第三話 月影の契り
いつもご訪問いただき、ありがとうございます。
本日は第三話「月影の契り」をお届けします。
この話では、タロウの過去が明かされます。
彼にとって、ハナコの存在はどのように映っていたのか──。
ぜひ、物語の続きをお楽しみください。
白を基調とした、西洋式の豪華な寝室──二人を誘うようにレースカーテンが怪しく揺れていた。
二人が横になっても余るほど広いベッド。壁には、常磐邸の住人だろうか、美しい貴婦人の肖像画。
ベッド脇のモダンなランプが、二人の影を静かに重ねていく。
窓の外では、藍色のビロードの空を月が渡り、
その光はハナコの青白い肌を艶やかに照らし出す。
視線が絡むだけで、タロウの胸には炎のような衝動が灯った。
「……タロウさん」
彼はその冷たい手を握り、互いの想いを確かめ合うように唇を重ねる。
だが、熱く求める自分の心とは裏腹に、その唇はひどく冷ややかだった。
ふと、幼さの残る微笑が、哀れな男を惑わす“魔性の精”のように思え、
タロウの胸に一滴の冷静さが差し込んだ。
「タロウさん、どうしたの……?」
「……いや、なんでもないよ」
(……それにしても不思議だ。住人はいつ帰ってくるのだ?それに……誰かに覗かれているような……)
胸に芽生えた違和感も、眼前の曲線美の前では取るに足らない。
首筋に舌を滑らせると、ハナコの身体が反り、指先がタロウの肩に食い込む。
純真無垢な彼女の喉奥から、激しい声が溢れ出し静寂な夜を切り裂いていく。
愛する人を自らの手で汚していく──それは至福であり、
どこか“支配”にも似た甘美な感覚だった。
ようやく掴み取った安らぎの時。
そのことを思うだけで、彼女への想いは燃え盛る炎のように、
さらに熱く、激しさを求めていく。
その夜、二人は幾度となく身体を重ね、
先の不安を忘れ、ただ互いを確かめ合うのだった。
* * *
淡くやさしい陽光と、小鳥のさえずりに目を覚ます。
そして、傍らには微笑むハナコの顔。
「おはよう……タロウさん」
寝ぼけ眼に映る笑顔は、極楽の菩薩のようで──
(こんなにも幸せで、いいのだろうか)
苦難の人生を歩んできたタロウにとって、朝目覚めて愛する人が隣にいることは、
天からの祝福のようだった。
* * *
僕の故郷の寒村は、自然に囲まれた静かな土地だった。
若く働ける者はわずかで、暮らしはほとんど農業に頼っていた。
暑い日も、凍えるような日も、年中続く重労働。
楽しみなど一つもなく、言われたことを黙々とこなすだけの毎日。
そんなある日、この土地を売ってほしいと、ある金持ちの親子が現れた。
漠然と日々をやり過ごしてきた自分には、その姿があまりにも眩しかった。
──初めて、心の底から”欲しい”と思った。
それから、ハナコさんと会うのが密かな楽しみになった。
お互いに想い合っていた。
だから──きっとうまくいくと信じていた。
けれど、誰一人として認めてはくれなかった。それどころか、心ない言葉を浴びせられ、土地の話も立ち消えとなり、村の連中から責め立てられた。
それが原因で──親父も、お袋も死んでしまった。
悪いのは自分だ。死んで償うつもりだった。
それでも……ハナコさんだけは僕を庇ってくれた。僕のために、泣いてくれた。
──この人だけは、絶対に離さない。
そして必ず、幸せにすると誓った。
* * *
「さぁ、ハナコさん。今日から僕たちの新しい日の始まりだ!」
ベッドから勢いよく飛び降りるタロウの瞳には、
希望という名の輝きが宿っていた。
「……クスっ」
子供のように無邪気な彼を見て、ハナコは鼻先に手を当て微笑む。
その瞳には、うっすらと涙が滲んでいた。
(……本当に……本当にこのまま幸せが続きますように)
窓をそっと開け、祈るように空を仰ぐ。
春の訪れを告げる柔らかな風が、彼女の涙をそっと拭っていった──その背後から、遠く時計の音が響いていた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
傍らにある、ハナコの一抹の不安。
幸せという結晶に、ひとすじのヒビが入り始めようとしています。
次回【第四話 タロウの夢】は、【8月13日(水)18時頃】に投稿予定です。
次話では、物語が大きく傾き始める瞬間が描かれます。
ぜひ続きも覗きに来ていただけたら嬉しいです。
※この作品は、第9回アース・スターノベル大賞応募作品です。