蟹?いいえ、ヤドカリです
身体を硬直させた直後、ゴガンッ!と身体に重たい衝撃が走る。
交差させた腕の隙間から覗いてみると、爪は俺の腕に密着して止まっていた。
どういうことだ?
寸止めでもねえし、手加減は欠片も感じなかった。何よりあの衝撃なのに全然痛くねえ。
今の事象を考えていると、ふっと影に覆われる。
見上げると、もう片方の爪が空から降ってきた。
「連撃だったんですかぁっ!!」
考え込んでたせいで動くことが出来ず、無駄だと分かっていながら身を守る姿勢を取る。
今度は頭上からガァンッ!とけたたましい音が響き、軽く身体が沈み込んだ。
が、やはり痛くない。転んで何かに身体を打った程度だ。
おかしい。明らかにこれはおかしい。
俺の身体になんかあるのか、蟹の方に意図的な何かがあるのか、全く分からねえ。
現象に理解が出来ず蟹を見上げると、目の上あたりに妙な黄色い横棒があった。
空に浮いてる上に、場違いすぎて違和感しかねえが、随分と既視感がある横棒。
まじまじ見てると、頭の中に同じものがやけにはっきり思い浮かんだ。こっちのは端が少しだけ赤くなってるが。
あ……、わかった。
パニクってて理解してなかったが、あれでハッキリと分かった。
あれ”体力ゲージ”だ。で、赤い部分は受けたダメージだ。
格ゲのキャラに転生しちゃったから、俺の身体と体力は格ゲの仕様になっちゃったのか。
だとすれば、さっき俺がとった行動はガードだ。
ガードしたからダメージがほぼ無い。
ちょろっと減ってるのは”必殺技”扱いでスリップダメージが入ったせいだろう。
そうだ、俺の身体はもう、無職の格闘ゲームオタクじゃない。鷲の戦士なんだ。
そうと分ければ、あの蟹だってどうにか出来る。
デカいモンスターなんて、ストーリーモードやDLCで散々倒したじゃないか。
よし、あいつをぶっ倒して、俺の初めては無かったことにしよう。
そうでもしないと、羞恥と後悔で今にも涙が零れてきそうだ。
戦うにあたって、まず大事なのは防御だ。食らったら俺のゲージはどんだけ減るかもわからないし、無くなった後は、KOで済めば良いが、その先も十分あり得る。
あの爪は一撃一撃が特殊とか必殺技扱いっぽいから、余り多くは受けられねえ。
取り敢えず分かっているのは、白服と喧嘩した時みたいに、スムーズに技が出るこの身体とその攻撃力、あとは鉄壁に近い防御力だ。
幸いアイツは鈍そうだ、一気に詰めて大技で逝かせてやる。
爪が振り下ろされた、今度は突き刺すように。
当たる直前までしっかりと見極める。
来た、ここでガード。デカい衝撃音は変わらずだが、衝撃は無い。
ジャストガードからの硬直キャンセルも出来る!
受けた後直ぐに詰める。短いダッシュでジグザグに振りながら的を絞らせない。
蟹は両手を高く上げ、振り下ろす。まるで範囲攻撃だ。
だが焦るな、俺。
当たる直前でガード。そこからのショートカウンター。
打撃を与えると、甲殻類殴ってるとは思えない金属音、しかし当てた片爪が跳ね上がった。
崩した!ここから更にダッシュで詰めて、腹に向けて振り下ろしの右ぃ!
巨体が数センチだがずり下がる。さらに畳み掛ける。右のダブル、左を挟んで、更に追撃の右ストレート!
俺が殴る度にドゴンッ!ドゴンッ!と、巨木同士を打ち付けた様な音が響き渡り、蟹はズリズリとノックバックを続ける。
殴られてる反動で攻撃が来ない。デカ過ぎて殴ることしか出来ないが、取りあえず準必殺の全力の強パンでコンボフィニッシュだ。
本当はちょっと鈍めの女の子に!一気に詰めよって!大技でいかせてみたかった!
俺の渾身の右が届こうとした瞬間、今までと違う固い感触と、甲高い音に阻まれる。
「うおっ!堅え!」
唸りを上げた俺の拳は、半透明のキラキラした壁に阻まれた。
「これバリアか?それとも魔法的な方か?」
絶対防御とか使うはいいが、使われると厄介な事この上ないな。
しかし俺は鷲の戦士だ、打破する手はある。
あの蟹は俺を驚異とみなしたのか、爪を畳んで盾のようにして守ってる。
今ならフェイント無しでぶちかませるな。
両手を流水の如く、万歳の形にゆっくりと上げていく。
そして、地面に足が埋まるほどの震脚と共に、振り上げた手の平をバリア目掛けて押し出すように突く。
食らっとけ!ガード不能の崩し技、双腕発勁!
当たると同時にバリアが砕け、輝く破片と粒子が後方に吹き飛んだ。
よし、これでてめえの守るもんは無くなったな。
「さぁ、冥途に渡る為の土鍋は用意したか?蟹は古来から人に食われる運命だ。覚悟しな」
そう息巻いた瞬間、蟹が予想外の速度で後退った。
俺はその動きに驚愕する。
「蟹って後ろに、下がれたのか……」
追撃出来ずポカンとしてると、さらに蟹はジリジリと下がる。これは逃亡フラグか?
こちらとしても出会い頭に、こんな巨大モンスターと生死を分けた戦いなんてしたくない。
このままどっか行ってくれると助かるんだが。
蟹はガードを解いて爪をゆっくりとこちら向けた。
何をしているのかと窺っていると、爪の先から先程のバリアが現れた。
そしてそれはゆっくりと地面に埋まっていくと、音を立てて近付いてくる。
何が来る!と咄嗟に身構えたが、振動は俺の下を通り過ぎていった。
振動を追い掛け振り向くと、ゴゴゴゴゴと、一際大きい地鳴りが聞こえ、蟹の出したバリアは、スコップの様に俺の家を地面ごと掬い上げた。
「なぜ俺ん家ぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
高々と持ち上げられた我が家がふよふよと蟹の方へ寄っていく。
まさか家を攫われるとは思ってもなかった!
阻止したいが、今、仕掛けたら我が家が落下強度テストの餌食になってしまう!
「貴様ぁ!俺に勝てないからと家を人質に取るとか!卑怯だぞ!それないと困るんだ!叩いてごめんなさい!」
家は蟹の頭上まで飛んで行きそこで止まった。
「待て待て待て待て落ち着けよブラザー。さっきのはお互い不幸な事故だったんだ。俺も忘れるしお前も忘れる。ポン酢もいらない。オーケー?な、だから落ち着いてそれを降ろそうか」
聞き入れてくれたのか、家が静かに下降を始めた。
「お?お?オーケーベイビー。いい子だ。初めてのようにやさしくそっとだぞ。ガツガツいくのは嫌われるって本にも書いてあったからな」
そして我が家は……
蟹の背中にドッキングした。
「えぇ……」
家を背負った蟹はゆっくりと爪と脚を降ろし、地面に腹を付ける形で動かなくなった。
良く良く見れば赤い目は黒に戻っている。
もう怒ってないって事か?
つうか胴体下げてじっとしてるって、騎乗を待つ動物みたいだけど、来いってことか?
ていうかあの姿って……。
「おまえ、蟹じゃなくてヤドカリだったのか……」