26 桜子3
「何であんな取材を受けたんですか?」
取材の後、綾乃がわたしを責めた。
「メッセージになるものが欲しくて」
わたしは正直に話した。綾乃との付き合いは長い。もう凛よりも長いだろう。けれど、小学校から高校までの時間を共有することと、大学生から後の時間を共有することには大きく違う。特に10代の頃の時間は、いつまでも自分の中で大きなものであり続けていた。
「メッセージ? 凛さんに向けてですか?」
綾乃は眉間に皺を寄せて、嫌な顔をした。昔は素直で魔法使いらしからぬ可愛い子だったけれど、いつの間にか大人になってしまった。彼女は凛のために最後の魔法を使うことを快く思っていない。
「そうよ。あの本を読んだら、わたしのところに来てくれるでしょう?」
「普通に連絡すれば良いじゃないですか。そんなことのために、わざわざあの本を?」
「だって怖いのよ」
わたしは肩をすくめた。
「怖い?」
「上手くいっていなかったらどうしよう、って。自分のすべてを捧げた魔法よ? その成否ほど恐ろしいものは無いわ。それに恥ずかしいじゃない」
「恥ずかしい?」
綾乃の眉間の皺が更に深くなった。
「しばらく会っていなかった相手に連絡するのは勇気がいるのよ。わかるでしょう?」
「それが世界一のマジックアーティストの言うセリフですか?」
彼女は一瞬呆れた表情を作った後、真顔になった。
「本当に、本当に凛さんのために最後の魔法を使うんですか? 幼馴染が大事なのはわかりますけど、そのために魔法使いであることを止めるなんて……いえ、普通の魔法使いならまだ良いです。でも、桜子先輩は今や世界一の魔法使いなんですよ? 酷いことを言っているのかもしれませんけど、人ひとりのためにその才能を失うのは、あまりにももったいないです」
綾乃がわたしのことを想って言ってくれていることは、痛いほどわかっている。
「それも全部、凛を生き返らせるためよ。……ああ、こういう言い方をすると、まるでゾンビみたいね。生きていたことにするためよ」
冗談めかして言ってみたけれど、後輩の堅い表情は崩れなかった。
「もう一度考え直してみませんか? 凛さんが亡くなったことは悲しいことかもしれませんけど、それは運命だったんです。桜子さんが人生を賭してまで変えなきゃいけないことじゃありません。だって、家族ですらないんですよ?」
自分が悪者になっても、わたしを引き止めようとしてくれているのだろう、この子は。
それを思えば心は揺らぐ。でも──
「ねぇ、綾乃。魔法なんて大したことができない、ってみんな思っているわ。わたしが今動画やライブで見せている魔法だって、所詮は演出の一部に過ぎない。あれはただのエンターテインメントで、魔法本来の姿とは著しくかけ離れているわ。でもね、魔法は本当は人の願いを叶えるためのものなの。わたしたちが使う火や水の呪文だって、今は使えないかもしれないけど、昔はそれを欲した人が大勢いたからできた魔法なのよ。だからわたしはね、同じように魔法で奇跡を起こしたいの。それはわたしひとりの願いなのかもしれないけど、かけがえのない願いなのよ」
「凛さんが生きていたとしても、もうそんなに仲良くなくなっているかもしれないのに?」
絞り出すように綾乃は言った。苦し気な顔をしている。本当はそんな意地の悪いことは言いたくないのだろう。
「良いのよ、それでも。これはわたしの身勝手な願いなんだから。凛が生きているだけで、わたしは十分。高校生活を楽しんで、大学ではバイトをしたり素敵な彼氏ができたりして、社会にでたら一生懸命働いて、それで結婚をして、今は子供がいたりするのよ。そう考えるだけでもわたしは幸せになれるから」
「そんなに上手くいくとは限らないじゃないですか! 凛さんがどんな人かは知らないけど、高校生活が上手くいかないことだってあるし、大学受験に失敗している可能性だってあります。彼氏ができたって、それが変な男じゃないって何で言い切れるんですか? 結婚していても不幸な家庭はいくらだってあります。桜子さんがやろうとしていることはとても不確実なことなんですよ?」
訴えかけるように綾乃はわたしの袖を掴んだ。
綾乃を都合よく使うつもりはなかったけれど、ひょっとしたら無意識に利用してしまっていたのかもしれない。だから、こんなにもわたしのことを引き止めているのだろう。
自分だけ魔法使いであることを止めないでくれ、と。
わたしは綾乃の手をそっと握った。
「そんなことにはならないわ。決して」
「何で言い切れるんですか!?」
「わたしはね、凛に魔法をかけるつもりだから。幸せになれる魔法をね。だって、わたしはずっと想像してきたんですもの。高校で部活に励む凛の姿とか、地元でアルバイトをしている姿とか、大学生になって素敵な人と出会っている姿とか。魔法はイメージの世界だから、きっと上手くいくわ。それがわたしの本当の最後の魔法になるの」
自分の妄想を語っているようで、ちょっと恥ずかしくなってしまったけど、綾乃は悲壮な表情を浮かべていた。
「そんな魔法、聞いたことありませんよ。呪文だってないんでしょう?」
「魔法の本質は願いよ。呪文なんて必要ないわ」
わたしが首を振って微笑むと、綾乃はそれ以上何も言わずに、黙って部屋から出て行った。
──
あの本が発売される日がやってきた。
わたしは自宅にいる。傍らにはずっと読み続けてきた黒い魔法の本。
その最後のページに書かれた言葉を、わたしはゆっくりと紡ぎ始めた。
誰に聞かせるわけでもない呪文を、自分のためだけに一語一句惜しむように。
すると、おばあちゃんから聞いていたように、わたしの心の中の大切なものが燃えていくのがわかった。大切なものを燃やすことと引き換えに、莫大な魔力がわたしの中に満ちていく。
それは線香花火を思わせた。今にも散ってしまいそうな脆い輝きを。
わたしはその輝きを逃さぬように、あのときのことを思い浮かべる。
目の前で凛が跳ねられてしまった、あのときのことを。
ぐにゃりと意識がねじれ、夢でも見ているかのようにわたしの意識だけが過去を遡っていく。昨日のこと、1週間前のこと、1月前のこと、取材を受けているときのこと、ライブをやっているときのこと、大学生のときのこと、那月先輩と魔法の研鑽を積んでいるときのこと、そして──
信号が変わる直前、そのときのわたしと意識が同化した。
瞬間、わたしは横断歩道に足を踏み出そうとした凛の腕を掴む。
途端に目の前を車が走り抜けていった。運転席には、携帯電話を片手に喋っている若い女性の姿。信号が赤であることに気付きもしていない。
凛が振り返った。
「ありがとう、よくわかったわね」
懐かしいその顔、その言葉だけでも、わたしは泣きそうになってしまった。例えこれが夢でも悔いはないくらいに。
「わたしは魔法使いだから」
燃え尽きようとしている何かを知覚しながら、わたしはそれだけを告げた。
そのまま凛の腕をぐっと握って、
──どうかどうか、幸せになりますように──
と願いを込めて。
気が付けば、わたしは元の部屋に佇んでいた。
試しに呪文の一節を唱えてみると、いつもはチリチリと反応していた何かが消失している。最後まで呪文を唱えきっても何も起こらない。
わたしは魔法使いではなくなっていた。
もちろん、予想はしていたし、覚悟もできていたつもりだったけど、それでも都合の良い奇跡が起きて、わたしだけは何とかなるんじゃないかという淡い期待も持っていた。
「さすがにそれはないか」
ぽつりと落とした言葉は、微かな後悔と共に消え失せる。
気づけば夕刻。大分時間が経っていた。
玄関のチャイムが鳴る。
わたしはインターフォンのモニターも見ずに玄関に急いだ。
ドアを開ければ、そこにいたのは見知った顔。
すっかり年を取って、お母さんになったあの子の顔。
「──、──」
想像した通りの元気な声が飛んでくる。でも何を言っているかはわからなかった。あまりにも気持ちが溢れすぎて、胸がいっぱいで。
何か言葉を返そうと思ったけど、視界すら光で溢れてしまっていた。




