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パソコンを見ると、既に夜中の十二時を回っていた。
〝箱庭〟は本当によくできたもので、外を出歩いていると現実の世界の時間に合わせて日が落ちる。夜になって、がやがや騒がしかった村人が外を出歩かなくなる。家の電気が消え、プレイヤーには全然関係ないが、村がしんと静まり返る。更に、フクロウが鳴いていたり、虫が鳴いたりと、夜独特の雰囲気がパソコン内に広がるのだ。
暗くなって、家も一つ、また一つと電気が落ちる。
暗くて周りがよく見えないので、道具の中に懐中電灯があるのを思い出してバッグを漁った。懐中電灯のスイッチを点けて辺りを見回すが、さすがに夜中ってだけあって村の外れには人がいない。
千秋も既に、現実の世界に戻ってしまっていた。
「ふわ、もう眠い」「寝るのか?」「うん、明日はかくれんぼ開催でしょ?来れたら見にいくよ、頑張ってね」「お前の忠告が遅いせいで、明日俺は消えてるかもな」「恨めしそうな顔しないで!?」なんて、会話を続けて手を振った。
何度も言うが、このゲームはよくできている。表情まで、会話から読み取って再現する優れモノだ。
〝箱庭〟は兎たちの会話から、恨めしい表情を読み取った。大正解だ。
きょろきょろと辺りを見回してみると、ちょうど街の中心部辺りにぼんやりと明かりが見える。
あれは、なんだろう。
少し興味が湧いて、軽く駆けだした。そうだ、千秋がいない間に筋トレでもしてこうかな。体力を強化しておくにこしたことないな、と画面の上の方にある緑色の体力メーターを眺めた。体力メーターは、走れば走るだけ、鍛えれば鍛えるだけ強化されるらしい。
暫く走ると、明かりが段々強くなってきた。何やらがしゃがしゃと音が鳴っていて、夜中とは思えない騒がしさだった。
小道から、大通りへと体を乗り出すと、そこは草街の中心広場だった。
ひゅろろろ、ひゅろろと笛が鳴り、楽しげに踊る人々。祭りのような騒ぎに、兎は呆気にとられる。
「あの」
「なぁに?あら、可愛い子」
兎は近くにいた、綺麗なお姉さんに声をかけた。
比較的童顔な兎に比べ、お姉さんは身長が高く、可愛いと言うよりは美しい。長い黒髪が、さらりと揺れる。更に、大人の女性という感じで、出るとこが出ている。大きな胸を強調したようなVネックのノースリーブと、細く長い脚が浮かびあがる真っ黒なレギンスパンツ。現実世界ではそうそう拝めない、美人だった。
お姉さんはにっこりと笑うと、少しだけ低い位置にある兎の顔を覗いた。
その仕草にドキドキしつつ(目を覚ませ、ここはゲームだぞ)、兎は平静を装いながらお姉さんに訊いた。
「ここ、毎日こんなに騒いでるんですか?」
「そうよ。ここは草街名物の〝夜市場〟なの。向こうで踊ってるのは、昔のとある馬鹿がした、とある馬鹿な行動の名残だよ」
名残、と言われて首を傾げた。
お姉さんは兎の視点に合わせて身をかがめ、顔を寄せて向こう側を指差した。なんだろう、と指の先を見ると、向こう側に更なる明かりがある。
「あっちが本命よ」
本命、つまり夜市場か。ん、夜市場ってなんだ?
「夜市場はね、その名の通り夜しか開いていない市場のこと。え?昼間やってる市場と、何が違うって?全然、違うわ。夜市場は〝違法薬〟を売っているの」
「い、ほう?」
「そう、違法」
ここに法律があるのかという気持ちと、違法のモノが出回れるゲームなのかここはという気持ちが入り混じった、酷く複雑な表情が貼りついた。
思わず、こんな表情もできるんだ、と感心してしまった。
「と、言っても、ここには法律なんて存在しないわ」
「あ、ないんだ」
なんだ、ないのか。
「でも、普通のゲームって〝ゲームの限界〟が〝法律〟でしょう?」
お姉さんは屈むのをやめて、背筋を伸ばした。
「システム以上のことはできない、創り手がそう言う風に創っていないからね。そんな意味では、創り手が法律。万が一〝不具合〟が起きても、エラーとして修正して、不具合が起きないようにする」
それがゲーム、というものだ。
創りあげた以上のことはできない。つまり、創っていない場所は存在しないから行けないし、創ってない道具は存在しないから使えない。それは、使い手が干渉できる領域ではない。
「でもね、ここは違うの」
「違う?」
「ここはね、その〝不具合〟を修正しないの。その〝不具合〟が、つまり〝違法薬〟。あってはならないはずなのに、箱庭の創り手はそれをもゲームとして存在を認める。所謂、バグを放置しているってこと。だから、〝違法薬〟が夜市場に流れるの」
「バグがそのまま、ゲームの一部として付け加えられるってこと?」
「そうよ」
だからこのゲームは異質なの、とお姉さんは笑った。
「違法薬って、どんなのがあるの?」
「違法薬って言っても、薬じゃないのよ」
あれ、てっきり筋肉がムキムキになったりするような、強化の薬だと思っていたのだが。
話に水を差されたように、兎は萎れた。お姉さんはその様子を楽しそうに眺めると、口を開いた。
「ここでは、バグを総称して〝違法薬〟と呼ぶの。おもしろいのよ、ここの創造者は。本来はゴミとして取り除かなければいけないバグを、再利用してゲームに取り込むの。だから、ここはいつでも現実と変わらない。人間の性格や、社会のシステム。人殺しに、法律違反。現実での〝汚いところ〟が細かく表現されている。日に日に、現実に近付くわ。そんな魅力を感じて、このゲームは人が絶えないの」
ただ一つ、スキルや能力値、世界観を抜けば―――・・現実世界と箱庭の唯一の違いは、やり直しがきくこと。
死んだら、やり直し。
それだけは現実では絶対にできない。
どこまでも、現実を追求したモノなんだ、と兎は口を閉じた。
お姉さんはとんとんと兎の肩を軽く叩くと、ぼんやりとした明るい光を指差した。
「夜市場、行ってみる?」
「み、未成年立ち入り禁止とか・・・ないですか・・」
「やーね、あったら進めないわよ。あなたみたいな可愛い子」
「いや、俺男ですし。ってか、外見はそんなアテにならないでしょう」
お姉さんはけらけらと笑うと、兎の腕を掴んだ。
ゲームでは偽った年齢、性別を言う人は少なくない。そう言った意味では、外見なんて全然意味ない。むしろ、外見は絶対見てはいけない。
「行きましょう?」
本当は危険な場所に行かない方が、身の為なのだ。犬猿事件に巻き込まれて、一度死にかけた。もう絶対、危ないことはしない。そう誓っていた。
実際、行かない方がいいのだ。きっと。
あんな、明らかに怪しい夜市場なるもの、関わらない方がいいのだと思う。
けれど、もしかしたら―――・・
兎はぎゅっと、服の胸辺りを握った。
〝危険〟が少しだけ、楽しみになり始めているんだ、と。そう思いながら、胸の高鳴りを感じていた。