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花束  作者: 土河 雲実
4/5

#3 トモ先輩/ミモザ/黄色


「あれ?小宮さんだよね?何してんの?会社は?」



猫だ。


見た瞬間にわかったと思った。この人はきっと染みわたるように私の心に侵食するタイプの人間だと。

綺麗な目も鼻も口も無駄にして溶けるように笑うその顔に。惜しみなく笑うその顔に。



ミモザの咲く時期だった。カレンダーはもう春だったけれど、まだうっすらと寒い空は意気地のない私の心をそのまま映しているみたいだった。




トモ先輩は5年前に2年だけ一緒に働いたことのある先輩だった。当時から私はこの人が苦手だった。


素直で自由で、染みわたるように人の心に侵食して。煩わしくて、羨ましくて、ほんの少しだけ憧れだった。



できるだけ幸せな仕事がしたい。

そう言ってウエディングの会社を立ち上げて、大手を振って屈託なく、明るく退職していった先輩の後を追うように、私もふつふつと諦められなかった夢、花屋になる夢を叶えた。


それほど仲がいいわけじゃないのに、結局人生に影響を与えてしまう人。進む方向をぎゅいんと変えてしまう引力を持つ人。


磁石みたいな人だった。絶対本人には言いたくないのだけれど。




5年ぶりに会ったと思えないような自然さで、先輩は予想通りここに居座った。


嬉しくはない。そう思うことにした。毎週水曜の午後の4時。決まって笑顔で来る。いつだって必ずご機嫌よく来る。犬だ。

猫だと思ったのに、自由で勝手な猫だと思ったのに、トモ先輩は犬だった。思っていたよりもずっと厄介だ。




「ナチュラルだけどボリュームも出るからいいね」


黄色のミモザを手に取った先輩は、白いチューリップと色を合わせて真剣な顔をした。


「リースブーケにしてもかわいいし、ケーキとかに飾っちゃうのも最近よく見ますよ」

「ケーキ?」

「なんかアイシングしたりとか…黄色被りで檸檬とか、逆にブルーベリー飾ったりとか」

「小宮さんもそういう結婚式したい?それとも薔薇とかたくさん使って派手にしたい?」

「…私は結婚あんまり興味ないし…」

「そう言わないで。イメージイメージ。」 



トモ先輩は溶けるように笑って、私の腕を取った。うやうやしくヴェールを外す仕草をして、私をまっすぐに見た。


「病める時も健やかなる時も?」



くすっと笑った先輩は抵抗する時間も隙もなく私も抱きしめた。

今まで考えたこともなかったけれど、ミモザは甘い香りがした。

ほんとうにほんのりと優しく甘く、春が染みわたるみたいにそっと、ミモザが香った。



「小宮さんと結婚したいな」

「先輩はどんな式にしたいんですか?」

「式はなくてもいいかなあ」




初めて先輩が寂しそうな顔をしたのを見た。


「小宮さんがいる毎日を想像したら、式なんてすごくちっぽけなものに思えちゃった。」




たった一日を幸せなように切り抜いて、非日常の服装と非日常の空間の中で演じるのが結婚式だ。


私たちは幸せですよ。そう宣言してみんなにわかってもらうための一日だ。

お世話になった人への感謝だとか、そんなのは建前で、きっとこれから砂時計みたいにピークをすぎて減っていってしまう幸せを、空しいものと思わないために、一番砂が多かった時を鮮明な記憶にするために、結婚式はあるんだろう。




先輩はそう言った。至極冷静にそう言った。冷静にそう言ってまた、溶けるように笑った。




空が低くて、水色が街にも垂れてきてしまいそうな初夏に、先輩は初めて水曜の午後の4時じゃない時間に私を呼び出した。


店の前に小さい丸い、空の水色を垂らすままにしたみたいな明るい色の車が停まっていた。

先輩そのものみたい。明るくて素直で屈託なくて。犬みたいな先輩のように、くすみのかけらもない綺麗な水色の車。




「遊園地行こう」


32歳にもなった大人の男が誘う場所じゃないのは重々承知なんだけれど、笑ってしまうぐらい、トモ先輩の柄に合っていた。


真っ白なポップコーンと真っ青なメロンソーダを意気揚々と持って、先輩は元気にテーブルに戻ってきた。じんわりと汗が染みる。オレンジのアイスキャンディーはいつまでも溶けないで舌の先に残っていた。




「私、やっぱり先輩とは結婚できないや」



観覧車はゆっくりゆっくりと登っていった。私はわざわざその登っていく最初の途中で、先輩を振った。




「今は好きじゃなくても、きっと好きになるよ」

「ううん、もう好きなんですよ、」



少しだけ混乱して苛ついた顔をした。

初めてプロポーズをしてくれた時の、寂しそうな笑顔ぶりに先輩の“他の表情”を見れた気がして猛烈に後ろ髪をひかれた。





本当は好きだった。きっと初めて先輩に会った時から。先輩のことが好きだったんだ。





「先輩は磁石だから、好きだけど結婚は違うんです」



自分でもよくわからない断り文句を言ったのは、観覧車が一番高い夕焼けの近くに来た時だった。


聞き分けの良い犬みたいに、先輩は小さくうなずいてキスをした。お別れのキスなんだってこと、説明されなくたって痛いほどわかってた。




そうしてそのままトモ先輩はぷっつりと花屋には来なくなった。風のうわさにウエディングはやめて、新しい会社を作ったと聞いた。




開店2周年の記念日にオレンジとミモザのケーキを送ってきた人がいて、名前は書いていなかったけれど、いやというほど透き通った、くすみのかけらもない水色のカードにおめでとうとだけ書いてあった。


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