07 凛
中一、中二と桜子とは別のクラスだったけど、中三になってようやく同じクラスになることができた。
中一のときに魔法が使えるようになった桜子だけど、わたし以外の人の前で披露することはあまりない。それは特別感があって、わたしのちょっとした自慢だったけど、桜子のおばあちゃんの教えでもあった。何でも、人前で頻繁に魔法を使うのは良くないらしい。
魔法を仕事としていくには、簡単に人に見せるようなことはせずに、付加価値を付けなければならないそうだ。要はもったいをつけたほうが良いってことだと思う。
だから、魔法の本が盗まれた事件のときとか特別な場合にだけ、桜子は人前で魔法を使ってみせた。それ以外のときに請われても、
「嫌です」
とばっさり断っている。
もうちょっと言い方というものがあると思うのだけれど、それも桜子らしかった。
わたしはというと、バスケ部でまあまあ活躍した。3年生ではキャプテンも任されたし、楽しくやれていたと思う。
勉強はずっとお父さんに見てもらっていたから、5教科の点数は大体90点前後が取れていて、それなりの高校には行けそうだった。
クラスメイトたちからは、
「何で塾にも行ってないのに、そんな点数が取れるの?」
と不思議がられたけど、わたしは塾の勉強をしている子たちとは違って、学校の勉強だけをずっとしていたのだから当然と言えば当然だ。中間・期末テストなんて、3週間前から準備を始めていた。逆に受験用の勉強なんてしたことがない。これで本当に高校に合格できるのか不安だった。
「受験勉強はしなくても大丈夫なの?」
そうお父さんに尋ねると、
「学校の時間を効率的に使うのが重要だから、学校の勉強に専念しておけばいい。後は夏休みとか冬休みに、行きたい高校の過去問を繰り返し解けば最短クリアできる。いいかい、とにかく徹底して無駄を省くんだ。学校の成績は内申点に結びつくし、基礎を固めるにはうってつけだ。基礎をおろそかにして応用に行ったって上手く行かないよ? それに塾に行って、できるようになるのは元々頭の良い連中ばかりだ。塾だって宣伝になるから、その子たちに注力する。ほとんどの人は勉強した気にさせられるだけなんだ。全員が全員、志望校に受かるわけがないからね。だったら、自分で勉強した方がよっぽど効果的だよ。わからないところがあったら、僕か学校の先生を使えばいい。学校の先生はそれが仕事なんだからね。もしくは頭の良い子に聞くのも手だ。聞くのはタダなんだから。とにかく、周りにあるリソースを徹底的に使い倒すんだ。それを恥ずかしがってはいけないよ? 『聞くのは一時の恥、聞かぬは一生の恥』という格言があるくらいだからね」
と自信満々に言われた。正直、考え方に偏りを感じて少し不安はあったけど、ここまで来たら信じる他ない。
お父さんを、というよりは、オンラインゲームで他のプレイヤーから顰蹙を買うほど効率重視のプレイスタイルを貫くゲーマーを、だ。
ちなみに桜子も塾には行ってなかった。でも成績はわたしよりも上で、平均で95点くらいはある。魔法の勉強に比べれば学校の勉強は簡単らしく、授業を聞いていれば大体はわかると言っていた。だから同じクラスになったことを良いことに、わたしは桜子に勉強のことを聞きまくった。桜子の説明はわかりやすいし、何ならちょっと偏屈なお父さんよりも聞きやすい。でも、ちょっとだけ罪の意識を感じて、お父さんから言われたことを正直に告白した。
すると桜子は、
「質問されて答えるのも勉強になるから」
と微笑んでくれた。この子は女神なのかもしれない。
「そうかな? 『聞くのはタダ』ってせこくない? 一応、『塾に行きたければ行っても良い』とは言われてるけど。ただ、わたし、塾とか行っちゃうと、お父さんの言った通り、勉強したつもりになって安心しちゃう気もするんだよね。だから、今のままで良いかな、って」
「凛のお父さんって、昔からちょっと変わっていて面白いよね。そういう周囲に流されない考え方ができるのはすごいと思うよ」
「変わり過ぎだと思うけどな。娘の受験もゲームも同じような感覚なのよ。育成シミュレーション的な? 『絶対に良い高校に行け』みたいな感じじゃないのはありがたいんだけどさ」
お父さんは勉強は教えてくれるけど強制はしない。頑張れ、とも言わない。多分、わたしが明日「勉強を止める」と言っても引き留めず、嬉々としてゲームの時間を増やすだろう。基本的に自分本位なのだ。
「羨ましいよ。わたしの親は普通だから……」
桜子はそう言うと少し目を伏せた。桜子の親は魔法使いになることには否定的で、できれば普通に生きていって欲しいと思っているみたいだ。決して悪い人たちじゃないんだけど、逆にそうだから「娘には魔法をやって欲しくない」みたいなところがある。
実際、魔法はあんまり表立った仕事には使えないみたいだった。桜子のおばあちゃんがやっている占い師とかスピリチュアルなものが多い。
わたしとしては、桜子には魔法を世の中に広めるような素敵な職業に就いて欲しかったけど、そんなものは存在しなかった。
そういう現実も中学生になると見えてくるもので、わたしも無責任に「魔法使いになって欲しい」とは言えなくなっている。
桜子も小学校の頃から頑なに続けていた休み時間の魔法の勉強を、魔法が使えるようになってから控えるようになっていた。今はこうしてわたしと喋ったりしている。
「本当に魔法を続けても良いのかな、って思うことがあるの」
そんな風に桜子が不安を吐露したこともあった。ひょっとしたら魔法に成功したことで一応の目的を達成して、桜子は満足してしまったのかもしれない。でもわたしには何も言えなかった。自分だって将来やりたいことなんて決まってないし、「絶対それが良い」なんて言えるはずがない。
──
そして勉強ばかりの中三はあっという間に流れてゆき、ついに迎えた高校受験。わたしと桜子は示し合わせて、第一志望に同じ高校を選んだ。わたしにはちょっとチャレンジで、桜子には少し余裕があるくらいのところ。
最初は同じ高校に行けるかもしれないということが単純に嬉しかったけど、徐々に「本当にこれで良かったのかな?」と心配になってきた。
まだ願書の提出が間に合う1月。学校からの帰り、南国でもないのに椰子の木が植えられている大きな道路沿いの道を歩きながら、わたしは桜子に尋ねた。
「本当に同じ高校で良いの?」
そのときの桜子は、何とも言えない複雑な顔をしていた。
「実はね、わたしもちょっと不安なのよ。小学校、中学校と、凛が同じ学校だったから上手くやれていた気がするの。小学校の頃は頑なだったわたしを守ってくれたし、中学校だって、一年のクラスのときにわたしに良くしてくれた小林さんも、もともと凛の友達だったじゃない? 幼稚園の頃からの友人関係が続くなんて、凛も小林さんも凄いと思ったけど」
わたしは元々中学校がある地域から今のマンションに引っ越してきていたので、同じ小学校以外の子たちの中にも顔見知りはいた。中でも遥は家が近所だったこともあって母親同士が仲良しで、小学生になっても時々会っていた間柄だった。
だから、桜子と遥が同じクラスになることを知ったとき、遥に「桜子のことを宜しくね、ちょっと浮いちゃうかもしれないからさ」とお願いしたのだ。
「桜子はもう誰とでも上手くやっていける気がするけどね」
そう言いつつも、「わたしがずっと桜子の一番だったら良いのにな」とか思う独占欲みたいなものに気付いて、自分がちょっと汚らしいものに思えた。
「どうかな? でも、いつかは自分ひとりでやっていかないといけないけど、わたしがもう少し凛と一緒にいたいと思っているのよ。だから、良いの」
強い冬の風に黒髪を軽やかになびかせながら、桜子は微笑んだ。
高校にはふたりとも合格した。
──
高校は東京の渋谷にある私立の共学。一応、付属校だけど、もっと良い大学への進学も狙えるハイブリットな高校、と言えば聞こえはいいけど、どっちつかずな感じもする学校だった。将来的な進路を決めかねていたわたしたちには、ちょうど良いと言えばちょうど良かったのかもしれない。
電車に乗って通学するのはもちろん初めてのことで、最初は桜子と一緒に登校していた。高校の目の前の横断歩道で車に轢かれそうになったところを、手を引いて助けてもらったこともある。けれど、クラスは別々で、わたしは高校でもバスケ部に入り、桜子は文芸部に入ったので、自然と生活サイクルはズレていく。だから、次第にひとりで登下校することが多くなった。
携帯でやり取りはしていたから疎遠になることなんてなかったけど、それでも小中学校の頃のような距離感ではなくなっていくのを感じた。
そして、桜子は高校生になってしばらくすると、また魔法にのめり込んでいった。
彼女は本格的に魔法使いになることを決意したのだ。それは文芸部にいた魔法使いの先輩の影響かもしれないし、やっぱり、おばあちゃんの生き方に憧れていたのかもしれない。
わたしも桜子が魔法使いを目指すことは応援していたのだけれど、自分は普通に大学に進学することが見えてきていたから、それぞれが違う道に行くことを寂しくも思っていた。