第8話 ハナコの手記
ついに、タロウとハナコの愛をめぐる物語は終わりを迎えます。
これまでお付き合いくださった皆さまへ、心からの感謝を込めて──
本当にありがとうございます。
第8話「ハナコの手記」
どうぞ最後までお読みください。
メモリス回収の際、アヤセが拾った一冊の手帳。
薄茶色に染み、ページはほつれ、湿気で波打っている。
──記されていたのは、ある女型メモリスの短い生の記録だった。
四月二十二日 晴れ
本当に此のお屋敷は立派なのよ。
なんでも揃っていて、二人で過ごすには勿体ないくらい。
……お父様、お母様はお元気かしら。親不孝者でごめんなさい……。
五月十一日 晴れのち曇り
また、お母様のことを思い出したの。
きっと探し回っているに違いないわ……。
ハナコは、此処に居ますと伝えたい……。
七月七日 晴れ
タロウさんと一緒に露店を見てまわったの。
とても賑やかで、すべてが新鮮に見えて──
そして、タロウさんに櫛を買ってもらったの。
すごく綺麗で、とても嬉しかった。
私だけの一生の宝物……。
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十月八日 曇りのち晴れ
新しい生活が始まって半年。今日は少しだけ肌寒い気がする。
タロウさんのお仕事はまだ見つからないけれど、私はとても幸せ。
だって、大好きな人と毎日一緒にいられるのですもの。
朝お天道様にお祈りしているの。お仕事が見つかりますように……。
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十二月二十二日 曇りときどき雪
今日はタロウさんが、私のためにご馳走を作ってくれたの。
はりきってくれたけれど、全部焦げてしまって……。
あの方は肩を落としていたけれど、私は嬉しかった。
だって、私のために作ってくれたのですもの。
結局その日は缶詰を開けて、焦げた料理を前に笑い合いながら食べました。
とても楽しくて……私はやっぱり、タロウさんが大好き。
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五月三日 晴れ
一年が過ぎた頃から、タロウさんは変わっていった。
それまでは素直で、元気で、頼れる人だった。けれど、仕事が見つからない焦りからか、私へのあたりが強くなった。でもそれは、一時的なものだと思っていた。
だから私は、少しでもタロウさんのお役に立ちたくて、一生懸命支えたい……ううん、支えてると思っていたの…。それでも私は不満はなかった、ただ一緒にいたいと思ってた。
それだけで幸せなの…。
五月十七日 晴れのち曇り
今日のタロウさんは、いつに増して厳しいお顔で私を責め立てたの…。
食事の支度中に躓き、お皿を割ってしまったから。
以前なら「怪我はないかい」と優しく言ってくれたのに、私の手の甲を激しく何度も、何度も叩いたわ。
それでも私のタロウさんに対する気持ちは変わらなかった…だって、 なんだか可哀想で……それにあの方に一生を捧げるって決めたのですもの。
その気持ちに、偽りはないわ…。
六月二日 雨
またお叱りを受けた。憎まれていると思う日もあったけれど、そうじゃない……あのようにしか愛せないのだと思うようになったの。責めたあとは、とても優しく慰めてくれるのですもの。……怖かったはずなのに、愛されている実感があった。どんなに叱られても……感じてしまっている私がいた。
……私の頭は、おかしくなったの……?
六月十一日 雨
タロウさんにとって私は…………………………
…………怖い……。
…………………………。
六月十二日 雨
…………可哀想な人……
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きっと、孤独なのね…………
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六月十五日 雨
…………お父様……
…………………………助けて……
……………なさい……
六月二一日 曇り
あぁ、慰めがますます激しくなっていく。
私が、私じゃなくなるみたい……。
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それでも──愛されているのよ……。
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ところどころ文字は茶色く滲み、破損が多いため判読不能。紙片はデータとして記録され、手帳は静かに閉じられた。
本部への帰還途中、アヤセはケースに収められた二体のメモリスを思い浮かべた。
“作られた記憶”であっても、そこにあった感情は本物だったのではないか──そんな考えが一瞬、脳裏をかすめたが、何も言わず前を向いた。
* * *
T.A.W.研究室本部──
薄暗い部屋にさまざまなモニターが設置されている。
100人以上は在籍している研究所内にムナカタとタツミの姿もあった。
二人の目線の先のモニターには、手帳を見るアヤセが映っていた。
その瞳には、何かを確かめるように揺れていた。
そして、誰かが呟いた。
「実験は成功だ」
研究記録にはこう記されていた──
『A-101、感情発露確認。対被験体T-721およびH-143との接触により、人間的共感反応が顕著。』
「これでようやく、新型メモリス:AYASEを製造に移せますね、ムナカタ博士」
「はい、名演技お疲れ様でした、トキワ タツミ社長」
* * *
湿った空気がまとわりつく、静かな森の奥──常磐邸はそこにある。
今日もまたここで、誰かが愛を囁き、誓いを交わす。
それは、決して到達することのない“真物の愛”を夢見ながら。
完
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
改めて、皆さまに深く感謝を申し上げます。
前作『きらめく星の瞬きに』とはまた異なる雰囲気の物語でしたが、
創作の根底に流れているのは、移りゆく時の中でふと手にする、一瞬の輝きや、
声にならない想いのかたち──。
儚さや哀愁のようなものを、少しでも感じ取っていただけたなら幸いです。
もしこの物語が、ほんの小さな灯りとなって、
皆さんの心の片隅にそっと残ることができたなら──それが何よりの喜びです。
まだまだ未熟な筆ですが、これからも言葉を紡ぎ続けます。
応援していただけたら、とても励みになります。
それと実は、ハナコの手記の日付や二人のコードネームには、ささやかな遊び心を忍ばせました。
気づいてもらえたら…とても嬉しいです。
※この作品は、第9回アース・スターノベル大賞応募作品です。