路地の花園
罪を重ねすぎたような気がする。
恥の多い人生を送ってきた、などという言葉では収まりきらないほどだ。
雑草のようにはびこる「ご感想」の、度重なる優生思想に、私はとうとう嫌気が差した。
私はここにいる。
私は私だ。
今が一番、ステキだ。
そう、どんなに自分を肯定してみても、容易く他者の視線や言葉に折られてしまう。
だからこそ、花の枝のように時間をかけて修復した私の自己肯定感は、誰にも見つからない路地の奥で、ひっそりと咲くしかないのだ。
私には、数少ないけれど個性豊かな友達がいる。
「類は友を呼ぶ」とはよく言ったもので、私と同じ、いわば社会不適合者の集まりだった。
みな一様に男癖が悪く、自分軸で生きている。
それが不幸だとも思っていないし、「男好き」「恋愛軸」と揶揄する声に、「生物として当然の反応だ」と、学生時代からいい歳になった今まで、虚勢を張り続けてきた。
私たちは愛されたいのだ。
騙され、貶められ、生きるうえで欠かせない「青春」をどこかに置き忘れてしまった。
どうしてもまっすぐ歩けなくなった。
キラキラと輝くはずだった日々を、取り返しても取り返しても尽きない復讐心に駆られている。
そして、その復讐を披露する舞台こそが、女子会だった。
「ねえ、最近の男ネタってないの?」
ユミが腫れぼったく艶やかな唇をパクパクさせ、丁寧に巻かれた髪を指で整える。
「ああ、最近はね。なんと彼女持ちの〇歳年上で!」
ハルカはハツラツと、最近の痴態を赤裸々に語り出す。
ハルカの話には特にオチもない。
けれど、彼女が楽しそうに話している姿を見るだけで、私はうれしかった。
たぶん、ユミもそうだろう。
私たちは聞いているようで、実はお互いの話に興味などない。
だってこれは、稚拙極まりない発表会なのだから。
「この前の妻帯者はどうしたのよ」
「いやだって、既婚で彼女欲しいとか言ってるの見て萎えちゃって。ウチも倫理ないけど、ダサいのは無理」
「え~、どっちも無理~。私のピ(ふれんど)の話も聞いてよ~」
「ユミの男の話、いつもクズすぎて泣けるんだけど!」
「ねえ、ほんとそうなの。この前もホテル代出させた上に金貸してって言われて、送迎まで! そういう時だけ優しいの、アイツ! 腹立つ~!」
「「でも好きなんでしょ」」
「うん!」
「マジ馬鹿すぎだよね~」
「てか聞いてよ~……」
この女子会は、いつも通りとっちらかっている。
皆が話したいことを好き勝手に吐き出し、いつの間にか時間が過ぎていく。
聞いていないけれど、リアクションをするのが楽しい。
真剣に話を聞いていないから、何度聞いても新鮮だ。
オチもなく、何も起こらない。ただ、時間が流れていく。
私たちはグラスを重ねるたび、他人から見れば到底理解できない、滑稽なまでの復讐劇を繰り広げた。
その舞台は、いつもこの薄暗いダイニングバーの一角。
店員の視線も気にならないほど、声は大きくなり、笑い声は響き渡る。
「ていうかさ、ユミ、その新しい香水、なんかセクシーすぎない? 男の趣味そんなんだっけ?」
ハルカが、空になったワイングラスを揺らしながら、からかうように言う。
ユミは頬を赤らめ、はにかむように微笑んだ。
「ピがこんなの買えるお金あるわけないじゃん。これはね、こないだクラブで会ったストリート系の男からの。すぐ飽きられて萎えたけど、マジイケてた~」
そう言って、ユミはふわりと髪をかき上げる。
甘く重たい香りが、一瞬にしてテーブルを包み込んだ。
飽きられた、と言いながらも、その表情はどこか誇らしげだ。
彼女にとって、男から手に入れたものは、たとえ刹那の幻であっても、自身の価値を証明する勲章なのだろう。 あるいは、失われた青春へのささやかな償いかもしれない。
「あるあるだよね~。私も切られた爺から買ってもらったバッグ、使ってないままメルカリ行きだったし。なんか田舎で隠居すんだって」
「うわ、ハルカ、ほんと枯れ専だよね。マジで悪食。餞別だったかもよ。おじいちゃんかわいそ~」
「ユミと違って、私は愛ある行為を特定多数としてるだけです~」
ハルカがけらけらと笑う。
私たちは皆、心の中で同じことを思っている。
この女子会は、私たちにとってのセラピーだった。
社会から「不適合者」の烙印を押され、傷つき、歪んでしまった心を、ここでだけはありのままに曝け出せた。
「ねえ、みんな、最近、なんか良いことあった?」
私がふと、真剣な顔で尋ねると、いつもの下世話な話とは違う問いに、二人は少し戸惑ったようだった。
「良いこと、ねえ……」
ユミがグラスの縁を指でなぞる。
「強いて言えば、この女子会かな。こうやって、あんたたちと馬鹿な話してる時間が、一番落ち着く」
ハルカも深く頷いた。
「ほんとそれ。なんか、ここにいると、自分を偽らなくて済むから楽だよね。変に気を使う必要もないし」
彼女たちの言葉に、私の胸の奥がじんわりと温かくなる。
私たちは確かに、社会の規範から外れた存在かもしれない。
世間から見れば、非難されるべき「罪」を重ねているのかもしれない。
けれど、この場所で、私たちは互いを肯定し合っている。
他人に折られ続けた自己肯定感を、この女子会という密やかな庭で育ててきた。
ひっそりと、誰にも気づかれずに咲かせた花は、豪華絢爛ではないけれど、私たちにとってかけがえのない宝物だ。
始発の時間が迫り、店を出る。
夜風が火照った顔に心地よい。
次に会うときも、きっと私たちは、また新しい「男ネタ」を抱えているだろう。
どんなに下らなくて、オチのない話でも、私たちはただ笑い、互いを肯定し続けるのだ。
私たちは、ここにいる。
私たちは、私たちだ。
今が一番、ステキだ。
このささやかな誓いを胸に、それぞれの家路についた。
胸の奥がつかえている。
本当なら、青春は卒業とともに、進学とともに、就職とともに、消えていくものだったはずだ。
なのに、私はこのぬるま湯に永遠に浸かっていたくて、初めて女子会で「獲物」を披露せず終えた。
私は、結婚するのだ。
運命だと思った。
今までかすかも動かなかった心が、初めて震えた。
大人になったと言っても、たかだかハタチを少し過ぎたばかりの私たち。
さまざまな大人に汚され、世間を知った気で呪い続けてきたのに。
こんな純な気持ちを抱いたのは、初めてだった。
彼は、私の過去を知らない。
私がどんな「罪」を重ねてきたのか、どんな傷を隠してきたのか、何も知らない。
それでも、彼は私の手を握り、「一緒に未来を描こう」と言った。
その言葉は、雑草のように絡みついていた自責の念を、そっとほどいてくれた。
まっすぐ生きようと思った。
けれど、胸のつかえは消えない。
彼と結婚することが嫌なわけではない。
このぬるま湯から抜け出し、新しい一歩を踏み出すことは、私にとって未知の恐怖だった。
女子会で笑い合い、傷を舐め合うことで保ってきた私の花は、果たして新しい土壌で咲けるのだろうか。
夜風に吹かれながら、ふと思う。
彼と歩む未来は、きっとキラキラと輝く青春のようにはいかない。
それでも、私のひっそりとした花を、彼ならそっと愛でてくれるかもしれない。
そんな淡い期待が、胸の奥で小さく芽生えていた。
私は、私だ。なのに。
今が一番、ステキだと、初めて本気で信じられなくなった。
この女子会を支えに生きてきた私がそこに混ざれなくなる恐怖を覚える。
この女子会手放すことは、過去への決別であり、新たな戦いへの序章なのだ。
戦いに怯えているが、やらなければならない。
いつの間にか、私は、自分自身の花を咲かせられなくなっていた。
それから、私は「結婚するよー」と明るくメッセージを送って、少しずつ女子会から距離を置いた。
「えっ!?!聞いてないんだが?!まず誰だソイツ!!」
「おめでとう!!!話聞かせろし!!」
2人は祝ってくれようとしたが、最初は「忙しい」と言い訳しながら、LINEの返信を遅らせ、誘いを断った。
ユミとハルカはいつもの調子で「新しい男出来たらこれなんだから!」とからかってきたが、そういうことじゃなかった。
本当は、彼女たちと笑い合う時間が愛おしい。
すぐにでも2人に会いたい。
けれど、彼との未来を思い描くたび、何時までもこんな事できないと自分を律した。
女子会は、私にとってパーティー会場なのだ。
だが、そのパーティーに浸り続けることは、彼との新しい一歩を踏み出す勇気を奪う気がした。
私は、過去の「罪」や復讐心を、そっと土に埋める決意をした。
彼女たちなら、次会った時に笑って祝福してくれるとわかっていたのに、なぜか言葉にできなかった。
時折、ユミからの「ねえ、最近どうなの?」というメッセージや、ハルカの「マジで音信不通すぎ! 生きてる?」という軽い調子のLINEが届く。
私は「ごめん、仕事が忙しくて」と返しながら、胸の奥で小さな疼きを感じた。
あの薄暗いダイニングバーで、グラスを傾け、笑い合った日々が、遠い記憶のように霞んでいく。
半年後、私は結婚していた。
彼との生活は、静かで穏やかだ。
キラキラとした青春とは程遠いけれど、朝の光がカーテン越しに差し込むたび、彼が淹れてくれるコーヒーの香りに包まれるたび、私のひっそりとした花は、新しい土壌で根を張り始めた気がした。
過去の「罪」は、完全に消えない。
誰も傷つけないように遊んでいたが漠然と「悪いことばかりをした」ということだけはわかっていた。
けれど、彼の優しい陽だまりで私は少しずつ、自分を許せるようになっていた。
ある日、久しぶりにスマホを開くと、ユミとハルカからのグループLINEに未読のメッセージが溜まっていた。
「ちょっと! 私も結婚した!!!いい加減ライン返せ!!」
「えwお前wwこっちも実はw」
最後のメッセージには、二人の左手にはめた指輪の写真。
ユミの隣には、意外にも穏やかそうな男性。
ハルカの隣には、年上の落ち着いた雰囲気の男性。
「ノリで結婚しちゃったぜ〜」
「まじでオチなし人生すぎるw」
ハルカらしい一言。
私は思わず笑い出し、胸の奥がじんわりと温かくなった。
彼女たちもまた、それぞれのぬるま湯から抜け出し、新しい庭で花を咲かせていたのだ。
あの女子会で育てた、ひっそりとした花たちは、形を変え、色を変えながら、別の土壌で根を下ろした。
豪華絢爛ではないけれど、それぞれの場所で、確かに咲いている。
私は返信を打つ。
「ねえ、久しぶりに女子会しない? 結婚ネタで盛り上がろうよ」
送信した瞬間、懐かしい笑い声が耳に蘇る気がした。
私たちは、ここにいる。
私たちは、私たちだ。
今が一番、ステキだ。
再び心からそう思えた瞬間だった。
風が、窓の外で優しく揺れている。
日のあたる所で、私たちの花は確かに、咲き続けていた。