地震と豪邸(二〇一七年四月十八日)
こんにちは、葵枝燕です。
連載『夢日記』第三回でございます!
この作品は、何か面白い夢見た、これは誰かに伝えたい、記録に残しておきたいーーそう個人的に思った夢を、書いていくものとなっております。
今回は、二〇一七年四月十八日に見た夢です。
もしよければ、私の見た夢の話にお付き合いくださいませ。
その日も、日付をまたいだ頃にようやく寝ようという感じになった。月曜日から木曜日まで普通に講義が入っているのだから、夜更かしはいけないと思うのだが、もう癖になっているのだと思う。
エアコンのない我が部屋では、暑くなるこの時期には扇風機が欠かせない。スイッチを入れ、風量を中にしてから、羽毛布団をかぶる。正直、扇風機の意味があまりない。しかし、タオルケットだけではまだ寒い気もするし、かといって扇風機を止めれば暑い気もするし――要するに、扇風機をつけた上で羽毛布団をかぶる、というのがちょうどいいのである。
枕元に置いたタブレット端末でアラームをセットしてから、明かりを消し、床につく。
そして、こんな夢を見た。
私は、姉と母方の祖母と三人で、北谷町にいるらしかった。“らしい”というのは、“そこが確かに北谷町である”と私は思っているのだが、“北谷町のどこにいるのか”というのがわからなかったという、ひどく曖昧とした感情を持っていたからだ。とりあえず、北谷町の観光スポットである美浜アメリカンビレッジ周辺ではなかったと思う。
両親がこの場にいなかったのは、どうやら二人で一緒に出かけているということだった。家事が上手いとはいえない母に代わって家事をこなす父と、家族との外出をあまり好まない出不精の母とが、共に外出するなんて珍しいことのような気がした。そんな両親の話もしながら、私達三人は歩いていた。
そんなとき、どこからかこんなニュースが入ってきた。
「どっかで地震が起きたってよ」
「津波来るかもしれんって。警報出てるっぽいよ」
「逃げないとやばいんじゃん?」
静かだった周囲が少しだけ騒がしくなった。地震や津波というワードが出てきた割には、やけに静かな騒ぎだったのが不思議だった。それでも、道行くタクシーをつかまえて乗り込む人や、自家用車やバイクで走り去る人が出てきた。私達三人も、どちらからともなく、
「とりあえず、うちらも避難しよっか」
「そうだね。北谷はさすがに危ない」
と、会話を交わして、タクシーをつかまえることにした。だが、なかなかつかまらなかった。客が既に乗っているのならまだ諦められるが、空車のタクシーにも逃げられたのだ。タクシーを何台か逃してから、やっと空車のタクシーをつかまえることができた。
姉が先に乗り込み、その次に祖母、私が続く。運転手が行き先を訊ねた。
「どうする? ここからだったらY中近いけど、それでいい?」
私は姉にそう訊いた。この場所から一番近い避難所は、隣市にあるその中学校だろうという確信があったのだ。
「絶対やだ」
首を激しく振りながら、姉は私の提案を一刀両断した。当然だろう。そこは、姉にとってプライベートでは行きたくないだろう場所なのだから。顔が似ているとよく言われる私と一緒にいれば、尚更だ。
「ですよねー。じゃ、M小でいいかな」
近い方がいいかとは思ったのだが、姉の気持ちも何となくはわかる。なので、やはり隣市にある別の場所を提案してみた。姉はその提案に賛成してくれた。
「じゃ、M小までお願いします」
タクシーは、M小に向けて走り出した。
* * * * *
気が付くと、私は見知らぬ豪邸の中にいた。M小を目指していたはずなのにおかしいな――そう思う自分と、ここは知り合いの家なんだ――と思う自分とが混在していた。
テレビでは、中国のどこかで地震が起きたこと、現地では火災が発生していること、その地震の影響が日本にも及んでいること、青森県で津波が観測されたこと、今後も津波が発生する危険性があること――などが、映像と共に報道されていた。
そのとき、この豪邸に客人がやってきた。こんなときに一体誰なんだろうと、私は客人を出迎えに行くこの豪邸の住人の後を追った。
ドアの向こうには、この場所にそぐわない人物が立っていた。それは、刑事ドラマシリーズで見かける女優のWさんによく似ている人物だったのだ。
というのが、今の私が憶えている夢の記憶だ。
前半部分は結構憶えているのだが、後半部分は曖昧な部分が多い。それに、タクシーに乗り込んだと思ったら、次の瞬間には見知らぬ豪邸の中にいる、という感じだったのだ。何とも変な夢である。
偶然なのかどうかわからないが、この日姉も私と同じように“地震”の夢を見たという。何かが起こる前触れ、だったりするのだろうか。
とにもかくにも、今日一日を頑張っていこうと思うのであった。