優しい音の行方
雨の音が遠くでする。
雨季の中でも、今日は特に天気が悪いようで、遠くで雷の音も聞こえる。
(熱い…)
サタンの意識は虚なままだ。
ルシファーは、サタンが倒れた後サタンを抱き抱えたままゲストルームに運んだ。
エルが手早くベッドを整えてくれていた。
「フェレス様…すみません。私が付いていながら…本当は今日お帰しするべきなのでしょうが…サタンが高熱で…はい…すぐに医者も手配したので」
「すごく憔悴してるようだが?」
サタンの父はフェレスという。
フェレスは、年齢の割には若く見えルシファーに劣らず美しい。
サタンと同じ漆黒の髪で、瞳は同じように赤い。
その瞳は冷たくルシファーを見る。
ちょうど王宮の魔王との会食に訪れていた。
娘の顔を見て、魔力が弱くなっている事に気がつく。
サタンからは、今にも途切れてしまいそうなぐらいの力しか感じられない。
ルシファーは黙り込む。
沈黙を破るかのように、フェレスが口を開く。
「今日の夜会に、見た事も無い若者が混ざっていたと聞いたが、本当か?その若者とサタンが楽しそうに踊っていたと。
無理矢理相手をさせられたようだが…王には、必ず側室がいる…だから、君がアンジュとかいう娘を寵愛するのは構わない。ただ、サタンの事もしっかりと見ていてほしい。こんな風に魔力にあてられて、倒れるようでは…一体君はなんの為にサタンと踊っていたんだい?気がつかなかったのか?サタンの変化に」
フェレスは大きく溜息をつく。
「ま…これは、父親としての私の気持ちだ。いずれ、この子が正妃となれば、必ず後宮の壁にぶつかる事になるはずだ…王に嫁ぐとはそういうことだ…自分以外が正妃に選ばれるかもしれないと、サタンはわかってはいると思うのだが、すまない…君の為の夜会で娘が他の者と踊るなどと…軽率な行動を取ってしまったようだ…」
「いえ…」
深々と頭を下げる、フェレスにルシファーは慌てる。
冷酷無比と言われているルシファーも自分の事を幼少期から知っているフェレスの前では、いつも通りにはいかない。
「今夜は君に娘をお願いして帰る事にするよ。明日ノエルを城へ来るように手配しておこう」
「いえ。サタンは回復したら責任を持って私が屋敷へ送り届けますので。回復するまでしばらく、サタンがこちらで暮らす事を了承くださいませんか?」
フェレスからの申し出を断り、丁寧に返事を返す。
「あの娘を近づけないという条件でなら許そう。あの娘は、普段から王宮に出入りしているそうじゃないか。君の執務室にも…いずれ、君からサタンには話すのだろうから、私は王から聞かなかった事にする…これは2人の問題だからね。ただ、私は娘には幸せになってほしい…それだけだ」
フェレスはそう言うと、眠っている顔を覗き込み、魔力を込めて手をサタンの額へかざした。
「私の魔力を少しだけわけていく。サタンに何かあれば、私の使い魔が君を殺すかもしれないよ。くれぐれも、あの娘を近づけないでくれ」
フェレスはにっこりと微笑み、部屋を出て行く。
「ずいぶん、信用されていないんだな…俺は…」
ようやくフェレスに解放され、安堵するのも束の間、外が騒がしい。
ルシファーは、この部屋に誰も近づけるなとエルに伝えて、万が一の為にこの部屋全体を魔力で隠していた。
「ルシファーはどこなの?!」
アンジュの声が響いてくる。
「ん…」
サタンの顔が苦しそうに歪む。
ルシファーはそっとサタンの頬に触れた。
「熱いな…」
「ルシファー!!」
尚も外からはアンジュの声がしてくる。
その度にサタンは苦しそうな表情になる。
「アンジュ様、こちらにはルシファー様はおりません」
エルがアンジュを制止する声がする。
先程よりも雨が小降りになった為、やり取りを全て聞く事ができる。
「ルシファー様は、魔王様とフェレス様と会議中ですので、お願いですからお引き取りください!」
いつもは冷静なエルもアンジュの対応に戸惑う。
魔王の存在を示すという行動に出たのは、これ以上無駄に時間を割きたくなかったからだ。
ルシファーの想い人相手に辛辣な態度を取る訳にも行かず、魔力の弱っているサタンの存在をアンジュに悟られても困る事になる。
エルは必死だった。
「わかったわよ…」
『魔王』と聞いて、即座に静かになる。
アンジュは、ルシファーの正妃になる為には魔王の機嫌がを損ねる訳にいかないと判断したのだった。
うるっと涙目になり、エルの腕を掴み上目使いになる。
エルはルシファーの従者の中でも強靭な精神の持ち主だ。
普通の男なら、これだけでアンジュを好きになってしまう。
それぐらいにアンジュは魅力的だった。
(やっかいな…)
エルはアンジュを失礼の無い様に引き剥がす。
「アンジュ様。ルシファー様は時期魔王となられる方です。今日は夜会で魔界全土から長達が集まっております。ですから、今夜は執務で忙しいのです。今日はお帰りくださいませ。アンジュ様の事できっと今頃は持ちきりですよ」
アンジュに向かって、にっこり微笑む。
「じゃ、今日は帰るわ。執務ばかりで、今日は夜会の時ぐらいしか会えなかったのに…」
ぶつぶつ言いながら去っていく。
「はぁ…」
アンジュが去って行く背中を見て思わず溜息がこぼれた。
「ルシファー様は、あんな女のどこがいいのか…」
微かに咳払いが聞こえる。
「ルシファー様…聞こえてましたか」
「私の想い人に失礼の無い様に接してくれて感謝する」
声のする方に行き、エルは消えた。
正確には、魔力で部屋が無いように見えるだけなので、エルは扉を開けてサタンとルシファーのいる部屋へとやってきたのだ。
「サタン様を本当にここでお預かりするのですか?」
「あぁ…」
仕方ないですねと言うように微笑む。
「ここにサタンがいる事を誰にも知られてはいけない。フェレス様と約束した」
「ドレスのままでは苦しそうですが…」
熱でうなされているサタンを見てエルは心配になる。
「私が着替えさせるよ。この熱では、いつ目を覚ますかもわからないし、私は、しばらく様子を見てから部屋へ戻るよ」
そうルシファーが言うと、エルは瞬時に部屋から消えた。
先程フェレスがノエルをよこすと言った申し出を断ったばかりだ。
誰にも知られてはならないから、王宮の女官を使うわけにもいかない。
ドレスさえ脱がせられれば大丈夫だろうと簡単に考えてしまった事にルシファーは後悔する事となる。
「さすがに…許婚とはいえ…」
熱でうなされている苦しそうなサタンを見ると申し訳ない気持ちになる。
ドレスを脱がせて、白いワンピースに素早く着替えさせる。
その瞬間、目と目が合う。
熱でうなされているサタンの目は虚だ。
「セイント…来てくれたの…」
そう言ってルシファーに抱きつくとそのまま倒れ込む。
「セイントか…」
ルシファーは、サタンに掛け布団をそっとかける。
そして、電気を消すと部屋を出た。
サタンは途中目を覚まし、優しい金色の目を暗闇に見つける。
「おいで。ルキ…」
熱で頭も視界もはっきりしないが、ルキだとわかる。
布団にルキを入れて、抱き枕の様にルキに抱きつくとそのまま、また深い眠りついた。
優しい音がする。
優しい、優しい雨の音。