桜井と高木
八代はその違和感を、桜井の美しさを眺めて消そうとした。桜井の目と、時折こぼれるあまりにも純粋な笑顔、美しいものは好きだった。それだけははっきりしていた。これを眺め続けていれば、好きな色も分かる気がした。八代は少しずつ、桜井と会う頻度を減らしていった。間隔があくほど桜井は目に滴りを蓄え、会うと安堵からか、よく一人で笑った。それはますます美しく、ますます桜井の絵を磨いていくのに対し、八代の絵には変化を与えなかった。
もっと見れば変わるのか、それとも桜井を見ていても好きな色がわかるわけではないのか。今後桜井とどう距離を置くべきか考えていたとき、ふと、桜井の目が乾き始めたのに気付いた。勘のいい桜井のことだ、八代がそれとなく取っていた距離に気づいてきたのだろう。どこか温度をなくしたような目で八代を見るようになった。八代は焦った。このままでは、八代の絵は永遠に自分の色とやらを見つけられない。八代は桜井のことが嫌いではなかった。勘違いされたうえ、遠のいてしまっては困る。
「今週の土曜、空いてる?」
久しぶりに遠出しようと思った。
「あ、土曜は高木くんと美術展に……」
桜井は少し戸惑ったような目を自動販売機のほうに向ける。缶コーヒーを買う高木がこちらに気づいた。
「二人して見つめないでくれる?」
高木は二本の缶コーヒーを手のひらで玩びながらこちらに歩いてきた。
「この間の約束なんだけど……」
「ん」
桜井の言いかけの言葉尻をかすめて缶コーヒーを差し出す。ためらいながら受け取る桜井に対して首をかしげる。
「なに? 行きたくなくなった?」
「いや、行きたい。じゃなくて、その日、八代くんも一緒に……」
「そういうことなら俺はいいや。二人で行ってこいよ」
八代は割り込む。桜井の言葉を遮ったことはあまり気にならなかった。
思い至るものがあった。高木はやけに桜井に寛容な態度を見せるようになっていた。今までも寛容といえば確かに寛容ではあったが、関心がないために寛容なのと、視界に入った相手に寛容なのとでは意味が違うように思った。それに、ただでさえ人嫌いの高木が自分から人を遊びに誘うには、それなりの理由があるのだろう。親睦を深める貴重な機会だし、うまくいけば八代が動かずしてまた美しい桜井が見られる期待もあった。
高木はコーヒーに口をつけながら、横目で八代を見下ろした。
「いいの?」
桜井も鉛筆を動かしながらちらりと八代に目を向けた。八代は気づかないふりをした。
「いいよ。買い物に付き合ってもらうつもりだったけど、急ぎじゃないから」
高木の求めた返答はおそらく違った。しかし、八代は何も気づいていてはならないのだ。桜井の思いも、戸惑いも、知っていてはならない。気づかないまま友人としての距離を保たねばならないのだ。桜井が美しくあるために。
それほど時間が経ったわけではない。しかし、桜井の気持ちは確実に高木に向いていった。高木は八代に対するよりもさらに桜井に優しかった。高木がふと見せるそっけない優しさは、桜井の乾いた目に滴りを呼び戻した。桜井は再び美しくなった。秋を過ぎたあたりで、二人は付き合いだした。
「オレから付き合うかって言った」
ベンチに座り込んで、高木は淡々と言った。昼を過ぎて少し冷えてきていた。桜井はバイトで、高木と二人になるのは随分と久々な気がしていた。
八代は笑う。
「惚気か? で、桜井はなんて?」
「怒らないのか?」
高木は八代の茶化しを全く聞いていなかった。珍しく硬い表情をしていたが、八代はそう言われて困った。怒るどころか、むしろ桜井の美しさを維持してくれたことに感謝さえある。だというのに、高木はまるで断罪を待つかのような顔をしていた。
「何を怒ればいい」
八代が聞くと、高木はじっと八代を見た。戸惑っているうちに視線を断ち切ってしまう。
「いや、いい。それよりオレは煙草吸いたいんだ」
「吸えばいいだろ。やめたのか?」
笑うと、高木はじろりと八代に目を向ける。
「服から匂いがするだけで嫌がる」
低く言ってから高木もかすかに笑った。どこかほっとしたような、しかし何か気がかりでもあるような笑顔だった。
体調崩したのでおかゆがいいですね。
うどんも食べたいな。