第8話 世界の勇者と不思議な宝具 (3)
「お、おはようユート!」
「おはようございますアスカ様」
朝、アスカは元気よく右手を立てて悠斗に挨拶をした。それを、普段通りに紅茶を飲みながら新聞を読んでいる悠斗が、一瞥もせずに単調に返す。
その悠斗の様子に、アスカのこめかみがぴきりと音を立てた。
(な、何よこいつぅ。昨日、わ、私の身体をあんなにじろじろ見ておいて。わ、私なんてあんまり眠れなかったっていうのに……)
ひくつく口角を何とか押さえながら、アスカは台所で炊事をしているサシャに声をかける。
「サシャ。私にも、朝食作ってちょうだい」
「あ、はい。かしこまりました」
手際のいい朝のメイドを眺めながら、アスカは悠斗からは離れたダイニングテーブルの席に腰を置いた。そして、そこから新聞を読んでいる悠斗の横顔をちらちらと見つめる。
(だ、だいたい何なのよあの服は。どう考えても、えっちなこと目的じゃないの。そ、それにサイズもぴったりだったし……)
昨日のボンテージの着心地を思い出し、アスカの背中がぞくりと震えた。いけないいけないと、アスカは慌てて首を振る。
(いっつも澄まし顔で、にこにこ笑っちゃってさ。なぁにが、アスカ様よ。……私のこと、どう思ってんのかしら)
むすりと、アスカは仄かに頬を膨らました。覗き見た悠斗の顔は、昨日のことなど無かったかのように清涼としている。
(な、なによ。私だけが気にして。これじゃ、私がえっちな子みたいじゃない)
身体の奥が火照って仕方なかった昨夜を思いだし、アスカはかぁと顔を赤らめた。不覚にも慰めてしまった身体の余韻が、まだじんわりとだが残っている。
(お、思えば。男と一緒に暮らしてるのよね。あんなんでも、一応男ではあるのよね)
かちゃりと目の前に置かれた紅茶とパンに気が付かずに、アスカはじぃと悠斗を見つめた。どうしたのだろうとサシャが首を傾げるが、アスカは一向に気付かずに悠斗の身体を眺める。
(い、今まで、男っ気なんてなかったもんなぁ。いつも一人で剣振って、死にかけて、傷つくって……)
そういえば、最近傷の手当てなんてしてないなとアスカは思い出した。それもこれも、全部悠斗の宝具のおかげである。本当に、かすり傷一つ付いていない。
昨日見たスケッチブックを思い出して、ぽっとアスカの頬が染まった。
(……あいつ、私のことどう思ってんだろ)
冷めてしまう紅茶を心配しながら、主の思案顔に声をかけるべきか悩むサシャの衣擦れの音だけが、朝の空気を包んでいた。
ーー ーー ーー
昼の刻。悠斗は面倒くさそうな顔で、トリシュリア城の訓練場を訪れていた。
「……何ですか、話って」
笑いながらも心中が隠し切れていない表情に、目の前のリスティが声を上げる。
「その態度だっ! お前も、主を思う忠信はあるのだろう? ならば、いつまでも908位なんぞに甘んじているわけにもいかん。あたし自らが稽古を付けてやる」
軽装ながらもしっかりとした甲冑に身を包んだリスティが、悠斗をはきはきとした表情で見つめた。
その勢いに、悠斗はうわぁと顔をしかめる。
「いえ、別にいいです」
「だめだ。……ふふ、これは隊長命令だぞ」
やる気まんまんのリスティに、悠斗は心の底から来なければよかったと毒づいた。
廊下で出会ったときから違和感はあった。ただの嫌みな人ではない。だが、悠斗にとって最高にうざったらしい人種。
(この人、体育会系だ……)
うげぇと、悠斗は思わず笑顔を完全に崩しそうになる。忙しい身だろうに、一介の隊員の悠斗に時間を割くということが、そもそもリスティの世話焼き根性を物語っていた。
ちらりと、リスティを見やる。機動力重視なのだろうか、リスティの防具は随分と肌の色が見えていた。首、腋、臍、脚、リスティの健康な褐色の肌が、悠斗の目にも眩しい。
黙っていれば、見ているだけで得をした気になる程の容姿なのにと、悠斗は何て勿体ないとリスティの身体を眺めた。そんな悠斗に、リスティは腰に差した二本の剣を触りながら話し始める。
「あたしを睨んだとき、お前の右手に力を感じた。お前には才能がある。それをあたしが引き出してやろう」
リスティの言葉に、悠斗の眉がぴくりと動く。あのとき、自分は宝具を取り出しはしなかったがと、悠斗は目の前の近衛隊長を見やった。
悠斗の心が、かたんと動く。
「なに、心配するな。手加減はしてやる。私は素手で相手を……」
「いえ、本気でいいですよ」
がちゃがちゃと甲冑ごと準備運動をしているリスティに、悠斗がふぅと呟いた。リスティの目が、何を言ってるんだと悠斗に振り向く。
(これがこの先続くのも、面倒だ。この人には、黙っといて貰おう)
それにいい機会だ。このレベルの相手との、練習試合。二度とあるかないかの好機だろう。こいつの試運転に付き合って貰うかと、悠斗は両手をゆらりと広げた。
「……ほう」
瞬間、突如として悠斗の周りに現れた十六本の剥き身の刃に、リスティの顔がぴたりと止まる。
「お気に入りなんで、名前付きです。『浮遊する壱拾六の戦女』って言うんですが。……リスティ隊長なら、死にませんよね?」
悠斗の顔がにやりと笑い、リスティが腰の剣に手を掛けた。
「いいぞ。稽古を付けてやる」
そのとき、悠斗は見た。
愉しそうに、獰猛に笑みを浮かべた、勇者ランキングの第四位を。