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『彼』と『彼女』の『恋愛日記帳』

作者: 藤花しだれ



——僕は、恋をした。

どこにでもあるような、単純な一目惚れ。

可憐な少女だった。名前もクラスも分からないけれど、沢山の人がいる場所で、彼女だけはすぐに分かるほどだ。とても顔立ちが整っていて、他校からも人気のある子で、とても優しそうな女の子。

初めての恋ではなかった。好きな子はもちろんいたけれど、告白なんて考えられるほど僕の心は大人じゃない。

だから、この恋も片思いで終わるはずだったんだ。きっと、切なくもならないほど、綺麗に。




——私は、恋をした。

おとぎ話のような美しい恋の始まりではなかったけれど、私の心は春の陽だまりのように暖かくなって、その男の子に初めての恋をした。

これまで、異性には興味がなかった。告白されても、困ってしまうだけだし、断った時に感じた罪悪感は、とても苦手だった。

だけど、彼を見た瞬間に私は恋をした。彼は物語の主人公と言えるほど、かっこよくもないし、秀でた才能もない。きっと、誰かに見つけてもらわなければ埋もれてしまうような、そんな男の子だった。

だけれど、好きなんて想いを抱いてしまったの。だから彼は私の物語の王子様になった。




——その日は、雪が降っていた。毎年降るような地域ではなかったから、とても心が騒がしくて、僕は母からもらった赤いマフラーを首に巻き、分厚い革靴を履いてドアを開けた。

深く息を吸い込むと、空気の冷たさで鼻の奥がじんと痛くなる。でも、その香りはとても澄んでいて、胸を更に高鳴らせた。

乾燥しきった空気と、幻想的なほど積もりきった雪景色。

「なんて美しいんだろうか」と恰好の良さそうな言葉を呟くと、そこらへんにある雪をかき集めて小さな雪だるまを作った。




——その日は、雪が降っていた。私は寒いのがとても苦手で、すぐに体調を崩してしまうから、父に外出は止められていた。しゅんとなりながらこたつに入り、昨日録画した恋物語のドラマを流し見る。こたつの中心に置いてあった一つの蜜柑を手に取り、食べることも無く手でグニグニと揉んだ。

「私は籠の鳥なのね」と、切なげに視線を落として彼女は言う。

「そんなんじゃないよ、君は自由だ」と、まるで自分がすべてを知っているかのような口ぶりで、彼は言った。

二人の演技を鼻で笑いながら、柔らかくなった蜜柑の皮を剥き、実を自分の口に放り投げる。

適度な酸味と甘みがぐるりと口の中を巡り、すこし口元をすぼめた。




——僕の好きな人は、今何をしているんだろう。

咄嗟に思い浮かんだ言葉に、少々頬を赤らめて首を横に振った。しかし少しでも気になってしまった言葉は、頭から離れなかった。どんなに首を横に振っても、ずっと頭の中でその言葉が浮かび上がる。

もし、神様に願うならば。そこにある角からひょこっと現れて、この雪だるまを一緒に見てはくれないだろうか。そして、冷たい手を温めてあげたい。なんて思ってしまうのは、少し贅沢なんだろう。

でも、もし神様が叶えてくれるなら——




——私の好きな人は、今何をしているのかな。

『美しく切ない純愛ラブストーリー』なんて、馬鹿馬鹿しいと思いながら見ていた。だけどいつの間にか、50型の画面で恋を演じている彼に、恋をした王子様を重ねて、私は切ない恋をするその彼女になっていた。

「なら、私をここから連れ出して」「もちろん、ずっといっしょにいよう」

よくそんな恥ずかしいことが言えるものね。永遠に一緒なんてありえないのに、その自信はどこから溢れてくるのかしら。まるでどこかの悪役令嬢みたいな事を考えて、つい口角が上がってしまう。

でももし、私を白銀の世界に連れ出してくれるなら——




——積もりきった雪も溶けきって、春の桃が花弁をつけ始めた。年月が走っていくのはとても早くて、僕らの青春を軽々と奪っていくんだ。

彼女に恋をしてもう1年。声もかけられずに、ただ目の前を通り過ぎる彼女を見ている事しかできなかった。それでも、僕の心はとても満たされて、好きな人がいるというのはこんなにも綺麗なのだろうと感じる。

少しでも近くに居れたら、きっと満足してしまうのだろう。少しでも接点を持ってしまえば、満足してしまうのだろう。だから怖くて仕方がない。畏怖してしまい、このままの関係でいられれば、どんなに楽なのだろうか




——色を失くした真っ白な場所は、暖かな日差しと共に彩られていく。一つ一つ年月を重ねて、私達は大人になっていくんだ。甘くて爽やかな青春という名の果実を腐らせて。

私の王子様は、まだ助けには来てくれない。私を見てくれているなんて勝手に思い込んでしまって、勘違いなのに心が躍るのが、とても切なく感じてしまう。

だからこそ、王子様が迎えに来てくれた時、この気持ちは消えていくのだろう。まるで籠から飛び出した文鳥のように、真っ白になって。

でも、その時が来たのなら。

私はとても、幸せなのだろう。幸せが降り積もって、私の心は消えていく。




——今日、ある女の子から告白をされた。同じクラスだけど話したことは無くて、あまりクラスには馴染めていない印象だった。僕は彼女の名前も知らなくて、まさか教室で呼び出されるなんて思ってもいなかった。耳まで林檎のように真っ赤にして、僕の事を好きになったと言ってくれた。僕にはもったいないくらい可愛い人で、すごく嬉しかったんだ。

でも、返事を出すことは出来なかった。「はい」でも「いいえ」でもなく「待ってほしい」と。

彼女はとても恥ずかしそうにしながら、でも少し嬉しそうに見えた。それは僕が勝手にしている勘違いなのかもしれないけど、その表情を見てとても気分が悪くなった。




——今日、彼が告白をされていた。私の知らない女の子。そばかすが少し目立つけど、とても可愛い女の子。彼女は彼を呼び出して、人気の無い屋上に呼び出した。あんなにスカートを握りしめて、唇を震わせながら気持ちを伝えていた。私はその光景を影で見ていたけど、妬ましいという感情は湧かなかった。どうして、私の好きな人が奪われそうになっているのに、私は嫉妬を感じなかったのだろう。それが私には分からなかった。

彼は「待ってほしい」と返事を出していたけれど、その言葉を聞いて彼女はとても悲しそうにしていた。すぐに返事を出してほしかったのだろうか。それとも必ず成功すると自意識が過剰になっていたのだろうか。何にしても、烏滸がましい女だ。




——僕に、初めて彼女が出来た。初めてできた彼女はとても静かな人で、僕と二人で会うときだけ、よく笑顔を見せてくれる。とてもふんわりとした柔らかい笑顔を。彼女に返事を待ってほしいと言った時、怖いと思っていたらしい。このまま無かったことにされるのでは。もしかしたらクラスの人達に言いふらされるのでは。でも、こうして付き合うことが出来て嬉しいと、彼女は言ってくれた。

 とても可愛くて、愛らしく感じていた。初めてできた彼女は、毎日が新鮮に感じてしまって、何をするにも沢山の事を考えて。でも苦しいとは思わなかった。彼女のために出来ることがあるなら、僕はなんだってしたいと、心から決めていたから。




——彼に、お付き合いをしている女の子が出来た。あの自意識過剰な女の子だった。なんて悲しいのだろう。失恋とはこんなにも辛いことなのか。胸を掻きむしられるようなこの想いは、初めての経験だった。苦しい、とても悲しい。涙が止まらない。何度枕を殴っても、何度自分の身体を引っ掻いても、この痛みは消えなかった。

私はあの時、どうして出ていかなかったのか。あの子に奪われるくらいなら、いっその事壊してしまえば良かったのに。全てを失えたら、どれだけ楽なのだろう。

どうして嫉妬しなかったのだろう。彼を奪われると知っていれば、その気持ちを感じ取ることは出来たのかな。いいえ、奪われるなんて思っていなかった。

私は知った。無意識に彼女の事を、自分よりも格下と決めつけていたのだと。




——付き合い始めて、1カ月が経った。毎日とはならないが、彼女とは家が近いためよく一緒に帰っていた。学校であった事や、お互いの趣味について話し合って、たわいもない話だったけど、とても充実した帰り道だった。

初めて彼女と手をつないだ。その日は特に何もない日で、お互いに話をすることもなく、少し気まずい雰囲気だった。僕の手はいつも緊張していたからか、とても汗ばんでいて、けれど彼女から、手を握ってくれた。彼女の手は小さく震えていて、僕の手が熱くなったせいなのかもしれないけど、ひんやりとして心地良かった。

1カ月記念日だから、特別に僕の家で集まることになった。午後17時23分。集合時間から37分ほど早かったけれど、家のチャイムが鳴ってすぐに扉を開けた。

そこには、彼女がいた。




——彼に彼女が出来て、1カ月が経った。私はまだ、彼の事を諦めきれていない。クラスの友人に向ける笑顔も、教師や親に見せる笑顔も、全てはまやかしになっていた。自分の部屋に戻ると、枕を殴りながら今日の反省をする。私はまた話しかけられなかった。目線すら合わせることが出来なかった。今の私は、どんなに醜いだろうか。他人に綺麗と褒められたこの顔も、聞いていると落ち着くと褒められたこの声も、とても健康的で美しいと褒められたこの身体も、全てを捨ててしまいたい。王子様に見てもらえないのなら。

ある日、帰り際に彼を見つけた。お家には帰りたくなくて、正反対の道を歩いていたの。彼は一人で歩いていて、ついに私にもチャンスが来たと思った。今から話しかければ、きっと彼は振り向いてくれる。目を合わせれば、きっと頬を染めてくれる。彼と関係を育めば、きっとこの痛みを消してくれる。

でも、勘違いだった。彼は一人で帰ってなどいなかった。青いカバーの携帯を耳に当て、私には向けてくれない笑顔で、誰かと話していた。ああ、分かった。彼女なのね。電話が切れるタイミングを計りましょう。きっとすぐに切れるわ。

彼は話していた。明後日の金曜日は一カ月記念日だから、彼の家で遊びましょうと。集合は18時。きっと楽しい日になるだろう、とても楽しみにしている。彼はとても明るい笑顔で言っていた。私の王子様はあんな風に笑ってくれるのね。羨ましい、あの子が。




——扉に立っていたのは、一目惚れの恋をした彼女だった。一目惚れをしたあの日から、話しかけられず、ずっと視線で追っていた彼女。夏の日には水着姿を勝手に想像して、冬の日には一緒に雪だるまを見ていたいと願った。ずっと憧れていて、僕の片思いだった彼女が、扉を開けるとそこにいた。言葉が詰まってしまって、うまく声が出ない。すると彼女は、にこりと笑って話し始めた。とても可愛らしくて、でもどこか焦っているような笑顔だと思った。実は僕にお願いがあると、彼女は言っていた。委員会で協力してほしいから、来週の月曜日、放課後に放送室まで来てほしいと。僕は二つ返事で了承した。彼女はその返事を聞くと、少し世間話をしてから、最後にマカロンの入った袋を渡して帰っていった。

彼女が帰ってからも、僕の心臓は激しく動いていた。顔がとても熱くて、汗が止まらない。体に巡る高揚感がすごくて、今すぐにでも叫びたいほど。

そして18時。僕はマカロンの入った袋を机の引き出しに隠して、チャイムを鳴らした彼女を部屋に入れた。




——彼の家は、あまり大きなお家ではなかった。でも、他の大きなお家へ行く時よりも、手が震えた。指先がチャイムのボタンに触れ、少し深呼吸をして力を籠める。すると、待っていたかのようにすぐ扉が開き、私服姿の王子様が、私を出迎えてくれた。

彼はとても驚いていた。目を見開いて、口をパクパクさせて、声にもなってない声で私を出迎えてくれた。その様子を見た瞬間、私の身体から痛みは消えていった。彼はとても可愛くて、とてもかっこよくて、とても私を幸せな気持ちにしてくれた。彼には私が担当する放送委員について、協力してほしいとお願いをしてみた。あらかじめ考えていたことだけれど、彼はすぐに返事をくれた。私には、すぐに返事をくれたの。

来週の月曜日、放課後に彼が放送室に来てくれることになった。私は叫びそうになってしまったけれど、我慢した。私の王子様がびっくりしてしまうから。

昨日から徹夜をして作ったマカロンを最後に渡した。彼はとても嬉しそうに受け取ってくれた。今日食べてほしいといったら、あんなにも首を縦に振って。




——とても、楽しい一日だった。彼女は僕に、1カ月記念日だからとプレゼントをくれた。

高そうなペンケースとボールペン。ボールペンには名前が入っていた。ずっと使ってほしいからと、インクを詰め替えて使うことが出来るボールペン。すごく嬉しくて、感情が抑えきれなくなった。彼女を強く抱きしめてしまって、彼女は恥ずかしそうにしていたけれど、背中に彼女の細い腕が回って、二人の鼓動が重なり合った。

 それから学校の帰り道に買ってきたショートケーキを食べて、色々な事を話した。本棚に入っていた学校のアルバムを見ながら、当時仲の良かった友人や、実は彼女と仲が良かった友人について、二人で笑いながら話した。

 20時、外もすっかり暗くなって、母が車で彼女の家まで送ってくれることになった。僕は車には乗らなかったけど、別れる瞬間、彼女は僕の頬にキスをしてくれた。




——とても、楽しい一日だった。ついに私は、王子様と話すことが出来た。それがとても嬉しくて、枕を優しく撫でながら、私は微笑んでばかりいた。父が部屋に入ってくると、とても幸せそうだね、良いことでもあったのかと聞いてきた。秘密だなんて柄にもない事を言いながら、私は父にハグをした。

彼は私の作ったマカロンを食べてくれたのかな。もしかしたら今、この瞬間に食べてるのかもしれない。おいしいおいしいとあの笑顔を浮かべながら、喜んでくれているといいな。もし美味しくなかったらどうしよう。お菓子を作るのはとても好きで、小さな頃から作っていたから、きっと喜んでくれるよね。また作ってほしいなんて言われたらどうしよう。

その時間は幸せで満たされていた。次に作るお菓子のレシピを雑誌で探して、私の王子様が喜んでくれるお菓子を探す時間。

そうだ。隠し味もまた、入れないとだね。




——月曜日、放課後の放送室で。扉を開けると、机に座って本を読んでいた彼女が、髪をかき上げて笑った。その笑顔はとても綺麗で、背景の夕日が更に魅力を引き立たせる。僕はその場で立ったまま、彼女の笑顔を見続けていると、彼女は座ってと言って自分の隣の椅子を引いた。言われるがまま座ったら、ふわりと甘い香りがして、つい良い匂いだと口から出てしまった。動揺した僕を彼女は見て、フフッと微笑んだ。ありがとうとお礼をして、彼女は鞄の中から一枚の紙を取り出す。そこには放送委員募集の文字が書かれていた。

彼女の話では、放送委員が一人辞めてしまって足りなくなっているから助けてほしいということだった。どうして僕なんだろう、そんなことを考えていると、僕の話を彼女の友達から聞いたらしい。緊張せずてきぱきと行動を起こせる人で、きっと頼りになるよと言われたと。彼女は両手の掌を合わせ、お願いと言って指先を鼻につけた。その姿はとても可愛らしくて、僕はまたすぐに了承してしまった。




——月曜日、放課後の放送室で。扉が開くと、私の王子様が恥ずかしげに立っていた。その様子もすごく可愛くて、つい大きな声を出してしまいそうになる。我慢よ、私。心の中でぎゅっと拳を握って、彼を部屋に入れた。隣に座ってほしくて、大胆かもしれないけれど、座ってと言って椅子を引いてみた。彼はびっくりしていたけれど、ゆっくりとこちらに歩いてきて、音を立てないように座ってくれた。彼の顔を見ると夕日に照らされていても分かるほど真っ赤だった。耳まで赤くなっていたの。胸の内がきゅっと締め付けられるように、でもこれは悲しい締め付けじゃなかった。とても愛らしい締め付けだった。

良い匂いだ、と彼は呟いた。私はびっくりして、彼を見ると、目をキョロキョロとさせながら謝っていた。つい笑ってしまったせいなのか、彼は下を向いてしまった。

準備していた事を説明したら、彼はまたすぐに返事をくれた。彼のお家でもらえた返事よりも、もっと早く。私はすごく嬉しくなって、つい彼の手を握ってしまった。

でも、彼は私の手をゆっくりと優しく置いた。そして鞄を持って、また明日と言って部屋を出ていった。その表情は戸惑いを隠しきれていなくて、まるで突き放されたみたいに感じてしまった。とても辛かった。悲しかった。どうしてあんなことをしてしまったのだろう。そんな後悔が頭をぐるぐると駆けずり回って、分からなくなってしまった。




——どうして、彼女は目の前に現れたのだろう。これまで話したことなんて一回も無くて、ただ目で追っていただけなのに。それも、友人から教えてもらったからって自宅まで来られるのだろうか。もしかしたら僕の事を……いや、それは勘違いなのだろう。でも、彼女は今日、手を握ってきた。あれはどういう意味なんだろう。ダメだ。僕の片思いは、恋人に出会った瞬間に終わったんだ。美談として語ることのできる、さらりとした終わり方。誰も傷つかず、誰も苦しまない。僕も苦しんでなんかいない。はず。

僕は引き出しの中に隠しておいたマカロンの袋を開けて、一つだけ口に放り込んだ。口の中で爽やかな桜の香りが広がって、あまりの美味しさに固まってしまう。

彼女が作ってくれたマカロンは、桜の爽やかさと、少しだけ酸味と苦みを感じた。




——どうして、彼は目の前から去ってしまったのだろう。距離が近すぎたから?それとも自宅に行ってしまったから?急に手を握ってしまったから?どうして?どうしてあの時、すぐに帰ってしまったの?分からない、分からないの。こんなに枕を引っ掻いても、身体を引っ掻いても、ぬいぐるみを千切っても、分からないの。きっと彼は喜んでくれると思って、私は行動したのに。でも、きっと彼なら明日も来てくれる。彼は優しいから、きっと放っておけなくなる。大丈夫だよ、私の王子様はきっと来てくれるの。

だから、今日も作らなきゃ。どんな味にしたら喜んでくれるかな、私のマカロン。




——今日も、放送室に来てしまった。ずっと昨日は考えてたせいで寝れなくて、今日の授業は全て寝てしまった。高校に来てから初めてだ。でも、それぐらい忘れられなかった。どうして彼女があんなことをしたのか。もしかしたらただの偶然なのか、それともあれが彼女なりの感謝だったのか。もしそうだったのなら、鞄を持って出て行ってしまったことを謝らなければ。

扉を開けると、昨日と同じ風景が広がった。夕日を背景に、椅子に座って本を読む少女。彼女は僕に気が付くと、髪をかき上げて笑顔を向ける。でも一つだけ、違うんだ。昨日の彼女と比べて、少し元気がない気がするんだ。僕は一つ挨拶をして、頭を下げて謝った。ごめん、昨日はすぐに帰ってしまって。すると彼女は立ち上がって、大丈夫だから気にしないで。と微笑んでいた。良かった、許してくれたんだ。




——今日も、放送室に来てくれるのかな。どうしても彼のことが気になって、昨日は寝られなかった。おかげで今日の授業は全然頭に入ってこなくて、先生にも叱られてしまった。もし彼が来てくれなかったら、私はどうすればいいんだろう。鞄に入れている作りすぎてしまったマカロンも、放送委員という口実も、彼と一緒に帰りたいというこの気持ちも、全て捨てないといけないのかな。嫌だな。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 扉ががらりと開き、そこに彼は立っていた。ああ、私の王子様は来てくれた。きっと来てくれると思っていたの。さあ、早く入って。早く私の隣に座ってほしいの。彼は部屋に入る前に、こんにちはと一言言って、頭を下げた。ごめん、昨日は君を置いて行ってしまって。

 ダメだよ、私の王子様に頭を下げさせていい人なんて、この世界には一人もいないの。だから頭を上げて。王子様のかっこいい顔を見せて。王子様のあの笑顔を見せて。大丈夫だから気にしないで。咄嗟に出た言葉に、とりあえず笑ってみる。

 ああ、ついに。ついに向けてくれた。あなたのその、優しくて眩しい笑顔を。


 ——彼女が、泣いていた。最近どうして、他の女の子といるのって。僕は必死に、委員会の仕事を頼まれたんだと真実を告げた。しかし彼女の涙は止まらなかった。あんなに可愛い子がいるなら、私はもういらないね。涙を沢山流して、顎が震えているから言葉もぐちゃぐちゃになって、彼女は苦しんでいた。どうすれば許してくれるの?そう聞くと、彼女は僕の頬を強く叩いた。初めて女の子に叩かれて、叩かれた痛みは、頬の痛みよりもずっと心が痛いことを知った。彼女は真っ赤になって腫れた目で、キスをしてほしい。と言った。僕は動揺してしまって、でも彼女に信じてもらうために、彼女の唇に自分の唇を近づけた。




——あの女が、泣いていた。きっと、彼と私が一緒にいることが気に入らないのだろう。単純な嫉妬、下らない感情論、つまらない人柄。どれをとっても醜くて汚らしい下賤な女だ。どうして彼を困らせるの?あなたが彼と話せているのは、彼がとても優しいから。彼が優しくしていいのは一人だけなの。それはあなたじゃない。ほら、また感情に訴えかけているじゃない。泣けばどうにでも出来ると思っているの?彼を困らせないで。

どうして?どうしてそんなことを言うの?彼をどれだけ困らせればいいの?彼の優しさで、断れるわけがないじゃない。やめてよ。やめて。やめて。やめろ。




——そこに、彼女はいた。まるでこのタイミングを待っていたかのように、偶然通りすがったかのように、そこに彼女は立っていた。ごめん、何かあったのかなと彼女は言った。彼女はこちらを見ながら、少し困った表情を浮かべて。僕は、なんでもないよ。と答えた。答えてしまった。彼女はまた泣き出してしまった。それを宥めるように、彼女が彼女の肩を優しく撫でた。その光景を見ると、心がさらに締め付けられた。その理由は、きっと知っている。だけど、このまま知らないふりを続けていれば、心が締め付けられることはないのだ。だから、知らないままでいたい。彼女は大丈夫?と優しく声を掛け、こちらに目線を送る。その意味はすぐに分かった。僕は一言、彼女と彼女に謝罪をし、その場を後にした。




——私は、耐えられなかった。彼があの女に優しくするのも、目を合わせるのも、手に触れるのも、キスをしようとするのも、全て全て耐えられなかった。だから、私はあの女から私の王子様を守った。彼は驚いていた。見られてはいけないと思ったのかな。大丈夫だよ、もう大丈夫。私が守ったから。この女があなたの優しさに付け込んで、酷いことをしようとするから。私がちゃんと、彼を守らなきゃ。醜く泣きじゃくる女の対応は慣れているの。私の友達はみんな泣き虫で、すぐに助けを乞うから。だからこうやって、慰めの言葉を添えながら肩を撫でてあげるの。これで勘違いをするから。ああ、私は可哀そうな女の子なのって。

彼は一言謝って、足早に去っていった。近くに公園があるから、そこで少し話をしましょう。そう彼女に聞いたら、小さくうなずいた。泣いている彼女をベンチに座らせ、自動販売機で購入したミルクティーとオレンジジュースを彼女に見せて、どっちがいい?と聞いてみる。すると、さっきまで泣きじゃくっていたのがウソみたいに止まって、彼女はオレンジジュースと答えた。




——翌日、僕は彼女の家に向かった。チャイムを鳴らすと、彼女のお姉さんが出てきて、自分が彼女と交際していることを伝えると、部屋に入れてくれた。彼女は布団の中にくるまっていて、僕が声を掛けると帰ってと叫んだ。僕はひたすらに謝って、どうにか許してほしいと頼んだ。すると、彼女は少し恥ずかしそうに、風邪を引いたから見られたくなかったと言った。肩の力がするりと抜け、そのまま座り込む。彼女はもう気にしていないらしい。昨日慰めてくれた彼女から、全てを聞いたと。だからもう気にしないと。

僕は買ってきたお菓子と飲み物を渡し、最後に彼女の頬にキスをする。顔を真っ赤にして布団に隠れてしまったけど、部屋を出る前にありがとうと聞こえた気がした。




——翌日、彼はあの子の家に向かった。きっと、彼女が学校を休んだから、心配してあげたのね。本当にお人好しなのだから。でも、もう大丈夫。昨日、話をしたの。彼女はあなたのことを好きだと言った。けれど、私がいると悲しくなってしまうって。だから私は本当のことを話したの。私はただ、放送委員が足りなくなってしまって、彼に助けを求めただけだって。あなたから奪うことはないのって。そしたら彼女は安堵した表情で、よかったと笑っていたの。もう安心だって言って、嬉しそうにオレンジジュースを飲んでいたわ。

本当に可愛い子。私に嫉妬してしまうほど、醜くて可愛らしい子。勘違いをしていたの。もしかしたらあなたはこの子に奪われてしまうのではって。だけど違った。勘違いだった。私が間違っていた。あなたとの時間は、簡単に取り戻せたの。単純な馬鹿のおかげでね。




——放送委員になって、約1カ月。学校では彼女と過ごし、放課後は付き合っている彼女と過ごす毎日だった。その日常はあまりにも平和で、だけど心地よく感じていたんだ。僕が好きになったのは彼女であって、彼女ではない。だから分からなくなるんだ。僕はまだ、彼女の事が好きなのだろうか。本当は、彼女よりも彼女の方が好きなのではないか。僕はまだ気づいていないのではないのだろうか、彼女と過ごす度、自分の恋愛というものが分からなくなっていることに。僕はまだ知りたくないのではないだろうか。本当は、彼女の事を好きであって、もう一人の彼女を好きではない。そんな現実を目の前にすると怖くなって仕方がないから、ただ気が付かないふりをしているのではないかって。

だから、こんなに心地が良い日常に、どこか不安を抱いているのだろう。




——彼が放送委員に入って、約1カ月。さすが私の王子様、どんな仕事でも嫌な顔せず、やり遂げてくれる。放送委員の仕事は朝と昼、放課後しかないけれど、その時間は私の王子様でいてくれるの。朝、同じ時間に目を覚まし、同じ時間に放送室に入って、隣の席に座って気持ちの良い挨拶をしてくれる。お昼はずっと一緒で、最近は私が作ったお弁当を食べてくれるの。彼はいつも、購買部のパンしか食べていないから、私のお弁当はもしかしたら口に合わないのではと不安に思っていたけれど。そんなことは無かったの。だって、私の王子様が美味しくないだなんて言うはずがないんだもの。優しくて、かっこよくて、可愛らしい私の王子様は、私の作ったお弁当を食べるの。

幸せよ。こんな時間がずっと続けばいいのに。




——ある日、彼女に呼び出された。放課後、告白した場所で待っているって。最近、彼女と過ごす時間が減ってしまったからだろうか。でも、毎日同じ帰り道を歩いて、たまに寄り道をしてたはずだ。もしかしたら何か大事な話でもあるのかな。とにかく仕事を終わらせて、早く行かないと。

僕は放送室で、彼女に呼び出されたから早めに帰りたいと彼女に伝えた。すると彼女は、早く行ってあげてと言ってくれた。彼女はいつも相談に乗ってくれて、親身になってくれる。こんなに良い友達を持てたのだから、放送委員になって心底良かったと思った。いけない、早く行かないと。




——ある日、彼があの女に呼び出された。ええ、分かっているの。やっと終わって、やっと始まるのね。大変だったの。あなたがいるせいで、私の王子様は鎖で縛られてしまっている。本当はもっと、自由になってもいいはずなのに、あなたのせいで。でも、それも終わりなのね。これまで大変だった、あなたをどれだけ追い込めるか。けれど王子様には応援している姿を見せないと嫌われてしまう。とても大変だったの。

でもこれで終わり。さようなら、浅ましい卑劣なあなた。




——彼女と別れた。失ってしまった。僕の、大事な人を。あの日、屋上の真ん中で彼女は待っていた。その姿は何かを悟ったように、静観と立っていて、とても綺麗だった。彼女は僕に気が付くと、微かに笑ってから世間話を始めた。今日は授業で褒められた。体育の成績が良かった。新しい友人が出来た。そして、告白をされた。ただの世間話だと安堵しながら聞いていた僕は、背筋に悪寒を走らせながら彼女を見つめた。そして、告白をどうするのか聞いた。クラスメイトらしい。とても優しい男の子で、彼女が趣味の話をしても笑いながら聞いてくれる、優しい男の子。彼女の頬は薄く紅に染められて、かつて自分が向けられていた表情を、彼女は彼にしたのだと悟った。そこからは、何も話が耳に入ってこなかった。いや、何も聞きたくなかったのだろう。彼女は最後に、さようならと一言だけ置いて、屋上を去っていった。しばらくして、彼女が正門で彼と笑いながら出ていくのが見えた。彼女は悲しんでなどいなかった。少しだけでも、悲しんでいてくれると思っていたけれど、それは僕の勝手な思い込みと願望だ。叶うはずも無かった。




——やっと、消えてくれた。やっと、王子様を手放してくれた。ふふっ、今日はなんていい日なのだろう。あの女は、綺麗に堕ちていったわ。私のために、私の王子様のために。あの女にとっての王子様を用意するのは、とても簡単だった。同じクラスの平凡でつまらない男を呼び出して、彼女の魅力と悩みを伝える。そして彼女はあなたに気があると伝えれば、そこからはとんとん拍子に上手くいった。彼女も彼女で寂しかったのでしょう。腹をすかせた野生動物が、餌をあげればすぐに懐く様に。欲を持て余した獣が、あてがわれた肉を貪るように。とても、簡単だったわ。

だけど、私の王子様に一時的にでも悲しい思いをさせてしまったのは、反省すべき点だ。彼は今、とても落ち込んでしまっている。きっと、泣いてしまうかもしれない。王子様の涙なんて見たくないわ。大丈夫、私が支えるもの。




——学校に行かなくなって、もう1週間が経った。どうして、こうなってしまったんだろう。どうしてあの時、こうしなかったのだろう。どうして。どうして。後悔ばかりが頭を駆け回って、夜も眠れない。こんな情けない男なら、彼女が愛想を尽かすのも当然だろう。どんなにあの時に戻りたいと願っても、戻ることは出来ないのだ。こんなにも辛い思いをするくらいなら、告白なんて受けなければよかった。彼女と付き合わなければよかった。彼女に片思いをしていた時が、一番幸せだった。

母は仕事に行く前に、必ず同じことを言う。何かあったのなら、母さんに話してほしいと。母の辛そうな笑顔を見ると、ますます自分の事を許せなくなる。こんなくだらない理由なんか、話せるわけがない。こんな情けない姿は、見せたくなかった。そろそろ、母が帰ってくる時間だ。きっと、今日もまた悲しい笑みを向けられる。心配と同情を含んだ悲しい笑顔を。もう、生きていたいと思わない。




——彼が学校に来なくなって、もう1週間が経った。私の王子様を手放してくれた彼女は、私が用意した新しい男と楽しそうに過ごしている。たまに彼の席を見つめているようにも見えたけれど、同情でもしているのかしら。腐りきった女だわ。でもいいの、私の王子様はまだ汚されてはいないから。あなたの匂いは全て、私が消してあげるから。これからは、その案山子にでも尻尾でも振っていなさい。そしてもう二度と、私の王子様に近づかないで。

もういいよね、私も頑張ったのだから。




——外は、とても激しい雨が降っていた。涙一つ出なくなってしまった僕を責め立てている気がして、聞いたことのない洋楽をイヤホンで流す。雨音さえも聞こえなくて、ただ洋楽に合わせて体を揺らしているだけで、少しでも気が楽になっているように感じていた。このまま、溶けて消えられればいいのに。もう二度と、恋なんてしたくない。頭の中に響き渡る歌声は、彼女たちの声を消し去ってくれた。目を閉じると繰り返すように責め立てる彼女たちの声は、僕を許してはくれないのだから。だから今は、この時間だけは。

逃げたい。




——外は、とても激しい雨が降っていた。きっと、今も私の王子様は、部屋で悲しんでいるのだろう。汚されて、傷付いて、もう二度と恋なんて出来ないと思っているのでしょう。そうね、もう駄目よ。あなたが傷つくような女達に、私の王子様は渡さない。私がずっと、あなたのそばに居るから。もう緊張なんてしていないわ。手も震えない。チャイムを鳴らせば、あなたが出てくれると分かっているもの。

おいで。




——流していた曲も止まり、雨音が部屋に響き渡る。少ししてからまた、再生ボタンをタップしようとした時、部屋の扉が二回ノックされた。母親が帰ってきたのだろうか。音楽を流していたからか、玄関の扉が開く音はしなかった。僕は一言だけ、話したくないと答えた。コンコン。ごめん、今は話したくない。コンコン。だから話したくないって。コンコンコン。お願いだから、今は放っておいて。コンコン。

僕は怒号を上げた。うるさいんだよ、今は放っておいてくれ。すると、ノックの音は止まった。ピタリと止まったノックの音。部屋は静まり返ったせいか悪寒が伝わる。どうして、母は何も言わないのだろう。どうして、ノックだけをするのだろう。どうして、こんなに静かなのだろう。もしかして。そんな不安が胸の中に積もり積もって、僕は扉を開いた。






——こんにちは、入ってもいいかしら。

——どうして、君が?

——あら、いけないの?

——今は誰にも会いたくない。

——知っているわ。全部、全部。だから、慰めに来たの。

——か、帰って。

——いいえ、帰らない。

——どうして?

——これからは、ずっと一緒だもの。

——意味が分からないよ。

——いいえ、もう分かっているはずよ。

——何も分からない。

——いいえ、全て知っているはずよ。

——知らない、聞きたくない。

——あなたとわたしは、ずっと一緒。

——やめろ。

——彼と彼女は、ずっと一緒。

——やめてくれ。

——あなたと彼女、わたしと彼。

——もう、許してくれ。






——ずっと、一緒だよ。






——うん、一緒だよ。



 



——彼は、恋をした。

とても綺麗な女の子。手に収めて、二度と外に出したくないほど愛おしい女の子。

頭が良くて、運動も出来て、なんでもそつなくこなす女の子。

笑顔が眩しくて、感情表現が豊かで、でもたまに天然な女の子。

彼は欲しかった。

毛髪、眼球、耳、舌、骨、皮膚、脳、子宮。女の子の全てが欲しかった。

だから、彼女を手に入れることにした。

初めて出会った日も、視線で追い続けた日も、嫉妬させるための肉を作った日も。

彼女と共にいられる場所に入り、勘違いをさせ、心を揺さぶった。

そしたら、簡単に手に入ったんだ。ほら、目の前に——






 「ずっと一緒だよ、僕のお姫様」 「ずっと一緒だよ、私の王子様」


こんにちは、藤花しだれです。

最後まで閲覧していただき、ありがとうございました。


『彼』と『彼女』の『恋愛日記帳』


この物語はノンフィクションです。

私の親友である二人の出会い話を、小説として記させていただきました。(許可は取っています)

話を聞いた時はあまりにも狂っていて、気持ち悪くなったと同時におお~と感心してしまいました。

ある意味、これが真実の愛なのかと思いましたね。どんなことをしても好きな人を手に入れるなんて。


経験不足ですので、誤字脱字その他おかしな表現などあったと思います。

これからも、よろしくお願いします。


ちなみにですが『彼』と『彼女』は、結婚して子供も産まれました。

羨ましいですね。本当に羨ましい限りです。

それでは、また今度。

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