表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白の綾  作者: ぺの
17/20

兆し

 兆しのような色が必要だと思い、白を足し始めた時、インターホンの音が八代の耳を捕まえた。

 八代は手を止めて玄関を見る。邪魔されたという意識が強く、無視して描き続けたかった。だが、一度玄関に引き付けられた意識のまま、音をなかったことにはできそうになかった。八代は立ち上がると玄関へ向かう。貧血気味の足元を自覚した。チェーンを付けたまま開けると、高木の子供が彼を見上げる。何かの表情をしていたように思ったが、八代の顔を見ると表情を変えた。

「具合悪いの?」

 子供から出てきた言葉に八代は瞬く。このところ体調は悪くなかったと思っていたが、言葉を返してやるだけの余裕がないから、もしかしたらそうかもしれないと思う。思いながら、反応も返さずにいる。子供が伺うような目をした。媚びるような、似合いもしない目つきだ。

「怒ってる?」

 似ているな、と思った。八代はかろうじて首を横に振る。

「何の用だ」

 ずいぶん久々に自分の声を聴いた気がした。心なしか口調も不愛想になった気がする。子供は困惑したように口元をためらわせる。

「遊んでくれるかと思って」

「また締め出されたのか。それともお父さんの差し金か」

 あまりに抑揚がつかず、これでは尋問のようだ、と八代は思う。子供が小さく首を振った。

「来たくて来た」

「構う余裕がない」

 八代の素っ気ない返しにしかし、子供はひるまなかった。

「いいよ。おうち入れて」

 この手の素っ気なさには慣れているらしかった。八代は諦めてチェーンを外す。この前と同じだ、と思う。同じなものか、とも思い、要領を得ない自問自答にふと嫌気がさす。

 集中が切れてしまってすぐには制作に戻れそうもなかった。一度寝てリセットしようとベッドに身を横たえる。深いため息が出た。布団の上で子供から目をそらすように寝返りを打ち、ソファから立ち上がって冷蔵庫を開ける。緑茶のペットボトルを取り出していると、子供が神妙な顔つきで八代を見ていた。寝返りを打って子供の方を向くのと同時に、冷えたペットボトルを渡すと、子供の大きな目が八代をひたと見つめた。何度向けられても、慣れない目だった。

「前に双子だって言わなかったか?」

 視線に耐えかねて、八代はベッドの上から声をかける。子供はペットボトルを差し出す八代と、ベッドの上の八代を大きな目で見比べ、ふいに表情をこわばらせた。

「――――…………どっち?」

 だから、と言いかけて、八代は口をつぐむ。水の中に鉛を置かれたような感覚があった。ペットボトルを差し出した中腰のまま身動きができず、ベッドに横たわったまま瞬きもかなわない。子供が交互に八代たちを見る。どちらに顔を向けても、こちらを見たと思う。同時に、こちらから顔をそむけたと思う。中腰の八代が感じる、見たとそらした。ベッドの八代が感じる、そらしたと見た。視覚は二つだが、意識は四つある。二つでもあり、一つでもある。思えば彼がやってきてからずっとそうだった。ここにきて初めて、そのことに混乱を生じた。子供がどちらの八代を見ても、正面と横顔を見て、見たとかそむけたとかそれぞれ感じている。どれだろう(・・・・・)、と八代は思う。どれが八代の正しい意識で、どちらが本物の八代で、どちらが彼なのだろう。どちらも、八代は八代だと思う。どちらの身体が本物の八代で、どれが八代の正しい意識で、その意識はどちらの身体に宿ったものなのだろう。待て、と八代はピクリとも動けないまま思考回路に歯止めをかけようとする。

 二人だ。八代はどちらが本物の八代か分からないが、どちらも偽物でないことだけは確かだ。だとすると、自分はこの世に二人いるのか。その自覚が胸に切り込んできた。

 彼の存在をいつまで意識していたか、八代は思い出そうとする。はじめ、外からやってきたのは彼だった。それは間違いない。ある時唐突に五感がもう一人分割り込んできた。初めて彼が家に来た頃は、今と比べて彼の意識と八代の意識との間にずいぶん隔たりがあったような気がする。しかし例えば、八代自身が外に出た時、家で寝ている彼の五感には情報量の少ないことを思って、ともすれば存在さえ忘れそうになっていた。あれと同じことが、あの日にも起きていたとは言えないだろうか。それは今考えた方がいいのだろうか。分からなくなる。

 確か、彼はよく出かけた。ベッドで外の彼が感じるものを感じていた意識があるから、これもおそらく確かだと言える。彼はインターホンが鳴ると訪問者の応対をし、ベッドではなくソファに横になり、居づらい家から逃げるように行動的だった。活動的である方が彼か、と結論を置こうとしたが、そういえば八代もそれは同じことなのだ。近頃はインターホンが鳴れば八代が立った。疲れてソファに倒れこみ、子供を高木の家に送ったり画材を仕入れるために外に出かけた。いつから入れ替わってしまったのだろう。それとも、はじめから?  はじめは、いつだったか。

 誰だ、と思う。自分とはどれのことだ。彼はどちらだ。八代は誰だ。

「……おにいさん?」

 声をかけられて、八代ははっと瞬きをする。それからもう一人と目を合わせる。上の空という顔をしている。ペットボトルを渡しながら、八代はかすかに笑った。

「さあね」

「ねえ」

 子供が怯えたようにその袖をつかむ。子供には、八代が冗談を言っていないことが分かっているようだった。しかし、八代にも答えようがない。そんなのは八代が聞きたいことだ。自分が二人いるなど、何かの冗談ではないかと。ベッドから身を起こし、八代は笑う。

「どっちだと思う」

 分からない、と子供が首を振る。怯えている。かわいそうにと思いながら、本当にかわいそうなのは自分ではないのかと八代は思っている。いくらかでも八代に憐れむ余裕があるとすれば、それはせいぜい自分に対してくらいのものだろう。この子供に自分の動揺を投影するのが関の山だ。

 本当にそうだろうか。自分が二人もいて、意識が四つもあって、これ以上他者に投影する必要があるだろうか。いや、それどころか、二人の八代のうちどちらかが本物の投影にすぎないという可能性はないだろうか。行き過ぎた投影の末の成り代わりである可能性。だとすれば、やはり、どちらが本物?

 八代は依然笑みを浮かべながら、焦燥に近い何かがせりあがってくるのを感じていた。絵を描きながら感じる、あの記憶のようなものに似ていた。

 子供はじっと目を見開いて、正面にいる八代を食い入るように見ている。緊張を解いてやりたいと思うものの、それはこの状況下では難しいことのように思われた。八代は子供の服装を見る。髪型を見る。靴下の柄を見て、その手に握られた木彫りに目が吸い寄せられる。子供の手が握りしめることができるサイズの木彫りの犬。迷彩に塗られたその色遣いがなんとなく桜井を連想させる。

 八代がかつて繰り返した夢想の一つに、子供におもちゃを手作りしてやる高木がいたことがある。高木が木彫りでおもちゃを作り、桜井が子供のために着彩する。それは数ある八代の夢想の中でも、最も幸福なものだった。その夢想が叶ったのだと思っていた。この子供を高木と桜井との間に生まれたと誤解した、その具体的な原因はこの木彫りの犬だったと言えるかもしれない。

「その犬」

 ベッドの上で八代は口を開く。子供の身体が呪縛から解けたように身じろぎする。

「それ、お父さんにもらったやつか」

 ため息に似るほど静かな声が出た。この場に至っても自分の声か訝るほど静かな声がした。

「この間の誕生日に作ってくれた」

「この間?」

 思わず鸚鵡返しが出る。子供が首を傾げた。

「そう。初めてアトリエに入れてくれて、彫って色塗ってそのままくれた」

 では、これは桜井が色を塗ったものではない。二人で作った木彫りを高木が持ち続け、桜井とどことなく似たこの子供に与えたわけではない。間違いなく、この色を高木が塗ったのだ。八代には分かる。これは桜井の色に似ている。少なくとも、桜井の色遣いを真似ようとしたものだ。八代が真似た物とは感触が違うが、桜井を求める色だ。

 八代はゆっくりと頭に手をやる。髪を掴むと、地肌にゆっくり爪を立てた。爪が震える感覚が、頭皮に食い込む。ついこの間と呼べる時期まで、もしかしたら今でも、高木は桜井の色を求めていた。八代と同じように。高木もあの色を求め、そして手に入れることができなかった。高木は手に入れてはいなかった。八代の夢想はすべてが夢想に過ぎなかった。一片たりとも、現実になったものはなかった。砂を噛むような虚しさが胸に広がった。

 高木が今も手に入れていない色が八代の求めるものと同じであることははっきり分かる。八代の絵と同じ色をしている。八代には、高木が桜井の色を求めたことも、それがいまだに手に入っていないことも分かる。記憶のようなものがせりあがろうとしている。気づいてはいけないことに気付こうとしている。受け入れてはいけない、と八代は思う。

 頭が混乱している自覚はあった。落ち着きたかった。

「そろそろ帰れ」

「やだ」

 子供は八代の弱点をすでに見抜いて食い気味に言ったが、今日はきかなかった。

「悪い。帰ってくれないか」

 言い直すと、さすがに子供は怪訝そうな顔をした。

「やっぱり怒ってる?」

「違う」

 八代は顔をこする。どちらの八代も顔をこすった。こびりつく垢を落とすように。

「一人にしてほしい」

 ああ、と子供は納得した顔でキャンバスに目を向ける。高木を親に持つくらいだから、制作途中に相手にしてもらえないと予想を付けたのかもしれない。できれば、そういう穏便な背景だと解釈してほしかった。

 子供は黙って立ち上がったが、部屋の入口まで行くと、名残惜しそうに振り返った。

「何」

 ベッドから声をかけると、子供はちょっと唇に力を込める。

「また来てもいい?」

「好きにしろ」

 八代は追い払うように手を振る。のろのろと玄関が閉まる音がする。八代はペットボトルをテーブルに置き、一方でベッドから鍵を閉めに立ち上がった。

 しばらく身体の調子が良かったせいか、久しぶりの頭痛に常ならぬ不快感を催す。知恵熱のように額が熱かった。

 シャワーを浴びるために洗面所に入りながら服を脱ぐ。同時に机の上のペットボトルから一気に茶を流し込む。空気も一緒に飲み込んだせいで、食道に異物感が生じた。



冬は人恋しいのでばっちゃの作る肉じゃがが食べたいナ☆彡

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ