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鉄牛と鉄獅子の遺伝子  作者: 有坂総一郎


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諸兵科連合部隊の夢幻<2>

さて、そこで考えてみたい。


帝国陸軍は装甲兵員輸送車として一式半装軌装甲兵車ホハと一式装甲兵車ホキを開発している。


ホハ及びホキは最高で40-50km/hを出すことができ、最大で12名の兵士もしくは2t程度の貨物を搭載できる性能を持っている。


その源流は33年に九二式重装甲車の足回りを使用した試製装軌自動貨車TCが試作されたところにある。これは帝国陸軍が比較的早期から装甲で覆われた装軌式の輸送車両を研究していたところにある。


そして34年に独立混成第1旅団が編制され諸兵科連合部隊が組織されているが、これも無関係ではないだろう。旅団に属する独立歩兵第1連隊(人員:2590、車両:297)が前述の通りであるが多数の車両を有した自動車化歩兵であることから明白だ。これらはフォードやシボレーなどのトラックを用いていたわけだが、残念ながら非装甲であり、まして路外走破能力を考えると装軌式の装甲輸送車両を欲するのは道理であると言える。


試製装軌自動貨車 TCが試作された後に試製装軌自動貨車TE(34年)、試製装甲兵車TG(35年)と続いたことを考えると間違いなく諸兵科連合部隊ないし機械化歩兵を意識していたことは明白だろう。


その試作が漸く満足出来る形となったのが試製九八式装軌自動貨車(38年)であった。名称こそ「試製」と試作扱いだったが性能がよく、量産されたものが部隊に引き渡されたという。そして満を持して量産仕様の兵員輸送車として開発されたのがホハとホキであった。


ホキとホハは性能上はそれほどの違いは無く、装軌論、半装軌論の論争による産物であり、どちらも共通したドクトリンの元に設計開発されているため部隊運用上の問題は無い。


残念ながら、大東亜戦争においてはこれらの活躍する素地はいくらかあったのであるが、量産体制が整う頃には南方戦線は片付いていたし、日ソ間に戦の火種はなかった。また戦局の推移から優先して生産すべきモノは航空機や砲であり、ホキやホハだけでなく機甲車両全般が低い優先度となったこともあり生産は遅れに遅れている。これは一式中戦車チヘや一式砲戦車ホニの生産遅延したことと同じである。


だが、大戦後半の最後の1年における量産数はホキとホハ両方で500両に及ぶ。生産数から考えても帝国陸軍はかなり本腰を入れて機械化歩兵を推進していたと考えられる。


時期に恵まれなかったが、それでも比較的早期からの開発とその方向性を確立していたことを考えると対英米戦争がなければ関東軍の機甲軍化というのは夢でも幻でもないと言えるのではないだろうか。


また帝国陸軍でもエリート部隊である近衛師団も完全機甲化を達成出来ていたと思うとドイツ機甲軍団がなんだと言ってやりたくなる気分になろうモノだ。


続く

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― 新着の感想 ―
[一言] 林譲治先生の本でもあったが日中戦争によって自動車化、機械化の計画が吹き飛んだのが痛いですからね 大陸打通作戦でトラックをかき集めたら運転免許所持者が不足と言う悲喜劇とか 結局国力増強の為にも…
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