とっとこ走るよカイトさん
この世界には2種類の人間がいる。
力を持つ新人類と、そうではない旧人類だ。力を持つ自分たちこそが優れているのだと主張する新人類が集い、形成された国家、新人類王国とそれを認めない旧人類連合の戦争が勃発して早14年。新人類と旧人類の間にできた溝は深まっていき、一部では大きな差別問題も起きている。
が、それもあくまで一部だけの話だ。
一方では力を必要以上に誇示せず、旧人類と普通に暮らしている新人類もいる。
神鷹カイト、20歳。
日本のド田舎、ヒメヅルのパン屋で住み込みで働く青年もそのひとりだ。目つきが悪く、無愛想な青年だったが、それなりにパン屋の一家とうまく過ごせている。電気機器を壊したりしちゃってるけどうまく過ごせている。
「マサキ、牛乳の配達が終わったぞ」
「ああ、御苦労さま。朝食はもうとってるんだっけ?」
「まだだ」
「それじゃあ食べておいてくれ。スバルはもう学校に行ってるから、残りのおかずは食べてしまってもいいよ」
「わかった」
一家の大黒柱であり、パン屋で一番偉い蛍石マサキ相手に対して失礼な言葉遣いだったが、お互いまったく気にしていない。カイトがこのパン屋で生活を始めてから2年。お互いにどんな人間で、なにが得意なのかはある程度理解していた。
カイトはお世辞にもマナーがいいとはいえない。が、慣れたら仕事は恐ろしい速さでこなしてくれる。また、外見や言葉遣いからはあまり想像できないが意外と面倒見がいい。母親がいない蛍石家にとって、一人息子のスバルの面倒を見てくれる彼の存在はかなり大きかった。特にテスト勉強を見てくれるのは非常に助かる。自営業の蛍石家は朝が早く、父親ひとりでは息子の面倒を見きれないのだ。
この日もまた同様である。
「む」
朝食を取ろうと食卓に向かうと、カイトは訝しげにテーブルの上を見やる。
そこに置いてあった物を認識すると、彼は即座にマサキに伝えた。
「マサキ、この弁当箱はなんだ?」
「弁当箱?」
問われ、マサキは戻ってくる。
息子が毎日学校に持って行ってる筈の小さな弁当箱がそこにはあった。ご丁寧に水筒もセットである。
「……ああ、スバルの忘れ物だな」
「アイツの学校は弁当が無くても昼食が取れるのか?」
「確か、学校でパンが買えたはずだけど……」
いかんせん、息子の蛍石スバルはお小遣いの使い方が荒い。もらったら即座にゲームセンターに直行し、貯めたかと思えば新作のゲームを購入しているのだ。下手をすると昼飯を我慢してお小遣いを貯めるとも言いだしかねない。
「……昼飯までまだ時間があるな」
スバルの性格はカイトも良く知っていた。恐らくお昼になにも食べず、途中で倒れるであろう少年の姿は容易に想像できる。ゆえに彼は提案した。
「届けてくる。すまんが、戻るまで業務はひとりで片付けてくれ」
「それは構わないけど、君はスバルの学校の位置を知っているのか?」
「地図を見る」
即答すると、彼はエプロンを脱いでてきぱきと支度を整えた。パン屋の息子の忘れ物を鞄に詰め込み、地図を片手に玄関へと向かう。
「待て、カイト。この時間に行っても無駄だぞ」
「なに?」
「ここは山奥だ。朝の通勤ラッシュの時間ならまだバスが来るが、この時間では1時間に1本来るかも怪しいぞ」
いかんせんヒメヅルは老人だらけのド田舎である。一番近くの中学校でもバスで移動しなければ辿り着くのに時間がかかりすぎてしまう。
「問題ない」
「なにか考えがあるのか?」
「ああ。案ずるな、必ずコイツを届けてくる」
たかが弁当を届けるだけなのに、どういうわけか住み込みバイトの目は物凄く真剣だった。しかもバスの時間を待てばいいだけにも関わらず、すぐに出発すると主張している。
マサキは知っている。この男は無意味なことはしない。言い切る以上、考えがあるのだろう。また、この街で暮して長い。最低限、常識にのっとった行動を取るであろうと信頼もしていた。
「わかった。だけど、せめて朝食はとっていけよ」
「心配はいらん。すぐに戻ってくる」
そういうと、住み込みバイトはどういうわけか靴を履かずに玄関から出て行った。取り残された靴を眺め、マサキは思う。
本当にどうやって届けるつもりなんだろう、と。
一言で新人類といっても様々な種類の人間がいる。
生まれつき持った才能は特殊な物も多く、ある者は道具を扱うことで才能を開花させることもある。ヒメヅルを取り囲む山々をバイクで走る飛ばし屋、速見もまたそのタイプの新人類だ。
複雑な曲がり角で構成された山々をバイクで駆けつつも速見はひとり、愚痴のように呟いた。
「ふん、やはり俺の速さの前には誰もついてこねぇ」
今は道路を走っているが、後方からは誰もついてくる気配がない。速見はその筋では名が知れた飛ばし屋だ。彼とスピード勝負をして勝てる者はいないとさえ言われている。今日もまた、身の程知らずの挑戦者が速見に挑みにきたのだが、結果はご覧の通り。ほんの少し曲がり角を曲がっただけで挑戦者は置いてけぼりだ。
「ま、仕方がないか。俺とブルースター号の前には誰もついてこれないからな」
久しぶりの挑戦者なので少しだけ高揚感を抱いていたのだが、たった一度の曲がり角でこの様では話にならない。自分と青いバイクの前では誰もついてこれないのがまた証明されただけだ。今頃、挑戦者は悔しがってバイクを降りている頃だろう。
最初の頃は追いかけられて気分がいいとさえ思っていたが、今ではたったひとりのレースに虚しささえ感じてしまう。
「さあ、ブルースター号。また俺たちだけになっちまったな」
王者のスピードは常に孤高である。ひとりで走る気分を共有できるのは常に相棒である青いバイクだけなのだ。自然と、愛車に語りかけるのが癖になる。
「今日はどうする。新記録を塗り替えてみるのも飽きたからな」
この山道を走るのも何度目になるだろうか。何度も走りすぎて飽きてさえもいる。が、この山道以上の高い難易度がある曲がり角がそうないのも事実だ。いっそのこと、バイクにまたがって宇宙でも飛んでみるかとさえ思ってしまう。
「ふん。俺たちなら加速力で月まで行けるかもな」
自嘲的に微笑んだ直後、後方から爆音が聞こえた。
挑戦者が追いついてきたのかと思い、自然とにやけ面になる。
「ブルースター号、どうやら久しぶりに骨のある挑戦者みたいだ。アクセルを踏むぞ!」
相棒の声に応えるようにしてブルースター号は加速した。後ろから迫ってくる爆音に追いつかれまいと、力を込めてハンドルを握る。
が、爆音は速見の耳にどんどん近づいて来ていた。
「俺のスピードについてくるだと!?」
こんな奴は始めてだ。最初、曲がり角であっさりと差をつけたような奴とは思えない。どんな挑戦者なのか、改めて顔を見てみたいと思った。
爆音が横まで並んでくる。速見は反射的に右に視線を向けると、そこには彼の予想を超える者がいた。
ヘルメットを装着していないのだ。それどころか、バイクにまたがってすらいない。彼は走っていたのだ。速見の目にも止まらぬような足の回転と速度を見せつけ、物凄い爆音を響かせながら山道を走っている。
「えっと、こっちだな」
しかもこのランニングマン、恐ろしいことに走りながら地図を眺めているではないか。
唖然とする速見。
なんだこいつは。バイクでもなく、乗り物に乗る訳でもなく、走ってこの俺と並んでいる。しかも奴はこっちを全然意識してねぇ。
自分とブルースター号の速さならチーターとだって争っても負けないと自負している。
だが、こいつはどうだ。汗ひとつ流していない。涼しい顔で爆走してやがる。
「あ」
地図から顔を上げると、彼はようやく速見の存在に気付いた。
男は――――カイトはほんの少しバイクに近づくと、速見に声をかける。
「おい、少し聞きたいことがある」
「なに!?」
「ヒメヅル中学校はこの先でいいのか?」
「はぁ、中学校!?」
中学校。中学校といえばあれか。高校と小学の間のあの中学校か。
「お前、まさか中学生か!?」
「中学生がこんな時間に走っているわけがないだろう」
なに言ってるんだ、コイツみたいな顔で言われた。
正論ではあるのだが、納得できない。
「どうなんだ。中学校はこっちの方向でいいんだろうな」
「お、おう。何度も走ってるから間違いない」
「そうか。感謝する」
言うと同時、爆音は更に加速を生んだ。
カイトはブルースター号をあっさりと追い越し、ヒメヅル中学校目指して超加速。コンクリートを砕き、砂煙を巻き上げながら走って行った。
「……く、くくく」
その様子を見ていた速見は、自然と笑みをこぼしていた。
「見ろ、ブルースター号。俺たちが置いて行かれてるぞ」
ブルースター号のライトが点滅した。
「そうだ。俺たちは常にナンバーワンだ。どんな時でも最速で、それでいて最速で、そんでもって最速じゃないといけない。それこそが世界の法則だ。新人類だとか旧人類だとか関係ない。俺たちがぶっちぎりのスピードなんだ」
速見の全身から青白い湯気のようなオーラが発せられる。
オーラは次第にブルースター号を包み込んでいくと、車輪の回転速度を大幅に加速させた。
「ゴー、ブルースター号!」
青い車輪が唸りを上げる。
ブルースター号が轟くと同時、速見は文字通り風となった。
「待ちやがれ、走り屋!」
「ぬ?」
追い抜いたはずのバイクが迫ってきたことを知り、カイトは訝しげに振り返る。地図と睨めっこしていたのを邪魔されたので、やや不機嫌そうだった。
「なんだ、中学校まで案内してくれるのか?」
「そこがお前の定めたゴールか! いいだろう、乗ってやる!」
「は?」
再度、なにを言ってるんだコイツとでも言わんばかりの顔をされた。
速見はそんなカイトの表情など一切気にせず、自分の解釈で話しを進める。
「ヒメヅル中学校だったな。そこまで全力で駆けていくといいだろう。俺もまた全力で走る!」
びしっ、と指を突き付けた。
突き付けられた張本人は真顔で突っ込む。
「おい、片手の運転は危ないぞ」
「心配無用だ! 俺とブルースター号は一心同体。たとえどんな状態でも常に最速! そして最速! そんでもって最速なんだ!」
「せめて前を見て運転した方がいいと思うぞ。免許を没収されても文句が言えないし」
「ふん、無免許で走るしか能のない男に言われてもな!」
「いや、俺は免許あるけど」
「ウソをつけ! 免許を持ってる奴がマシンに乗らず、裸足で走るか!」
本当なんだけどな、と納得いかなそうな顔で呟くカイト。
ぶっちゃけ裸足で走った方が手っ取り早いだけだと主張したいのだが、どうもこのバイク野郎は話を聞かないタイプのようだ。人付き合いはそんなに得意ではないが、この手の人間に絡まれると碌なことにはならないとカイトは知っている。
「さあ、レースを始めるぞ! ゴールはヒメヅル中学校だ」
「勝手に話を進めるな。俺は勤務中だ」
「ウソをつくな! 仕事中にこんなところを走ってる奴がいてたまるか!」
「お前はどうなんだ」
「俺は走りで稼いでるから問題ない!」
納得いかん。
カイトは割と真剣な目つきでそう訴えたが、速見は全く気にしている様子はない。
「さあ、いくぞ! すぐいくぞ! 速度はマッハ、フルスロットルでアクセルアクセルアクセルぅ!」
言った直後、速見はガードレールに激突。レールを破壊し、速度の赴くままに宙へと飛びだした。
「だから前を向いて運転しろと言っただろ」
カイトは曲がり角を当然のように曲がると、興味も無さそうに中学へと走り去っていく。速見を助けるつもりは一切なかった。
一方、宙へと飛びだした速見はいまだにハンドルを握ったままである。
「ブルースター号、俺たちはまだ走れるよな!」
青い愛車のライトが点滅。
なにを訴えたかわからないが、長い付き合いの相棒は上手に解釈した。
「そうさ、地面に激突したら俺たちはぺしゃんこさ。だけどこのまま走り続けたら地面に落下しない! 俺たちはそれが可能だ!」
なぜなら俺たちは最速。
だって最速。
なんたって最速。
最速なら落ちることなどない。寧ろこのまま速さにものを言わせて空を飛ぼう。飛行機よりも速ければ問題なんの問題もないのだから。
「大空高くぅ!」
ブルースター号が真上を向いた。同時に、彼らを包み込んでいた青白いオーラがジェット噴射のように噴き出していく。
「空を超えて、星を超えて、成層圏でさえも超えろブルースター号! 俺たちは今、星になってUターン! 今に見ていろよ裸足のランナー!」
無駄にでかい声で吼えながら速見は星となる。
青いマシンが空の彼方へと消え去ったのを見て、カイトは無言で地図と向き直った。