第28話 勇者として (3)
「お、お嬢様。ミルクをお入れしますね」
「うん。いつもの奴お願いね」
笑顔を必死で作るサシャに、アスカがにこにこと頷いた。それを受けて、またかとサシャが顔を赤らめる。
「ま、まーぜまぜ。まぜまぜ。愛情注入、きゅんきゅんきゅん」
カップの中でかき混ぜられる紅茶に、アスカは満足げに笑顔を作った。
「ユート。私、あと二個でスタンプ貯まるわ」
「やったじゃないですか。もう少しでシルバー会員ですよ。僕も早くゴールドにならないと」
「楽しみだなぁ。私もサシャのステージ早く見たい」
楽しそうに話す自分の主人を見ながら、サシャはうううと心で泣いた。露出の高いこの服も、今では大分慣れてきている。
「あ、あの。ユート様、わたしがこの格好でいる必要って」
「サシャはメイドだからね。仕方ないね」
にっこり微笑む悠斗に、ですよねぇとサシャはにっこりと笑い返す。
(が、頑張るのよわたしっ! こんなに条件いい奉公先なんてないんだからっ!)
現代で言うところのパワハラを受けているとも知らず、サシャはむんと気合いを入れた。身寄りのないサシャにとっては、この屋敷は天国そのものだ。
「……あれ、誰か来たみたい」
そんな和やかな午後の時間、アスカは玄関の扉を叩く音を耳にした。ただ事ではない様子に、玄関に向かおうとするサシャを悠斗が止める。
「私が出るわ」
首輪が閃光となり、甲冑を身につけたアスカが席を立った。悠斗も、それを少し気になったように視線で追う。
「新聞なら間に合ってますけどね」
がさりと新聞を広げながら、悠斗は何でしょうねとサシャに振り向いた。サシャも、来客の予定はないと首を振る。
「ああ、アスカ殿っ!! よくぞご在宅でっ!!」
突如、野太い男の声が居間にまで聞こえてきた。アスカが玄関を開けたからだと、悠斗はその声に耳を澄ます。
「し、至急の伝令にございますっ!! ま、魔族がっ……!!」
続けて聞こえてきた声に、悠斗はがばりと新聞を放り捨てた。
ーー ーー ーー
「魔族が決起す。勇者は騎士の本懐を果たすべし、ですか」
ぺらぺらと紙を指で摘みながら、悠斗は乾いた笑みを浮かべていた。細かいことは下の方に書かれているが、何度も一文目を読み返してしまう。
「あ、あの。これって……」
サシャが、不安そうな瞳を二人に向けた。その言葉の続きを、椅子に座ったアスカが代弁する。
「魔族との全面戦争よ。……本当に始まった」
どこか視線が定まらないアスカを、悠斗がちらりと見つめた。
「勇者の称号を持つものは、戦準備を整え次第トリシュリア城に来られたし。これ、僕とアスカ様もですよね?」
まじかよと、悠斗は自分に関係のある箇所を眺める。ぎりぎりとはいえ、悠斗も勇者だ。例外はないだろう。
「当たり前でしょ。私が行かなくてどうすんのよ」
じっと前を見つめるアスカに、悠斗はそうですよねと頷いた。こんなときの為の、勇者ランキングだ。今こそ勇者の腕の見せ所だろう。
「……どうします?」
「どうするもなにも、戦争よ。書いてるでしょ。魔王ハデスって言ったら、魔王の中でも親分みたいなもんよ。総力戦よ。下手しないでも、世界の危機って奴ね」
アスカの言葉に、ごくりと悠斗が唾を飲み込む。サシャは、隣で呼吸を止めた。
「支度するわよ。早くお城に行かないと」
「ま、待ってください」
がちゃりと立ち上がるアスカに、悠斗が慌てて声をかける。珍しく笑顔を崩す悠斗に、何よとアスカが振り返った。
「ほ、本当に行くつもりですか? 戦争ですよ?」
「だから行くんじゃない。戦争なのよ?」
ぴしんと、悠斗とアスカの視線が重なり合う。その二人を、おろおろとサシャが見比べた。
「あ、アスカ様は、本来なら、4800位なんですよ?」
「それがなに? 今の私は、勇者ランキング第7位『緋天』のアスカよ」
頑なに譲らぬ視線。その迫力に、悠斗は小さく下を向く。
「……分かりました。ただ、一晩時間を下さい。サシャの防具を作りたいです。僕ら二人とも居なくなるんですし」
ちらりと振り向いた先、怯えるサシャがアスカの目に映る。そこで初めて、アスカの眼光が緩んだ。
「そう、ね。早朝経ちましょう。……私は部屋で仮眠を取るわ」
ごめんなさいとサシャに呟いて、アスカはふらりと階段に向かう。その背中を、心配そうにサシャが見つめた。
「ユート様……」
「大丈夫。心配しないで」
にっこりと微笑む悠斗に、サシャはぎゅっと両手を握りしめる。
ーー ーー ーー
「アスカ様、入りますよ」
悠斗は、ノックもせずにアスカの部屋の扉を開けた。ベッドの端に腰掛けているアスカを見つけ、ずかずかと悠斗は部屋に足を踏み入れる。
「……サシャの防具を、作るんじゃなかったの?」
「アスカ様こそ、仮眠を取るんじゃなかったんですか?」
アスカの背中に、悠斗は呆れたように声をかけた。
嘘が下手な人だと、悠斗は思う。
「甲冑着たままじゃ、寝れませんよ?」
悠斗の言葉に、びくりとアスカの背が震える。
いつもより小さく見える背中に、悠斗はゆっくりと近づいた。
「……私ね、強くなったと思ってた」
ぽつりと落ちたアスカの呟きに、悠斗の足が止まる。
「あんたの宝具のおかげってのは分かってる。でも、色んな相手と戦って、毎日鍛錬もして。……強くなれたって思ってた」
かちゃかちゃと、アスカの甲冑が音を鳴らす。その理由が、分からない悠斗ではない。
「でも、だめだね。やっぱり私は、へなちょこ剣士だ」
アスカの声は、震えていた。悠斗は、何も言わずにじっと見つめる。
「……怖いよ。すごく、すごく怖い。……こんな立派な甲冑や剣を貰っても、怖いんだ」
悔しさからだろうか。情けなさだろうか。それとも、恐怖からだろうか。訳が分からず、アスカは涙を床にこぼした。
悠斗は、アスカの気持ちが分かるような気がした。
原因は、リスティ隊長だろう。あの一件で、悠斗の宝具の防御は彼女の攻撃を受け止めきれなかった。信頼を寄せるはずの、絶対の防御能力。そんなものなどないことに、アスカは気づいてしまったのだ。
自分の無力さに、悠斗は奥歯を噛みしめた。
「勇者。……成りたかったはずだったんだけどなぁ」
えぐえぐと涙を流すアスカに、悠斗は一歩近寄る。
あの日、この少女を勇者にしたのは自分だ。
「逃げましょう、アスカ様」
悠斗の言葉が、届いた。アスカは、泣きじゃくった顔をゆっくりと悠斗に向ける。悠斗は、その顔に決意した。
「だ、だめだよ。私は……」
「アスカ、だよ。ただの見習い剣士。勇者ランキング4807位の、勇者を目指して頑張っている、女の子」
もう一歩、悠斗は近づいた。手を伸ばせば触れられる距離。アスカは、じっと悠斗の声に耳を傾ける。
「君を勇者にしたのは、俺なんだ。『緋天』のアスカなんて勇者は、本当は居ないんだよ」
触れる。アスカの甲冑。彼女を勇者たらしめている神域の力に。
光と共に、アスカの全身の宝具が消失する。アスカは、驚いたように自分の身体を見つめた。
「これで、元通りです」
にっこりと、悠斗は普段の笑顔をアスカに向ける。アスカは、悠斗の顔をただただ見つめた。
「逃げましょう。サシャを連れて。大丈夫。リスティ隊長みたいな人が、他に九人いるんですよ? 僕たちが居なくても、大丈夫ですよ」
微笑む。そうだ。これでいい。元より自分は、何かを成そうとしていたわけではない。
こんなご大層な力で、少女二人と武器屋を営む。そんな未来があってもいいはずだ。
「一緒に、逃げましょう。誰にも文句は言わせません」
「でも……」
アスカの心が揺らぐ。こんなアスカだからこそ、きっと自分はあんなことをしてしまったのだと悠斗は思った。
ぎゅっと、抱きしめる。
突然の抱擁に、アスカは小さく声を出した。
「ゆー、と」
じわりと、アスカの瞳から溢れてくる。アスカは、それを隠すようにぎゅっと悠斗の身体に抱きついた。
「ユート。私、わたし……」
「いいんですよ。今まで、頑張りましたね」
よしよしと、悠斗の手のひらがアスカを撫でる。アスカは、ひくつく声を悠斗の身体に押し当てた。
ーー ーー ーー
「じゃあ、明日の朝。早めに村を出ましょう」
「……うん」
アスカがこくりと頷いたのを見て、悠斗は小さく微笑んだ。アスカがじっと壁を見つめていることに気がつき、どうしましたと声をかける。
「ううん。……このお屋敷とも、お別れだなぁって」
ちょっとそれが名残惜しいねと、アスカは笑う。言葉通りに受け取るふりをして、悠斗もそうですねと笑い返した。
「リスティ隊長、怒るかな」
「……どうでしょう。僕だけ、怒られそうですけどね」
はははと頬を掻く悠斗に、アスカはくすりと微笑んだ。そして、一言悠斗に振り返る。
「ユート。……おやすみ」
それに無言で頷いて、悠斗はかちゃりと扉を閉めた。
「さて。サシャにも話さないと」
悠斗は居間へと歩を進める。一度ぴたりと歩みを止めて、悠斗はがしがしと頭を掻いた。
ーー ーー ーー
悠斗が居なくなった部屋の中、アスカはじっとベッドに腰をかけていた。
「……甲冑、取り上げられちゃった」
そんなことしなくても、自分は行けやしないのにと、アスカはくすりと笑う。
「勇者、か」
ふるふると、震えて来た。この震えは、恐怖からでは決してない。
「私って、ほんとだめだなぁ……」
ぽつりと呟く。あれほど憧れていた夢。勇者になって、人々を助ける。
「今が、そのときなのになぁ」
無敵の甲冑。何でも切れる剣。羽のような具足。これ以上、自分は何を望むのだろう。
「……しょうがないよ。だって、もしかしたら死んじゃうんだよ?」
思う。きっと、誰しもが死ぬのは嫌だと。
「ユートの宝具だって、絶対じゃなかった」
思う。それでも、自分以上に安全な者が居るのかと。
「私なんて、本当は……」
思う。
ぴたりと、アスカの震えが止まった。
何故だろうと、アスカは両手を見つめる。
思い出す。自分が勇者になった日のことを。
「本当の、私……」
つい、笑ってしまう。こんなことを、忘れていたなんて。
自分は、宝具なんて身につけてはいなかった。
あの日少年を守ろうと立ち上がろうとした少女は、何処の誰だったのだろうか。
「……嘘っぱちでも、いい」
ぎゅっと、腕を胸に抱いた。
呟く。きっと、本当に居るのだ。たとえ嘘っぱちでも、たとえ借り物でも、きっと彼女はそこに居る。
『緋天』のアスカ
アスカは、すくっと立ち上がった。そして、小さく振り返る。
「ごめんね、ユート」
怒るだろうなぁと、アスカは思う。絶対に許してはくれないだろう。
「でも、行くね」
たんと、アスカは前へ踏み出した。
ーー ーー ーー
早朝、空になった部屋を見て、悠斗は全てを悟る。
自分は、彼女の勇者たらしめているものを、何も奪ってやしなかった。
「あんの、ばか……」
ぎゅっと拳を握りしめて、悠斗は部屋を取びだした。