多縁型チャネリング
蠢いている黒い塊は
太陽の下では白くなる
丁寧に身体の色を変え
擬態しているから
自分に近しい人間であると
他人は認識してしまうのだ
カメレオン型の敵は
人間の頭が良くなる程
見えずとも現れる
寝首を掻くというよりも
細胞の中へと侵入し
内側から違う物体へと
変化させていく
当人は分からないだろう
塩の結晶を
一粒だけ飯にかけて食卓に出す
それを
一粒づつ増やしていくとして
一週間で気づく者などいない
それと同じである
気がついた時には
既に手遅れで
己の大切な部分だった物は
見るも無残な物と化す
形の無い物と成り果て
記憶の中で手繰り寄せても
慰めにもならず
意味が無い時間を
明日と呼びながら
暮らすしかなくなるのだ
日にちという枚数によって
永遠に黒にならない深緑が
うねりながら塒を巻き
明るい部分を錆付かせては
萎びていくようになる
それに耐えられぬ者は
身の回りを整理し始め
終わりを選ぶ為に
何処かへと消えるのである
野良猫のように
姿だけが無いのだ
対処しようにも
無垢な状態では無理な話である
同じだけ何処かが
ねじれ取れていて
進むに進めない状態でなければ
不可能なのだ
汚れてしまうことでは無い
汚されない為に
ペンキを塗るみたいな話である
汚れが落ち易いペンキでも良いが
ペンキを剥いで塗り替えても良い
そのような状態である
他人から見た場合
自分がある人と評するだろうが
何かに対処する為に
作らなければならない物なのだから
それを言う意味は無い
靴を履いている人に
靴を持っているんですねと
言ってしまうような物である
外見では無く
物の有り無しの話を
他人にしているのだ
密に密に
皆が自分を作り上げれば
世の中は
今よりも混沌とするだろう
それが平和である
頭がねじ切れるような話から
手足を捥がれるような話
心臓が縮むような話から
心が無くなるような話まで
次々と出てくるだろうし
その真逆の話も
同じように出てくる
自分を持つということが可能になった
様々な人間が集まれば
自ずと、そうなってしまうのだ
一つの色に染まらないとは
同じ物事でも解が異なり
行動も異なるということである
そして、誰かの行動を真似ても良いし
全く違うことをしても
構わないということでもある
常識の中に
自分を入れる人も居るだろう
自らが法律という人も居るだろうか
だから
多様化は混沌であり
混沌は平和であると
堂々と宣うことも
出来る世界に成りつつあるのだ
人によっては
傷口がパカパカと広がるような
濃厚で濃密な人間時間である