第20話 両手に女勇者 (1)
「……んぅ」
上下に感じる振動に、悠斗は深く閉じた瞼を開いた。
(……あったかい)
身体の前面に、心地よい温かさが広がっている。柔らかな感触に、悠斗はゆっくりとその目を開いた。
(それに、いい匂いがする。……髪? 赤色……ッッ!!?)
目の前に映る光景。身体の触覚。そこから、悠斗は今現在の自分の状況を理解した。
(アスカ様っ!? え、なんでっ!?)
咄嗟に、身体を硬直させる。不自然な動きをしないよう、呼吸を保つことに努めた。
注意すれば、身体に食い込むバツ字のロープ。それは、悠斗の背面からアスカの胸の前で交差している。
振動は馬の蹄。要は、悠斗はアスカの背にロープで括り付けられたまま荒野を疾走していた。
だいたいの事態を悠斗は察するが、それでも早くなる鼓動を止められない。
(せ、背中っ! か、甲冑付けてないっ! む、胸っ!!?)
だらんとアスカの前面へと放り出された腕が、微かにアスカの胸に当たっている。人生で初めて感じる柔らかさに、悠斗は一瞬気が遠くなりかけた。
(……ど、どうしよう)
とりあえず、もう少しこのままで。悠斗は、保留を選択する。なんとなく、起きるタイミングを逃してしまった。決して、この感触をもうしばらく楽しみたいとか思ったわけではない。
「アスカ。ユートはどうだ?」
そっと目を瞑った悠斗の耳に、併走するリスティの声が聞こえてきた。その瞬間、悠斗はどきりと鼓動を跳ねさせる。
(そうだっ!! リスティ隊長っ!!)
悠斗にとっては、先ほどまでの激戦。その記憶が、ぼんやりと欠如している。覚えてはいるが、すぐには思い出せない。
「大丈夫です。ぐっすり寝てます。隊長は?」
「あたしは平気だ。外傷は無かったからな。……本当、お前たちには感謝しかない」
リスティの声。その普段通りの彼女の声に、悠斗は危うく泣きそうになった。
(――よかったッ!!)
思わず、ぎゅっと身体に力を込める。それに気づかないまま、アスカはおもむろにリスティに振り返る。
「ユート、凄いでしょう」
「え? あ、ああ。そうだな」
得意げなアスカに、リスティは首を捻った。しかし、その言葉に衝撃を受けたのは背後にいる少年の方である。
「……と、ところでアスカ。その。大丈夫か? 今回は、あたしに責任があるから。その。……ユートはあたしが背負っても」
「必要ないです」
にっこりと、満面の笑顔でアスカは言い切った。リスティは、うぐっと喉を詰まらせる。
「あんなことしておいて、いきなりそれですか。リスティ隊長って、戦闘中以外もはしたないんですね」
「は、はしたなっ!?」
ぎゅっとユートの腕を片手で抱きしめるアスカに、リスティはかあと顔を赤らめた。
(う、腕ぇっ!! あた、当たってるっ!!)
背後の悠斗は、もはや理性を保つのに必死だ。たゆんと、アスカの豊満な胸の感触が悠斗の右腕に襲いかかる。
「……ふぅ。……いや、本当に感謝してもしきれん。あのとき、あたしの人生は終わっていたはずだった。改めて礼を言う」
そして、リスティの声が真剣なものに変わる。その眼差しに、アスカはリスティの横顔を見つめた。
「私は、何も」
「いや。お前たち二人が居たからこそだ。いいコンビだな」
にかっと笑うリスティに、アスカは照れたようにはにかんだ。背中の悠斗も、泣き出したいほどに嬉しく感じる。
「悠斗の能力については、詮索はせんよ。お前たちの事情も理解した。……悠斗は、素人だな?」
前を見つめるリスティの声。アスカは、こくりと頷く。
「やはり、か。信じられんな。……いや、宝具作成の能力。矢面には立たない人生もあるだろう。それにしても、信じられない能力だ」
リスティの淡々とした感想を、悠斗は黙って聞いていた。自分としても気になる意見に、耳をリスティの方へ向ける。
「魔術でもない。まるで、神話の世界だ。……いや。この世界に存在する宝具も、結局は太古の誰かに創られたのだろうな。その誰かが今の時代に居たとしても、不思議ではないか」
アスカは、リスティの言葉に後ろの悠斗を思った。確かに、深くは考えなかったがとんでもない力だ。世界を知らなかったアスカにすれば、悠斗のような存在が、要は二つ名付きの勇者なのだと思っていた。
「……その。そんなに珍しいんですか?」
「ん? ああ。聞いたこともないよ。確かに、宝具を作れる職人は存在する。しかしそれは、たぐいまれなる才覚を持った人物。それこそ、伝説になるような。そんな人物が、生涯をかけて一振り。多くても数本。そんな世界だ」
それにあそこまでの物を作れる者は、今は居ないだろうとリスティは続ける。ごくりと唾を飲み込むアスカに、悠斗は今一度自分の能力の偉大さを認識した。
神域。今になって思う。何故、自分なのだろうと。
「いい男だな、ユートは」
「ぶっ!!」
自然に言葉を出すリスティに、アスカは吹き出す。悠斗も、危うく声を出すところだった。
「な、ななななっ!?」
「勘違いするなよ。能力が凄いからじゃない。……そんなものなくても、ユートは」
きゅっと、リスティは手綱を握りしめる。その表情に何か危険なものを感じて、アスカは口をぱくぱく開けた。
「なぁ、アスカ。ユート、あたしにくれないか?」
「はぁああああっ!?」
アスカの叫びに、馬と悠斗がびくりと身体を振るわす。それでも、アスカは信じられないとリスティを見つめた。
「ばっ。……な、何を言ってるんですか!? あ、あげるわけないでしょうっ!!」
「でもお前、言ってたじゃないか。恋仲とかじゃないって」
リスティの視線に、アスカはうぐっと言葉が詰まる。その動きに、背中の悠斗は密かにショックを受けていた。
(……で、ですよねぇ)
うなだれる悠斗には気づかずに、アスカはリスティに講義する。とりあえず、睨みつけた。
「こ、恋仲とかじゃなくてもっ! ユートは大事な仕事のパートナーなんですっ! あげるとか貰うとか、物みたいに言わないでくださいっ!」
苛立ちが混じったアスカの言葉に、悠斗はじぃんと感動する。これからも頑張ろうと、素直に思う。
「……ふむ。そうだな。……すまん。色恋沙汰は、したことないんだ」
「わ、私だってないですよっ!!」
しょんぼりとするリスティに、アスカはふいっと横を向いた。何となくガールズトークを呈してきた模様に、悠斗は空気に徹していく。
(お、起きれねぇ……)
正直、何が起きているのか全く分からない。リスティ隊長が自分を引き抜こうとしているのは理解したが、それをアスカは許さないだろう。何せ、アスカは悠斗が居なくては戦えないのだ。
そう会話の内容を理解して、悠斗はしかし首を傾げた。
(何か、違う気がする……)
大事なことを見落としているような。そう思いながら、悠斗の意識は再び落ちていった。たまった疲れが、安心とともに吹き出してくる。
(……ま、いっか。隊長、無事でよか……た)
まどろみに落ちた悠斗は、その体重をアスカに預けた。
「あ、そうだ。じゃあ、ユートがあたしに惚れたら構わないか? だったらいいだろ」
「……え?」
名案だと笑うリスティに、アスカはどきりと鼓動を強める。返す言葉を持たない自分に、妙な焦りが生まれた。
「……は、はいやぁああっ!!」
全てを脇に置いて、アスカは馬を加速させる。それを見たリスティが、おい待てと後を追った。