第1話 異世界からの宝物庫 (1)
「くそつまんねぇ」
学校の帰り道、柏木悠斗は蹴った石ころの行方を、目で追いながら呟いた。
こんこんと跳ねていく石ころが、そのまま電柱の影に飛び込んでいく。
「くそっ。何か面白いことねぇのかよ」
ぐしゃぐしゃと頭を乱しながら、悠斗は苛立った声を誰もいない道上に落とした。
原因は分かっている。単純な話だ。
高校三年生。
苛立つ理由は、これだけで十分だった。
「……死にてぇ」
心にもない言葉が、口から漏れる。
何か目標があるわけでもない。夢があるわけでもない。必死になって、いい格好を見せたい人がいるわけでもない。
勉強もほどほど。スポーツも、運動神経はいいほうだが、部活をやってる者よりも上手く身体を動かせるわけでもなかった。
なかなかいいじゃんと思っていた成績は、三年生に入ってからテストの度に順位が落ちている。
「……いっそのこと、どっか別の世界に行きてぇ」
少しだけ、本気で思った。
魔王を倒す勇者になりたいわけではない。世界を救う救世主なんて、以ての外だ。
どこかファンタジーな世界で、そう。例えば、可愛いヒロインと一緒にお店を経営するような。そんなささやかな幸せを手に入れる。そんな話の主人公になりたい。
覇道だの、救済だの、冒険だの。妄想の世界でさえ、自分には苦痛に感じた。
「終わってんなぁ、俺」
ぼそりと、悠斗は自分に呆れかえる。
自分はどこまでも面倒くさがりだと、悠斗は自嘲気味に笑った。
「結局、何もしたくないんだよな。俺って奴は……」
たった一人の少女。自分に微笑みかけてくれて、隣に立ってくれる存在。そんなものがあったなら、自分のこの退屈は、少しは無くなるのだろうか。そんなことを考えて、それこそ無理な話だと悠斗は右手に力を入れた。
二年前の夏。一度だけ、一度だけチャンスがあった。
中学生の頃からの、遊び仲間。女とも思っていなかった、そんな奴。
あの日、何で逃げ出してしまったんだと、悠斗は毎晩後悔している。
「くそっ!!」
胸が重いのは、遊び仲間が減ってしまったからじゃ、ない。
「ほんとつまんねぇえ!!」
何故だか無性に走り出したくなって、悠斗は足に力を入れた。
久しぶりに駆ける。横に流れていく視界は、ほんの少しだけ楽しかった。
「……え?」
そんな視界に、大きなワゴン車が移ったのは、一瞬だった。
ライトを点けるかどうか微妙な時間帯。
走馬燈なんてものを見る間もなく、柏木悠斗は絶命した。
ーー ーー ーー
広い、広い空間に立っていた。
白くて無機質な空間が、ただただ見果てぬ先まで続いていく。
あまりの白さに目眩がしてしまいそうなその場所に、悠斗は立っていた。
「……は?」
あまりのことに、理解が追いつかない。
白すぎて地面すら曖昧なその境界を、足の裏だけが感じていた。
否、もう一つ。もう一人だけ、ここが限りある空間だという証明としてそこに居た。
『くく。随分と間抜けな死に方だのう。若すぎて腹がよじれるわ』
机。校長室にあるような立派な机に、少女があぐらを掻いて座っている。
白く長い髪だ。机に着いてしまっている。
「こ、ここは。俺、死んで……。あんたは……」
『うむ。愉快なので合格。なになに、最期の願いはと。……別の世界に行きたい? 何じゃ、変わった奴じゃのう』
悠斗の言葉には耳も貸さず、少女はぶつぶつと何かの本を読んでいた。その書物だけが、この悠斗の視界の中で唯一赤い。
『残した最期の未練は……っぷ。くく、まあ男の子じゃからな。そういうもんじゃよな』
ぺらりとページをめくった少女が、小馬鹿にしたように噴き出した。流石に何で笑っているのか何となく察した悠斗が、怒りと羞恥で顔を染める。
『くく、初やつ初やつ。悦いぞ。可愛い男は好みじゃ。どれ、一つサービスしてやろう』
ずいと、少女の手が悠斗の方へ向けられたと思った瞬間、少女と机が悠斗の目の前に存在した。
驚く悠斗に、白い少女はにやりと笑う。
少女の手には、何やら棒が沢山入った筒が握られていた。
『慣れぬ世界じゃと、何かと不便であろう。一つ、我の力をくれてやるわ。好きなのを引くといい』
にたにたと愉しそうに笑う少女に、悠斗の身体が勝手に動く。
一本の棒を、悠斗はふるふると掴みあげた。
『ほう? 宝具作成か。これまた珍奇な』
驚いたように、少女が目を開く。そして、再び悦いぞ悦いぞとくすりと笑った。
『武器でも防具でも、念じれば神域の物が手に入ろう。まぁ、せいぜい頑張れ』
じゃあなと、少女が悠斗の身体をとんと押す。
「……え?」
そのまま、柏木悠斗は白い世界から転落した。
ーー ーー ーー
「グオォオオオオオオオオンッッッ!!」
雄叫びが鳴り響き、辺りは灼熱の炎に包まれていた。
「あ、あわっ。う、うあっ……」
見上げるほどの体躯。視界に広がる翼。頑強な鱗に、クリスタルに輝く牙。その口から発せられる魔力を帯びた息吹は、触れたものを無条件で燃やし尽くす。
インフェルノドラゴン。
その昔、勇者が討伐したとされる伝説の龍種。
「な、何でこんなところに。や、やっぱり、私にはこんなクエスト無理だったんだ」
その伝説の存在の前で、一人の少女が怯えていた。
腰は抜け、自慢の剣と盾は消し炭すら残っていない。
次は自分の身体が消える番だと、少女は諦めて目を瞑る。
(勇者じゃなくても、立派な戦士に。……なりたかった)
ぎゅっと、少女は今は亡き父と母に祈りを捧げた。
(お父さん、お母さん。……今、私もそちらに参ります)
ぽろりと、少女の頬を涙が伝う。
「って、うおおおおおおおっ!! なんじゃこいつうううううっ!!?」
しかし、少女の覚悟は突如として上げられた叫び声にかき消された。
「……って、だ、誰っ!?」
目を開けた少女の視界に、奇妙な出で立ちの青年の背中が見える。
「ま、まさか村の人っ!? だ、駄目っ。何でっ!!?」
少女の顔の、血の気が引いていく。自分を助けにきたのだろうか。無茶だ。駆け出しとはいえ、プロの自分が手も足も出なかったのだ。普通の人間が何とかできる相手ではない。
(た、助けないとっ!!)
目の前の青年だけでも助けなければ。その想いが、少女の身体を動かした。しかし、やっと動き出した身体は、腰を上げるだけが悲しいほどに重い。
(……ッッッッ!!?)
少女は見た。インフェルノドラゴンが、青年もろとも自分を吹き飛ばそうと口を開けるのを。
間に合わないーー。そう、少女が目を見開いたその瞬間。
「え、えっと。ぶ、武器。たしか、武器って……!!」
少年の、慌てる声が聞こえた。
「こうかっ!!」
そして、少女は見たのだ。青年の手に光り輝く剣が出現し、振り下ろしたそれから発せられる光の奔流が、伝説の存在を飲み込むのを。