第九話 卵
翌日は、ヨウも「まだ少しだるいですが、さすがに何日も休むわけにはまいりません」と起き出して、お好み焼きの販売に意欲を見せた。
とりあえず午前中は二人でお好み焼きの販売を行ったが、昨日同様、すぐに完売してしまった。
昼食後、ヨウは先に帰してキャベツを刻んでおいて貰い、俺は鼠町の肉屋に卵を受け取りに行く。
ヨウの体調も問題なさそうだったので、夕方のお好み焼きは任せ、俺は冒険者組合の仕事に出る。
午後の仕事も竹細工だった。冒険者組合なのに竹細工組合のほうに毎日入り浸っているが、これもう竹細工組合員になったほうが良くないか。
「冒険者組合も、土地は余っているようだし、鶏小屋を建てて卵を売るようにすればいいんじゃないだろうか」
「うーん、組合のほうで、儲けが出るかどうか、世話をする者を確保できるかどうか、という判断をどうしているのかというところでしょうか。お好み焼きがもっと広まって卵の需要が増えれば儲けも出るとは思いますが、鶏の飼育は農業組合の分野でしょうからそちらから横槍が入るのかもしれません」
「竹取とか薬草採取くらいなら山林管理である冒険者組合の範疇内、ということか。とはいえ、俺も竹細工組合のほうに行くことが多いし、冒険者組合にはあまり仕事がない感じになってしまっているのだよなあ」
「では、冒険者組合の人に雑談交じりで聞いておきましょう。卵が不足して困っているが、冒険者組合で鶏を飼うことはできないのかと」
「そうだな、俺たちで鶏の飼育もお好み焼きの屋台も両方やるのは難しいだろうし、農業組合から何か言われることを嫌がるようなら、お好み焼きの屋台に使うぶんだけ生産する形でもいいかもしれない」
組合同士の勢力争いの話になってしまうと個人ではどうにもならない。ここらへんの長屋で毎日暇そうに遊んでいる子供に駄賃を渡して鶏の世話をしてもらう小規模な養鶏所を作るなんてのも難しそうか。
「家の前に竹でちょっとした鶏小屋を作って、一匹だけ雌鶏を飼ってみるか?」
竹細工で鶏小屋を作る、というのは建築組合の分野になったりするんだろうか。
柱は木材を使うとしても、壁を竹籠のように編んだものにすれば囲うだけでいけそうなんだよな。
それなら竹細工組合のほうがそれっぽいし、冒険者組合の敷地に作るくらいなら俺一人でも出来そうだ。
「一匹だけでは効率も悪いでしょうし、どうしても卵が手に入らなくなったら、で良いかと」
「それもそうか」
「鶏小屋は、イタチが入り込まないよう頑丈な造りにしなければいけないと聞いたことがあります」
「そうなのか」
「北の村で以前、飼うだけならば物置小屋で良いのでは、と適当な場所で飼っていた人が、イタチに入り込まれて全滅してしまったという話を聞いたことがあります」
「イタチかあ、このあたりにもいるだろうか」
「町中にはいないかもしれませんが、冒険者組合は山に近いので」
「そうか、そういうのも考えなきゃいかんのだよな。うーん、やはり鶏の飼育は専門の農業組合に任せるのが一番という結論になってしまうなあ」
組合の利権といえばそうだが、専門職に任せた方が効率的というのも事実なのよね。
翌日も午前、午後ともに16個ずつのお好み焼きは完売し、早々に俺もお好み焼き屋になるか、と決心したところ、やはり卵の入荷でつまずいた。
「毎日25個は無理だなあ。二日に40個でも他の肉を後回しにされてるんだ。これ以上になると商人を通すか農業組合に直接行ってもらうか、だが…今後ずっと定期的な取引をするんじゃなきゃ受けてもらえないと思うぞ」
「そういうものなのか」
鼠町の肉屋に卵の増量を打診したところ、後ろ向きな答えが返ってきてしまった。
仕方ない。今の一日32食でヨウはお好み焼き屋、俺は竹取と竹細工という体制でもそこそこ儲けになってるとも言えるのだ。
しばらくこのままやっていくか。屋台も、竈つきのに変えるかもしれないからと、一日単位の契約で借りているけれど、月単位での契約にしてしまっていいかもしれない。
「飽きられて売れなくなってきたら具材を色々変える手もあるか」
「キャベツ以外の何かを入れるということでしょうか」
「具材をお好みで選ぶからお好み焼き、という名前なんだよな。とはいえ…肉を入れると材料費が上がってしまうし、揚げ玉とか焼きそばもないし…エビとかイカなんかはどうだろう」
「北の村では海が遠いのでエビもイカもほとんど食べなかったですが、このあたりでは…カエル肉よりは少し高いくらいでしょうか。採れるのも秋から冬の時期だと思いますし」
「カエル肉とかの鶏肉っぽいのはあまり合わないんだよなあ。脂の多い獣肉となるともっと高いだろう」
「値段で言えば、兎、山羊、羊あたりでしょうか。それでもエビやイカより高いと思います」
「だよなあ…ん?」
ヨウと買い物を終えて、お好み焼きの改良案について話しながら家に向かっていると、なんだか視線を感じる…というか、多分俺の斜め後ろに、肉屋からずっとついてきてる男がいる。
顔を向けると露骨に目をそらして、立ち止まると向こうも立ち止まる。
尾行だとすると随分下手でバレバレなのだが、用があるとか因縁をつけてくるわけでもなさそうだ。
人攫いか?
やはり、治安が悪くないと言ってもそういうのはいるのかもしれない。
「あの…?」
「こっちへ」
何か言いたげなヨウの手を引き、建物の間の暗がりに入り込む。
「え、その、何を…んっ」
「静かに」
卵の入った籠をそっと地面に下ろして、ヨウを抱き寄せ、壁に押し付ける。
壁ドンだ。いや、そんな勢いよくやったわけではない、せいぜい壁トンだ。
「なあ、いいだろう、我慢できないんだ」
「あっ、つ、ついに…。こういうのがお好きだったのですね、はい、いつでも…!」
町中でサカってしまうカップルをイメージして、下手な演技をしてみると、ヨウも割とノリノリのようだ。
「おっと…チッ」
先ほどからつけてきていた男が路地裏に足を踏み入れた途端、俺たちの姿を見て、舌打ちして去っていく。
そっと顔を出し、男が立ち去っていく背中を見て、一息つく。
「あのっ…?な、何事でしょう…?」
わかってなかったのか。
「あの男が肉屋からずっと俺たちの後をついてきていてな。…盗っ人とか人攫いだったらまずいと思って、あのようなことをしたのだ。驚かせたならすまなかった」
「あっ、そ、そうだったのですか、それは、その、良かったです」
何が良かったのか。外で強引に求められるのが、だったら変な性癖に目覚めさせてしまったかもしれない。
いやまあ、普通に考えれば怪しい男を振り払えて良かったということか。
そもそもこの国は、なのか、この時代はどこもそうなのか、外でイチャイチャしてるバカップルなんて見かけないんだよな。
俺としても、こんな美人が俺の嫁なんだぞ、と自慢したいというよりは、俺の嫁なんだから他の男には変な目で見られたくない、という気持ちのほうが強い。
若い男はどうしても、可愛い女の子を道で見かけたら色々想像しちゃったりするからね。仕方ないっちゃ仕方ないんだけど。
「しかし、実際屋台で儲かってるのを見ているかもしれないし、ヨウを見かけて惚れたとかなのかもしれない。気を付けた方がいいな」
「昼日中なら、何かされても大声を出せば人が集まると思います。夜には出歩かないようにしましょう」
「うーむ、屋台をヨウに任せるのはまずいだろうか?」
「さすがに日中の活動が出来ないほどであれば、傭兵の方々が警備を強化すると思います。私も護身用の小刀でも携帯するようにしましょう。お金も釣銭以外は持ち歩かないようにします」
何かあってからでは遅い、とは思うのだが、その何かに怯えすぎると仕事が出来なくなってしまう。
不安だが、それ以上の対処も難しそうだ。
その夜は、やはりというか何というか、夕方の続きをするようにせがまれたが、強い意志でお休みのキスに留めておいた。
翌日の昼には俺たちをつけてきていた男の正体が判明した。
「よその屋台かあ」
ヨウの出店していたお好み焼き屋以外に、何軒か「お好み焼き」と看板を出している屋台があった。
屋台で儲かってるのを見て後をつけてきた、という所は合っていたのだろう。
ヨウを狙っていたというよりお好み焼きの作り方を盗もうとしていたということか。
「卵が少ないんでしょう、あまり美味しくなかったそうです」
生産が追い付いていない現状なんだから、卵を仕入れるルートを別にしてくれるなら作り方を教えてやっても良かったのに。
変に不審な態度で探ってこられると協力しようって気になれないんだよな。
真似するにしても、うちの近くじゃなく他の町でやればいいものを、と思いきや、鼠町の肉屋に向かう途中にもお好み焼きの看板は並んでいた。
儲けには敏感な癖に独創性がないんだよなあ。せめて何かトッピングとかの工夫をしている所はないものかとチラ見しつつ歩いたけど、どこもプレーンのお好み焼き、ウスターソースも同じものを使ってるっぽい。
「ああ、あんたか、今日は卵の入荷日じゃないぞ」
「解っている。他の者が大量に卵を購入しようとしたりしなかったか?」
「来たよ、昨日から10人以上、卵をあるだけくれってさ」
やっぱりか。俺がほとんど買ってしまっているからよそでは卵が足りなくてお好み焼きも小麦粉とキャベツだけになってしまっていると。
卵の有無で味がかなり違ってくると思うんだが、買った人から文句も出てるんじゃないか。
「ふむ。やはり入荷は増えないか」
「それなんだが、むしろ減りそうなんだ。農業組合のほうに、こっちが先に注文したんだからこっちに優先的に回せって言ってるんだがな、うち以外、他の町の肉屋からも注文が増えてて、うちだけってわけにはいかないらしくてな」
げ。そんなにブームになってしまっているのか。
作り方さえ解ってしまえば屋台だけでなく家庭でも作ろうとする人も多いだろうしなあ。
「ううむ、農業組合も、すぐに増産ってわけにもいかないんだろうな」
「いや、増産することは決まったらしいんだが、州都中央から雌鶏やヒナを買い取るくらいでは追い付かないらしくてな。安定供給には三か月はかかるだろうと」
ヒヨコが大人になるまでには半年くらいかかったはずだ。
昔は祭りの屋台でヒヨコを売ってて、飼ってるとすぐ大きくなるという話を聞いたことがある。
もっとも屋台で売られているヒヨコはほとんど全部がオスで、最終的に肉になってたんだとか。
ペットというより、ごく小規模な畜産って感じだったんだろうなあ。
「まあ、ヒナが大きくなって卵を産むまで、と考えればそれでも早い方なんだろうな」
「それまでは州都中央から卵を回してもらって、その分向こうに肉を回すから、卵以外の肉なんかも入荷がかなり減るそうだ」
肉も減るのか。具を足して値段を上げる作戦もやりにくくなってしまうな。
「うーん、卵の需要が増えても農業組合や肉屋は結局儲からないことになってしまうのか」
「そこでだ、うちに入ってくるぶん、30は回してもらう予定だが、数が揃わない場合は農業組合のほうの都合だ、諦めてくれ。入荷した卵は全部あんたに売るから、多少値上げするのを勘弁してほしい」
「どのくらいだ」
「三割増しくらいでなんとか」
まじかー。
仕入れ値が上がる上に卵の入荷数が減ると、収入的には竹細工とそんなに変わらないくらいになってしまう。
何かトッピング追加とか新商品開発とかしなければいけない。
それも難しそうなら屋台は撤退してまた竹細工夫婦に戻ることも考えなければいけないか。
「こっちはもともと原価も販売価格も高めに設定してあるからなあ。売値は上げにくいんだが」
「二割五分だ、これ以上はこっちの儲けが削られる」
「まあ、仕方ないだろう。その代わりと言ってはなんだが、入荷した卵はうちに配達してもらえないだろうか。そちらも、他には卵は売り切れだと断っておいて、俺には店頭で受け渡しているのを見た者がゴネだしたら面倒だろう」
「わかった、住所を教えてくれ」
今更ながら、これ以上お好み焼きのレシピを広めないよう対策を打っておく。