自由を求め、囚われているのは遥か昔から。
--世界は綺麗なものだけで満ちているのだと、私は思っていた。
たとえば色とりどりの花が敷き詰められた花壇のように。たとえば良く磨かれたティーカップ、中に入った紅茶やお皿の上のケーキのように。
……私は、誰かに作られた世界で生きていた。
「ねえ? 」
そう思ったのはこの春、全寮制の由緒正しい、古き良きアヴァロン学園の高等部一年生になってから。
私はフェアリーテール王国のモードレッド伯爵家の娘、エリー・モードレッド。サラサラの金髪をお嬢様らしく腰まで伸ばし睫毛は長い緑の瞳をした十五歳美少女とちやほやされている。四つ上の姉、二つ上の兄のいる末っ子である。ずっと昔に存在していた王国の、王の流れを受け継いでいると家で伝えられているが、本当かはわからない。正直胡散臭いものだけれど、その話から伯爵家としては他より厳しい教育をされているから、微妙なところだ。
「ねえってば」
アヴァロン学園は元は貴族でしか入れなかったのだけれど、今は世界を脅かす魔王を倒す為の勇者を国から広く募集しているから、魔法や剣技などを学ぶ為、平民の入学も可能になったのだ。昔はこのように誰もが学べていたから、正しい形に戻ったのだと学園長は語っていた。
それで話を戻して、私が世界が綺麗なものだけで満ちているのだと思わなくなったかというと--。
むしろ何故、世界が、綺麗なものだけで満ちていると思ったのか! 逆に問い質したいと! 私が思ったからである!!
「聞こえてる? 」
そう、それは私のクラスで初めて調理実習なるものを始めた時にまで遡る。詳しくいうと本日、お昼休み前の出来事だ。私は生まれてこのかた包丁を持ったことがなく、というか調理前の野菜も見たことが無いレベルで、まあ初心者ならば誰もが経験するであろう……包丁でうっかり指を切ってしまったのだ。
その時、私は思い出した。
「…………。」
思い出したという表現が正しいかは置いておき、私は前世の自分というものを知った。一人の女性の人格を、性格を、性質を、主義を、そして人生を。人一人分のけして長いとは言えない、しかし短くもない一生を私は受け入れた。彼女は二十代そこらで亡くなったけれど、女性ながらに一人で仕事をこなし、家事をこなして生きていた。常に誰かがそばに居てくれる私にとって、身体の芯から衝撃が走った記憶だった。これはつまり、前世で読んだ、異世界転生……!!
……世界は綺麗なものだけで満ちているわけではない。私が知らなかっただけ。
「無視、してるって思っていい? 」
誰かが何かを叶えたくて涙を流したり、一生懸命汗を流して手に入れたもの。それは私の知る表面だけの世界よりずっと尊い。誰かが誰かを傷付けて、裏切って手に入れたもの。それはとても悲しい世界。誰かが誰かを想って手に入れたもの。それはとても愛おしい世界。全て私が知らなかったもの。
それはとても私に近いところにあったのに、ずっと知ることのなかった世界だ。
学園に入学して、平民の子と知り合ってからのボタンを掛け違えたような感覚は、そこにあったのだろう。きっと。
がぶり。
「いったぁああああ!! 」
シリアスな私の心に突然の物理的な痛みを感じた。
「君が俺を無視するものだから、俺も君を無視して俺のしたいことをしたよ。モードレッド伯爵家のエリー」
「何ですか突然! 誰!? とても痛いのですが! 首が! 」
背後から襲ってきた首への攻撃に声の主を確認する為、私は振り向いた。歯か! 尖がった感覚は牙か!
振り向くと、互いの鼻が触れそうな程近くに人間ですかと問いたくなるレベルの美青年がいた。私は学園の美味しいと噂のサンドイッチを食べに食堂に行き、天気が良いので外のパラソル付きのテーブルに座っていたのだった。彼は椅子に手をついて間近で私の首を噛んだのだ。綺麗な椅子の座り方をしていたのが悪かったのだろうか。
神秘的な紫色の長髪に綺麗な宝石のように煌く色の変わる睫毛も長い大きな瞳。私より睫毛が良い感じだ。絶対に只者ではない。髪も天使の輪があり肌もつやつやしていそう。私は物凄く警戒した。
「魔法科一年のカイル。魔術師と召喚師の免許はもう取ったから今は退魔師の勉強中。ついでに学園長マーリンの子」
「はっ!?」
魔法科は別棟に用意された特殊な学科だ。一学年に存在しない例が十年続いた事もある珍しい魔法科の、その生徒を見ることが出来るとは思わなかった。しかもその後もなにか凄いことを言ってる!?
「俺、結構将来有望だって言われるんだけど。如何?」
私が全力でテーブル側に避けた顔をまたも近付けてくる学園長の息子カイルさん十五歳か十六歳。セクハラの罪で風紀委員会よ連行してください。
「如何とは……? 」
話が謎すぎて目を白黒させる。
「その怪我した指。血の匂いがなんかこう、いい感じだったから。つい来ちゃった」
「血の匂いがいい感じ!? 」
「魔力感じちゃったんだよね。 美味しそうって思って授業終わって直ぐに探したよ」
最早私の目は飛び出そうだ。魔法科とはあまり関わらない普通であることが普通の普通科の私にはよくわからない。
「実際に、美味しかったしね」
キラリ、というかギラッとした目に私は慄く。
しかし、神は私を見捨てなかった。
「こら、変人魔術師。か弱い令嬢に何してる。……マジで箱入り令嬢じゃないか」
ゴンっと音が付く強さでカイルの頭に拳を下ろした筋肉逞しい男。騎士で強いと有名なランスロット家の人だ。二つ上の兄と同じ三年の先輩である。
「裏切り先輩、邪魔しないでくれる? 」
「誰が裏切り先輩だ。変人の次は変態と呼ばれたいか変わり者」
心底嫌そうに眉間にしわを寄せて先輩を睨むカイル。それに怯まず言葉を刃に攻撃をするランスロット先輩。言葉で争い始めた彼らに私は悟る。神は私を見捨てた。
「エリーは俺のだよ、ランスロット」
ぎゅっとカイルが私を抱き締めてくる。腕を離させようと私は左手から捻り上げることに努める。……左手の力が強い。
「まだ彼女に自分をアピールしていたところではなかったか? 自分のものと言うにはまだ早い。離れろ」
「でも昔からの約束だ。俺は王と約束したからね。だからエリーはどの道を選ぼうと最後は俺の」
「だからといって今から彼女の自由を奪うつもりか?それはブランドンが許さない」
頭上で交わされている話が意味不明なのだけど、ブランドンとは私の兄で間違いないだろうか? 彼らは兄の知り合いか。
「人の妹を囲んで何を騒いでいるんだ、お前達は」
「お兄様! 」
まさに、真の! 神の救い! 安易に見捨てたと思っていた私が愚かでした神さま!サラサラの金髪に緑色の瞳。私は令嬢らしく淑やかさを目指したが、兄は騎士科へ行き、鋭い眼光と力を手に入れた。ランスロット先輩に並ぶ強さだと言われている。
「ブランドン、俺のお嫁さんを寝取り先輩が奪おうとしてくるんだけど」
「エリーは僕の大事な妹なんだが?ランスロット、すまないがエリーから百歩程離れてくれないか? 」
「何故だ? 俺はただ彼女を守ろうとしていただけだブランドン! というか先程からの謂れなき侮辱は何だカイル! 」
さして皆様仲良くないのだろうか。お兄様は一応助けてくださろうとしていた先輩を遠ざける。私に張り付く人も離れさせてほしい。
「好みって遺伝するって言わない? 性癖も遺伝するかなってさ」
「確かに。すまないがエリーを視界に入れないでくれランスロット」
「何の話だ! 」
まさかのランスロット先輩集中砲火。なんだか騒いでいると人目を集めてきた。
「賑やかだね、君たち」
そんな中、現れた一人のこれまた美しい人物。私や兄と同じ金髪に緑色の瞳の、しかし私たちとは格の違う品性や知性を感じる人。
「あっ、やっほー。アーサー様」
物凄く気安い挨拶をされているが、そう、彼はこの国のいずれは王様になる王子様である。
「やあ、カイル。今日は珍しくご機嫌だね。……なるほど、彼女がいるからかい?」
物凄くフレンドリーだアーサー殿下!
「エリーはやっぱり可愛いよ。誰にもあげないけど」
「私にとっても妹のようなものだ。必ず幸せにしてあげてくれ。ね、ブランドン」
「殿下、エリーは私と姉、レイチェルだけの妹です」
「じゃあ君たちも俺の弟と妹で」
「それは無理があるかと」
殿下は兄と同じ年齢であることも含め、色々と無理がありすぎる。というか何故こんな話に?それに殿下が現れてから存在が空気なランスロット先輩が気になり横目で見る。……前世で持っていた携帯のマナーモードのように震えていた。何故。
「ああ、ランスロット! 君もカイルがエリーに会いに来たのが気になって来たのかい? 我が国の古より伝わる約束が果たされようとしている重大な出来事だからね、わかるよ。」
「い、いえ、その……」
口籠るランスロット先輩。それより私は気になる言葉を聞いた!
「殿下、おそれながら、発言の許可をいただきたく」
「いいよ、何だい? エリー」
とても緊張したが、聞いておかねばならない。
「古より伝わる約束、とは何でしょうか? 私は何か、それに関係しているのでしょうか? 」
「まだエリーに話していなかったのかい? カイル」
あれ?と殿下は首を傾げた。
「エリーに会ったらテンション上がっちゃって、忘れてた」
テヘペロとでもしそうなノリのカイル。許し難い。
「なら仕方ない。エリー、それはカイルと君に関することでね、昔ここに存在していた大国の王、私の名の元であるアーサー王には彼を導く魔術師がいてね。それがカイルの父であるマーリンなのだけど、長き時を生きる偉大な魔術師マーリンにも寿命がある。だから力を受け継ぐ子孫がいれば、と誰もが思った。マーリンは愛しい妻を見つけて子が生まれた。それがカイルだ。人々に祝福されて生まれたカイルは、どれだけの時が過ぎても愛を捧ぐ者は見つけられず、何年も過ぎて、それからちょっとした不幸があってアーサー王も、国も、民も、亡くなった。死の間際に、アーサー王はカイルに願った。国中の皆が願ったカイルの幸せを、愛を。カイルが想いを寄せた相手とカイルが幸せになれるようにと。まあ色々省いたらこんな話さ」
「色々省いたのですか。それで、その相手が私だというのですか」
思わず頭を抱える。思っていたより話が大きい。
「大体そんな感じの話だね!」
「まあ、そんな話か」
「ああ……俺たちは綺麗に省かれたが」
肯定するカイル、お兄様、ランスロット先輩。
解せぬ。解せぬ。解せぬ。何か前世で知ったような話とも違う感じだけれどアーサー王とか魔術師マーリンとか聞いたことあるような! ランスロット先輩の裏切り先輩とか寝取り先輩とかその辺も似たような感じだったのでしょうか! 元ネタはそんな感じなのでしょうか!
「大事な話なら省くことなく話して欲しかったです!というかカイルはいくつなのでしょうか!? 学園長の子供ではなかったので!? 」
「大事なのはエリーがアーサー王公認の俺のお嫁さんってことだよ。えっと、俺何歳だっけ?養子ではあるけど学園長の子供だから、嘘はついてないよ 」
甘えるように頬擦りしてくるカイルを無言で手で押し退ける。
「うん、まあそんな感じ。だからエリーのことはカイルと同じくらい私にとって大事だよ。学園を卒業したら二人でキャメロット城に来てね」
微笑ましいものをみるように私とカイルを見て口を緩ませる殿下。
「キャメロット城……ですか?」
今のお城とは違う名前だ。
「うん、昔と同じ名前にするんだ。みんな幸せに、昔のやり直しを、でも君を入れて新しくね」
殿下は仄暗い光を瞳に宿し、微笑んで答える。異様な雰囲気を感じてぞわりと震えてしまう。
「エリー、心配することないよ。俺が守るから」
「私の気持ちが果てし無く置いてきぼりにされていることに気付いてくれませんか」
絶対に逃がしませんとでも言うかのように抱き締める力を強めるカイル。そろそろ痛い。助けを求めお兄様を見る。
「すまないエリー、殿下に知られてはもう……」
「もう……!?」
神は私を見捨てた。
「我が王よ、些か気が早いのでは?」
「ランスロット。まさかとは思うけど、ギネヴィアの次はエリー?今回のギネヴィアも、エリーも、ランスロットにはこれ以上会わせないからね? 君の婚約者のエレインに報告するよ? 」
「おやめください! 」
ランスロット先輩はいじられ役なのだろうか……。恨み有りの目で見られつつ、からかわれている様な。
ぼんやりとそれを見ていると、カイルが耳にこっそりと囁いた。
「俺が守るから、いつか二人で何処かに行こうね」
世界は綺麗なもので満ちていると思っていた。
それは違うと、知った。
しかし、私の『世界』は彼に選ばれたことで、彼等によって囲まれているらしい。
ならば、だから。
それを聞いて、私は----。
前世の記憶を殿下、先輩、お兄様、持っています。
王の、国中の人々の最期の願いが呪いに似た魔法のように、カイルが幸せになるまで身体の時を止めてしまい、長い時をずっと一人で生きるようにしました。願い叶う時、解けるようになっていますが解ける事なく、エリーに出会います。
カイルはずっと、自由になることを、もしくは共に気持ちを分かち合ってくれる人を願っていました。