山中さんの復讐(下)
「女子の家に一人でお邪魔したことがありますか?」
と尋ねられて頷く男子高校生はこの世にどのくらいの割合で存在するのだろうか?
もし頷く人が居るのなら俺とは相いれないし、速やかに爆発していただきたい。
では一人で女子の家に行ったことのある高校生男子のうち、「人を殺そう」と持ち掛けられた人はどれくらい居るだろうか?
ちなみに俺はまさに今そのシチュエーションを体験中で、クラスメイトの山中さんから「殺人」を提案されているところだ。
「2組の連中を、殺そう」
夕陽に赤く染められたリビングの中で、山中さんはハッキリそう言った。前髪からのぞく瞳は夕日で燃えるように輝いていて、無機質だがよく通る声はおおよそ冗談を言っているようには聞こえない。
俺は今の状況がうまく飲み込めていなかった。
高校生になってずっとボッチだった俺が、学年一美人の山中さんの家に誘われただけでも十分意味が分からないのに、いきなりクラスメイトを「殺そう」と提案されたのだ。
どうせなら「一緒にゲームをしよう」とか「互いの尻を叩き合おう」とかの一般的な提案の方が良かった。
「山中さん、一旦落ち着こうよ」
「私は落ち着いているよ。落ち着いて証拠を残さず殺す方法を考えてきたんだよ」
「いやそうじゃなくてさ……」
確かに俺と山中さんは元々クラスで人と慣れ合わない(俺の場合は慣れ合えなかった)浮いた存在であったせいか、1か月ほど前からは2組の連中、要するにクラスメイト達から軽い嫌がらせを受けるようになっていた。
具体的には「二人で喋るな」と脅されたり、机の上に花瓶が置かれていたり、黒板に俺と山中さんの相合傘が書いてあったりというものだ。
しかしこのしょうもない嫌がらせが甚く山中さんの気に障ったようだ。わざわざ俺なんかを部屋に呼んで殺害計画を説明するくらいに。
まあ「殺す」と言う表現は山中さんなりのジョークだとしても、彼女が何かしらの復讐を企てている事は事実だろう。
それに「黒魔術部」なる怪しい部活に所属している彼女が妙なクスリを扱う姿を目撃したこともある。ここは安全を期して止めておいた方が良いだろう。
「山中さん、怒るのは分かるんだけどさ、殺すのは良くないよ。ほら来年になったらクラスも変わるし、多分状況も変わるよ」
俺は山中さんが出してくれたコーヒーを一杯啜った後に切り出した。
「今されている嫌がらせ自体は、どうってことない。でも私は私をコケにした人間を絶対に許さない」
山中さんの迫力に俺は押し黙ってしまった。その言い切り方からは「この女なら本当に人を殺しかねない」という恐怖心を抱かずにいられなかった。
「唯一私がうっとうしいと感じているのは、『君と付き合ってる』っていう噂を流されることくらい」
おい!
「いや分かるよ。怒るのは分かるし俺も腹立つけどさ、殺すのはダメだよ」
「どうして?」
はい哲学の授業はじまりまーす。
いや冗談だけども女子の家にあげられて「なぜ人を殺してはダメなのか」と問われる事になるとは思わなかった。
「分かんないよ! 分かんないけど俺は山中さんに人を殺してほしくないんだよ! あと殺人計画を知ってて黙ってる自信も無しい!」
すると山中さんは腕を組んで俺から視線を外した。ヤケクソで言った一言だったが考えを改めてくれたのだろうか。
山中さんが見つめる窓の外では既に夕日がビルの間に顔を隠していてる。
「分かった。殺すのは止めるよ」
その一言で殺意が本物であったことを知り戦慄する。
山中さんは立ち上がると急にこちらへ歩いて来た。先ほどまでの話が話だったため、俺は思わず身体を硬直させてしまう。
山中さんは俺を見下ろし、言った。
「でも復讐はするから手伝って」
薄暗い部屋の中での出来事だったために確かな事は言えないが、彼女の口角は上がり、微笑んでいるようだった。
***
俺は山中さんに付いて学校まで戻って来ていた。
既に部活動をしていた生徒たちも帰りきっているらしく、学校の敷地内は真っ暗で人の気配もない。
「な、なんで学校まで来たの……?」
「ちょっと薬を作りに行くんだよ」
「薬?」
薬と言えば、以前も山中さんは「ホモを発情させる薬」とか「ゾンビを蘇らせる薬」を俺の目の前で使ったことがある。結果俺が3回くらい死にかけたわけだが、今回は何を発情させたり甦らしたり俺を殺しに掛かったりする薬を使うというのだろう。
俺が俯いて考えているうちに山中さんは柵を乗り越えて既に学校の敷地内にいた。
「あっ、待ってよ!」
慌てて柵を乗り越えて学校の敷居をまたいだ瞬間、空気が変わるのが分かった。
何か背筋が異様に寒気を帯びていて、まるで身体に氷を押し当てられているかのようだ。何かいる……、確実に何か良くないものがいる!
山中さんはというと、躊躇わずにスタスタと歩いて行き、校舎を正面から見て一階の左端にある教室の前で止まった。
「山中さん、ここって理科室だっけ」
「うぅん、第二理科室だよ。今は黒魔術部の部室、というか物置になってるんだ」
第二理科室といえば、理科室(第一理科室)の隣の今は使われていない教室だったはずだ。なるほど、使われていないのかと思っていたら黒魔術部の部室になってたのか……。
俺は試しに窓を開けようと試みるが案の定カギが掛かっている。
「開かないよ?」
「……、校長め。その窓はちゃんと開けておけと言ったのに」
何やら山中さんが後ろで校長先生の悪態をついている。知り合いか何かなのだろうか。
「鍵でも持ってるの?」
と、俺は後ろの山中さんの方へ振り向いた瞬間、反射的にのけぞった。
彼女が自分の顔ほどもある石を窓に向かって叩き付けようとしていたからだ。
間を開けず甲高いガラスの割れる音が辺りに響き渡る。
呆然と立たずむ俺をしり目に山中さんは平然と割れた部分から手を差し込み、ドアのロックを解除した。
「入ろう」
「いやダメだろ! 絶対警備員にバレるってば!」
思わず小声で叫ぶ。
「警備はザルだから大丈夫だよ」
「なんで知ってるの!?」
山中さんは俺の焦りなど我関せずに窓を開け、さっさと中に入ってしまった。
「ほら、早く」
俺は今にも警備員か先生が飛んできそうで気が気じゃ無かったのだが、なぜか山中さんに従って中に入っていた。
もうどうにでもなれと思っていたのだろう。だが後になって考えてみれば、山中さんと一緒にスリルを味わえるその状況を楽しんでいたのかもしれない。
***
最初に山中さんと一緒に夏休みを過ごした日から、どこかおかいしと思っていた。
その夏休みの日以来山中さんと二言以上話すことが無かったために違和感は薄れていたのだが、やはり彼女は感情の一部が欠落している気がする。
俺が割れたガラスに注意しながら中に入るとすぐに山中さんは分厚いカーテンを閉め、スマホのライトを付けて室内を照らした。
奥行きのある広い部屋には壁に沿って幾つも棚が立っていて、そこに何の生き物か分からない生物標本が所せましと並んでいる。
ふと奥の方に複数の人影が見えた瞬間、体中から冷汗が吹き出し、今にもこの部屋を飛び出して逃げたい衝動に駆られる。
「あれは人体模型だから大丈夫だよ」
怯える俺を気遣ったのか山中さんが声を掛けてくれた。
「えっ、そうなの……?」
確かに目を凝らしてみると、胴体に臓器をむき出しにしたそれに表情は無く、動かない模型のようである。
しかし問題はその数だ。ゆうに10体を越えている。
「にしても山中さん、人体模型の数が多すぎない?」
「大丈夫だよ、全部本物の人体だから」
「あっ、そうか。って何が大丈夫なの山中さんんん!?」
「いや標本の価値的に」
「誰が死体を買い付けに来たって言ったよ!? 闇のバイヤーか俺は!」
多少テンションの上がってきた俺だが、ここで何か柔らかいものを踏んでいることに気付く。
全身で嫌な予感を感じながら足元を見ると、両手で抱えられるほどの大きさのテディベアを踏んでしまっていた。
「わわっ! ごめん、コレもしかして山中さんのだった?」
俺は慌ててクマのぬいぐるみを拾い上げる。
「私のじゃないから大丈夫だよ」
「なんだ、良かった」
しかし気のせいだろうか、さっきからチューニングの合っていないラジオのように、耳障りなノイズが聞こえてくる。よーく耳をすませてみると、さっき拾ったテディベアからコロスコロスコロスコロスコロスコロスと聞こえる。
「あっ、そのヌイグルミ呪われてるからあんまり直に触らないほうがいいよ」
「はよ言えや! そもそも何で最初に言わないんだよ!」
「そうだね、紅茶はストレートだよね」
「あんた絶対話聞いてないだろ!」
俺は慌ててヌイグルミを遠投した。
「もう早く帰ろうよ山中さん! こんなところに居たら命が幾つあっても足りないよ!」
「大丈夫大丈夫、3個くらいあれば足りるって」
「1個しかねぇんだよぉおおい!!」
その時、俺の目は一体の人体模型が山中さんに向かっていることに気付いた。
両手を前に突き出し、不自然な挙動だがそれなりのスピードで彼女の後ろから近付いている。
普通なら考えられない光景だが、この部屋ではどんな現象が起きても想定内なのかもしれない。この部屋の主である山中さんが襲われることさえも。
「山中さん危ない!」
俺は叫びながら山中さんを通り越し、人体模型に思いっきり体当たりをした。俺の突撃を受けた人体模型は臓器を散らして仰向けにひっくり返る。
反動で俺も後ろによろめき、足がもつれて倒れてしまった。
「いたたたた……」
うつぶせにこけたようだが、何か柔らかいものがクッションになって衝撃が和らいだようだ。
「ねぇ、重いから早く退けて欲しいんだけど」
山中さんの声はうつ伏せになっている俺の下から聞こえてきた。
……下?
下!?
なんと俺は山中さんに馬乗りになる形で床に手をついていたのだ。彼女は相変わらずの無表情だが若干じっとりした目で俺を睨んでいるようだ。
「うわわわわあわわわ! ごめん! 悪気はなかったんだ! 別に何かヨロシクするとかそういうつもりは一切なかったから!」
俺は慌てて山中さんの上から飛びのいた。
遅れて俺の顔を凝視したままゆっくりと立ち上がった山中さんは、プイと俺に背を向けた。
「別に気にしてないよ。君が私を助けようとしてくれたからこうなっただけだし」
「そ、そっか。ケガはない?」
「無いよ。さ、薬も調合できたし、帰ろうか」
そう言って窓の方に歩いて行く山中さんから、「意気地なし」と小さく聞こえたのは恐らく気のせいだろう。
***
結局あの日山中さんがどんな危ない薬を調合していたのかは聞き損ねてしまったのだが、それは翌日すぐに分かった。
教室に入るとあら不思議。クラスメイト全員が真顔で
「私は鳥」「私は鳥」「私は鳥」
と座ったまま呟き続けているではありませんか。
当然無事だった俺と山中さんが真っ先に疑われたものの、証拠不十分で処罰が下ることは無かった。
そしてこの一件があって以来2つ変化があった。一つは俺たちは露骨にいじめや嫌がらせを受けなくなった事。
もう一つは山中さんとほんの少しだけ仲良くなれたという事だ。
今までずっとボッチだった俺にとって、これ以上に嬉しいことは無い。まあせいぜい人体模型にされないように、適度な距離を保ちながら仲よくしていこうと思う。
おわり
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