そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)2.7 < chapter.6 >
ラジェシュはファントムブラッドを下がらせ、ホワイトマジシャンに向けて手を突き出した。
待て、というジェスチャーに、ナイルもいったん攻撃を止める。
「なに? 降参する気じゃあないよね?」
「当然です。そちらが『本気』でやるつもりなら、私も『ファントムブラッド』として戦うことをやめようと思うのですが……覚悟はよろしいですか?」
「ハハッ! いいねいいね! やろうよ、ガチな大人の喧嘩をさあ! ほら、いつでも来ていいよ? 『ナイル・ブルー』の深淵に沈めてやるよ!!」
「いいえ! 溺れ藻掻くのは貴方です! 深紅の血の海に沈んでいただきましょう! モードチェンジ! シークレットプログラム、『ブラッドヴァンパイア』開放!!」
ラジェシュの声に反応するように、ミニゴーレムは姿を変えた。仮面の貴公子風に作られた装甲は消え失せ、一瞬で黒マントのヴァンパイア風デザインに組み変わる。
そして動作も、これまでよりずっと軽く、洗練された足運びとなり――。
「えっ!? ちょ……はあっ!? 見た目まで変わるってマジで!? それ、デュアルブート仕込んであったの!?」
「ええ! この姿で戦う機会に巡り合えて、大変嬉しく思いますよ! 食らいつけ! ブラッドヴァンパイア!!」
「チッ! なんだよこの速さ! 防御度外視か!?」
闘いの流れが変わった。
これまででも十分すぎるほどの速度とパワーで戦っていた両者が、さらに手数を増やし、ゴーレムプロレス特有の『ミニゴーレムにしかできない挙動』を織り込み始めたのだ。
生身の人間には再現不能な関節可動域、大型ゴーレムには不可能な超速移動、自動プログラムと手動操作を併用したコンマ一秒の無駄も無い連続モーション。
あまりにハイレベルな戦いに、観衆は言葉を発することができない。
当たり前のように雑談できたのはロドニーとマルコくらいである。
「あの、ロドニーさん? ラジェシュさんは、先ほどまでは目視による手動操作でしたよね?」
「ああ。目視じゃナイルのスピードについていけなくなったから、ミニゴーレム側の自動制御メインに切り替えて……つーかよぉ、ウィザードのくせにここまで目視で対応してたって、鬼だよな」
「ええ、護衛部隊の実力がこれほどとは……。ですが、自動制御メインにされてしまった以上、今はナイルさんが不利ですよね?」
「かもな。『ホワイトマジシャン』はアホみたいに逃げ回ることだけ重視したカスタムだし、耐久性があるのかどうか……」
「それ以前に、モーショントレースですからね。ナイルさんの体力がどこまでもつか……」
と、マルコが言いかけたときである。
息を呑む観衆の頭上を、聞きなれた声が飛び越えていく。
「ヘイヘイヨウヨウ! おいコラ腰抜け野郎ーっ! 出し惜しみしてんじゃねえぞバーカ!」
「さっさと本気出そうよー! 中二病かーいっ!?」
「このくらい楽勝だべーっ!? 騎士団魂見せやがれえええぇぇぇーっ!!」
振り向いた二人の目に映ったのは、大ジョッキで黒ビールを煽るラピスラズリ、コバルト、スカイの姿である。いや、この三人だけではない。ラピスラズリに電話で呼び出され、ナイルと同期入団の事務職員、警備部員、治安維持部隊員らも応援に駆け付けていた。
ナイルの正体が『伝説のプレイヤー』であっても、それは過去の話である。彼らにとっては騎士団の花形・特務部隊に昇進し、その先の情報部にまで至った『ナイル・ブルー』こそが同期の誇りなのだ。
過去の栄光なんか知ったこっちゃねえ!
ここにあるのは現在進行形のヴィクトリー・ロードだ!
なあ、そうだろう!? 見せてくれよナイル! テメエが荒れ狂うところをよォ!!
今にもそんなセリフが聞こえてきそうなほど、誰もが確信に満ちた表情をしている。
そして彼らは拳を突き上げた。
ラピスラズリの野太い雄叫びを合図に歌いだす、騎士団の団歌。
今のナイルにふさわしい応援歌は、やられたふりを揶揄するあの歌ではなかった。
「騎士団……なるほど、だからホワイトマジシャンは引退したのか……」
「騎士団員養成科って全寮制だもんな?」
「あそこ、休みの日も門限スゲエ早いらしいぜ? 夕方五時までに寮に戻れとか……」
「小学生かよ!?」
「だとすると、引退したくてしたんじゃなくて、出て来られなくなったのか……?」
「かもな……」
ざわめく観衆の声など、ナイルの耳には届かない。今のナイルに聞こえているのは、自分への応援歌だけである。
「へっ……よせっての。ホント暑苦しいんだよな! ラピの野郎は……っ!」
ニヤリと笑い、ナイルは両手を広げて動きを止める。
ピタリと止まるホワイトマジシャン。
真正面から食らうブラッドヴァンパイアの連続コンボ技。
ホワイトマジシャンはノーガードですべての攻撃を受け続けているが――。
「……え? いや、ちょっと待て? なんで……」
「効いてない……?」
「いや、おい、おかしいだろ!? あれだけ殴られてるのに、反動が……っ!?」
ピクリとも動かないホワイトマジシャン。
それは異様な光景だった。
ほぼ同じ重量の物体同士が衝突しているのだから、どれだけ防御力の高い機体でも、攻撃を受ければ衝撃で体が動く。
しかし、今のホワイトマジシャンは一ミリたりとも動いていない。
「なん……だ? 当たっている……よ、な……?」
このモーションに何の意味があるのか、ラジェシュにも理解できていなかった。ラジェシュはブラッドヴァンパイアに攻撃を続けさせる。
だが、それはこの状況における最悪手であった。
「……っ!? こ、これは……!?」
「あは♡ 気付いちゃった? 自動制御プログラムを二種類入れてるのは君だけじゃないんだよ、ハニー?」
バトル開始からしばらくの間、ホワイトマジシャンは『やられた動作』を正確に再現し、当たってもいない攻撃を当たったように見せていた。
だが、今は真逆だ。実際に当たっているにもかかわらず、全くその場を動いていない。
なぜそんなことができるかといえば、答えは簡単だ。
ヒットの瞬間、攻撃を相殺しているからだ。
タイミングを合わせてミニゴーレムを高速振動させ、相手からの攻撃を相殺。その際、すぐには気付かれない程度にヒットの衝撃を相手に返している。
ホワイトマジシャンが静止状態になってから二分弱。打ち込めば打ち込むほど攻撃した側にダメージが蓄積する『見えない返し技』に気付き、ラジェシュは急いでブラッドヴァンパイアを下がらせる。
しかし、もう遅い。
「はぁ~い、休憩終了ぉ~♪ じっとしてたらぁ、ちょお~っと復活しちゃったみたいなんだよねぇ~? ねえねえハニー? もう一回イチャイチャしちゃわなぁ~い? ね? ダメェ~?」
「こっ……のおおおぉぉぉーっ! クソ野郎があああああぁぁぁぁぁーっ!!」
ここから先は試合ではなかった。
ただただ一方的に振るわれる暴力。
静まることを知らぬ暴れ川の如く、荒れ狂い、すべてを濁流の中へと呑み込む。
ファントムブラッドに声援を送る者たちですら、この流れの強さと速さに巻き込まれ、徐々に大河のひとしずくへと変えられていく。
目には見えない巨大な奔流。
今まさに大洪水を起こそうとしているその流れの先頭に、この男の姿があった。
ナイルはどこまでも天才だった。いや、これはもう、天災と呼ぶべきレベルの猛威であろうか。
審判の手元の端末にはそれぞれの機体から送信されるダメージ情報が表示されている。それは実況席に用意されたモニターでも確認できるのだが、そこには未知の数字が表示されていた。
「おい……おいおいおいおい、オォ~イッ! なんだこりゃあ! マジで信じられねえぜ!? 俺は何を見せられているんだ!? ホワイトマジシャン、現在の連続コンボ数120!? 130……140……150……まだまだ続きやがんのかよオオオォォォ~イッ!! ウッソだろ!? 生身のモーショントレースでコンボ技なんか出ねえだろ普通!! この会場! いや、この試合を見ている全プレイヤーズ! 断言するぜ! 俺たちは今! とんでもねえニュー・レジェンドの誕生に立ち会っている!! 元祖『無敗王』ホワイトマジシャン!! 二十年のブランクなんざなんのその! 伝説の男が今夜、ついにこのバトルリングに帰ってきやがった!! 俺はバトル開始前の発言を撤回する! こいつはガキの喧嘩で稼いだ勝ち星じゃねえ!! 断じてそんなものじゃあねえんだ!! ガチの実力で積み上げてきた24,999勝!! 絶対的な数字で間違いねえ!! さあ! さあさあ、さああああぁぁぁーっ! 決まるか!? 決めちまうのか!? もういっそ決めちまってくれよ! ホワイトマジシャアアアァァァーンッ!!」
実況が最も盛り上がったこの瞬間、天才ゴーレムマスターはきっちりタイミングを合わせて連続コンボを終わらせる。
コンボの最後に、ブラッドヴァンパイアのボディは天井のスポットライトまで数ミリという高さまで蹴り上げられた。
まばゆい光の中、ゆっくりと砕けていくブラッドヴァンパイアのシルエット。
蹴り上げられてからマットに叩きつけられるまでは、実際には三秒にも満たないわずかな時間である。だが、この瞬間を現場で目撃した者は例外なくこう言った。「まるでスローモーションのようだった」と。
勝利の瞬間に上がった大絶叫は、伝説の男の帰還を称える声か。はたまた、自分たちの英雄を打ち破った仇敵への怨嗟の声か。
しかし、いずれの声もナイルの耳には届いていない。
プレイヤーブースの中で、ナイルはパタリと倒れている。
酸欠である。
「わあああぁぁぁーっ!? ナイル!? ちょ、おい! しっかりしろ!!」
「意識はあるな!? 大丈夫だよな!?」
「いいから動くな! 運んでやるから!!」
「いつから無酸素運動状態だったんだい!? 無茶しすぎだよ、君ってヤツは!!」
「すんません! ちょっとそこ席空けて! こいつ座らすから! ホントすんません!!」
慌てて駆け寄った仲間たちによって抱き起こされ、ナイルはリングサイドのパイプ椅子に座らせられる。
ラジェシュのほうも、ありったけの魔力と精神力を使ってミニゴーレムを操作していたのだ。今はプレイヤーブースの中で片膝をつき、肩で息をしていた。
DJショーンは双方の様子を詳細に実況し、『新旧無敗王の壮絶すぎるバトル』を振り返る。
興奮冷めやらぬ会場の空気。
審判と協会スタッフ、なりゆきで『ホワイトマジシャン復帰戦』の立ち合い人となったプロ選手らが試合中の記録をチェックし、その結果をDJショーンが読み上げていく。
有効ヒット数、コンボ数、使用された公認技の数、まだ公認されていないオリジナル技――各項目が読み上げられていくと、その都度新たな悲鳴が上がった。
前半ですべての攻撃を避けていた分と、最後の超級コンボが大きく影響した。ホワイトマジシャンの有効ヒット数はファントムブラッドの十倍以上。最大連続コンボ222回。公認技の数ではファントムブラッドがいくらか上回っているが、ホワイトマジシャンは『非公認技』を四十以上も使用していた。これら全てが『ホワイトマジシャンが開発した新技』として認定されれば、オリジナル技の数で全プロ選手を上回ることになる。
このバトルはゴーレムプロレス協会のありとあらゆる公式記録を塗り替えた。
そしてそれ以上に、プレイヤーたちの意識を変えていた。
騎士団式実戦格闘術も格好良いじゃん――と。
気付け薬代わりに酒を飲まされているナイルは分かっていない。たった今、自分が新時代の流行を創り出してしまったことを。
「ほ~れナイル! 俺様の奢りだぞ~! 飲め飲め! とりあえず飲め!!」
「うん、ありがと……てゆーかラピ? 他のみんなどこ? さっきまでいたよね?」
「あいつらなら、いつも通りあっちこっちのメディアに情報流しまくってるぜ。終わったら戻ってくるはずだから気にすんな。ほら、グッと行っちまえよ、グッと! はいイッキ! イッキ!」
「え~? そんじゃ……ん……ぷはぁ~っ!」
「よっ! レジェンド! 良い飲みっぷり! 続けてもう一杯行ってみようか!」
「や、待ってラピ、無理! そのペースは無理! つーかこの酒なに!? なんか異様に濃い気がするんだけど!?」
「スピリタスのアブサント割り」
「いや割ってないよそれ。原液じゃん」
「うっせえな、いいから飲めって!」
「うわ、ちょ、やめ……や~め~ろ~よ~! アルコールハラスメントはんた~い! 待って! ホント待ってってば! 全力で動いた後これ無理! 強すぎ! つーかこんなの飲んじゃダメでしょ!? 王子たちの護衛はどうすんの!?」
「大丈夫、気にすんなって。さっき式部省の連中が連れて帰ったから」
「えっ!? いやいやいや! それ駄目じゃん! ロドニーだけでもうちで連れ帰らないと、騎士団の面目が……っ!」
「いいんだって。ここで譲っておかねえと、マジで式部省と全面戦争だぜ?」
「なんで?」
「うっわ、マジで分かってねえの? この天才野郎……」
「だからなんでって」
「おーい、だれかこの理解力の乏しい天才様に説明してやって~」
「はい、じゃあ僕が!」
進み出たのは応援に駆け付けた同期の一人、総務部のフリストスである。
フリストスはナイルの隣に腰を下ろし、重苦しいトーンで話し始める。
「あのな、ナイル。君は式部省の広告塔をぶっ潰して、良い子のみんなにニューヒーローを見せつけちまったんだ。見ろよ、一般プレイヤーたちのあの盛り上がりを。バトルはとっくに終わったのに、誰一人帰ろうとしていない。みんなこの後の祝勝会に参加するつもりなんだ。まだ酒も飲めない連中ばっかりなのにな!」
「あー……これ、保護者の皆さんから騎士団にクレーム電話来るパターン?」
「クレームだけならいいさ。君はそこで盛り上がっている『良い子のみんな』の、パパママ世代のレジェンドなんだぞ? 君のバトルに感化された中高生が、騎士団のウィザード雇用枠とか、特殊技能枠とか、騎士団入団を条件とした学費支援の話を知ったらどうなると思う? 保護者世代に馴染みのないファントムブラッドと、子供のころに憧れていたホワイトマジシャンだったら、保護者はどちらを信用する? 式部省の広告塔が十九年かけてコツコツ掘り進めてきた『優秀な人材の発掘ルート』を、君はたった一回のバトルで、まるごと分捕っちまったんだぞ?」
「……あ!?」
「あ、じゃないって」
「あぁー……あーあー、うん、あー……そういう……うわあぁー……あー……」
「あーしか言えないのか君は」
「……やっちまった?」
「やっちまったねぇ?」
「これ、人事部からも怒られるやつ?」
「そりゃあもう、確実に。採用枠や学費支援に関する問い合わせが殺到するだろうし、通常業務が遅れる分は、連日連夜の鬼の残業で取り戻すことになるわけだし……」
「く……ごめんよ人事部……つーかフリストス君、君って確か、総務部一般対応窓口の……?」
「係長だけど?」
「最初に電話受けるのって、もしかして君んトコ?」
問われたフリストスは、わざとらしく家族写真を取り出して嘆いてみせる。
「こぉ~んなに綺麗なワイフとカワイイ盛りのチビスケがいる僕の残業時間を増やすなんて、ヒドイじゃないかホワイトマジシャ~ン! 来月の息子の誕生日には三段重ねの巨大ケーキを買ってもらうからな!? 息子と記念撮影やゲームもしてもらうし、なんならウチに泊っていけよ!? 宇宙一可愛いウチのワンコもうんざりするほどモフモフさせてやるからな!? 覚悟しておけよ!?」
「大歓迎だなオイ! 行ってやるぜこの野郎! ご招待ありがとうございます!!」
「ま、残業地獄のことは後で考えるさ! 今は飲もう! パーティーだ、パーティー!! みんな~! 朝まで飲み明かす覚悟はできているかぁ~っ!?」
集まった同期たちは笑顔でグラスを掲げてみせる。
そして始まる祝勝会。一般プレイヤーたちも続々加わり、ゴーレムプロレスバー『シザーハンズ』は、開店以来初となる売り上げを記録した。
だが、祝い酒に酔いしれるナイルは己の失敗に気付いていなかった。
モーショントレースを使用する都合上、試合開始前にロドニーとマルコに手荷物を預けた。それは二人が店から連れ出される際、店内に残る式部省職員へと託されていた。そこからさらにラジェシュの手に渡り、いつの間にか、ラジェシュと式部省職員二名のヤケ酒代がナイルのカードで支払われていたのだ。
この店舗の処理システムの場合、最初の会計以外はサインレスでレジを通せる。券売所でサインを済ませていたため、後は本人確認無しで使い放題の状態になっていた。
一杯一万の高級ワインばかりを立て続けに二十一杯。串焼きバーベキュー九本とポテトバスケット三つ。彼らがなにかオーダーするごとに、ナイルの預金は華麗に吸い出されていく。
試合には勝ったが、嫌がらせ対決には完敗していた。
ナイルがそのことに気付くのは、利用明細が届く月末のことであった。