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愛しいマチルダ

短編です。

 空は血のように赤黒く染まり、枯れ果てた大地には無数の骨と錆びた武具が転がっていた。風は唸るように吹き荒び、どこからか断末魔のような獣の遠吠えが響いてくる。悪魔の要塞は、天を突くようにそびえ立ち、黒い稲妻が塔の先端を貫いていた。まるで世界そのものが絶望を叫んでいるかのような光景だった。

 そんな地獄のような風景を前に、エストレージャは一人立っていた。

 全身は血と土にまみれ、外套は破れ、剣の柄にはヒビが走っている。片足を引きずり、肩には深い裂傷。見るからに限界を超えていたが、それでも彼は口元をわずかに歪めて笑っていた。


「……はは、悪くないロケーションじゃないか。墓場としては、な。」


 その笑みはひきつっており、笑っているのか泣き出しそうなのか、もはや区別もつかない。しかしその目には、まだ灯が消えていなかった。

 エストレージャは、眼前の要塞を見上げながら、苦笑いを浮かべた。自分でもわかっている。勢い任せだった。「姫がさらわれた」と聞いてすぐ飛び出してきたが、いざこうして魔王の根城を目の当たりにすると、背筋がひやりと凍る。


――どこの地獄だよ、ここは。


 重苦しい空気、歪んだ塔、燃えるような地面の割れ目からは呻き声のような音が漏れている。普通の人間なら、近づくどころか気を失ってもおかしくない。


「……本当に、ここに君がいるのか?」


 思わず、そんな言葉が口をついて出た。彼は拳をぎゅっと握りしめる。


「――こんな場所に、君がとらわれているなんて……夢であってほしいよ、まったく。」


 彼の目に浮かぶのは、穏やかな笑顔をたたえたあの姫。正義のために剣をとることを恐れず、誰よりも人々に優しかった少女――マチルダ。


「……マジで頼むよ、お姫様。せめて夢落ちってオチにしてくれ。」


 エストレージャは、軽口の裏に震える本心を隠しながら、ゆっくりと足を前に踏み出した。地獄の門が、静かに彼を迎え入れるかのように開かれていく。

 足元の大地は黒く焦げ、踏みしめるたびに赤く罅が走った。空はどこまでも不気味に渦を巻き、雷鳴のような音が地の底から響いてくる。風は熱く、どこか血と鉄のにおいが混ざっていた。耳元では聞き慣れぬ呪詛のような囁きが絶え間なくさざめき、意識の底に忍び寄るように入り込んでくる。

 道なき道を越え、瘴気に満ちた谷を抜けた先――突如として、それは姿を現した。

 悪魔の要塞。

 まるで生き物のように蠢く黒い塔群が、異様な角度で空に伸びている。壁面は血管のような赤黒い紋様で覆われ、まるで心臓のように脈打っていた。塔の頂では巨大な目のようなものが不定形に瞬いており、その眼差しはすべての侵入者を監視しているかのようだった。

 門は、高さ数十メートル。鋼鉄とも石ともつかぬ漆黒の素材で作られており、左右には人間の形を模した彫像が並んでいた。どれも叫び顔で、まるで永遠に苦痛の中で固められたようだった。

 門の前には、静寂があった。音はない。風もない。ただ、そこに立つ者に“引き返せ”と訴えかけるような圧倒的な「拒絶」だけがあった。

 それでも門は、わずかに――開いていた。まるで彼を待っているかのように。門の前に、ひときわ異様な気配をまとった影が立ちはだかっていた。背丈は三メートルを超え、筋肉は岩のように隆起し、手には両刃の巨大な戦斧。頭部には角が生え、顔はごつごつと岩のようで、口元には鋭い牙がのぞいている。

 しかし、その目は――虚ろだった。


「……寝てる? いや、いやいや、違うな。アレ、バグってるだけだよな?」


 エストレージャは思わず眉をひそめた。魔族はゆっくりと斧を持ち上げると、ひと言も発せず、まっすぐエストレージャへと突進してきた。


「ちょっ……わかりやすく敵意ッ!!」


 咄嗟に身を翻し、エストレージャは斧をかわす。地面が爆ぜ、土煙があがる。空振りに苛立ったように魔族は、グルル……と喉を鳴らしながら再び斧を振りかぶる。


「おおっと、いけませんなあ!」


 軽口を叩きながらも、動きは鋭い。体を低くして魔族の足元へ潜り込むと、短剣を突き立てる――が。


「うおっ!? 刃が通らねえ! 筋肉じゃなくて岩じゃん!いや、もう岩だコレ!」


 魔族はまったく気にした様子もなく、足を振り上げてエストレージャを蹴り飛ばす。宙を舞い、要塞の門にドガンと激突。地面に転がるエストレージャ。


「いってぇぇぇ……! マジで墓場ロケーションじゃねぇか……!」


 だが、彼は立ち上がる。ボロボロの外套を払うように片手で払うと、ニヤリと笑った。


「――なるほど。脳筋タイプね。じゃあ、こうだ!」


 彼は急にポケットから何かを取り出した。

 それは――魔除けのお札(使用期限:2年前)。


「でぇい!」


 エストレージャが勢いよく魔族の額にペタッと貼り付けた。


魔族「…………?」


 数秒の沈黙ののち、魔族は斧を振りかざした。


「効かねぇんかい!」


 振り下ろされた斧とエストレージャの剣がぶつかり、火花を散らす。泥と血とギャグをまき散らしながら、壮絶かつどこか笑える攻防は続いていた。

 轟音とともに、再び巨斧が地を砕いた。粉塵が舞い上がる中、エストレージャは横っ飛びでかわし、地を転がる。


「っぶねぇな! そのサイズで振り回すのは反則だろが!」


 ゼェゼェと肩で息をしながら、彼は再び体勢を立て直す。額からは汗と血が混じって滴り落ち、視界もぼやけてきていた。


――ここで捕まったら、終わりか。


 彼はちらりと門の奥を見やる。そこに囚われているであろうマチルダの姿を想像しながら、内心でつぶやいた。

(マチルダ……こんな場所にいるなんて、想像するだけで胸が痛ぇよ……)

 その瞬間、魔族の斧が真横から薙ぎ払ってきた。

 エストレージャは地面を滑るようにしゃがみ込み、かろうじて回避。地鳴りのような衝撃が背後で起きる。

(にしても……)

 彼はぐるりと横回転して距離をとりながら、苦笑した。

(ここで俺が捕まったら、“ミイラ取りがミイラ”だな……いや、もう少し洒落て言うなら“デビルハンターがデビル飯”か……)

 思考の中にすらツッコミを入れる余裕(の皮をかぶった必死さ)で、彼は剣を握り直す。魔族は再び吠えることなく、虚ろな目で斧を構えた。それはまるで、どこか遠いところから命令だけを受けているような機械的な動きだった。


「……あんたも可哀想なやつだな。ま、情けかける余裕はねぇけど!」


 エストレージャは地を蹴った。地面の破片が飛び散り、風が巻き上がる。


――この一撃で、決める!


 王城の最上階にある大理石のバルコニーは、午後の光を受けて静かに輝いていた。 磨かれた白い欄干はほんのりと金色に染まり、春の陽射しが柔らかくその輪郭を撫でる。高台から望む城下町は、暖かな風に包まれ、ゆるやかな午後を過ごしていた。

 市場では果物の籠が並べられ、商人たちは声を張り上げることもなく、のんびりと客と会話を交わしている。噴水のある広場では、子どもたちが輪になって踊り、小鳥が水面に舞い降りては羽をはためかせていた。

 誰かがふと顔を上げる。「……ああ、王女さまと、あの方がいらっしゃる」と、小さな声が町の隅でこぼれた。遠くのバルコニーに並んで立つ、二つの人影。

 少女のドレスが風に揺れ、男の外套の裾がそれに重なる。二人の影が、石床の上にぴたりと寄り添って伸びていた。

 その姿を、小鳥たちは木々の上から見ていた。兵士たちは歩哨の合間にちらりと見上げ、無言のまま頷いた。老夫婦が石段に腰かけ、遠い目をして空を見上げた。

 バルコニーには音がなかった。だが、そこには確かに会話があった。まなざしが交わり、呼吸がそろい、風がそのあいだをやさしく流れていた。

 青年の髪がそよ風に揺れ、彼の背の向こうでは、いくつもの戦いで刻まれた痕跡が、静かに陽に照らされていた。

 少女の横顔は穏やかで、まるで何もなかった世界の中に初めて心を預けているようだった。天には雲ひとつなく、鳩がゆるやかに旋回しながら空を切っていく。この日の空は、まるで祝福するように澄み渡っていた。

 争いのない午後。剣も鎧もいらない日。ただ風があり、陽射しがあり、二人がそこにいた。

 あたたかな風が、髪を撫でる。穏やかな陽射し、笑い声、柔らかく微笑む少女――マチルダ。彼女の隣には、自分がいた。何もない、ただ平和な午後。剣も魔も、恐怖も争いも、この世界には存在しなかった。


「……ここが、オレの……墓場ってわけでも……悪くねぇ……な……」


 そう呟いた次の瞬間――


「ごふぁっっっ!!!???」


 腹に直撃する衝撃とともに、エストレージャの体は地面を転がった。現実の空気は、死ぬほど痛くて、やけに埃っぽかった。


「なっ、なんだ今の……!!夢!?あれ夢!? てか息できねぇぇ!」


 全身ズタボロ。地面に顔面を強打。背後では魔族が斧を構えてゴゴゴと唸っている。


「おい誰だよ!!幻想中に現実ぶっこんでくるの!!もうちょっと優しくしてよ目覚め方ァッ!!」


 エストレージャは地面に顔を擦りつけながら叫び、勢いで立ち上がる。が、すぐによろめいて地面に片膝をつく。


 「クソ……でも、忘れねぇ……忘れられるかよ……!」


 彼の頭には、あのバルコニーの光景が焼き付いていた。穏やかな空、やさしい風、マチルダの笑顔。あの場所に、彼女を――戻してやらなければならない。


「こんな地獄のど真ん中に、たった一人で囚われてるだなんて……」


 彼は震える指で、剣の柄を再び握った。その目には、今度こそ覚悟の光が宿っていた。


「行くぞ、でっけぇ門番!!お前ごときに、オレのロマンスと正義は止められねぇ!!」


 魔族は虚ろな目のまま、ズン……と一歩を踏み出す。


「……よっしゃ来いやああああああああああッ!!」


 叫ぶ声が要塞に響き渡り、再び壮絶かつやや茶番めいた激闘が幕を開けた。



「ぜぇっ……ぜぇっ……ま、まだ追ってきてないよな……!?」

 エストレージャは血まみれボロボロのまま、要塞の通路の隅に背中を押しつけて、肩で荒く息をしていた。髪はぐしゃぐしゃ、外套は半分焼けており、剣はどこかに吹っ飛んで行方不明。


「……ふぅーっ、作戦通り、だな。うん。引き際も狩人の嗅覚ってやつ?そう、逃げるのも勇気、うん!」


 さっきの門番――斧を持ったあのデカブツ。斬っても殴っても全然効かないので、最後は落ちてたバケツを被せて視界を奪い、煙玉をぶん投げて全力ダッシュで通路に逃げ込んだ。

 要塞の中に入ってはいるが、どう見ても“撃退”ではない。なのにエストレージャは、通路の奥に誰もいないのを確認すると、なぜか胸を張った。


「いや~、見たかアイツの顔?動揺してたな。完全に俺にビビってた。もう、“こいつヤバい”って顔してたわ。」

※実際はバケツを被って足踏みしてただけ

「さーて、門は突破したし、ここからはマチルダ姫奪還作戦の本番ってやつよ!」


 通路の天井から、なぜかポタリと水滴が落ちてきた。エストレージャの頭のてっぺんに命中。


「ひゃっつ!? びっくりしたぁ……! いや、これは予兆。何かのフラグ。でも俺は気にしない。気にしたら負け。うん!」

 そう言って拳を握りしめるも、全身がブルブル震えている。


「こ、こわくなんかねぇし……!」


――と、そのとき。


 通路の奥から、さっきの門番の「ズゥン……ズゥン……」という重たい足音が再び響いてきた。


「ッ……やっぱ追ってきてんじゃねぇかァァァァ!!?」


 エストレージャ、再ダッシュ。叫びながら要塞の廊下を全力で駆け抜けていった。


 要塞の廊下を駆け抜けながら、エストレージャの頭の中はぐるぐると渦を巻いていた。汗だく、息切れ、靴は片方ちょっと脱げかけている。それでも止まらなかった。


――あんなヤベェ門番を従えてる魔王って、どんな化け物なんだよ……。


 その恐ろしさを想像したとき、ふと頭をよぎったのは、マチルダのことだった。あの穏やかな笑顔が、あんな地獄に閉じ込められているなんて――。

(今この瞬間も、ひょっとして、マチルダは……)

 彼の脳内スクリーンに、第一波の妄想が映し出される。マチルダが鎖で繋がれ、「ごきげんよう、魔王様」と機械的に挨拶している姿――

 晩餐会でドクロスープの香りをかがされ、「このスープ、なんて名前ですの?」と聞かされている姿――

 儀式用の変なドレスを着せられ、意味もわからず「マチルダの舞」を披露させられている姿――!!


「くっ……ひどすぎる……!」


 だが、妄想はまだ終わらなかった。第二波が襲いかかる。


――マチルダが、魔王と乙女ゲームの攻略イベント中!?

 魔王「好感度100になったので告白イベントです♡」

 マチルダ「選択肢:①逃げる ②逃げる ③即座に逃げる」

――魔族たちが**“スイーツビュッフェ”**を開催。マチルダがケーキ係にさせられてる!?

「マチルダちゃん!今日のティラミスも最高☆」

「やっぱ人間女子の手作りは違うよね~!」

――いやまさか、まさかとは思うけど――

 (メイド喫茶!?)

 彼の妄想はついにピークへと達した。

 ピンクのエプロンを着た魔王が、「お帰りなさいませ、マチルダお嬢様~♡今日もご褒美魔法、かけちゃいますねぇ~♡」とニッコニコで紅茶を注いでいる!

 周囲の魔族はカチューシャをつけて「萌え萌えきゅん!」ポーズ!背景ではなぜかカラオケ大会が始まり、マチルダが強制参加。BGMは昭和のアイドルソング!。魔族たちが揃って完コピで踊ってる!


「やめろおおおおおおおおおおおおお!!!」


 エストレージャは叫びながら壁を殴った。壁がちょっと欠けた。


「そんな……そんなのマチルダの尊厳が崩壊するッ!!」


 怒りと羞恥と謎の情熱がないまぜになって、エストレージャの拳は震えていた。


「変な踊りもエプロンも紅茶も全部禁止だァァ!!」


 それはもはや正義でも任務でもない。男の矜持である。


「待ってろよ、マチルダ……!どんな魔王でもぶっ飛ばして、お前を正気の世界に連れ戻してやる!!」


 そう叫びながら、エストレージャは通路の先へと走り出した。滑ってコケた。けれどすぐ立ち上がった。その瞳は、今や覚悟に燃えていた。


――目的地はただひとつ。姫が囚われる、その最奥。


 悪魔の要塞の中は、奇妙なほど静まり返っていた。崩れかけた天井から黒い光が差し込み、ねじれた石柱の影が床に不気味な模様を描いている。血のように赤く染まった絨毯の上には、足跡ひとつ残されていない。壁に埋め込まれた無数の眼のような装飾も、今は閉じられたまま、じっと沈黙を守っていた。

 通路に魔族の姿はない。部屋にも、広間にも、牢にも、見張りの気配はどこにもなかった。すべての存在が――奥の大広間に集まっているのだった。


 今日、この日は《深黒の典礼しんこくのてんれい》――


魔王直属の眷属たちが、一年に一度、絶対の忠誠を捧げる“ミサ”の日。闇の使徒たちは広間にひれ伏し、長老たちは血の経文を詠み上げる。黒い火柱が中央の祭壇に灯され、空中には魔王の紋章が浮かび上がる。その間、要塞内の全警備は停止し、たとえ敵が侵入しても“儀式の妨げには値しない”とされる。


なぜなら――


 「敵は来ない」という絶対的な自信と傲慢が、魔王軍全体に染みついているからだ。その静けさは、荘厳で、神聖で、どこか異常で――しかし確かに、今、要塞の奥で何かが進行していることを物語っていた。

 静かな回廊を、音もなく魔風が吹き抜ける。無人の廊下は、ただ、主の帰還を待ちわびる神殿のように、凍りついた空気を保っていた。



「うーん……おっかしいなぁ……」

 エストレージャはひとり、誰もいない石畳の廊下を歩きながら、腰に手を当てて振り返った。どこをどう見ても、敵がいない。あの門番との死闘のあと、次は三連戦くらいあると覚悟していたのに――ない。


「え、まさか……今日、魔族みんな定休日?」


 誰もいない要塞内部。ただ空気は不気味なほどぴったりと張りついており、足音だけがカツカツとやけに響いた。


「……はっは~ん。わかったぞコレ、“運が回ってきた”ってやつだな?」


 彼は腕を組み、ニヤリとした。


「オレも長いことやってきたけどなぁ、こういう奇跡的スムーズ展開ってのは、年に一回あるかないかだぞ?な?……な?誰も聞いてねぇけど」


 背中に風を感じ、なぜか一度深くうなずく。


「ふっ……“勘”ってやつよ……!戦場を生き抜くにはな、ベテランのカンがモノを言うんだよ、若者よ……」

 ※自分に向かって言ってます

「いやぁしかし、これ帰ったら久しぶりに温泉行くか……!源泉かけ流し、内風呂付き、麦茶飲み放題のやつな。あとサウナ。絶対サウナ。整えた~い!」


 その瞬間――


 ――ヴォオオオオオオオオオン!!


 鈍く、腹に響くような警報音が要塞全体に鳴り響いた。


「……ッぶおおおおおおい!!」


 廊下の両端が点滅しはじめ、天井からは赤い魔光がぴかぴかと明滅する。どこかでガコンと鉄格子のような扉が跳ね上がり、奥から複数の魔族の唸り声がこだまする。


「うっそぉ~ん!? 今の何!?オレ!?オレのせい!?しゃべりすぎた!?フラグ!?フラグだった!?」


 ひとりで大声を上げてツッコミながら、エストレージャは通路を全速力で逃げ出す。


「誰だよ!?このベル鳴らしたやつ!!(※お前が侵入者だ)」


 背後では魔族たちの怒号が混じりながら近づいてくる。エストレージャは叫ぶ。


「“おとなしく来い”とか無理だからな!?こちとら膝に爆弾抱えてんだよ!頼むからゆっくり来てぇぇぇ!」


 それでも走る。その足取りには、哀愁と疲労と、人生の年季がにじんでいた。


 魔族の一斉攻撃。

 地鳴りのような咆哮、鈍い衝撃音、鉄の匂い、痛み――

 そのすべてが一瞬で押し寄せ、エストレージャの意識は暗転した。


 静寂が訪れる。

 気がつくと、彼は城の大広間に立っていた。美しく磨かれた白い床。高い天窓から、やわらかな光が差し込んでいる。壁には紅白の花が飾られ、風がレースのカーテンを優しく揺らしていた。


 足音。


 振り返ると、そこにはマチルダがいた。淡いブルーのドレスに身を包み、微笑んで歩み寄ってくる。

 音楽はどこからともなく始まっていた。楽器の音はない。風と陽だまりが、そのまま旋律になったような優しいリズムだった。

 マチルダはそっと手を差し出した。言葉はなかったが、すべてが伝わっていた。

 エストレージャは笑みを浮かべ、ぎこちない動きでその手を取る。ぎゅっと強く握らない。壊さぬように、そっと触れるだけ。

 二人はゆっくりと、舞踏を始めた。

 彼は踊りなど習ったことはない。しかし不思議と、足は自然に動き、手の導きに逆らうこともなく、世界が二人だけに収束していく。マチルダの髪が光を透かし、スカートが空気を撫でる。笑顔はどこまでも穏やかで、優しく、そして遠い。

 音楽が止んでも、心の中では旋律が続いていた。

 

――そのとき。

 

 どこかで、音が鳴った。遠く、遠くで、現実が呼んでいた。

 風が止み、光が歪み、マチルダの姿がうっすらと霞み始める。

 エストレージャは、もう一度だけその手を握りなおそうとした。だが――それより早く、現実が彼を引き戻していった。


――ギィィン!


 剣と牙がぶつかり合い、火花が飛ぶ。エストレージャは体をよろけさせながらも、どうにか敵の爪を受け止めた。

 意識は霞み、呼吸は荒く、視界もまともに見えない。腕は震え、膝は笑い、背中には斬り傷。それでも、彼は倒れなかった。


「……っ、はぁっ……はぁっ……どっから湧いてくんだお前らぁ……!」


 周囲には魔族、魔族、魔族。細身のもの、獣のようなもの、翼を持つもの、四本腕の巨体。どいつもこいつも容赦なく牙を剥き、彼ひとりを包囲していた。

(……多勢に無勢、どころの話じゃねぇ……)

 倒れれば、それで終わる。だが、彼の中にはたった一つ、揺るがない思いがあった。


――マチルダに、会わなきゃならない。


 あの幻想の中、共に踊った笑顔が、手の温もりが、まだ指先に残っている。「また会いたい」とは、ただの願いじゃない。それは、生きて叶えたい約束だった。


「っしゃああああああああああっ!!」


 喉が潰れそうになるほどの雄叫びを上げ、彼は剣を振り抜いた。魔族の一体が吹き飛び、後ろの仲間にぶつかって倒れる。


「どけどけどけぇぇぇぇ!こっちは用事があるんだよ!最っ高に大事な再会があんだよぉ!!」


 渾身の蹴り、振り回す拳、拾った骨をぶん投げて目つぶし――何でもアリだった。格好なんてどうでもいい。今この瞬間、彼はただ「進むこと」しか頭になかった。

(立て、俺……立て……!)

 体は震えていた。寒さでも、恐怖でもない。たった一人に、会いたくてたまらないその気持ちが、胸の奥で爆ぜていた。


「待ってろよ……マチルダ……!」


 よろけた足で、血を引きずりながら、それでも――


 彼はまた、剣を握り直していた。剣を振るたびに、腕の骨が軋んだ。踏み込むたびに、膝が悲鳴を上げた。血まみれの男が、魔族の渦の中でただひとり立ち尽くしていた。

 もはや何体倒したかもわからない。それでも数は減らず、息も絶え絶えだった。

(……そろそろ、まずいな……)

 自分でもそう思ったそのときだった。

 

 ふわりと、風のように――

 

 耳ではなく、心に直接、声が届いた。


「……エストレージャ……?」


 マチルダだった。彼女の声だった。懐かしく、穏やかで、あのバルコニーの記憶と同じ響きだった。

(……マチルダ!? どこにいるんだ!?無事なのか!?)

 答えは、返ってきた。まるで夢の中で話しているように、ぼんやりと、しかしはっきりと。


「大丈夫よ。そんなにひどいことはされていないわ。……思っていたよりずっと……平和です。」

「え? 平和??」

「今……魔王と一緒にいるの。」

「……は?」


 魔族の攻撃が止まっているわけでもなかった。だがエストレージャの中だけで、時間が一瞬止まった。


「魔王と一緒って……え?お茶会中とか?フルーツ盛り合わせ食ってる感じ?何その雰囲気!!」


 必死の戦闘中だというのに、額にじわりと嫌な汗が浮かぶ。戦いの疲労ではない、これは――混乱。そして……嫉妬。

(ちょっと待て、オレが死にかけてる間に……姫は魔王と仲良くしてるってことか!?)


「……あー……ま、まあ……無事ならいいけどよ!!」


 顔は真っ赤。剣を握る手に力が入る。なぜかちょっと、泣きそうだった。

 しかし、それでもエストレージャは前を向いた。

(……よし、無事なのはいい。いいことだ。うん。最高だ……ッ!けどな――!その魔王ってやつ、今度会ったら絶対ぶっ飛ばす!!理由は知らんけどぶっ飛ばす!!)

 嫉妬なのか怒りなのか愛なのか、よくわからない感情を引きずりながら、エストレージャは再び剣を構え、叫んだ。


「マチルダぁぁぁ!!オレは今向かってるからなああああああ!!絶対無事でいろよぉぉぉ!!(でもちょっとだけ苦しんでてくれえええ!!)」


 扉が、鈍く軋んで開いた。

 埃ひとつない広間に、一歩、また一歩と足音が響く。石造りの床には、これまで倒してきた魔族たちの黒い血がまだ乾いていなかった。

 天井は高く、遠い。そこには巨大な逆さの魔法陣が淡く輝いており、空気には鉄と香のような焦げた匂いが漂っている。

 目の前、階段の奥。そこに、玉座があった。

 漆黒の金属でできたその椅子は、まるで生き物の骨を彫り込んだような異形の造形で、そこに座る影は、まったく動かない。

 ただ、いるだけだった。

 にもかかわらず――息が、詰まる。胸が締めつけられる。喉の奥がヒリヒリと焼けるような感覚。

 重圧。視線。存在。威圧。狂気。それらがすべて、何もしていないその男から、溢れ出ていた。

 玉座の背後には、燃えるような赤と紫の炎がゆらめいている。天井の魔法陣は、まるで脈を打つかのように光の強弱を繰り返していた。それがまるで、魔王の心臓の拍動のように思えた。

 影の中にある顔は、はっきりとは見えない。ただ、たしかにこちらを見ているのがわかった。感情のない、どこまでも深く、冷たい、奈落のようなまなざし。

 空気が震えていた。音はないはずなのに、耳の奥で「やめろ」と誰かがささやいているような気がした。全身の毛が逆立つ。意志とは無関係に、足がわずかに後ろへ引こうとした。

 それでも――

 エストレージャは、そのまま立っていた。

 ぼろぼろの体で、血まみれの剣を握ったまま。ただ、そこにいる魔王を正面から見据えていた。


 ズン……ズン……と、重低音が王の間に鳴り響く。玉座に座っていた魔王が、ゆっくりと立ち上がった。

 その瞬間――空気が、変わった。


「……あっ、ヤバいコレ。ぜっっったいヤバいヤツ……!!」


 エストレージャの顔がぐにゃっと歪む。

 魔王の背後で魔法陣が十重二十重に展開され、色とりどりの謎エネルギーがブワァァと噴き出す。炎、氷、雷、闇、謎の光、ピンクのハート型のやつ――全部混ざってる!!


「ちょっと待て!おい待てって!話し合おう!?なんでフルコース!?魔法のバイキングか!!?」


――ズバァァァァァァン!!


 1発目、隕石。

 要塞の天井を突き破り、火を噴きながら直撃する!!


「ヒィィィィィィ!? 何落としてんの!?衛星兵器!?宇宙かここ!!」


――バチィィン!!


 2発目、雷。

 しかも同時に6本!変な方向に跳ねて床を焦がしまくる!


「床!床が焼けた!俺の足も焼けた!あっつぅぅぅ!!!」


――ゴォォォ!!

 3発目、黒炎の竜巻。


 見た目がすでに終わってる。音が“メギィィィィン”とか言ってる。何語?


「なんか知らんけど、これ絶対ラスボスの演出やろォォォ!!!」


――ピロリン♪

 4発目、謎のハートビーム。


 当たると一瞬だけウサ耳が生えて、勝手に「好きっ♡」って言わされる。


「やめろおおおおおお!!誰がこんな羞恥プレイをぉぉぉぉぉ!!俺のキャラ崩壊するぅぅ!!」


 爆発。雷。氷の大剣。空から降ってくる謎のドーナツ(爆発する)――すべてが要塞ごと吹き飛ばさんばかりの規模で、止まらない。


「おいおいおいおい!こちとら生身!!ガチ人間!!HPリアルで3ケタ以下なのよォォ!!」


 逃げる、転がる、飛ぶ、叫ぶ。


「ほぼアクション映画のコント枠じゃねぇか!!」


 逃げる、転がる、飛ぶ、叫ぶ。


「もうだめだ……次の一撃来たら……温泉にも行けねぇ……麦茶も飲めねぇ……!」


 そのとき。


――ドオォォォォォン!!!


 最大級の爆裂魔法が炸裂し、エストレージャは光と爆風に飲み込まれた。


「ばかなの!?魔王ばかなの!?やりすぎィィィィィ!!!」


 そして彼の意識は、またしても――闇に沈んだ。


 空は茜色に染まり、街の喧騒がゆっくりと静まっていく夕暮れ時。商人たちは店を畳み、子どもたちは家路につく。だがその片隅――薄暗い裏通りに、その喧騒からはぐれたひとりの少女がいた。

 マチルダ。フード付きの外套を羽織り、身分を隠して町に出ていた彼女は、人気のない路地で、暴漢たちに囲まれていた。


「お嬢さん、どこから来たのかなぁ? こんなとこ、ひとりで歩いちゃダメだよぉ?」

「黙りなさい。今なら見逃すわ。引き返すなら、ね。」

「……ヒュウ、気の強い子だ。オレ、そういうの好きだぜ?」


 ふたりの男が、ニヤついたままじりじりと距離を詰めてくる。マチルダは鋭い視線を向けながらも、腰に隠し持った短剣をすっと構えた。

 しかし、人数差は明白。さらに後ろから、もう一人がゆっくりと近づいてくる。

(……まずいわ。ここで叫んでも、誰かが気づくには遅い……)

 そう思った瞬間。


「おーい、そこのヒゲとハゲ、散歩コース間違ってるぞー」


 突然、通路の奥から妙に軽い声が響いた。暴漢たちが振り向く。マチルダも驚いて視線を向けた。

 そこには――


 「……え、誰だよお前」

 「ただの通りすがりの狩人ですけど?何かご不満でも?」


 ひとりの男。手にはボロい剣、服は汚れ、顔は……ちょっと老け顔。そして、やけに堂々と立っていた。


「オレさ、こういうの見かけるとスルーできない性分なんだよなぁ。いやもう、“正義感が骨にしみてる”ってやつ?」

「なんだこの中年……」

「若者だよ!!25歳だよッ!!」


 突っ込む隙に、一人の暴漢が飛びかかってきた。しかし男――エストレージャはその動きにひるまず、まっすぐ踏み込んだ。


 ドゴォッ!!!


 拳で一発。暴漢がそのまま壁に突っ込み、がらがらと崩れ落ちた。


「うっそ……殴っただけで……」


 残るふたりが慌てて短剣を抜くが、その前に――


 ヒュッ!

 背後から飛んできた石が暴漢の手元を直撃。短剣が跳ねて落ちる。


 「次は顔狙うからね~?」


 満面の笑みで、石をもうひとつ拾うエストレージャ。

 暴漢たちは顔を引きつらせ、逃げるように通路を走り去った。

 静けさが戻った。

 エストレージャはひと息つくと、マチルダの方に向き直る。


「っと、無事だったか姫さん。こんなとこで一人旅とは、なかなかの胆力だな」


 マチルダは、短剣を胸元に戻しながら、一瞬だけ彼の顔をじっと見つめた。

 そして、ゆっくりと、微笑んだ。


「……ありがとう。あなたのおかげで、助かりました。」


 その微笑みが、後にどれだけ彼の世界を変えていくかを、まだ彼は知らなかった。

 

 出会いから数日後――

 マチルダとエストレージャは、街の片隅で再会した。

 偶然を装ったその出会いは、実のところ、お互いが意識して歩いた先での必然だった。

 それからというもの、ふたりはよく顔を合わせるようになった。市井の小さなカフェで並んで座ったり、市場の片隅で珍妙な果物を半分こしたり。

 時には、城の裏庭の花畑で、陽の傾く時間に他愛のない話を交わした。

 マチルダは、表情の変化に乏しい王族の仮面を少しずつ脱ぎ始め、エストレージャは、軽口の裏にある誠実さと優しさを隠すことをやめた。

 エストレージャが剣の手入れをしていると、そっと隣に腰を下ろして黙って見つめるマチルダ。マチルダが読書に没頭していると、じゃましないように物音を立てずに差し入れを置いていくエストレージャ。

 言葉はなくとも、想いは確かに伝わっていた。

 季節が一つめくれる頃には、ふたりの関係は誰が見ても明らかになっていた。

 ――目が合えば微笑み、

 ――話せば自然と距離が近づき、

 ――名前を呼ぶときには、少しだけ声が柔らかくなる。

 そして、ある夜。

 人気のない城の中庭。月の光が淡く照らす中、ふたりはそっと向き合っていた。


「……ねえ、あなたがいてくれて、本当に良かった。」


 マチルダは、言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。

 エストレージャは、照れくさそうに笑いながらも、真っ直ぐに彼女の目を見た。


「オレもだよ。お前に会って、世界が少しマシに見えるようになった。」


 夜風が、ふたりのあいだをやさしく撫でていく。

 そしてその距離が、ほんの一歩だけ、近づいたとき。


「……好きだ。」


 その言葉は、冗談でも照れ隠しでもなかった。まっすぐで、不器用で、けれど心からのものだった。

 マチルダは少しだけ驚いたように目を見開き、そして――微笑んだ。


「……私もよ。」


 この夜から、ふたりは“守る者”と“守られる者”ではなく、共に在る者として、愛をささやき合うようになった。


 静かな中庭。月明かりが降り注ぎ、夜風が花の香りを運ぶ。


「……結婚、しよっか」


 エストレージャがそっと言った。

 マチルダは微笑む。


「うん……」


 そのときだった。

 空間がゆっくりと揺れた。

 風が止まり、空気がねじれる。


 ――ズン。


 不意に、石畳の上に巨大な影が立っていた。

 黒いマントをまとい、ずっしりとした体格。無言。顔はフードに隠れて見えない。だが、その場にいる誰もが理解した。


 魔王だった。


「……誰?」


 エストレージャがそう言った瞬間、魔王は――黙ったまま、ゆっくりと手を伸ばした。

 マチルダの腕を、無言でつかむ。


「え? え? 待って?」


 彼女が戸惑う間もなく、魔王は一切しゃべらずに歩き始める。ただ、ズシン、ズシンと地を鳴らすような足音だけが響く。


「……ちょ、まっ……!!おい、ちょっと!おい!!」


 エストレージャが叫ぶが、魔王は一度も振り向かない。


「な、なんだよ!?何も言わねぇのかよ!?せめて理由言えや!!せめて誘拐って言えや!!いや言えってば!!」


 ズシン、ズシン……


 マチルダを引きずるように、いや、しかし優しく(絶妙に丁寧に)連れ去っていく魔王。


「おいィィィ!!!空気読め!!こっちは今プロポーズしたとこなんだよ!!」


 返事はない。魔王は、ひとことも発さず、そのまま暗がりの中に消えていった。


――ただひとつ、別れ際に背中越しに見えたのは、ほんの一瞬だけ彼が立ち止まり、わずかに首を傾けた仕草。

(……礼、言った……?)

 錯覚かもしれない。でも、確かにそう感じた。

 エストレージャ、崩れ落ちるようにしゃがみ込んで天を仰ぐ。


「……ええいもうっ!!なんなんだよこの魔王ォォォ!!!無言なのに印象強すぎんだよォォォ!!!」


 中庭には月明かりと、取り残された男の絶叫だけが響いていた。


 砕けた王の間の中央。魔王とエストレージャが、真正面から対峙していた。

 風は止み、空気は凍るように静まり返る。

 魔王は剣も持たず、無言のままこちらを見据えている。その存在だけで、世界が重たく傾いているように感じた。

 エストレージャは、割れた石床に片膝をつきながら、苦しげに息を吐いた。体中に傷。左肩は上がらず、足も引きずったまま。

 それでも――


「……たとえこの身が壊れようとも」


 かすれた声で、言葉を絞り出す。


「オレは、君を連れて……帰るまで……止まれねぇんだよ」


 目を伏せ、力なく立ち上がる。が、数秒後、ぐらりと大きくバランスを崩した。


「あ、あっぶね!?右足まだ死んでたわ!こいつ生きてる風で完全に休業中!!」


 よろけながらも、なんとか体勢を立て直す。顔だけは、真剣だった。


「オイ魔王。……たしかにお前は強い。ていうか、強すぎ。バランスブレイカーか」


 無言の魔王、反応なし。


「……でもな、オレ、今日めっちゃしんどいけど、それでも引けないんだよ。だってさ……」


 剣を握り直す。割れた柄から、血がぽたぽたと落ちていた。


「――マチルダが、待ってんだよ」


 魔王が静かに、前へ一歩踏み出す。その動作だけで、風が爆ぜるように巻き起こった。


「うわ、歩いただけで小規模災害発生かよ!?どんな足音!?」


 ひとりで突っ込んだあと、静かに剣を構える。その目に、もう迷いはなかった。


「……たとえ笑われてもいい。ボロボロでも、カッコ悪くても、ダサくてもいい」


 叫びとともに、エストレージャが地を蹴った。


「だけど、君を連れて帰るまでは……!」


 魔王もまた、無言のまま、全身に魔力を纏って応じる。


「……何回でも、立ち上がってやるよッ!!」


 剣と闇がぶつかり合う、轟音が空間を裂いた。


――ふたりの戦いは、まだ終わらない。



※※※※※※※※※※※※※※


 空は茜色に染まり、風が草原をゆるやかに渡っていた。その丘の上に、ひとりの男が立っていた。

 エストレージャ。

 ぼろぼろになって、何度も倒れて、それでもまたここに立っていた。

 彼の視線の先には、見慣れた――いや、見飽きた要塞があった。歪んだ塔、黒い稲妻、瘴気をまとう壁。変わらない絶望のシルエット。


「……はぁぁぁ……まただよ……」


 エストレージャは肩を落とした。懐かしさすら覚えるような、この絶望的な光景。


「マチルダ……。なぁ、なんでまたさらわれてんの?もう2回目だよ?」


 思わず呟く声も、少し笑っていた。


「こっちはプロポーズして、死闘くぐって、誓い合ったんだぞ?……ったく、気を抜いたらこれだよ。あいつ、さらわれスキル持ってんのか?」


 小さくため息をついたあと、ポン、と胸を叩いた。


「――でも、また助けに行くよ。今度も、次も、何度でも」


 そして剣を背負い、足を一歩、前に出す。その先には、またしても門番がいた。相変わらずデカくて怖くて無口で、立っているだけで魔物を呼びそうな気配。


「……お前、まだいたのかよ」


 門番は返事をしない。動きもしない。ただ“この門は通さない”という全身からの圧を放っていた。

 エストレージャは肩をすくめた。


「まあ、そこに立ってるのが似合うやつだよ、お前は。元気そうでなによりだ」


 そして剣を抜き、構える。体は重い。足も痛い。けれど、それでいい。


「たとえこの身が壊れようとも――君を連れて帰るまでは、オレは止まらない」


 最後に、空へ向かってひとことだけ叫ぶ。


「マチルダァァァァァァ!!今、行くからなァァァァ!!」


 その声がこだまし、遠くの空で、何かがふわりと笑ったような気がした。

 そして男はまた、いつものように、英雄らしく不器用に――悪魔の要塞へと走り出した。

昔からやってみたかったんです。

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