なぜTSものは抜けるものと抜けないものがあるのか。
下らない話です
TS
それは性転換の略称。
主に創作物のジャンル分けをする際に使用されるワードだ。
創作物においては男が女になり男女間のギャップに悶えながらも女性の悦びに耐えれない展開が多い
しかし、私は基本的にこのジャンルで抜くことか出来ない。
ここまでであれば私の趣味趣向で片付けられるが1つの問題がある。
それは抜けるTSものもあるという事だ。
ではその違いについて私なりに考えてきたので以下に書いていこう。
抜けるTSと抜けないTSには大きく3点違いがあった。
1つ目は男の影の有無である。
私は異性に性的情欲を掻き立てられるが同性にはそれがない人間だ。
だからこそ、TS対象のキャラに元の男のイメージが少しでもあれば抜けないのだ。
例えばお◯まいの主人公である緒◯ま◯ろは抽象的ではあるが男の姿が書かれている。
目無しであり髪型しか分からないがその男のイメージがチラつきどれだけ女性が魅力的な身なりをしていても抜けない。
所謂、自分の母親に似ている要素があれば抜けないような感じや成人作品を観てる時に同性の友達が携帯で連絡した際に出てくる友達のアイコンが出てきた時の感情になってしまうのだ。
しかし、TSで抜けるキャラクターはいるにはいる。
それはF◯Oの源◯光である。
彼女は私たちの歴史上においては男であるがf◯o世界では女になっている。
彼女は同人界隈ではかなりの人気を博しており今もなお第一線に居続けている。
筆者も何度かお世話になった。
では何故彼女は抜けるのか。
それは男のイメージが付きにくいからだ。
もし彼女があの世界でも元男であり妻の身体を借りている設定であれば抜けないだろう。
しかしあのキノコのライター達は敢えてそうせず男性のイメージを付かせないようなシナリオ構成にしている。
これはシナリオライター達と絵師が為せる技と言ってもいい。
逆にF◯Oのキャラクターで抜けないキャラがいる。
それらはにニ◯チッチ、千利◯、ジャ◯クドモレー、曲亭◯琴だ。
彼女らは決してイラストやキャラクター性が悪いという訳では無い。
寧ろシナリオにおいては中々に良いキャラをしている。
ではなぜ抜けないのか。
それはやはり男の影があるからだ。
ニ◯チッチや千利◯、曲亭◯琴は彼女の中に男性の霊基が存在している。
それは夫や父親、それぞれあるだろう。
そして人格としても男として描写されることがある。
故に抜けないのではないかと考えている。
この性格は2点目にも深く関わっている。
2点目は男性描写である。
基本的なTSには男性描写を多く見せる事が多い。
例えば男性と女性の身体的な特徴の差異によりTSキャラが悶える描写などで自身が男であるという発言をする事がある。
これにより読者はそのキャラの男性像が少しずつ具体化されてしまう。
つまり男性と思われる行動や言動をする事で男の顔のイメージが無くても読み手の想像によって一気に抜けなくなってしまうのだ。
次に3点目は時代の変化である。
ほんの10年前はLGBTというものは流通していなかったが最近になってこの意識は高まりつつある。
よって昔は男の娘やオカマのキャラ、TSキャラが多く登場していたが昨今はそういうキャラは稀有な存在となってしまった。
その原因としてはやはりそういった方々の差別として繋がる可能性を危惧しているからだろう。
その影響もあり、例え男のチラツキが無くともTSである以上そういった意見を何処かしらで見てしまい性的興奮へのノイズに繋がるのではないかと考えている。
最後にこの考察をここまで見て頂き申し訳ないがこの説には矛盾が存在する。
それは1つ目である男のイメージの点だ。
私はfa◯eのア◯トリアやf◯oのレ◯ィアヴァロンは抜ける。
此等のキャラは元になる男のキャラが存在している。
では何故抜けるのか。
おそらくではあるが元になった男のキャラは別世界のキャラクターであるため自分自身別物と考えてしまってるのでは無いのだろうか。
もしくは「織田信長現象」と私は考えている。
織田信長現象とは簡単に言うと創作物のキャラのモチーフにされすぎて男でも女でもどちらもノイズにならないという現象だ。
所謂人気フィルターという奴だろう。
まとめるがTSで抜けるようにするにはそのTSキャラがモチーフにされすぎた偉人であるか。上記3点をクリアしないと抜けないと思う。
余談たが私はf◯oにいる大人のダ・◯ィンチは抜けないが少女身であるライダーのダ・◯ィンチであれば抜ける。
単にロリコンだからと言われればそれまでだが、上記の理由が正しいからこそ、そういった差異が有るのでは無いか。
私はそう考えている。