雨音の夜会
「ルキが来ているぞ」
サタンは父に呼ばれる。
そろそろだろうと思い、ノエルをはじめ侍女達は時間に間に合うように準備をしてくれていた。
ルシファーから贈られた漆黒のドレスを着ると、背筋が自然と伸びる。
後ろのダークブルーのリボンはアクセントになっていて、可愛らしい。
もちろん首には、貰ったアメジストのネックレスを着けた。
本当にルシファーの瞳のようだわとサタンは思う。
「いくら時期魔王だとはいえ、許婚を直接迎えに来ずに使い魔に任せるとは…」
サタンの父は朝からこの調子だ。
それを母が必死になだめている。
さすがに許婚とはいえ、王族に意見をするなどあってはならない。
魔王とサタンの父親は親友である為、他の魔族に比べ、何でもざっくばらんに話すほうではあるが、それが息子と娘の事になると話は別だ。
お互い、親が出ていくことではないと理解している。
サタンの両親も今、サタンが置かれている立場を知らない訳ではない。
頼んでもいないのに、娘の近況やら、嫌味を言ってくる上級魔族は沢山いる。
サタンが正妃になったとしても、次に魔力の強い娘がルシファーの側室相手に選ばれる。
側室が有利になれば、上級魔族達にとってはまたとない好機になる。
今のところ許婚としての位置づけにあるサタンに、表面上、媚び諂ったとしても、皆、腹の探り合いなのだ。
迎えにも来ない許嫁に、両親は、いつでもサタンの力になろうと思っているが、当の本人が、自分達の前では愚痴の一つもこぼさないのだから、どうすることもできない。
ルキが来ることをサタンが了承している以上、朝からそわそわし、ルシファーに腹を立てるぐらいの事しかできないのだ。
「お父様、すみません」
ルシファーの贈り物に身を包んだ娘は、美しさが更に際立つ。
エスコートは使い魔かと…娘の姿を見て怒りが更に増してしまう。
そんな父を安心させるようにサタンは微笑む。
「大丈夫ですから。雨音の夜会は魔界全土から大勢の方がいらっしゃるし、ルシファー様もお忙しいのです。
ルキを護衛に付けてくれるんですから」
丁寧に説明するサタンの表情を見て父は安堵するが、
サタンの背後では、ノエルが険しい顔で立っている。
もちろん、父はノエルの気持ちも理解している。
自分達よりもサタンに近い存在であるノエルが眉間に皺を寄せたまま仁王立ちに近い状態で立っているのだから、心配でたまらない父はとうとう我慢していた言葉を口にする。
「私が城までエスコートしようか?」
「ルキもいます。それに、ルシファー様が用意してくださった馬車がありますから大丈夫です」
再びサタンが微笑む。
「そうか。楽しんでくるんだぞ。私も後で魔王と会食があるから城には行くが、困ったことがあれば、私の所へ案内してもらいなさい」
「はい。では、行ってきます」
扉を開けると、外にはルキが待機していた。
階段を降りると、門の外にはルシファーが手配してくれた馬車が見える。
「ルキ。久しぶり」
黒豹のルキからの返事はもちろん無い。
ルキは、サタンが馬車に乗り込むのを見届け辺りを見渡した。
安全だと認識したのか、ようやくサタンの隣に乗り込む。
「ルキの毛並みって本当につるつるで気持ちいいわね」
うっとりと、背中を撫でる。
馬車の中には、サタンとルキだけ。
元々、可愛いものや、もふもふが大好きなサタンはルキが大好きだ。
ルキの首に手を回し、チュッと鼻にキスをする。
小さい頃ならこんな風に何も考えずに、ルシファーにべったりくっついていた事を思い出す。
常にサタンはルシファーと一緒にいた。
手を繋いで王宮を散歩した。
少しだけ距離ができたのは、ハッキリと許婚だと意識してから。
『側室』という言葉を聞いた時。
自分以外をルシファーが妻にすることや、自分が強くなければ、許婚でいられなくなる事を知った時だ。
元々、光属性の魔力が備わっていたサタン以上の魔力を持つ娘は現れる事がなく、側室候補は数名いたが、許婚の地位は変わる事がなかった。
それでも、努力していなければルシファーの側にいる事も出来なくなると知って、サタンは努力を重ねてきた。
王族は一夫多妻制だから、例えサタンがそれを拒んだとしても、諦めるしかない。
より強い血を残す為には仕方のない事だとずっと自分自身に言い聞かせてきた。
『私以外の人を見ないで』
そう言えたら…どんなに楽だろうと思う。
自分にはルシファーただ一人だとしても、ルシファーは違う。
アンジュが転入してきてから、自分の無知を思い知らされる事ばかりだ。
これが日常でも不思議ではなかったのだ。
自分以外の女性の話を聞いたこともなく、もしかしたら、『側室』はルシファーが魔王になれば廃止になるかもと、密かに希望を持っていた。
「ねぇ。ルキ…私…魔王の妻なんてきっと無理…」
今日は誰の所へ行っているのだろうと考えながら、ルシファーが訪ねて来るのを待つなんて自分にはできそうにないと思う。
ルキの背中を撫でながら、外へ視線を向けると、相変わらず雨が降っている。
雨季だから仕方のない事なのだけれど、より一層サタンの心は暗くなる。
ルシファーにエスコートされていない自分はまた噂になるのだろう。
もう慣れたと言えば嘘になる。
人にどう思われても構わないが、あからさまにざわつかれると、さすがのサタンも堪える。
「ルキがいてくれて良かった」
城に着くと、入口で従者のエルが迎えてくれる。
「サタン様、今日はルシファー様がお忙しく、お迎えに上がれず申し訳ありませんでした」
エルが頭を下げる。
「気にしないで。大きな夜会ですもの。ゲストをもてなす側は大変ですから」
後ろを振り返るとルキはもういない。
自分が到着した事をルシファーに伝えに行ったのだろうと空になった馬車の中を見つめる。
「さぁ、サタン様こちらです」
エルに案内され、扉をくぐる。
ホールに入ると視線が集まるのがわかる。
サタンの隣にルシファーがいないかを確認しているのだ。
サタンは気にしないつもりだったが、アンジュの姿を探してしまう。
ルシファーもアンジュもいない。
ルシファーの魔力の匂いがしたと思った瞬間、周りがざわつきはじめる。
「サタン」
顔を上げるとルシファーがいる。
相変わらず、冷たい瞳は何を考えているのか、うかがい知る事が出来ない。
「ルシ…」
そう言いかけた瞬間
「ルシファー様」
ピンク色の髪の毛の女性が甘ったるい声でルシファーの名前を呼び、腕を掴む。
アンジュだ。
淡いアメジスト色のドレスに身を包んだ彼女はとても可愛らしく、華やかだ。
「きゃっ」
アンジュが持っていたグラスから水がこぼれる。
アンジュのドレスが濡れていく。
「大丈夫ですか?」
サタンはそっとハンカチを差し出す。
「あなたが魔法で水をかけたのでしょ?」
「そんな事…」
サタンは違うと叫んでしまいたかったが、ここで騒ぎを大きくしてはいけないと、口を閉じる。
「ダンスをさせないようにドレスに水をかけるなんてね。そんな事してもルシファー様は戻らないわよ」
アンジュが騒げば騒ぐほど、事はどんどん大きくなっていく。
ルシファーのため息が聞こえる。
ルシファーもきっとサタンが魔力を使ったというアンジュの言葉を信じているのだろう。
冷たい瞳は更に冷たさを帯びていく。
「着替えに戻ろう」
そう言って、ルシファーはアンジュを胸に抱き抱えた。
「皆様、お騒がせして申し訳ありません。しばらく退場させていただきますので、ダンスをお楽しみください」
残されたサタンに目もくれずに、ルシファーはアンジュを胸に抱き抱えたまま退場していく。
何なのだこの茶番はと、呆れてサタンは言葉も出ない。
来るんじゃなかったとそんな思いだけが頭をめぐる。
とにかく、端のほうへと窓際へと移動しようと移動場所を探す。
よりにもよって、ルシファーの贈り物のドレスは、ルシファーに愛されてることを証明するかのように、存在感がある。
文句の一つも言ってやりたい相手は退場してしまったし…端で目立たないようにしようと静かにバルコニーに出る。
怒りを沈める為、サタンは雨の音に耳を傾け、目を閉じるのだった。