靴
その日の放課後、師走は昇降口で立ち尽くしていた。彼の目の前にあるものは靴ではない。ネズミの死骸だ。やり場のない怒りを覚え、彼は握り拳を震わせる。そこに通りかかったのは、宏太である。
「このネズミは主に、爬虫類や猛禽類の餌として売られているものだね。SNSで南岬原高の情報を調べれば、そういうペットを飼っている生徒が炙り出せるかも知れない」
この時、宏太はすでに推理モードに入っていた。これはある種の職業病に近いものだろう。そんな彼のことを、師走は密かに頼りの綱にしている。
「ああ、調査だけならキミたちを頼りたい。そこから先のことは、ボク自身が解決するけどね」
相も変わらず、師走は復讐に否定的だ。すでに四人の生徒が少年院送りになっており、復讐代行部の力は南岬原高の脅威である。して、宏太はそれをやんわりと誇りに思っている。
「相変わらず真面目だね、師走は。僕たちに復讐代行を依頼したら、大抵のいじめは収まるというのに」
「恐怖政治は、平和とは程遠い。少なくとも、ボクはそう思っている。ボク一人が唯一の標的だというのなら、喜んでその役を買おう。それが、風紀委員長の務めだ」
「……そっか。やっぱり君は、面白い人間だね」
流石は人間観察を好き好む少年だ。彼からしてみれば、身の回りで起きていることの全てがドキュメンタリーに等しいらしい。一方で、師走は少し不服そうだ。
「キミの言う『面白い』には重みがない。誰にでも言っているだろう、それ」
「ふふふ……否定はしないよ。この地球上で、人間以上に興味深い生き物なんていないからね。人間社会は、僕にとってのナショジオなんだ」
「ボクは潤也だけを怪物だと思っていた。しかし、キミも大概に狂っている。安全圏から腐敗した人間模様を観察するのは、悪趣味がすぎると思うぞ」
事実として、宏太は潤也のことさえ面白いと感じているような人間だ。そんな彼が悪趣味と言われるのも、至極真っ当なことである。
「悪趣味……か。確かにそうかも知れない。でも、観察者でいられるというのは実に快適なことなんだ。何事においても、『当事者』になるのが一番しんどいことだからね」
「そして、キミはその当事者を好奇心で消費している。それ自体は実害のあることではないが、あまり感心できたことでもない」
「わかってるよ。僕も、潤也も、己の狂気を自覚している。絵里は……まぁ……」
復讐代行部において唯一狂気を自覚していないのは、白宮絵里だ。彼女のこととなると、流石の宏太も擁護できないらしい。
「その絵里の狂気を最も利用しているのは、他ならぬキミと潤也だろう。確かにあの子は一番メタ認知が足りていないが、一番更生し得る人間でもあると見ている」
「よく見てるじゃないか。君も僕と同じなんじゃないか? 潜在的に、君は人間観察を楽しんでいる節がある」
「違う。ボクの人間観察は趣味ではなく、風紀委員長としての責務に他ならない」
師走は校内で随一の責任感を背負う生徒だ。そんな彼が周囲にアンテナを張ることは、必然であると言えよう。
宏太は別れを告げる。
「それじゃ、僕は図書室でゆっくり調査してくるよ。普段から冷凍マウスを仕入れている生徒をね」
それから立ち去っていく彼の後ろ姿を、師走は無言で見送った。次に、彼は最寄りの化粧室へと足を運ぶ。そして個室を覗けば、便器の中には二足の靴が入れられている。
「酷すぎる……」
そう呟いた彼は、少しためらいながらも靴を取り出した。次に、彼は備え付けの洗剤を使い、一所懸命に靴を洗い始める。周囲からは、悪意のある笑い声が聞こえてくる。事はそれだけでは収まらない。
突如、一人の男子生徒が、師走の足元に蹴りを入れた。師走はその場で崩れ落ち、廊下は爆笑に包まれた。




