第十七話 ふっくら
礼を言って話を切り上げ、薬師組合があるという犬町のほうへ向かってみる。
薬師組合の建物は、錬金組合と違って町中にきらびやかな装飾がたくさんついた派手なものだった。
うん、お金持ち度合いで言えば鶏の町よりこっちが上か。
用があるのは組合でなく薬屋だ。キョロキョロしてると、組合近くに何軒かそれらしき店があった。
虎町とか鼠町とかの商店とは構えが全然違うな。
俺の恰好、みすぼらしくないだろうか。
母ちゃんが病気なんです、お金は必ず用意しますから、薬を、薬をぉ、なんて泣きついてくる貧乏人みたいな。
尻込みしていても仕方ない。こちらは客なんだから、となるべく堂々と店の門をくぐる。
こらホツ、怯えたようにキョロキョロしない。
「いらっしゃいませ」
「ここは薬屋だよな?えーと、『おなかスッキリの素』が欲しいのだが、取り扱っているか?」
「はい、取り扱いはございますが…素、ですか」
店員に聞くと、やはり訝しげな顔をされた。
「失礼ながら、薬師の方ではございませんよね?どういったご用途で?」
「うむ、故郷の村で井戸が濁ってきたらしくてな、多くの者が腹痛になったと聞いて、送ってやろうと思うのだ」
道中考えてきたでっち上げのストーリーを披露する。
「どちらの村でしょう?」
「いや、詳細は勘弁してくれ。貧しい村ゆえ、困窮していると聞いて怪しげな行商人が入り込んでくることがあるそうなのだ」
「それは…商人の風上にもおけませんな。解りました。お売り致しましょう」
同じ商人に対する疑いを匂わせることで追求を避けるテクニックだ。
別に騙そうとしているわけではない。どちらかと言えば、押し売りを拒否するための方便に近い。
「しかし、お話を聞きますと、井戸の不調が原因としますと、『おなかスッキリ』では効能が弱いかもしれません。鉱毒などだったら大変ですし、『ハライタナオール』のほうが少々高価ながら安心かと思いますが」
…いや、薬の名前よ。
「いやいや、重症者などが出ているわけではなさそうなのだ。それに、大事であれば村長が役人に泣きついてなんとかするのが筋だろう。俺の支援は、あくまで気休め程度で良いのだ」
「さようですか。値段の方ですが、小袋ひとつ70モン、大袋ひとつ7センとなりますが、どのくらいお入用で?」
店員が見本を見せてくる。小袋は10グラムくらい、大袋は500グラムくらいか。小麦粉と比べると、やはり高い。小麦粉よりも使う量はずっと少ないんだけどね。
「十人が十日分と考えると、大袋ひとつでよかろう」
「それでは、当商会の契約する薬師に服用と効能について説明させましょう。お掛けになってしばらくお待ち下さい」
薬剤師が説明してくれるのか。そのへんは現代っぽさがあるな。
高い薬を勧めてきた時は商売根性かとイラッとしたけど、誠実さアピールだったのかもしれない。
まあ、重曹を横流ししているだけの薬師だ。暇なのかもしれない。
「えー、ご説明致します。『おなかスッキリの素』は、食べ過ぎや胃もたれ、水中りなどの際、毎食後にひとつまみ、湯冷ましに入れて飲んでください。中毒例はありませんが、一日三回以上は飲まないように。効果が薄くても、分量を増やさないでください。三日から十日程度効果がなければ服用を中止して薬師に相談してください」
うん、説明書を読んでるだけだ。
この世界も識字率は割と高いのだが、まあ説明書を読むのを面倒臭がるのはどこも一緒ということか。
これなら薬師じゃなくさっきの店員でも良かったんじゃないか。
帰り際、さきほどの店員に一言告げる。
「詐欺まがいの連中が来ると困る。俺がここで買い物をしたことを探る者があっても内密にして欲しい」
「はい、お客様の情報を漏らすことは致しません。ご安心ください」
お金持ちの町では個人情報保護の視点はあるのか。
お好み焼きの時みたいに真似されると困るなと思ったが、そりゃ鼠町の商店街とは違うか。
受取証を渡すため一度冒険者組合まで戻ると、丁度終業時間だったようで、ヨウがお好み焼きを売り終えたところだった。
錬金組合で話し込んだり薬屋に寄り道したりしたが、そんなに遅くはならなかったみたいだ。
大荷物を抱えての東人街横断は、ちょこちょこ休みつつの移動が想定されていたらしく、早かったねと言われたのでホツが頑張ってくれたという点をアピールしておいた。
秋から冬にかけては材木の搬出があるそうだから、ホツも活躍の機会があるだろう。
夕食の食材と、ミルクと砂糖を買い、三人で帰宅しながら、重曹の用途を説明する。
「お好み焼きに替わる新メニューを作るぞ。お好み焼きに比べて一人分の量は少ないから夕食はいつも通りに食べて、これはデザートにすればいいだろう」
長屋に戻って湯を沸かし、ホツには夕食のスープを作ってもらい、俺とヨウは先に冷水で体を拭いた。
ホツは道場にいた時に男の裸くらいは見慣れているらしく、たまにこちらを見て具材の切り方はこれでいいか、などと確認してくるが、特に意識しているふうでもない。
いやまあ、見た目に表れていないだけで、俺の裸に興味津々だったりするのかもしれないけど。
暑くなってきているので湯冷ましは飲み水のみとしている。
身内が井戸水に当たったなどという嘘をついたこともあって、この水は大丈夫だろうかと濁っていないか確認したりしてしまう。嘘から出た真になったりしないよな。
手早く体を拭き終え、ホツと交代して鍋を見る。
ヨウが手伝ってやっているみたいだが、俺は見ないほうがいいのだろうな。
幼児体型のホツとはいえ、チラ見したくなる男の本能はあるが、それを言うならついさっきまでヨウの裸をチラ見していたわけだしな。
煩悩を払いつつ鍋の中のトマトを潰しつつかき混ぜる。あとはスープは煮えるのを待つだけか。
衣擦れが聞こえ、終わったかなと振り向くと、服を着ているのはヨウだけで、ホツは全裸で肌着の洗濯をしようとしていたところだった。
…別に恥ずかしがって悲鳴を上げたりはされなかったし、何でもないふうを装ってヨウを呼び寄せ、材料の説明をする。
「お好み焼きと違って、分量の違いが食感に大きく影響するから、丁度よい量は模索していくことになる。とりあえず卵一個と小麦粉をカップに1杯、ミルクを同じくカップ1杯、砂糖をカップ3分の1。そしてこれ。『パンふっくらの素』だ」
「…え?」
「『パンふっくらの素』だ。これをひとつまみ入れて混ぜる」
「そうですか。なんというか、独特なネーミングですね…」
あ、やっぱそういう感性なのか。重曹とかおなかスッキリとか言うわけにもいかないので、思いついた名前をつけたが、薬名に影響され過ぎだったようだ。
「キャベツはどうされますか?」
「ああ、これは具を入れずこのまま焼く。フライパンで焼くケーキ、パンケーキというものだ」
「ケーキですか。貴族様が食べると聞いたことがあります」
ケーキはあるのか。ベーキングパウダーにも重曹が入っているはずだが。
錬金組合の男は重曹を食べることなど考えていないふうだったが、料理人組合のようなところでは独自に重曹を調達しているんだろうか。
パンケーキのタネを寝かせておいて、先に食事をする。竹製の自作テーブルを広げ、いつものふっくらしていないパンをかじる。
「料理人組合というのは聞いたことがないが…。そういうところが独占している秘密のレシピとかに抵触しそうだな…」
「食堂や料理店などは商人組合の管轄だそうです。東人街に組合のない職業はだいたい、州都中央から商人組合を通して人が派遣されるんだとか」
東人街に来てから日も浅いが、ヨウはそうした事情にも詳しくなっている。タトルから東人街に向かう馬車で知識が古いとか言ってたから、近所の人にでも聞き込んだのかもしれない。
「そういう形なら、問題ないか。難癖つけられても突っぱねればいいし、偉い人が出てきたら考えよう」
「わかりました」
「しかしケーキという名前はやめたほうがいいな…『ふっくらパン』でいいか」
「…独特なネーミングです」
わかりやすくていいじゃんかー。
パンケーキのパンは、フライパンのパンであって、ブレッドのほうのパンではないのだが、まあいいだろう。
パンはパンでも食べられる、甘くて美味しいふっくらパンだ。
食後にふっくらパンを焼く。食ってみれば、なるほどこれはふっくらだと納得してくれるだろう。
小麦粉はお好み焼きと同じ分量だが、お好み焼きはこれを二等分して一人前、ふっくらパンは三等分して一人前だ。円形にしたいので、焼いてから切り分けるのでなく、一人前ずつ焼くことになるので時間もかかる。
お好み焼きは焼いてから販売するまでに冷めてしまうのが不満だったが、こちらは冷めても美味しいはずだ。
「んんっ…!?これは、とても美味しいです」
「お、おい、おいしい、です、…うぅ」
ホツはまた泣き出してしまった。
「お好み焼きに比べて一人前が少ないが、高価な砂糖やミルクを使っているので、ひとつ1センで販売したいのだが…売れるだろうか?」
お好み焼きが70モンで庶民の昼食にはちょっと高い、という感覚なので値段を上げることには慎重になるのだが、お好み焼きの売れ行きを考えるとこのくらいはいけるのでは、とも思う。
「売れるでしょう。はじめは値段に尻込みするかもしれませんが、一度食べれば病みつきになります」
「甘いものは女性に評判がいいからなあ。…あとな、言いにくいんだが、これ、毎日食べてたら少し太るかもしれん」
「…それは、むしろ売り文句になるのでは?」
「ん?女性は太るのを嫌がるものではないか?」
「殿方はふくよかな女性を好むものだと思いますが…」
「こちらではそうなのか…」
太っているのは金持ちの証拠、ということか。
おっぱいの話じゃないよ。
「カズオ様は違うのですか?肉付きの良い方のほうがお好みかと思っておりましたが」
「んん?なんだ?全く身に覚えがないぞ」
「…冒険者組合の職員の方ですとか」
「んん?そういえば恰幅の良い女性がいたっけ…。別に好みではないし、そういう目で見ていないからこそ気を使わずに接していて、親しげに見えてしまったとか…?」
巨乳のほうが男受けが良いというのは分かるが、ぼんやりと思いついた冒険者組合の職員さんに関しては、「この世界で太ってる人、珍しいな。いいもん食ってんのかな」程度の感覚で見ていただけじゃないだろうか。
「そういうものですか」
「いやいや、変に気をもませてしまったなら悪いが、本当にそうなのだ。というか、こちらに来てから独身の若い娘などと知り合いになったこともないし、冒険者組合の職員だって名前も知らんし興味もない。今後仕事の都合で知りあうことがあっても間違いなど起きないと思うぞ」
「…そうですか。失礼致しました」
うーむ。嫉妬してくれるのは悪い気はしないが、あらぬ疑いをかけられるのもお互い気まずくなりそうだ。ここはしっかり納得してもらいたい。
「あのな、どういう女性を好むとか、女癖の悪さとか、そういうのは本当に人それぞれなので、『男とはこういうものだ』とひと括りにしない方がいいと思うのだ。俺の場合で言うと、細身で東国風の彫りの深くない、それこそヨウのような娘が理想的だと思っているし、性格も、知的で快活、器用で社交性も高いヨウがいてくれるのは本当に有り難いのだ。他の女に手を出そうなどとは考えていない」
「はい。…すみません、おかしな妄執に取り憑かれて取り乱してしまいました」
…どうも納得しきれていない様子。ファンタジーものじゃなく、ラブコメの修羅場イベントみたいだな。
そういう時のイケメンな対処法は…と。
「あっ」
抱き寄せてキス。これだ。
ラブコメだと読者的に「いやそれ強引に誤魔化してるように見えないか?」と思うのだけど、俺たちの場合は婚約者だからな、強引すぎるというほどではなかろう。
ゆっくりじっくり舌を絡めて濃厚な味わいを堪能する。
ヨウも、やがて俺の背に手を回し、舌の動きに応えてくれる。
そうして、長いキスを一段落させ、唇を離して互いの瞳を覗き合う。
恋愛ゲームみたいに、すぐにファンファーレが鳴って「グッドコミュニケーション!」なんて表示が出るほど便利な世界じゃない。
不便な世界ではあるけれど、それゆえ俺が強くヨウを求めているということは伝わったんじゃないかと思う。
「…俺もな、ヨウが他の男と仲よさげにしていると同じようになるだろう。今後も思うところがあれば言ってくれていい。とはいえ、他の異性と話もしないなどとなると仕事に差し障る。そのへんは、上手く世の中と自分の気持ちに折り合いをつけて、だな」
言い訳がましくなっていないだろうか、とも思いつつ、そう言って体を離した。