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最後の魔法  作者: 駄犬


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01 桜子

 わたしが魔法のことを知ったのは、いつのことだっただろうか?

 物心ついた頃には、当たり前のように身近にあった。

 便利なものとかそういうのじゃなくて、おばあちゃんがお話を聞かせるように長い呪文を唱えて、手のひらの上に小さな火をポッと灯したりしてくれたのだ。

 それはとても綺麗で幻想的で、わたしはすっかり魅了された。

 ただ、おばあちゃんは魔法使いだったけど、お仕事は占い師だった。

 浦安駅近くの雑居ビルの地下一階に占いの館を構えていて、そこでおばあちゃんは白雪姫に出てくる悪い魔女みたいな黒いフード付きのローブを着ていた。もちろん、悪いのは格好だけで、顔はサンタクロースのように優しいのだけれど。

 お店の中は暗くてちょっと怖い感じのするところだった。


「何でこんな怖くするの?」


 とわたしが尋ねたら、


「こういうのは雰囲気が大事なのよ。ちょっとくらい怖いほうが神秘的だと思ってくれるの。そうするとね、お客さんが色々と話してくれるようになるし、わたしもアドバイスがしやすくなるのよ」


「アドバイス? 魔法でその人の未来を占っているんじゃないの?」


「魔法で人の未来を見ることはできないわ。わたしにできることは、ほんの少しその人の背中を押してあげることだけ」


 そう言って、おばあちゃんは微笑んだ。

 魔法を使わないのであれば、そんな占いに何の意味があるのだろう?

 わたしは不思議に思っていたのだけど、おばあちゃんの占いの館は意外と繁盛していたようだ。

 それにおばあちゃんに占ってもらった人たちは、みんなホッとしたような安心した顔になって帰っていった。わたしにはそれが誇らしかった。

 

 ただ、人の未来を見ることができないと言っていたおばあちゃんが、一度だけはっきりと未来を予見したことがある。それはおじいちゃんの病気だ。

 おじいちゃんは黒縁眼鏡に背筋のピンと張った気難しそうな人だった。

 もう定年で辞めてしまったけれど、ずっと市役所に勤めていて、ちょっと融通の利かないところもあるけれど、見た目通りの真面目な人だった。わたしはこのおじいちゃんの佇まいが好きで姿勢をちゃんとするようになったし、結構影響を受けていたと思う。何より、おばあちゃんととても仲が良かった。


 その祖父母がわたしの家に遊びに来ていたときに、突然おばあちゃんがおじいちゃんの手を掴んで叫んだのだ。


「今すぐ病院に行って! あなたは癌だから!」と。


 みんなビックリした。おばあちゃんは魔法使いではあるけど常識的な人で、突拍子もないことを言うようなことは今までなかったからだ。

 それを聞いたおじいちゃんは、黒縁眼鏡の顔をしかめた。


「突然そんな馬鹿な話をするものじゃないよ。僕はちゃんと毎年検診を受けているから大丈夫だ」


 だけど、ふたりの娘であるわたしのお母さんは、おばあちゃんがこんなことを言ったのは初めてだったから、とても心配した。


「お父さん、とりあえず行ってみましょう。何もなかったら、それはそれで安心できるじゃない」


 わたしも何だか不安になって、おじいちゃんに言った。


「おじいちゃん、病院に行こう? わたしも一緒に行くよ」


 そしたら、おじいちゃんは、


「おまえたちがそうまで言うなら、明日検査してみるよ。でも桜子はちゃんと幼稚園に行きなさい。僕は大人だからひとりで行ける」


 と優しくわたしの頭を撫でてくれた。


 おじいちゃんは言ったことは必ず実行する几帳面な人だったから、次の日にちゃんと病院に行って検査してもらった。


 ──そして癌が発見された──


 即日入院だった。

 わたしたちもすぐにお見舞いに行ったけど、病室のベッドで横になっていたおじいちゃんは、真面目な顔を少し緩めて言った。


「発見が早かったから問題ないよ。やっぱり魔法使いの言うことは信じておくものだな」


 その顔を見たら、「ああ本当に大丈夫なんだな」と思えて安心した記憶がある。

ベッドの傍らに座っていたおばあちゃんは、何も言わずにお見舞いのリンゴをわたしたちの分まで剥いてくれていた。

 実際、手術は上手くいったみたいで、おじいちゃんは数ヶ月間の病院生活の後に退院して、すぐに元通りに元気になった。

 わたしたちは魔法でそんなことができると思わなかったから、おばあちゃんに何度も「どうやったの?」って尋ねた。

 でも、おばあちゃんは聞かれるたびにぼんやりした感じで、


「あんまりよく覚えてないのよね」


 と困った顔をしていた。嘘を言っているようには見えないし、本当にそう思っているようだった。

 ちょっとした問題も起こった。この話が色んな所から伝わって、噂になってしまったのだ(わたしも幼稚園の友達に喋ってしまっていた)。


「魔法使いが癌を予言した」と。


 実は予言をする魔法使いの話は昔から結構あったみたいで、それについては今になっても解明されていない。何故なら魔法使い本人がわからないからだ。

 おばあちゃんと同じだったというわけだ。

 だけど、世間はそれで済ませてはくれなかった。

 癌を予言する、ということは、それだけセンセーショナルなことだったから。

 噂が噂を呼んで、1年くらい経ってから、とうとうテレビ番組に呼ばれることになった。正直、予言したことをよく覚えていなかったおばあちゃんは断るだろうと、わたしたちは思っていたけど、何故か出演を了承した。


「ちょうど良い記念になると思ってね」


 おばあちゃんは柔らかく微笑んでいた。


──


 テレビ収録の当日、わたしたち家族とおじいちゃんは、観覧席でおばあちゃんの魔法を見守っていた。一体どんなことになるのだろうとドキドキしながら。

 おばあちゃんはテレビカメラの前でも、いつもみたいに呪文を優しく唱えて火や水を出してみせた。大したことをしているわけではないのだけれど、占い師をやっているせいか、見せ方が上手いからそれなりに凄く見える。

 そうやって、本物の魔法使いであることを証明した後、大げさな蝶ネクタイを付けた番組の司会者が尋ねた。


「では、どうやって癌を予言したんですか?」


 おばあちゃんは朗らかに言った。


「それがあまり覚えていないんですよ」


 その答えに司会者の人は大げさに落胆してみせた後、食い下がるように尋ねた。


「じゃあ、何か他にすごい魔法は使えないんですかね?」


 ちょっと挑発するような言葉。きっと番組的に盛り上げたかったのだろう。

 でも、おばあちゃんは、


「ええ、使えますよ。とっておきの魔法が」


 と事も無げに答えたのだ。

 そんな話はわたしたち家族も聞いていなかったから、ビックリした。

 もちろん、司会者の人もここが撮れ高だといわんばかりに食いついた。


「じゃあ是非今ここでその魔法を使ってください!」


「良いんですけどね。でも、何も起きませんよ。それでも良いんですか?」


 おばあちゃんは諭すように柔らかく応じた。

 とっておきの魔法だけど何も起こらない。意味がわからなかった。

 司会者の人もそれは同じで、


「え? 何も起きないんですか? 魔法なのに?」


「というより、誰も気づかないの。凄すぎて」


 おばあちゃんは悪戯っぽく笑った。


「何だかよくわからないんですけど、とりあえず、やってみてもらえますかね?」


 困惑した司会者に急かされると、おばあちゃんは朗々と呪文を唱え始めた。

 普通の人たちにはわからない魔法使いだけがわかる特別な言葉。

 それは聖歌のような、民謡のような、厳かな不思議な旋律で奏でられて、それだけでも見ごたえと言うか、聞きごたえがあった。おばあちゃんは何故か涙を流していて、それをテレビカメラがズームで捉えていた。

 やがて呪文は終わり、番組のスタジオは静かになった。

 そして──おばあちゃんの言った通り、何も起こらなかった。


「あの……終わりですか?」


 司会者が恐る恐る尋ねると、おばあちゃんは自信満々に答えた。


「ええ、終わりですよ。だって魔法は成功したのですから」


 ざわつくスタジオを他所に、おばあちゃんの表情は見たことがないくらい晴れやかで、その視線は観覧席にいるわたしたちに向けられていた。

 何かをやり遂げたかのような、慈しむようなとても優しい目。

 きっと何か凄いことが起こったのだ。例えわたしたちにはわからなくても。

 わたしはあの目が忘れられなくて、魔法使いになりたいと思った。


 この番組はほとんどそのまま放送されて、「やっぱり魔法は何の役にも立たない」と、あんまり良い評判にはならなかった。

 わたしは幼稚園でテレビを観た子たちから散々からかわれた。


「桜子のおばあちゃんはインチキだ」と。


 それが悔しくて悲しくて、わたしはひとりになるようになっていった。

 お父さんもお母さんも会社や近所の人から色々言われたみたいで、


「おばあちゃんは一体何がしたかったんだろう?」


 と首を捻っていた。

 だから、わたしが、


「わたしも魔法使いになりたい」


 なんて言っても、良い顔をしなかった。


「ちゃんと勉強やスポーツを頑張った方が良い」


 とはぐらかされた。

 お父さんもお母さんもおばあちゃんのことは好きだし、魔法のことは嫌っていなかったのだけど、それでも娘にはやってほしいとは思わなかったようだ。

 わたしだって漠然とした理由で魔法使いになりたいと思っていたから、強く主張することはできなかった。そうして、もやもやを抱えたまま、せっかくの小学校の入学式を灰色の気分で迎えた。


 そこで出会ったのが、わたしの前の席に座ったポニーテールの元気な女の子。

 彼女は先生の説明が終わるなり、勢いよく振り返って聞いてきた。


「あなたは魔法が使えるの?」


 またか、と思った。魔法が使えるかどうかを、わたしに聞くだけ聞いてくる子は今までにもたくさんいた。そういう子は魔法が大したことがないと知ると、あっさりと興味を失っていくのだ。


「使えないわ。使えるのはおばあちゃんだけ。お父さんもお母さんも使えない」


「いつか使えるようになるの?」


「……あなたは知らないの? 魔法はね、たった10秒しか続かないの。だから全然役に立つようなものじゃないわ」


 本当はこんなことは言いたくない。魔法は凄いんだと言いたい。でも、わたしは周りから散々「役に立たない」と言われてきたのだ。最後にがっかりされるくらいなら、最初にがっかりさせてしまった方が良い。わたしはそう思っていた。

 けれど、ポニーテールの子はにこりと笑った。


「10秒も使えれば良いじゃない! 100M走るのにだって、一番速い人でも10秒くらいかかるんだから、10秒って結構長いわよ!」


「10秒が長い?」


 そんなことを言われたのは初めてだった。


「長い長い! それだけあれば十分奇跡よ!」


 彼女は言いながら、激しく頷いた。おかげでそのポニーテールが、本物の馬の尻尾のようにばさばさと跳ねた。こっちまで元気になれるような子だった。

 その彼女が断言してくれた。

「じゃあ、桜子ちゃんの将来はやっぱり魔法使いね!」と。


 志波凛。

 わたしの生涯の友達との出会いだった。

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公開は2025年いっぱいになる予定です。
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何故だろう 鼻の奥がつーんとして涙を堪えている自分がいる。
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