やはり旦那様は寛大な方でしたが、そのご厚意に甘えるわけにはいきません
ハイルが廊下の曲がり角を曲がるまで見送った後、メイドがリンデに向かって頭を下げてきた。
「リンデ様、申し訳ありません。私の様な者のためにリンデ様が……」
「私は謝られる立場にありませんよ。むしろハイル様のお情けに感謝しなくては」
メイドを一人寒い夜道に放り出す位なら1ヶ月の外出禁止位安いものである。
とは言え屋敷の塀の中であれば外に出ても良いだろうとリンデは考えていた。
「はい。でも、良かったです。旦那様が大事になさっていた花瓶が割れなくて」
メイドは床に転がっていた花瓶を愛おしそうに抱え上げると言った。
花瓶が割れなかった事。
これにはもちろん秘密があり、花瓶が倒れた瞬間にリンデが自分の足元をスライム化させてクッションとし、花瓶が割れるのと床が水浸しになるのを防いだのだった。
一瞬の出来事のため、幸いハイルにもメイドにも分からなかったようである。
しかし、中の水しぶきがハイルにかかってしまったのは防げなかった。
ハイル自身にスライム状に被さればそれも防げたのだろうが、そんな事をすれば流石に彼でも気づくだろう。
やはりハイルの言ってた通りここに立っていたのが不味かったのだろうか。
せめてメイドではなく自分が花瓶の横に立っておくべきだったかもしれない。
しかし、今さら考えても仕方がないのでリンデは気持ちを切り替える事にした。
「さて、花を活け直さなくてはいけませんね」
「それは、私がやります!いえ、やらせてください。リンデ様はお夕食の準備が整っていますのでそちらに」
メイドははっきりと言った。
もう今日は先程までみたいにオドオドと不安げな様子を見せることはないだろう。
リンデとしては正直さっき水をたくさん吸収したのであまりお腹が空いていない。
しかし、彼女が気持ちを切り替える事が出来ているのであればそれが何よりで、リンデにとってはそれが少しありがたかった。
「ではお任せします。水はあまり入れすぎないようにするのですよ」
リンデはメイドに花瓶の後始末を任せると、ひとまず夕食へと向かうのだった。
―――
結局、翌朝の朝食の席にもハイルは現れなかった。
聞いた所では朝食も自室に運ばせる様に命じていたらしい。
リンデとしては直接ハイルの機嫌を伺いたい所だったのだが、それが出来ず仕舞いになってしまった。
午前中、リンデは温室の家庭菜園の世話をする事にした。
ここなら一応室内ではあるし、屋敷にも通路で繋がっている。
またガラス越しに玄関先の様子を窺うことも出来る。
これならハイルが外出する時も分かるはずであった。
しかし、午前中は彼の姿を確認することが無く正午を迎えてしまった。
昼食も自分の分しか用意されていなかったため、リンデは控えている使用人の一人にハイルは今どこにいるのか聞いてみた。
「旦那様でしたら、もう日が昇られる前にお出かけになられましたが」
まさかこっちが気付かずに既に外出してしまっているとは思いもよらなかった。
リンデはすぐに席を立つと玄関へと駆け出した。
そして玄関前に出ると自分のスライム体の分身を近くの鳥に付けてハイルの元へと飛ばそうとしたが、寸での所で思い止まった。
(待ってリンデ、ここで分身とはいえ、私が外に出てしまったら約束を破ることになるのでは)
そう考えを改めるとリンデは分身を引っ込め、また食堂へと戻った。
食堂へ戻るとなぜか料理人とメイドたちが横並びに一列に並んで待っていた。
「何です?皆改まって」
「リンデ様!申し訳ありません!すぐに全ての料理を作り直しますのでこの事を旦那様にはどうかご容赦を……」
料理長が頭を下げる。
どうやら先ほど料理に手を付けず、急いで外に出たことが思わぬ誤解を生んでしまったようであった。
「大丈夫ですよ。ハイル様には何も言いませんので、ただ冷めてしまったスープはもう一度温めなおしてもらえるかしら」
メイドがスープを持っていくのを見ながら、リンデはハイルの行方が気になっていた。
おそらくまたダンジョンに入ったのは間違いないだろう。
どうか無事に帰って来られると良いが、とリンデは思うのだった。
―――
深夜。
ハイルはようやくダンジョンから屋敷に帰ってきた。
今回はあまり戦利品らしい戦利品は得られなかったが、彼の心は晴れ晴れとしていた。
今回の探索でようやく探していた深層への扉が見つかったのである。
深層の方がより良い宝が眠っていると言う話は何度も聞いた。
これには次回の探索を期待せざるを得ない。
風呂に入って自室に戻る。
机に座り、さっそくザムレス宛に更なるダンジョン探索に向けての援助を乞う手紙を書こうとした。
その時、トントンと扉を叩く音がする。
ハイルはその者を二つ返事で中に通した。
「失礼いたします。お夜食をお持ちいたしました」
リンデ自らが軽食セットを持って部屋に入ってきた。
「なんだ、そんなものメイドに運ばせれば良いだろうに」
「本日は一度もハイル様に挨拶をする機会が無かったものですから、ところでハイル様、何か以前よりもスリムになられた様に感じますね」
リンデから言われてみれば、最近はベルトをキチンと締める事が多くなった。
そうしないとズボンが少しずり落ちそうになることもある。
これもダンジョン内を歩くことが多くなったためかもしれない。
最初は先導役のダフトや護衛に何度も小休止をせがんだものだが、今ではそれもほとんど無くなっていた。
「最近は運動することが多くなったからな」
「それは良かったです。ですが、ダンジョンは危険な所です。くれぐれも油断をなされませんように」
そんな事は分かっていると言いたくなったが、今ここで口論するものでもないだろう。
口論と言えばリンデに一か月外出禁止の罰を下していた事を思い出した。
「そうだな、後お前に下していた外出禁止の罰だが別に明日から普通に外出しても良いぞ」
「いいえ、それではこの屋敷の主としての尊厳に関わります。ですから私への罰を軽減なさるなどの気遣いは不要です」
せっかく軽くしてやったのにと思ったが、これを議論する時間も今は惜しいと思ったので、彼も罰についてはそのままにしておく事にした。
「では、失礼いたします」
そう言うとリンデは軽食セットを置いて部屋から出て行った。




