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第9話「潜入、古書店の影」

 作戦決行は、三日後の夜と決まった。

 その三日間、アジトの空気は張り詰めていたが、それは決して悪い緊張感ではなかった。

 明確な目標ができたことで、僕たちは一つのチームとして、より強く結束していくのを感じていた。


 僕は亮さんとの訓練を続け、自分の影が放つ光のコントロールに集中した。

 最初は数分も持たなかった防御の光も、作戦前夜には、亮さんの敵意を込めた影の猛攻を、十分近く受け止め続けられるようになっていた。


「上出来だ、灯。だが、本番は訓練とは違う。何が起こるかわからん。常に最悪を想定しろ」


 亮さんは、汗だくの僕にタオルを渡しながら、そう言った。

 彼の言葉は厳しかったが、その瞳の奥には、確かな信頼が宿っているのがわかった。


 そして、運命の夜が来た。


「――作戦開始時刻まで、あと5分」


 作戦会議室のメインモニターに、セキュリティルームにいる隼人さんの顔が映し出される。

 彼の背後には、古書店周辺の地図と、いくつもの赤いマーカーが点滅していた。


「古書店周辺に展開している影喰いの下級メンバーは、現在8名。2人1組で、建物を囲むように巡回している。動きに変化はない。だが……」


 隼人さんは、言葉を区切ると、眉をひそめた。


「どうした、隼人」


 栞さんが尋ねる。


「巡回ルートとタイミングが、あまりにも正確すぎる。まるで、機械のようだ。感情の波も、ほとんどない。これは、何者かによって、外部から精神的にコントロールされている可能性がある」


「……影山黒江、でしょうか」


 僕の脳裏に、あの底知れない影を持つ女性の姿が浮かぶ。


「可能性は高い。だが、黒江本人の強い共鳴は、今のところ感知できない。おそらく、遠隔からの支配だろう。いずれにせよ、連中の注意を逸らすのは、通常より困難だと考えた方がいい」


「つまり、潜入のタイミングは、よりシビアになるということですね」


 栞さんの言葉に、部屋の空気が一層引き締まる。


「そこで、僕たちの出番ってわけだね」


 隣に立つ春樹さんが、僕に微笑みかけた。

「大丈夫、灯くん。君と僕の共鳴なら、機械の歯車の、ほんの僅かなズレも見つけ出せるはずだよ」


「……はい!」


 僕は、強く頷いた。


「時間だ。各員、最終準備に入れ」


 栞さんの号令と共に、僕たちはそれぞれの装備を最終確認し、アジトの隠し通路へと向かった。

 今回のメンバーは、僕と春樹さん、そして護衛の亮さんと凛さん。

 栞さんと隼人さんは、アジトから僕たちをサポートしてくれる。


「灯」


 通路の入り口で、亮さんが僕を呼び止めた。

「これを」


 彼が差し出したのは、小型のインカムだった。

「隼人や栞さんと繋がっている。だが、それだけじゃない。俺たち4人の、ごく微弱な影の共鳴を拾って、互いの位置と精神状態を共有する機能もある。星野が、昨夜徹夜で仕上げてくれた」


「星野さんが……」


 僕は、アジトの技術担当である、星野光輝さんの顔を思い浮かべた。

 人付き合いは苦手そうだが、仲間を思う気持ちは、誰よりも強い人だ。


「無駄にするなよ」


 凛さんが、僕の横を通り過ぎながら、ぽつりと言った。


「……うん」


 湿った夜の空気が、僕の肌を撫でる。

 僕たちは、街の影から影へと、音もなく移動した。

 今日の東京の夜空は、薄い雲に覆われ、月明かりも弱い。僕たちの潜入にとっては、好都合だった。


 古書店まで、あと100メートル。

 建物の角に身を潜め、僕と春樹さんは、静かに目を閉じた。


「灯くん、僕の影に、君の影を重ねて。僕がフィルターになる。君はただ、彼らの感情の『流れ』だけを感じ取るんだ」


 春樹さんの声が、インカムを通して、直接脳内に響く。

 僕は、彼の言葉に従い、意識を集中させた。

 僕の《過剰な共感性》が、春樹さんの《共感の影》と混じり合い、その精度を増していく。


 8人の影喰いの感情が、流れ込んでくる。

 だが、隼人さんの言った通り、その感情は、まるで作り物のように希薄だった。

 退屈、苛立ち、眠気……そんな、人間らしい感情の揺らぎが、意図的に抑制されているのがわかる。


「ダメだ、春樹さん。感情の波が、あまりにも平坦すぎて……隙が見つからない」


「焦らないで、灯くん。もっと深く……。感情の『色』じゃなく、共鳴の『リズム』を感じるんだ。どんなに制御されていても、生きている限り、必ず『揺らぎ』は生まれる。心臓の鼓動のようにね」


 リズム……。

 僕は、さらに深く、意識を沈めていく。

 8人分の、単調な共鳴のリズム。トン……トン……トン……。

 まるで、メトロノームのように正確なリズム。


 だが……。


(……一つだけ、違う?)


 8つのリズムの中に、一つだけ、ほんの僅かに、テンポが速いものがある。

 そして、そのリズムからは、微弱だが、明確な『焦り』の感情が伝わってくる。


(トイレにでも、行きたいのかな……?)


 あまりにも人間的な理由に、僕は少しだけ拍子抜けしたが、これを見逃す手はない。


「春樹さん。北東の角にいる一人。リズムが、少しだけ速い。焦りを感じます」


「……了解した。よくやったね、灯くん。隼人、聞こえるか?」


「ああ、聞こえている。北東の角の二人組だな。確かに、一人の生体反応に、僅かな乱れがある。おそらく、あと数分で、持ち場を一時的に離れるだろう。そこが、チャンスだ」


 隼人さんの確信に満ちた声が響く。

 僕たちは、息を殺して、その時を待った。


 数分後、隼人さんの予測通り、北東の角にいた二人組のうちの一人が、慌てたように建物の一つ裏の路地へと消えていった。

 残された一人は、少しだけ警戒が緩んでいる。


「――今だ!」


 栞さんの声が、インカムに響く。


 その瞬間、僕たちの隣にいたはずの亮さんと凛さんの姿が、音もなく消えていた。

 彼らの影が、まるで闇に溶け込むように、古書店の壁を滑っていく。


 僕と春樹さんも、その後を追った。

 古書店の裏口。見慣れたはずのその扉が、今はまるで、異世界への入り口のように見えた。


 亮さんの影が、鍵穴にすっと入り込む。

 物理的な干渉ではない。影の共鳴で、内部の構造を探り、錠を内側から操作する。

 カチャリ、とごく小さな音がして、扉が静かに開いた。


 店の中に、一歩足を踏み入れる。

 ひんやりとした空気と、古い紙の匂い。僕の、日常だった場所。

 だが、今は、敵地に潜入しているという緊張感が、その全てを非日常の色に染め上げていた。


「凛は二階を、俺は入り口を固める。お前たちは、奥の金庫へ急げ」


 亮さんの低い声に、僕たちは頷き、店の奥へと向かった。

 床が軋む音を立てないように、抜き足、差し足、忍び足。

 心臓の音が、やけに大きく聞こえる。


 店の奥にある、小さな事務所。その一角に、目的の金庫はあった。

 時代を感じさせる、黒光りする鉄の塊。ダイヤル式の、古めかしい金庫だ。


「隼人さん、お願いします」


 春樹さんが、インカムに話しかける。


「了解した。今から、鍵の内部構造をスキャンする。……これは……」


 インカムの向こうで、隼人さんが息を呑む音がした。


「どうした、隼人」


 栞さんの声に、緊張が走る。


「……ダメだ。物理的な鍵穴が存在しない。内部構造が、複雑すぎる。これは、通常の鍵じゃない。おそらく、特定の『共鳴』によってのみ、開く仕組みだ」


「共鳴……?」


「ああ。栞さんの推測通り、特定の影の周波数……あるいは、それ以上の何かで、ロックを解除するタイプの、古代の遺物アーティファクトに近い」


 最悪の事態だった。

 本を持ち帰って、アジトでじっくり解錠する、という当初の計画が、根本から覆された。

 ここで、今、この金庫を開けなければならない。


「……灯さん」


 栞さんの声が、僕のインカムから聞こえる。

「あなたにしか、できません。あなたの、あの光の力で……この金庫に、語りかけてみてください」


「僕が……?」


「ええ。攻撃や防御とは違う、あなたの力の、もう一つの側面……『調和』と『浄化』の力です。きっと、この金庫も、それに反応するはずです」


「おいおい、マジかよ。こいつに、そんな器用な真似ができるのか?」


 カゲが、不安そうな声を出す。

 だが、僕は、もう迷わなかった。

 ポケットの中の「お守り」が、かすかに、温かい。


 僕は、金庫の前に膝をつき、冷たい鉄の扉に、そっと手を触れた。

 そして、目を閉じる。


 亮さんとの訓練を思い出す。「守りたい」という、強い想い。

 小春の涙に触れた時の、温かい光。

 そして、お守りから聞こえた、あの謎の声……。


 僕の全ての意識を、手のひらに集中させる。


「――開いて」


 僕がそう願った瞬間、僕の影が、再びあの淡い、月光のような光を放ち始めた。

 光は、僕の手のひらを伝って、金庫のダイヤルへと流れ込んでいく。


 ジジ……ジジジ……。


 金庫の中から、古い歯車が、錆を落としながら回るような音が聞こえる。

 光が強まるにつれて、その音は、次第に滑らかになっていく。


 そして。


 ゴゴゴゴゴ……。


 重々しい音と共に、分厚い鉄の扉が、ゆっくりと、外側に向かって開き始めた。


 金庫の中は、ビロードのような深紅の布が敷き詰められていた。

 そして、その中央に、一冊の本が、静かに鎮座していた。


 黒い革で装丁され、表紙には、僕には読めない、奇妙な文様が刻まれている。

 そして、本の小口には、精巧な細工が施された、銀色の錠前がかかっていた。


「……あった」


 僕が、その本に手を伸ばそうとした、その時だった。


 ポケットの中のお守りが、これまで感じたことのないほどの熱を帯びて、激しく脈動を始めた。

 それと同時に、目の前の本も、まるで呼応するように、淡い光を放ち始める。


「――これは……!?」


 次の瞬間、隼人さんの絶叫が、僕たちのインカムに響き渡った。


「――まずい!アジトの全センサーが振り切れてる!なんだ、この巨大な共鳴は!?古書店だ!古書店から、強烈なエネルギー反応!……敵だ!新しい影が、古書店に、超高速で接近中!」


「何!?」


 亮さんの声が、店内に響く。


「下級メンバーじゃない!これは……幹部クラス!いや、それ以上だ!まずい、囲まれるぞ!」


 僕たちは、罠に嵌められたのだ。

 この本は、餌だったのかもしれない。

 僕たちを、そして、僕の力を、誘き出すための。


「灯、本を持って、春樹と先に逃げろ!」


 二階から、凛さんの鋭い声が飛ぶ。


「俺と凛で、時間を稼ぐ!行け!」


 入り口からも、亮さんの声が響く。


 だが、もう遅かった。


 店の入り口のガラスが、音もなく、内側に向かって砕け散る。

 そして、そこに立っていたのは、分厚い眼鏡をかけた、小柄で地味な印象の女だった。


 神崎沙羅かんざきさら。影喰いの幹部。

 彼女の影、《解析のアナライズ・シャドウ》が、まるでレーダーのように、店内の全てをスキャンしていく。


「……見つけました。素晴らしいエネルギー反応です。これが、『原初の影』に繋がる、失われた系譜の力……」


 彼女の目は、僕に、そして僕が手にしようとしていた本に、釘付けになっていた。


 僕たちの、絶体絶命の脱出劇が、今、始まろうとしていた。

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