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異界召喚術

作者: 無名の霧




「先生。私は、やはり狂っているのでしょうか。私の聞いたことは全部、無かったことなのかもしれません。すでに私は狂っていて、狂った戯言を申し上げているのかもしれません。こんな……こんなこと、狂っているのです。先生。それでも、私の話を聞いてくださるのですか」

「ええ。聞きましょう。ですから少し落ち着いて。いいですか。ゆっくりと深呼吸をして。そうです。そして、落ち着いて、話してみてください」

「はい。ですが、重ね重ね申し上げておきます。私は、狂っているのかもしれません」

「大丈夫です」




 事の起こりは、間違いなくフェリックスが私に見せた一冊の本でしょう。


 三日前のことです。フェリックスがあのおぞましい本を持って私の家を訪れたのは。彼とは――何と申しましょうか――とあるサークルの仲間でして、そのサークルというのが、魔術……つまり、オカルトに関するものだったのですが、まあ、そこで意気投合しまして、度々、互いの家に脚を運んでおりました。彼は普段、とても礼節を重んじる人で――言葉遣いは若干乱暴でしたが――、私の家に訪れるときには、決まって一週間前に手紙をよこしていたのですが、その日は違いました。何の連絡もなく、突然に訪れたのです。勿論驚きましたが、別段用事もありませんでしたので、いつも通り迎え入れると彼は「失礼」とだけ言って勝手に客間に上がりこんでしまいました。今にして思えば、彼にしては無礼が過ぎますが、あの時は、彼の瞳が爛々と輝いていて、私はそれに気圧されてしまって彼の無礼に関しては気にも留めませんでした。彼に遅れて客間に入り、コーヒーを淹れようと提案すると、「ひたすら濃いやつを頼む。これが酔いなら醒めてしまうくらいのを」と言ってきましたので、いつもの倍くらいの濃いコーヒーを淹れて差し出すと、――私がコーヒーを淹れている間、彼は落ち着きなく部屋を歩き回っていましたが――淹れたての熱いコーヒーをすぐさま飲み干してしまいました。喉を焼いたのでしょうか、彼は咽ながらも「嗚呼、すっきりしたよ」と言って、椅子に座り、私にも早く座るように言ってきました。全くおかしい彼の様子に気圧されながらも、私はただ、ああ、とだけ答えて彼と向かい合わせに座りました。私が自分のコーヒーに砂糖を入れていると――私は甘党なので――彼は構わず身を乗り出してきました。私はすっかり驚いてしまって、彼の瞳に魅入られておりました。あの瞳の輝き様は尋常ではありませんでした。私が硬直していると、彼は「コネリー、俺は凄いものを手に入れた」と言って、机の上に一冊の本を乱暴に置きました。凄いもの、と言う割にはとてもこざっぱりしていて……いえ、こざっぱりしすぎていました。日に焼けたのでしょうか、若干茶色がかったその本は、全く何の装飾もなされておりませんでした。題すらもなく、それがかえって異様に見せておりました。

「これがなんだか分かるか、コネリー」

 私には知る由もないことでしたので、否と答えると彼は「そうだろうな。いいか、これはな」そこで一度言葉を切って、ずいと一層身を乗り出し「これは、『異界の一』だ」そう言って、身を引き椅子に深く腰をかけました。「異界の一」という本があるとは噂に聞いておりましたが、詳しくは知りませんでしたので、どうやら私は彼の期待する反応が出来なかったようでした。彼は「まあ、俺も最初はよくは知らなかった。だがな、こいつは凄いぞ」と、彼はにやりと嗤って、私に読むようにと勧めました。彼の気迫に押されたまま、私は「異界の一」を開いたのですが、これがまた、途轍もないものだったのです。「異界の一」には、ラテン語で異界の神々を召喚する方法が細かく記されておりました。少々難解でしたが、魔術に精通したものならば、問題なく分かる程度のものです。最も問題なのは、異界の神々に関する記述ではなく、その召喚方法でした。そこに記されている魔術儀礼は、あらゆる信憑性を持った魔術――勿論、魔術師にとって、ですが――と所々で通じているのです。

「どう思う?」

 彼は爛々と瞳を輝かせて私に問いましたが、正直に言って、取るに足らないものだと答えました。すると彼は、驚いたように、「何故だ?」と聞き返してきました。彼の尋常ならざる雰囲気に気後れしながらも、私は持論を述べました。即ち……この「異界の一」は、世界中の魔術の寄せ集めであり、きっとどこかの酔狂な魔術師がそれらしく見せて書いただけであろう、と。しかし彼はにやりとして、「それは違うな、コネリー」と言ったのです。

「貧困な発想は損失を産み出すぞ。いいか。必要なのは柔軟な発想だ。世界各地の魔術が確たるものであると決め付けるな。むしろ、真に力を発揮できない既存の魔術こそ間違っているのだ。しかし、その各地の魔術で成功する者もいるのは確かだ。だから、各地の魔術は所々正解だ、と考えればいい。もう分かっただろう。つまり、世界各地の魔術には一つの大本があり、それを所々受け継いだ――或いは所々が抜け落ちた――のが、既存の魔術だ。そして、その大元こそが、この『異界の一』だ。ひょっとすると、こういった本は他にもあるのかもしれないがな」

 それでも私はまだ納得しませんでしたが、彼は、それでもいいと言いました。正しいかどうかは自分で証明する、と。私はそれを聞いて、まさか本当にそこに記されている儀式を行うのか、と聞きましたが、彼は「当然だろう」と言って立ち上がりました。

「分かっていると思うが、今日、君に会いに来たのは、この本を見せる為だ。この本が、酔いでも夢でもなく、確固としてここにあるということを確認する為でもある。突然訪問してすまなかった。それじゃあ、そろそろ御暇するよ」

 彼は言いながら、「異界の一」をしまい、本当に客間を出て行きました。私は暫し呆然としていましたが、コーヒーを一口含んで立ち上がり、玄関を出ようとしていた彼の背に問いかけました。その本はどこで手に入れたのか、と。彼は思案するようにして、やがて答えました。

「女だ。アリスンと名乗っていた。終始無表情の気味の悪い女だったが、くれると言うのならもらわない手はない」

 彼は、玄関の扉を開けたところで思い出したように、「儀式だが、三日後に行う。こいつをじっくり読まなきゃならないし、道具も集めなくちゃならん」と言い残して帰りました。




「その後二日間は全く彼からの連絡はありませんでした。嗚呼、そうです。ここから先は、全く自信がありません。何が起こったのか、それは鮮明に覚えております。しかし、それが真実であったかどうか、それに自信がありません。あれほど恐怖したのは、私の人生でも初めてのことでしたので……。ともすると、私はこのときすでに狂っていたのかもしれません。しつこく繰り返すようですが、狂人の戯言と思っていただいて全く構いません。但し、せめて、私の前では否定しないでいただきたいのです」

「分かっています。続けて」




 フェリックスが私に「異界の一」を見せに訪れた日から、正しく三日後、つまり今日のことですが、彼から電話がかかってきたのです。勿論私も、彼の言葉をしっかりと覚えておりましたので、彼がいつ連絡をよこすのかと、内心期待して待っておりました。電話の呼び出し音がけたたましく鳴ったとき、私は心を躍らせて受話器を握りました。彼が言ったように「異界の一」が正しければ、魔術を探求するものとしてこれほど心躍るものはなく、逆に私の言ったように「異界の一」がただの数多の魔術の寄せ集めであるならば、私は意気消沈した彼を笑い飛ばそうと考えておりました。しかし、受話器に耳を当てたとき、そんな思いは全く消え去りました。彼の声は震えていました。

「コネリー……こいつは、『異界の一』は、やはり本物だ……」

 彼の声が恐怖に震えていましたが、彼は歓喜しているようでした。自らの勝利と、そして彼の目にしている光景に歓喜しているようでした。

「君に見せられないのが、残念だな。凄いぞ、これは。こいつは、この異界の神は、紛れもなく女だ。小娘だな。そして……不定形だ」

 彼が歓喜しているのに私が戦慄したのは、紛れもなく彼の声が震えていたからに他なりません。彼は歓喜しており、彼の声は恐怖に震えておりました。私はこれに、恐怖したのです。彼は震える声で、自分の部屋に召喚したのであろうものについて語り続けました。

「いいか、コネリー。今俺の部屋は全くの異界だ。こいつは俺の部屋にあらゆるレヴェルとして存在している……勿論物質的に、だが、それだけじゃなく、俺の頭の中にも入ってきやがる。おまけに、時間さえも歪んでいる……何故分かるかって。は。そんなもの、分かるのだから分かるんだ。目の前にいるこいつは紛れもなく不定形……いや、定形かもしれん。名状しがたいな……ありとあらゆるものになっては霧散し、融解し、析出し、ありとあらゆるものに還っていく。まさに、一にして全、全にして一だ。神だ、これは。……ちっ。いいか。俺の目の前にあるのは全くわけのわからんものだが、俺の頭に入ってくるそいつは違う。そいつは、小娘だ。はっきりとは分からん。だが、小娘だ。つまり、この神は、この蠢くわけのわからん何かであり……小娘なんだ。空間も時間も概念すらも超越した……」

 私には、彼の言っていることがほとんど分かりませんでした。彼は何か、言いようもない何かを目にしていて、彼の脳裏には少女が浮かんでいる……そんなことよりも、私は彼がおかしくなっていることに恐怖しました。恐怖に震える声で歓喜して、私には冷静とも言えるほど詳細に、眼前の光景を伝えてくるのです。彼は時折、わけのわからないことを口走っていました。文字が読めないだとか、世界が霧散するだとか、時間が捩じれるだとか、数字が分解するだとか……ちかちかするだとか。その声に関しては、真に恐怖を帯びておりました。私は、かえってその恐怖に叫ぶ彼の声にこそ安心し、震える声で歓喜しながら状況を逐一説明する彼に一層恐怖しておりました。

「さて……待てっ……実はまだ儀式は途中なのだ、コネリー……駄目だっ……『双異神』の召喚を続ける。……あはははは……分かるか、コネリー。この蠢く名状しがたい小娘はもう一体いるのだ……くそっ、ちかちかする……片割れだけでは可愛そうだろう……しかし、この儀式。全く、すばらしい。何と理知的で原始的なんだ。条件さえ満たせば、金も銀も、贄さえもいらん。やはりこれこそが、正しい魔術なのだ、コネリー……ええぃ、ちかちかするっ。寄るな、小娘っ……」

 終始一貫して彼の声は震えておりましたが、怯え叫び散らす声と、諭すように私に語りかける声と、かわるがわる受話器から響きました。嗚呼、彼はどうにかしてしまったのだろうと、私は受話器を置こうとしましたが、身体は凍り付いて動けませんでした。嗚呼、あのフェリックスの怯えた声の恐ろしいこと、震える声で歓喜するフェリックスの恐ろしいこと。言葉では申しきれません。

「くそ……ちかちかする……ははは……文字が崩れて踊りだしているぞ……所詮人間の知る知識などこんなものだ、コネリー……あぁ、出て行けっ……ちかちかするんだ……俺の頭から出て行けっ……だがな、コネリー……世界が面に、線に、点に……立体が平面に、平面が立体に……果てはバラバラになって俺の頭に……ええい、寄るな、小娘ぇっ……これこそが、正しい世界の見方なんだ……白く、焼けるっ……詠唱するぞ、よく聞けコネリー……やめろっ……ちかちかする……やめるんだっ……いあ、いあ、りゅぞ=ふぉるぱす……」

 彼は何事か聞き取りにくいしわがれた声で唱えました。何を言っているのかもよく聞こえず、聞こえた単語も私の知る意味を成す単語ではなく、ただひたすらに感じられるのは、何か途方もない邪悪でした。詠唱中も彼の怯えた金切り声は所々で割り込み、それがかえって私を恐ろしくさせ、しかし私は受話器に心奪われておりました。

「……りゅぞ=ふぉるぱす、あるぅ、ふたぐん、あい、あい、りゅぞ=ふぉるぱす、ふたぐん、あい……は、はは……ぁああああああああああ……凄いぞ、コネリー……ああああああああああ……小娘が二人、まぐわっていやがる……ああああああああああ……蠢く不定形の何かが、混ざり合っている……ちかちかっ……引き付け合って……まぐわって……反発して……霧散して……ちかちかっ……析出して、融解して……現れては飛び散って……ああああああああ……まぐわるが、決してまぐわらない……ちかちかっ……相容れないが故に、まぐわい続ける。一にして、全。全にして、一。足りすぎていて、足りない……ちかちかっ……一つで完結しているが、二つ必要……美しいぞ、コネリー……消えろっ、白く、刺さるんだ……あ、ああ、ああああああああああああああ……さあ、『双異神』……私に正しく世界を見せろ……やめろっ……ああああああああああ……はは、見ろ、コネリー。やつら、あの小娘ども、二人で互いに手を取り合って……蠢きまぐわって……俺を見たぞ」

 私はその光景を見ておりませんでしたが、あれは確かに阿鼻叫喚でした。フェリックスは錯乱が激しく、時折奇妙な叫び声をあげたりして……そして、彼は私にこう言ったのです。「やつら、何か言っていやがる。何と言っているんだ……君にも教えてやる。いいか、コネリー。よく聞け」そして、彼は私に――――――――――――――――――――――――――――――――――




「君っ。大丈夫かっ。おいっ、誰かっ」

「はいっ……教授……こ、これは一体……」

「分からんっ。割と冷静に話していたと思ったら急に、ちかちかするとか言って苦しみ始めたのだ。救命措置を」

「はいっ」


「電気を、電気を消してくださいっ、ちかちかするんですっ、早くっ……嗚呼、彼は何と言ったのか、彼の言葉は、白く、ちかちかと……名状しがたく……理解できない私の脳を開き……異界を響かせ……」




「これは一体……」

「――気になりますか?」

「……君は?」

「アリスン・ベルと申します」





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― 新着の感想 ―
[一言] 読ませていただきました(ペコリ どことなく幻想的な感じがしましたが、楽しませてもらいました☆ 一人称のために、その重要な“言葉”が隠されていまして、面白かったです♪ ちょっと改行が少なめなと…
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