第一話 ヨウ
屋敷の門をくぐると、使用人が出てきてキクさんと何やら話していた。
屋敷は木造建築の瓦屋根で和風なのだが、庭園は洋風だ。
キクさんは日本人っぽい顔立ちだが、使用人たちは東南アジア系のように見える。
西国の東国より地域ということで色々和洋折衷なのだろうか。
庭園の一角に椅子とテーブルが置かれた四阿があり、そこに案内された。
他の使用人よりも身なりの良い娘が茶器を持って随伴している。
若くて可愛らしい娘だ。冒険者の最初のパーティメンバーになる展開だといいな。
「こちらの者は当家の長女、ヨウと申します。東国語が話せますので、お話し相手としてください。私は村長と狩人を呼んで熊の死骸を運ばせます」
キクさんはそんなことを行って小走りで去っていった。
「弟の命を救っていただいたとのこと、誠にありがとうございます」
テーブルに向かい合わせに座り、お茶を入れながらヨウは礼を言ってきた。
「こちらも道に迷って難儀していたところだ、世話になる」
実際のところ、刀以外何も持っていないので村人救出イベントが発生しなかったとすると、水も食事もなく野宿になってしまったかもしれないのだ。
まあスポーン位置とかタイミング的にもあからさまに強制イベントっぽかったけどな。
RTAのように子供の悲鳴を無視して州都まで突っ走るなんてことをやる奴がいたりするんだろうか。
「熊を倒せるほどの腕前をお持ちでしたら、西国でもきっと名を上げることが出来ると思います。州都の冒険者でも熊を倒せるものは限られているでしょう」
「そうなのか。迷宮でも熊は強い敵なのか?」
「迷宮の浅い階層では狩人が見回っていて、脅威になるような魔物は集団で狩ったり深い階層へ追い払ったりしております。熊も、深い階層にしか現れない強敵です」
「それはそうか。州都というくらいだから人も多いだろうし、熊などが現れたら大騒ぎになるだろうな」
「州都の迷宮は深い階層まで行かなければそこまで脅威ではありません。私も湖の階層までは狩人を随伴して行ったことがあります」
「迷宮に入ったことがあるのか」
「はい。東人街は迷宮探索を行う冒険者の街という側面が強く、豪商の子女なども強さを求められると聞きます。私も昔、10歳の儀式で亀退治を行いました」
「亀?」
「ええ、熊を倒すカズオ様からすればあまりにささやかなのでしょうが、州都の迷宮の湖の階層では魔物化した大型の亀が増えており、上流の村にも出没するようになっております。川漁師の網にかかって指を食いちぎられることもあるとか」
カミツキガメの駆除か。そういうのも冒険者の仕事なんだな。
「タトルの街では食用亀の養殖が盛んですが、それとは別種の亀です。魔物化した亀は固くて美味しくないようですが、甲羅は高く取引されます」
べっ甲か。あれはウミガメの甲羅なんだっけ。
「この櫛はその時倒した亀のもので作らせたものです」
そんなことを言いながらヨウは髪に付けていた櫛を外して見せてくれた。
「自分で倒した魔物の素材を使って身につけることで、冒険者としての強さの証とします。熊の場合は胆を食して力とする、などと言われており、爪や牙を加工することはあまり聞きませんが」
「胆嚢か、まあ先ほど斬った熊は胴二つにしてしまったので破れてしまったかもしれんな。どのみち干して固めないと苦汁がこぼれて薬効がなくなるらしいし、取れたとしても肉と一緒に売ってしまうのが良かろう」
「お詳しいのですね、東国でも熊を倒したことがおありなのでしょうか?」
「あ、いや、俺が住んでたところでは熊は出なかったからな。話を聞いたことがあるだけだ。ヨウは冒険者になるのか?それとももう冒険者なのか?」
「私は産まれも育ちもこの農村ですから、冒険者の妻にでもならなければ、冒険者になることはないでしょう。世話役といってもそれほど地位が高いわけではありません。近隣の村の村長の三男か四男あたり、またはタトルの役人などへの嫁入りを両親は考えていると思います」
見たところ、現代日本で言えば高校生くらいだろうか。そのくらいで結婚するのが普通なんだろうか。現代日本からすれば早すぎるという感覚だが、昔は日本でもヨーロッパでもそんな感じだと聞いたことがある。
冒険者の妻になる、という選択肢を提示してきたということは、俺のパーティメンバーに加えることも出来るという含みを持たせているのではないだろうか。
確かに、ヨウのように若くて可愛くて、それでいて迷宮に入った経験もあるような者が一緒にいてくれたら心強い。
反面、成人して嫁入り先を探しているような娘を連れまわすとなると、嫁に迎えるという覚悟と責任がかかってくるのではないだろうか。
現代日本のように、恋愛の自由や職業選択の自由も薄い世の中で、「可愛いから」とか「便利だから」なんてノリでパーティメンバーを選ぶのはあまりに軽率かもしれない。
その後、使用人たちが熊の死骸を運んできて、狩人が解体して肉と毛皮を明日商人に売って、それを路銀にすればよい、という話になった。
熊の胆はつぶれてしまっていたらしい。内臓や肉の切れ端は狩人が解体手数料がわりに持って帰った。
夕食はパンと甘酸っぱいソースを混ぜ合わせた肉野菜炒めにミネストローネっぽいスープだった。肉はヤギの肉だそうで、村長が持ってきてくれたご馳走なのだとか。
食事は西洋風か。
家の主人、少年の父親という人物は随分腰の低い人で、盛んに俺の刀や腕っぷしを称賛し、果ては顔立ちだの服装だのも褒めちぎってくれた。
なんか見え透いたおべっかにも聞こえるが、息子の命の恩人ともなれば、そりゃまあ、感謝してくれるのも当たり前か。
食後、寝室に案内された。ヨウが大きめの桶に湯を入れて持ってくる。やっぱり風呂はないんだな。
「肌着などは洗濯してしまうと明日の出発までに乾かないかもしれませんが、如何いたしましょう」
「うーん、馬車で干しながら移動というわけにもいかぬだろうし、替えをお借りして今つけているものは汚れたまま持っていくしかないか」
「わかりました、それではこちらを」
ヨウが差し出してきたのはバスローブのような寝巻と、腰巻…フンドシだった。
東国人ってことで気を使ってくれたのか、それともこの世界でも一般的な下着なのか。
まあいい。はき方は分かる。
「お着換えをお手伝い致しましょうか?」
ヨウが聞いてくる。…こ、これはもしや、そのまま体を拭いて貰って、あとは流れで押し倒して、なんて展開だろうか。
いやいや。いやいやいや。
もしかすると、家の長男を助けてもらった恩返しに娘を差し出すなんて意図があったりもするのかしないのかどうなのか分からないが、嫁入り前の娘をそんな。
手を付けた以上は嫁に貰ってくれとか言われても困る。
しかも、成人済みって言ったって、現代日本人の感覚では若すぎる。
ここはチキンと言われようとも紳士を貫くべきだろう。
「いや、大丈夫だ」
断ると、ヨウは一瞬悲しげな顔をした、気がする。
「…そうですか。それでは私は失礼いたします。体を拭き終わりましたら、桶は表に出しておいてください」
…傷つけてしまったかもしれないが、こうするしかない。これで良かったのだ。
自分に言い聞かせて悶々としつつ夜を過ごした。