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第26話 勇者として (1)


「ふぁあ。……どうしました? 朝っぱらから」


 清涼な空気が漂う平日の朝、悠斗は眠気眼を擦りながら庭の一角に声をかけた。


「ふッ! ふッ! あ、ユート。おはよう」


 アスカは、汗を拭いながら悠斗に振り向く。その顔は清々しさに満ちあふれていた。

 右手には模造刀。確か、悠斗がアスカに頼まれて創った訓練用の剣だ。重いだけで、切れ味はない。


「……何してるんですか?」

「見てわかんない? 鍛錬よ」


 ふぅっと一息つきながら、アスカは庭に置かれたテーブルの上のグラスを手に取る。ぐいっと水を飲み干しながら、アスカはよーしと再び剣を握った。


「その、何でまた。……意味あります?」


 気合いを入れてるところ申し訳ないがと、悠斗は不思議そうにアスカに問いかける。アスカの身体能力は、悠斗の宝具で強化されているのだ。今更剣の鍛錬など、意味があるようには思えない。


「なーに言ってるのよ。確かにあんたの宝具は凄いけど、剣を握るのは私自身なのよ。緋剣だって、当たらないと意味ないんだから」


 宝具を展開しないままに、アスカは重量剣を振り続ける。剣道の素振りとも違う、実践的な型の動きだ。

 アスカの心境を察して、悠斗は深く追求しないことにした。


 この間のリスティの一件。アスカの剣技はリスティにかすりもしなかった。相手が相手だし仕方がないと悠斗は思うが、アスカには何か思うところがあったのだろう。言われてみれば、ここ一月程、アスカのかけ声が庭から聞こえていたような気がする。基本的に自堕落な生活の悠斗は、たまたま今日早く起きるまで気がつかなかった。


「……まぁ、無理しないでくださいよ」

「うんっ。朝ご飯出来たら呼んでね」


 鍛錬に勤しむアスカを後目に、悠斗はダイニングへと足を向ける。





 ーー ーー ーー





「あ、ユート様。おはようございます」

「うん、おはよう。サシャも早いね」


 悠斗が台所に着くと、軽く驚いたようにサシャが挨拶をしてきた。朝早くに悠斗が起きていたからだろう。悠斗は、たまにはねという顔で食堂の椅子に腰掛ける。


「……アスカ様って、毎朝あんなことしてるの?」


 サシャがテーブルに用意してくれていた新聞を広げながら、悠斗はぽつりと呟いた。朝食の用意をしていたサシャが、手を止めずに言葉を返す。


「ええ。ここ最近はずっとですね。……ユート様は、ああいうことはなさらないので?」


 フライパンの上にベーコンを広げながら、サシャは卵の殻を片手で割っていく。ばちばちという油の跳ねる音が聞こえ、悠斗の腹がぐぅと鳴った。


「僕は、ああいう肉体的な鍛錬はしないね。机の前で、汗を掻かずに頭を動かすんだ」


 今日の朝はベーコンエッグかと、悠斗はぺらりとページをめくる。サシャのベーコンエッグは美味しいのだが、悠斗はもう少し焦げ目が付くくらいの方が好みだ。


「へぇ。勇者様も、いろいろなんですねぇ」


 ベーコンと目玉焼きを合体させながら、サシャがじぃっと焼け目を測る。サシャにとっては、悠斗もアスカも同様に雲の上の存在だ。悠斗の鍛錬方法にも、何の疑いも持たない。


「アスカ様も、別にあんなことしなくてもいいんですけどね。……ほんと」


 一生懸命に汗をかいていたアスカを思い浮かべ、悠斗はくしゃくしゃと頭を掻いた。ああさせてしまっているのは自分のせいだと、悠斗はぎりりと奥歯を噛みしめる。


「……何であんなに頑張るんだろ」


 やっぱり何か納得のいかないものを感じて、悠斗はふんと新聞に目を落とした。





 ーー ーー ーー





「わぁ、アスカ様だー」

「アスカ様ぁ」

「握手してください!」


 人混みに囲まれるアスカを、悠斗はじっと見つめる。


「みんなありがとー」


 甲冑を展開したアスカが、街の人々に笑顔を振りまいていた。集まってくる子供達に、アスカは柔和な微笑みを見せていく。


 アスカは、街の人気者だ。他の一桁勇者たちと違って、庶民的な行動が多いからだろうと悠斗は思う。

 城下町の甘味屋で、街娘と一緒になって行列に並んでいたり。酒場で酔いつぶれているのを悠斗に介抱されていたり。流行の劇場で、人目も気にせず号泣していたり。


 そういう、勇者らしからぬところが、街の人々から親しまれているのだ。この間なんて、近所の農家の収穫を緋剣で手伝っていた。


 街からでも見えるトリシュリア城の大時計を確認し、悠斗はアスカに振り返った。今日はこの後、近衛隊の定例会議に出席しなければいけない。


「アスカ様、遅れちゃいますよ」

「ごめーん。みんな、また後でねー」


 子供の手を握っていたアスカが、悠斗に申し訳なさそうに振り返る。悠斗は、別に謝らなくてもいいですよと先を歩いた。


「……勇者らしく、なってきたじゃないですか」

「え? そ、そうかなぁ。……まぁ。それもこれも、全部あんたのおかげなんだけどね」


 あはははと、アスカは苦笑する。しかし悠斗は、それを心の中で否定した。


(違いますよ)


 その一言を、悠斗はアスカに言ってあげたい。

 勇者。きっと、自分は真の勇者になど成ることが出来ないだろうと悠斗は思う。


「今日は、用事がすんだらケーキでも食べて帰りましょうか」

「ええ、マジっ!? ユート、奢ってくれるのっ!?」


 悠斗の呟きに、アスカがきらりんと目を輝かせる。いや、別に奢るとは一言もと悠斗はアスカに振り返るが、その表情に言葉を続けるのを止めた。


「あのねっ。東の通りにすっごく美味しいお店出来たんだって。サシャにも買って帰ろうよ」


 うきうきと声を弾ませるアスカに、悠斗ははいはいと返事をする。


 平和な時間。


 それを肌に感じながら、悠斗は自分の右手を見つめていた。


「……勇者、ね」


 悠斗の呟きが、街の喧噪にかき消される。





 ーー ーー ーー





「おお、ユート殿。見てくだされ、拙者のマントを」

「アスカ様、この胸に刻まれた二文字の意味が分かりますか?」

「ユート殿もどうですか? いい店知ってますよ」


 近衛隊の隊舎に入った悠斗は、口をぱくぱくと開けていた。


「ふむぅ。この『変態』の二文字。ユート殿は、ご存じないでしょう」


 もの凄いドヤ顔で、赤毛の剣士が悠斗に胸当てを見せつけてくる。そこには、でかでかと妙に達筆な感じで『変態』の文字が描かれていた。


「わー。かっこいいー」


 アスカが、呑気に剣士の胸当てを触る。自慢げに顎を上げる剣士を、悠斗は開ききった瞳で見つめた。


 見渡すと、隊舎は『変態』だらけで、ほとんど全員が『交尾相手募集中』している。


 逃げなければ。一刻も早く。そう思い、悠斗は得体の知れない寒さを覚えた。


「よーし。定例会を始めるぞー」


 そこに、聞き慣れた声が入ってくる。悠斗は、資料片手に入ってきたリスティの元へと駆け寄った。


「隊長っ!! どういうことですかこれは!?」

「……ん、どうしたユート。あんまり他の者の前ではだな。そういうことは、夜にならいくらでも」

「がぁああっ!! 今はそんなこと言ってる場合じゃないんですよっ!! これ、これぇえ!?」


 悠斗は、頬を染めるリスティに隊舎の現状を腕で示す。それを見たリスティが、不思議そうに周りに顔を上げた。


「ユート、お前何を言っ……ッ!?」


 びくぅっと、リスティが目を見開く。リスティに気が付いた隊員たちが、こぞってリスティの元へとやってきた。


「おお、隊長。見てください、我々の勇姿を」

「どうです? この一体感。素晴らしいでしょう」

「我々で、近衛隊の旗図を考えました。見てください」


 そう言って、一人の長身の男がリスティへと一振りの槍を手渡す。柄には大きな旗が掲げられており、当然のようにそこには『変態』の二文字が記されていた。


「我々、リスティ隊長に感銘を受けました」

「我ら『変態』軍団。これからも隊長と共に『変態』の名を欲しいままにしてみせます」


 熱く語る隊員に、リスティはくらりと足下を揺るがす。勿論、リスティの腹と背中にはまだあの文字が残されていた。


「……どういうことですか、隊長?」

「ははっ。はははっ。知るか。……ははっ。あたしの、近衛隊が。姫様の……はははっ」


 力なく笑うリスティに、悠斗はそれ以上言葉をかけることが出来なかった。


「ねーユートぉ。私の甲冑にも書いてよー」


 事情を知らないアスカが、悠斗の袖をくいくいと引っ張る。

 

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