第16話 初めてのクエスト (3)
「す、っげぇ……」
思わず、悠斗は呟いていた。
一瞬。そんな言葉すらチープに感じるほど、リスティの動きは鮮やかだった。
悠斗の見上げた上空で、奇怪な死体のオブジェが分解し、その中から放り出されたピエロのような格好の魔族の身体が、四方に向かって弾け飛ぶ。
恐らく、瞬きの間以下の出来事。
「強ぇ……」
勇者ランキング第4位。『双頭』のリスティ。
その強さに、悠斗もアスカも見惚れて、空を仰ぐ。
二人の心中に何物にも勝る安堵が、じんわりと広がった。
それが、いけなかったのだろうか。
悠斗は、見ていた。
リスティに見えない角度。飛んでいったネキュアラの首が、不気味に笑みを浮かべるのを。
「ーーッッ!?」
リスティが空中に滞在している僅かな間。頭部と四肢を飛ばされた胴体の断面から、赤黒い糸の固まりが噴出した。
目に見える程の、魔力の固まり。
リスティの剣が、その殆どを切断する。しかし、その赤い糸はそのまま赤い霧へと姿を変えた。
「隊長っ!」
アスカが叫ぶ。しかし、アスカが跳躍したときにはすでに、その赤い霧がリスティの口内へともの凄い勢いで進入していた。
「ーーんぶっ!?」
思わずリスティは喉を押さえる。しかし、それだけで進入を拒めるほどネキュアラも甘くはない。
(こ、こいつっ! まさかっ)
くらりと、リスティの思考が揺いだ。
魔力だけではない、とんでもない量の命そのもの。リスティは、ネキュアラの能力の本質を理解した。
《ーーその身体、貰い受けますーー》
命を紡ぎ、命を奪う。身体を持たない邪悪な美意識。
魔族七十二柱、『芸術家』ネキュアラ。
紛う事なき、Sランク。
(見誤っ……!?)
浸食される意識の中、リスティは自分に飛びかかるアスカを見やった。その顔には、どうすればいいのかという、戸惑いの色が張り付いている。
「なっ……」
どろどろとした、黒い感情が流れ込んでくる。ぐずぐずとした、汚れた意識が潜り込んでくる。
リスティの脳。それよりも深く、根源的な部分。魂と呼ばれる場所。
《わたしはネキュアラ。あなたはネキュアラ。あそぶことがだいすきな、ゆかいなどうけし。あそびましょう。死してなお。そのからだが、くちてなお》
どくんと、リスティの心臓が跳ね上がった。
魂がにんまりと笑う白い顔を認識し、リスティの自分への意識が、赤い霧に飲み込まれる。
ぽとんと、リスティという存在が書き換えられる。
《ーーそう! わたしは、ネキュア……
芸術家の顔が、愉快に笑い。
「っめるなぁああああああああ!!!!」
そして、切り裂かれた。
恫喝。リスティの叫びが、ネキュアラの意識を吹き飛ばす。
精神。意識。存在。ネキュアラの魂が、怨嗟の断末魔と共に空に消えていく。
「……はぁっはぁ」
リスティが、ようやく地面へと着地する。アスカも、そのままほっとしたようにリスティの隣へと降り立った。
「リスティ隊長! ご無事でっ!?」
慌てて、アスカがリスティへと近づく。悠斗も、足をリスティの方へと動かした。
「隊長っ! ……ッ!?」
しかし、悠斗とアスカの動きが止まる。
右手。リスティの右手が、広げられて向けられていたからだ。
そこからは、「来るな」というリスティの意志が放たれていた。
リスティの顔が振り返る。
その顔は、どこまでも穏やかな笑顔だった。
「すまない。しくじった。あたしはここまでだ」
魔族七十二柱。『芸術家』ネキュアラの魂は消滅している。命で遊び尽くした、魔界のアーティストはもういない。
しかし、そのどす黒い怨念が。ぐずぐずとした美意識が。どうしようもない程の情熱が。リスティの魂に、呪いとしてこびり付いていた。
(申し訳ありません。……姫様)
最期に愛しい人の顔を思い出し、リスティは自分の首を切り飛ばす。
そう、しようとした。
恐らく、刹那の差。最愛の人への名残惜しさが、リスティの刃を遅らせた。
ぴたりと、リスティの刃が首皮一枚で止まる。
「……ッ」
リスティの目には、何かを叫ぶアスカと悠斗。その二人を見つめ、リスティは動かぬ身体に最期の力を振り絞った。
刃が、首筋へと食い込む。ぷつりと血が溢れ、しかしそこでリスティの力は途絶えた。
呪いが、リスティの魂に染み込み終える。
「逃げろ」
その一言を震わす力すら、もはや残されていない。
ーー ーー ーー
「隊長? どうしまし……」
動きの止まったリスティに、悠斗は一歩近づこうとした。
「アスカ様?」
その歩みを、アスカに左手で制される。どうしたんだと、悠斗はアスカを見つめた。
「ユート。構えて。……お願いだから」
アスカの言葉に、悠斗は首を傾げる。何故だ。たった今、敵は消し飛んだじゃないかと、悠斗はアスカに目で訴えた。
「何を言って……」
そのアスカの表情を見て、悠斗は悟る。本当は、予感はしていた。
ゆっくりと、悠斗はリスティに振り向いた。
「……くく」
立ち上がっていた。にたりと、リスティが悠斗とアスカに微笑みかける。
笑み。知っている。悠斗はこの笑みを知っている。
(でも、これはーーッ)
違う。絶対的に違う。リスティ隊長は、こんな風には笑わない。似ているが、何かが違う。目の前のリスティに、悠斗は一歩後ずさった。
「お願いユート構えてっ!!」
アスカの叫びに、悠斗の身体がびくりと止まる。
かたかたと、右手を前に差し出した。震えの原因は、恐怖だけでは決してない。
「ふふ、嬉しいぞ。ユート、アスカ。お前達とは、一度全力で戦ってみたかった」
こきこきと、リスティは首を鳴らす。浅い首の傷は、すでに血が止まっていた。
「……隊長?」
「ユート。また濡れさせてくれ。……あのときみたいに、ぎりぎりで交じり合おう」
ぺろりと、リスティの舌が唇を舐める。
その顔に本能的な危機を察して、悠斗は今更ながらに理解した。
自分たちが、リスティの敵になったのだということを。




