流して、家族ぐるみで良好な関係になる、ということになれば、だなあ。
…そういえば、派遣契約書を冒険者組合のほうへも提出しなきゃいけないんだっけか。
終業時間には少し早いかとも思ったが、冒険者組合の建物に向かうことにした。
書類提出をしていると、先程騒ぎの中に居た職員に呼ばれた。
既に関係者が揃っているらしい。午後の仕事が終わる時間からだと思ってたのでのんびりしすぎたか。
建物の二階の、会議室のようなところへ通された。
こんな部屋があったのか。そもそも二階に来ること自体初めてなんだけど。
窓際に俺、ヨウ、ホツの順で座るよう促される。
向かい側に座っているのは痩せこけた中年女性が一人、入口側のサイドには見覚えのない男が二人と、冒険者組合の職員の女性が一人。
「揃ったか。始めよう」
入口側のヒゲを生やした中年男性が合図すると、隣のもう一人、少し若いくらいの同じく中年男性が書類を読みつつ立ち上がる。
「それでは本件の話し合いを始めます。裁定はこちら、傭兵組合虎の町分署長のオイハが、司会進行と書紀を私、同じく傭兵組合のカラトが務めます」
傭兵組合、ということは警察業務か。思ったより大事になってるな。
まあ、窃盗と傷害だ。
冒険者組合としてもしっかり解決して欲しいところなのだろう。