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最後の魔法  作者: 駄犬
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08 黒崎那月1

 魔法使いの朝は早い。日が出る前の5時には目を覚ますと、枕元に置いてある携帯電話を手に取って、夜のうちに来ていた友人たちへのメールの返信を済ませる。

 そうして、ゆっくりと朝の空気に身体を馴染ませると、ベッドから出て、歯を磨いて完全に意識を覚醒させる。

 朝一で歯を磨くのは、魔法使いとしての教え的なものではなくて、テレビで健康に良いと聞いたからだ。とにかく身体に良さそうな習慣は取り入れていく。何が自分の魔法を高めてくれるのかは手探りだ。

 童話で語られる魔法使いというのは、魔女のイメージが強くて、深夜にでかい鍋で毒々しい紫色の汁を煮込んでいるのかと思われがちだが、そんな家庭的なことをわたしはしていない。現代の魔法使いはそれなりに近代的なのだ。

 もっとも大切なことは、心身ともに健康であること。これは勉強でもスポーツでも共通することだ。遅くとも夜の10時には就寝して8時間以上の睡眠を取る。わたしは5時に起きるために9時には寝るようにしている。小学3年生でも、もう少し夜遅くまで起きているだろう。けれどこれはマストだ。

 学校の友達からは「何で那月は夜になるとメールの返信をくれないの?」と言われがちだけど、寝ているのだから仕方ない。

 わたしにしてみれば友人たちのほうが理解不能だ。女子高生という生き物は美容に興味がある割に、夜更かしをしがちである。それは美の基本である肌にも良くない。美しくなりたかったら睡眠は超重要で、早い時間帯の就寝は欠かせない。

 わたしも女子高生ではあるけど、それ以前に魔法使いを志す身でもあるので、彼女たち以上に美を意識している。世の中、美しくて困ることは無いからだ。誤解を恐れずに言ってしまえば、魔法使いは水商売である。それも歴史ある水商売だ。

 時の権力者たちに華麗に魔法を披露して喜ばせ、それなりに妥当性があって気に入られるような占いをして機嫌を取る。そのためには、男であっても女であっても外見が重要なのだ。もちろん、皺くちゃの顔をした年寄りの魔法使いのほうが、熟練感があって頼りになると思う人もいるかもしれないけど、それは歳を取った後でもできる。若いうちは若いうちにできることをしたほうが良い。

 そのために歯を磨いた後はランニングを始める。朝早く走り込むのは、自分が努力している姿をできるだけ人に見られたくないからだ。「何もしてないのに凄い」と他人に思わせることも肝心。それがわたしを神秘的なものにする。

 もっと言えば、言葉ひとつ、歩き方ひとつとっても特別感を出せたほうが好ましい。将来に対する布石になるからだ。現代では過去のことが簡単にネットで掘り起こされてしまうので、「高校生のときから凄かった」という評判を作っておかなければならない。とはいえ、わたしが本格的に魔法に取り組み始めたのは高校受験が終わった後からだから、意識の低かった小中学校の頃のことは少々大目に見て欲しいものだ。


 冬の5時過ぎは真っ暗で、吐く息は真っ白。正直、走りたい気持ちなんてこれっぽっちもないのだけれど、習慣化しているのでそれほどストレスはなく、むしろ、やらないと落ち着かないくらいだ。変なことに巻き込まれないように全身をジャージで覆って肌は露出させず、フードを深く被って広い道をひたすら走る。

 ランニングが終わったら朝食。ヨーグルトに蜂蜜、バナナ、ゆで卵、ハーブティーといった身体に良くて簡単に用意できるものを手早く摂取する。それも親が起きてくる前に。誰かと生活時間帯が被ると、キッチンや洗面所を使うタイミングがバッティングして時間が無駄になるからだ。

 もう一度歯を磨きながら、もそもそと起きて来た両親と朝の挨拶をかわす。

 とりあえず、「おはよう」とだけ言っておけば、親は子供とコミュニケーションが取れていると思ってくれるので、これを億劫がるのは損だ。挨拶も魔法のようなものである。しかもコスパが良い。

 そうして学校の用意が整ったら、家を出る。時間は全然早い。登校時間もできるだけ人と違う時間にしたいからだ。「いつの間にか来て、いつの間にか帰る」。それは人に不思議な存在として映るだろう。魔法使いは自分を演出し続けなければならない。あと、早い電車は空いているし、落ち着いて勉強するにも適している。


 駅から学校までは5分程度。横断歩道の脇に置かれた花を視界の端に入れながら、開きたての校門を通り抜ける。向かうのは文芸部の部室。もちろん、文化系だから朝練なんてないのだけれど、この時間帯の部室の周辺には人がほとんど寄り付かないので、魔法の詠唱にはうってつけの場所となる。

わたしはホームルームが始まる5分前までを、ひとりでここで過ごしていた。

 ──少なくとも1年前までは。

 部室のドアを開けると、予想通り先客がいた。

 南雲桜子。一年後輩でわたしと同じく魔法使いを志す者。

 紫光りする長く美しい黒髪に陶器のような白い肌、顔立ちは今の美人の基準からするとやや古風で中性的だけど、十分魅力的に映るだろう。本人の努力ももちろんあるが、魔法使いの家系の者は大抵外見に恵まれているものだ。それは魔法使いが一種の芸能の一族であることを示している。

 実際、芸能界には『魔法使い枠』なるものが存在しているらしい。魔法が使えて、そこそこ容姿が整っていて、気の利いたことが喋れるタレント。そういう存在がテレビ的にも使い勝手が良いのだ。ある意味、その枠に入ることが、今もっとも成功している魔法使いといえるかもしれない。今は言いたいことをズバズバ言う占い師上がりの中年の女性タレントと、魔法も使えるイケメン俳優の20代前半の男性俳優がその枠に収まっている。ふたりとも当然のように見た目は良い。

 桜子もわかりやすい美人ではないけど特徴的な見た目をしているから、将来その枠を目指せるかもしれない。わたしは容姿にはそこそこ自信はあるけど、目的はあくまでも魔法使いとして生きていくことで、芸能界を目指すつもりはない。

 文芸部の部室は教室の4分の1くらい大きさで、真ん中には茶色い細いテーブルがふたつ横づけしてあり、そこにパイプ椅子が8つ置かれている。ただここ数年、部員が部室に8人そろったことはない。数はいるけど、ほとんどが幽霊部員だ。

 この子も文芸が目当てではなく、同じ魔法使いであるわたしが所属していることを知って入部してきた。


「おはようございます」


 椅子に座って魔法の本を読んでいた桜子が立ち上がり、頭を下げて折り目正しい挨拶をしてきた。


「おはようございます」


 わたしも丁寧に挨拶を返す。後輩にだからといって、横柄な態度を取ることはない。

 これもひとつの社会訓練だ。できるだけ敵は少なくし、味方は多く作る。魔法使いとして生きていくのであれば、そういう心がけは必要だ。

 何故なら、「魔法使いだから」というだけで、何らかの嫌疑をかけられることがある。実際、わたしは小学校の頃に成績が良かったことを、「魔法を使っているから」と言われたことがあった。

 大したことができないと知られていても、未だに魔法を怪しげなものだと考えている人は多い。幸い、疑いをかけた同級生よりも、わたしのほうが人望があったから事なきを得たけど、これが逆であった場合、面倒なことになった可能性は否定できない。

 だから、基本的には誰にでも礼儀正しい態度を取るようにしている。「年上だから」なんてプライドは何の足しにもならない。

 ともあれ、桜子は再び椅子に腰かけた。わたしのことを待っていたのだが、急かさないように気を遣っているのだ。

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