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最後の魔法  作者: 駄犬
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04 凛

 小学校を卒業したわたしと桜子は、同じ中学校に通うことになった。

 同じ小学校だったからといって、同じ中学に行くことは当たり前のことじゃない。

 ススキだらけの埋め立て地に林立するマンション群、そこに住んでいる親たちは意識の高い人が多いのだ。彼らは子供が小学生のときから塾に通わせて、隙あらば進学校に入れようと目論んでいる。実際、中学受験をして私立校に行く同級生もいっぱいいた。

 そりゃ、中学から早稲田や慶応のような付属校に入れてしまえば、人生楽ができそうな気もする。でも、わたしの親は幸いなことに「塾に行け」とは言わず、わたしもそんなに勉強に興味がなかったので、普通に公立の中学校に行くことになった。

 ただ、桜子は結構勉強ができたので、「ひょっとしたら私立に行っちゃうかも」と、わたしは気を揉んでいたのだ。さすがに「待って、わたしを置いて行かないで」とは言えない。桜子には桜子の人生があるし、ドラマに出てくる負けヒロイン役みたいなことはしたくなかった。あれはちょっと恰好悪い。

 結局、桜子は「魔法の勉強もしたいから、通学に時間はかけたくない」という、至極真面目な理由で中学受験はしなかった。

 中学校の制服はブレザーだったんだけど、長い黒髪の桜子は三井のリハウスのCMに出られるんじゃないかと思うくらいに似合っていて、ひょっとして悪い男に狙われるんじゃないかと、わたしを不安にさせた。だからというわけじゃないけど、中学への登校はいつも一緒にしていた。

 ついでにその不安を本人にぶつけてみると、


「いや、わたしは制服を着た自分を鏡で見て、『昭和の幽霊みたい』って思ったから、そんな心配はないと思うけど?」


 と慎ましいことを言っていた。

 そんな馬鹿な。こんな美人を幽霊なんかと間違えるはずがない。

 

 部活は何となくバスケ部に入って、初めての中間テストと期末テストにコテンパンにやられた後の夏休み。わたしは桜子に誘われて、マンションから少し離れたところにある東京湾沿いの堤防にいた。

 ひょっとしたら、ここも一応海辺なのかもしれないけど、コンクリートで無機質に固められている上に、砂浜の代わりにテトラポットが敷き詰められているから、そんなお洒落なものではないと信じたい。わたしの中の海辺は、もう少し雰囲気のある場所なのだ。

 周囲にはわたしと桜子以外に誰もいなかった。この近くにはわたしたちが住むマンション群以外には本当に何もなくて、あそこに住むお洒落な住民たちはこんな殺風景なところには滅多に足を運ばない。

 対岸に工業地帯が見えるこの荒涼とした海に沈められるか、背後に馬鹿みたいに広がるススキの荒野の中に埋められたら、簡単に完全犯罪が成立しそうだなーと思った。

 桜子がわたしをこんなところに連れてきたのは、そんな後ろ暗い理由ではないと思うけど、ちょっと緊張している自分もいる。

 ドキドキしているわたしを他所に、桜子は意を決したように口を開いた。


「聞いて、凛。わたし、魔法を使えるようになったわ!」


 とっておきのサプライズを明かしたかのように、桜子は珍しくその白い頬を紅潮させていた。もちろん、わたしは見事に驚いている。

 だって、人の夢が叶った瞬間を初めて間近で見たのだから。


「えっ!? 本当に! 凄いじゃない! おめでとう!」


 わたしは桜子に思いっきり抱きついた。

 で、ちょっと涙が出た。自分は何もしてないくせに泣いてしまったのが恥ずかしくて、誤魔化しが効く顔になるまで抱きついたまま離さなかった。

 だって、桜子はずっと努力を重ねていたんだもの。

 おばあちゃんから「魔法を使うためには心身を鍛えることが大切なのよ」と本当かどうかわからないことを言われて、馬鹿正直に運動も勉強も頑張って、その上で魔法を学んできた。わたしは近くで見守っていただけ。たまに邪魔者を排除していたけど。

 それがようやく実を結んだのだ。こんなに嬉しいことは無い。

 誰もいない堤防でふたりでひとしきり喜んだ後、わたしは尋ねた。


「ところで、何でこんなところにわたしを連れてきたの?」


「覚えたのが火の魔法だから。ここなら火事になる心配はないでしょう?」


 なるほど。水とコンクリートしかないこの場所なら、火の魔法を使うにはうってつけだ。燃えるものが何もない。

 ひとつ咳ばらいを挟んだ後、早速、桜子は呪文を唱え始めた。

 ちなみに桜子の呪文を聞くのは初めてのことじゃない。出会った頃から、呪文を練習している彼女の姿を何度も見てきている。桜子は「恥ずかしいから」と言って、学校では魔法の練習をしないのだけれど、彼女の呪文はとても綺麗だ。

 桜子のおばあちゃん曰く、「呪文の唱え方も魔法使いとしての大切な技術」らしい。

 正解はなくて、魔法使いは思い思いの呪文の唱え方があるという。呪文の唱え方が上手いから、時の権力者から重用された魔法使いもいたと聞いていた。

 多分、昔は魔法使いがアーティストみたいな扱いをされていた時代があったのだろう。

 そりゃ呪文を聞くにしたって、お経みたいに眠くなるようなものよりも、ノリがよくて楽しいものが良いに決まっている。何せ、最低でも5分は呪文が続くのだから。

 そういうわけで、桜子は発声練習とか歌の歌い方とかも勉強していて、時折カラオケボックスで呪文を練習していた。これがもう滅茶苦茶上手い。

 今も目の前で桜子が丁寧に綺麗に呪文を紡いでいる。

 わたしは堤防の段々に腰かけて、その美しい声に聞き惚れていた。

 そして観客がひとりのお披露目会は1時間が経過した。呪文は5分くらいで完成するのだけれど、なかなか上手くいかない。でも、それで良いと思う。奇跡は簡単に起きないのだから。簡単にできてしまったらありがたみがない。

 わたしは「夜になっても待つ!」と覚悟を決めていると、ふいに桜子が両手を前にかざした。いよいよ魔法が完成するのかもしれないと身を乗り出す。


 桜子の掌の上に、ポッと灯る小さな小さな火。


 あまりにも小さくて、海風で消えないようにと、思わずわたしが自分の身体を風除けにしてしまったほどに。


「どう……かな?」


 桜子は恥ずかしそうに聞いた。

 もちろん、火をつけるだけならマッチとかライターのほうが簡単で便利だ。

 もし、わたしが中学生になってから桜子と出会い、この火を見たら、「ふーん」で終わらせていたかもしれない。 

 でもそうじゃなかった。

 これはわたしが何年も待ち望んできた火だ。

 桜子が魔法使いになると決めて、積み上げてきた結晶なのだ。

 それを思えば、わたしがボロボロと涙をこぼしてしまっても、何もおかしくはない。

 わたしの顔を見た桜子はびっくりして、それから同じようにボロボロと泣き始めた。


「やっぱり凛に最初に見てもらって良かった。おばあちゃんとどっちにしようかと迷ったんだけど、わたしは凛に見て欲しかった」


 何て泣けることを言う子なのだろう。おかげで涙が止まらないじゃないか。

 海風が強くてコンクリートばっかりの無味乾燥な場所で、わたしたちは抱き合ってしばらく泣いていた。

 で、わたしは言ったのだ。


「桜子の魔法はとても綺麗だから、将来は大勢の人の前で唱えて見せたほうがいいわよ。きっとみんな感動するし、『魔法は凄いものだ』って感動するから。もう二度と『魔法は大したことない』だなんて言わなくなるわ」


 お世辞じゃない。それは絶対だ。

 確かに小さい火だったかもしれないけど、本当に美しいとわたしは思ったから。

 桜子は照れたように笑っていた。

 

 その後ふたりで話し合って、「これくらいの火の魔法なら、どこで練習しても大丈夫だろう」ということになった。いちいち、堤防にまでやってきて練習するのが面倒くさかったからだ。

 最初は一応場所とか選んでいたのだけれど、段々大胆になってきて、放課後の学校の空き教室でも練習するようになった。小学校の頃は恥ずかしがっていた桜子も、ちゃんと魔法を使えるようになって自信がついたのだろう。


 ところがしばらくして、中学校で幽霊が出ると噂になった。

 誰もいない真っ暗な教室の中で、この学校で死んだ生徒の顔がぼぉっと浮かび上がるというのだ。

 長い黒髪の女子生徒の顔が。

 あれは昭和の時代に亡くなった女の子に違いない。

 今は使われていないあの空き教室で自殺したのだと。


「だから、あの教室は使われなくなったのか」


 などと生徒の間でそれらしく語られるようになり、しまいには花まで置かれるようになった。

 ある日、魔法の練習をしにその空き教室にやってきたわたしと桜子は、机の上に置かれた一輪挿しを見て、以後、学校で魔法の練習をするのは止めた。


──


 桜子の火を見た後、わたしも思うところがあって、何かに全力で取り組もうと決心した。ちゃんと目標を立てて生きて、まがりなりにもそれを形にした桜子が羨ましくなったからだ。部活動のバスケを頑張るのも悪くなかったんだけど、楽しいからやっているだけで、そこまでの情熱はなかった。

 色々考えた結果、今のわたしの成績ではどう考えても桜子と同じ高校には行けなかったので、勉強を頑張ることにした。やっぱりずっと近くにいたい、と思ったから。

 でも、ちゃんと勉強したことなんてなくて、何から手を付けて良いのかわからなかった。桜子に聞けば教えてくれるだろうけど、魔法の勉強の邪魔になるようなことはしたくない。

 悩んだ末に、良い大学を出ているらしいお父さんに勉強を見てもらうことにした。

 うちのお父さんはゲーマーで、家に帰ってきたらゲームばっかりしていた人なんだけど(お母さんもゲーム好きだから理解があった)、別にそれは人生を懸けてやるようなことでもないと思ったし、可愛い娘の頼みなら聞いてくれるだろうと思ったからだ。

 それで仕事から家に帰ってきたお父さんを、お母さんと一緒に玄関で待ち構えて、


「おかえり! お父さん、勉強を教えて」


 と言ったら、


「何の?」


 と父と母に同時に聞き返された。娘が学校の勉強をちゃんとやるというのが、あまりにも予想外のことだったらしい。何て酷い親なのだろう。

 ただそれでも、お父さんはゲームを少し控えてくれるようになり、毎日会社から返ってくるとわたしに勉強を教えてくれるようになった。

 とにかく復習を徹底的に、というのがお父さんの勉強スタイルだった。

 予習とか塾で学校の勉強を先取りしてしまうと、授業をちゃんと聞かなくなる可能性があるというのだ。


「学校の授業に一番時間を使うんだから、その時間を有効活用するのが最も効率的だ。だから、凛はちゃんと学校の授業を聞いてきて、わからなかったところとか小テストでできなかったところを、家でみっちり復習すれば良い。要はわからないところを徹底的に無くしていくんだ。そうすれば、中間テストや期末テストで良い点が取れるようになる」


 お父さんの言うことは実に理にかなっていて、教え方もとても上手だった。

 おかげでわたしの成績はぐんぐん上がっていった。

 でもそうなると、逆にわたしには納得できないことが出てきた、何でもっと早くわたしに勉強を教えてくれなかったのだろうかと。

 それをお父さんに尋ねると、


「そりゃ、やる気のない凛に教えたって無駄だからだよ。学ぶ気のないヤツに何かを教えるのは効率が悪いんだ。それに勉強ができてもできなくても、そんなに人生に違いは出ないと僕は思っているからね。だって誰でもゲームはプレイできるだろう?」


 なるほど実にお父さんらしい、とわたしは思った。

 父はゲームにおいても徹底的に効率を求めるタイプだったから。

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