第十三話 ホツ
いきなりこの娘をやる、と言われても困る。
いや、この世界では普通なのか?
「ええと、この娘は」
「ご挨拶が遅れました、私、ホツと申します。卑しき身分の出で、食い詰めていたところをこちらの師父に拾われ、道場に通う門弟たちの世話をしております。私自身も剣の道を志す者として、先生のような剣豪のお側に置いていただけるならばこの上ない喜びでございます。どうか、ご遠慮無く何でも申し付けてください」
「まあ、剣の腕はまだまだだが、体に似合わず力はある。荷運びなどの仕事をさせても良いだろう」
「えーと。俺は別に、弟子とか使用人とか妾とか、そういうのを持つほど偉い身分ではない。妻と二人で長屋暮らしの身、側に置くというのもなあ…」
ニラワと同じような屋敷に住んでいるとか思われてないだろうな。
「もともと河原で野宿していた身の上です。軒下をお借りできれば外で寝ても構いませんが」
さすがにそんなわけにいくまい。
助けを求めるようにニラワに目を向けるが、遮るようにホツというこの娘に正面から尊敬の眼差しを向けられると、困る。
いや、もちろん悪い気はしないのだが。
「いやいや、さすがにそういうわけには」
「ああ、これまでの給料代わりに俺が支度金を出してやろう。近所の長屋を借りてそこから通わせるなり、広いところに引っ越すなりすると良いだろう」
ニラワが助け舟を出してくれた。
というか、これまで無給で働かせていたのか。
この娘、手当を受けている時はニラワの娘なのかとも思ったが、よく見れば全然似ていない。
顔や体型というより、そもそも人種的に違う感じだ。
元の世界で言うなら、ニラワは中国人っぽい風体だが、この娘はインド人っぽい顔立ちだ。
小柄で、ヨウに比べてもだいぶ幼い。
ここへ案内してくれた年長の子供と同じくらいだろうか。
可愛らしく、将来は美人になりそうだ。
これならうちなんかよりももっと裕福なとこに嫁に行けるんじゃないか。
身分が低いということだが、人種的な階級のようなものがあるのだろうか。
体が小さく力持ちって、ドワーフみたいな位置づけか。
ゴブリンが東国人の蔑称だとか言ってたので口には出さないが。
傭兵組合のニラワが力があると言うくらいだから、見た目に似合わず怪力キャラなのか。
「…犬猫を拾ってくるのとは違うのですから」
押し付けられるように、ホツを連れて帰宅してみると、昼のお好み焼きを作っていたヨウに叱られた。
「いや、断ったんだって。使用人とか雇うほど稼ぎがあるわけでもないって。そうは言っても、竹刀を作る仕事をもらってしまって強くも言えなくてな…」
妾にしても良いと言われたことは伏せておく。
なんだか浮気した男の言い訳みたいだが、変なつもりはなかったんだって。
可愛い子だなとかは思ったけどさ。
「若い殿方に使用人として未婚の女性を紹介するなど非常識です。妾としてあてがうつもりだったのでしょう。カズオ様も、お若い殿方ですから、そのうち隠れて娼館などに行くこともあるだろうとは思っていましたが、これはさすがに看過できません」
めっちゃ怒ってる。
理論的に相手の非を突いてくるタイプだったか。
ていうか、娼館行っても良かったのか。子供の前でする話じゃない…とか言ってる場合じゃないのか。
「俺が常識を知らないのは確かにその通りだし、その点は申し訳ない。ニラワのほうも、大きな屋敷に住んでいるようだったから、庶民とは感覚が違うのかもしれない。ただこの娘、親もなく貧しい暮らしのようで、哀れでなあ。お好み焼きやら兎の世話やら竹細工やら忙しくなっている現状もあるし、仕事を手伝わせてはどうかと思ったのだが…」
「貧しい子供たちなど、普段からそこかしこで見ているじゃありませんか。見た目が可愛らしいから連れてきたのではありませんか」
ぐっ…。
事実、そういう側面がないわけではないのだが、ここは否定しておかなければ禍根が残る。
嘘をつく時は堂々と。事実関係の嘘は矛盾や綻びが生じやすいが、気持ちの嘘は証明できない。
「そのようなことは決してない。俺には、ヨウ、お前という婚約者が居る。この娘を連れてきたのは、あくまで働き手として、ニラワに紹介されたからだ。第一、まだ子供ではないか」
「…あなた、歳はいくつですか」
隅で縮こまっていたホツに話が振られる。
主を紹介されたと思ったら修羅場に巻き込まれてしまった形だ。いたたまれない。
答えてもよいのかと俺に目で問うてくる。
いや、そこで助けを求められても。答えないわけにいかんだろ。
「…申し訳ありません、自分の年が解らないのです」
「どういうことですか」
「物心ついた頃には、母は既に病で伏しておりました。もともとは娼婦だったようなのですが、妊娠して捨てられ、河原で私を産んだそうです。しばらくは河原者を相手にして食べ物を分けて頂いていたみたいですが、病気になってからは疎んじられて客も来なくなり、間もなく亡くなってしまいました。私はそのへんの草とか虫とかを食べて飢えをしのいでおりました」
「待てまて」
いきなりそんなヘビーな話をされても。
ヨウも気まずそうだ。
「その、あなたの身の上を問おうとしたわけではなくて、ですね…。月のものは来ていますか」
「はい、この前、股から血が出て、私も病気になって死ぬんだ、と思い、師父にご迷惑をおかけしないよう暇を申し出たところ、病気でなく体が大人になると誰しもそうなるのだと教わりました」
「…それは、子供が産めるようになったということだと、理解していますか?」
「…?小便のようなものだとお聞きしましたが」
最低限の性教育も行っていなかったようだ。
門下生も男の子ばかりだったようだが。
そこはさすがに奥さんとかに話して貰おうよ…。
「…解っていないようですね…。殿方のお相手をしたことはありますか」
「ありません。道場では打ち合いは禁じられておりましたので」
「そうではなくて…いえ、もういいです。確かにこれは、教育が必要ですね…」
ヨウもほだされたみたいだ。
だよね、可哀そうな子どもがいたら何とかしてあげたくなるのが人情ってものでしょう?
「私も、豊かな家に生まれ、立派な殿方に嫁ぐお約束をされて浮かれてしまって、いつしか自分の幸運を感謝する気持ちを忘れていたようです。この子をひとかどの女性として、どこに出しても恥ずかしくないよう面倒をみることで戒めとしましょう」
なんか過剰に使命感を持ってしまったようだ。教育ママの素質があるな。
ヨウは長女で年の離れた弟がいた関係上、子供の面倒を見るのは日常だったんだろう。
はじめはホツを女として見ていたから敵視していたけれど、子供として見るならば姉として上手くやっていけるのかもしれない。
取り急ぎお好み焼きを焼くのを手伝わせてみるが、料理というものをほとんどしたことがないらしく、焼く前のタネを混ぜるだけでも手付きが危なっかしく、ボウルをひっくり返しそうなので、今日のところは見学してもらうことにした。
「これはお好み焼きと言ってだな、昼と夕方に、こいつを屋台で売るのがうちの収入のひとつになっている。高価な卵や小麦粉を使うので、あまり失敗できないのだ。手持ち無沙汰にさせてすまんな」
焼くのはヨウに任せ、俺はキャベツを切りながらホツに話しかける。
「こちらこそお役に立てず申し訳ありません。先生は料理人の方だったのですね。やはり刃物を使うのが上手いからでしょうか」
「いや、料理人が本業というわけではない。本業は冒険者なのだが…今の時期は組合にあまり仕事がなくてな。色々手を出している」
職業を問われると言い訳がましくなってしまうな。話題を変えよう。
「ホツは道場で働いていたということだが、どのような事をしていたのだ?」
「掃除と洗濯、それに荷運びです。体は小さいですが、力はある方です」
「力仕事か。剣術道場だからイメージには合っているが。うちはどちらかというと器用さが求められる仕事が多い。すぐに覚えろとは言わないが、慣れていって欲しい」
「はい、もちろんです!精進します!」
先程はヨウに気圧されて大人しかったが、基本的には元気いっぱいの体育会系のようだ。
「…仕事よりも、花嫁修業をさせて早々に嫁に出すことを考えたほうが良いのではないですか」
ヨウがジト目でツッコミを入れてくる。
うぐ。確かにそれもそうなのだ。ゆくゆくは保護者代わりの俺達が結婚相手も見つけてやらなければならない。
こちらの世界では婚期は早く短そうだ。
ニラワめ、そういうのが面倒で俺に丸投げしてきたな。
とはいえ、独身の男にアテはないが…年齢的にはチャンバラしていた子供たちと同じくらいか。
ホツの結婚相手としてどうか、と言われても全然ピンと来ないな。
「顔は悪くないのですから、磨けばそれなりのところへ行けるかと思います。力持ちが良いのであれば、狩人などはいかがですか」
「うーむ、まあ、先の話だ。おいおい考えていこう」
適当に話をはぐらかす。
他所にやるという話を本人の前で続けるのもどうかとも思ったが、親が結婚相手を決めるこの世界ではむしろ普通のことなのか。
本人の希望を聞く姿勢を見せるだけ良心的なのかもしれない。
ヨウも幼い頃から親にそうした話をされていたんだろう。
こういう相手が良い、なんて理想もあっただろうが、俺のもとに嫁げと言われた時、どう思ったか。
現代日本人の感覚では自由恋愛がないのは可哀そうだとも思うが、自由恋愛とはつまり競争であって、敗者が発生する。
そうして生涯独身率が上がって少子化が進んでしまうことを考えると、社会が働き手人口を必要としている産業革命前のこの世界では無理にでも結婚させることが合理的なんだろう。
そんな中でも結婚できない男や子供を産めない女が低く扱われてしまうと。
いいのだ、俺にはヨウが居る。
一年後に結婚して子供を作って、その子が大きくなった時のためのシミュレーションと考えよう。